第九十九話:偽物の終焉
世界中に灯り始めた、温かいラーメンの湯気。その報せは、旅の商人や吟遊詩人たちによって、ゆっくりと、しかし確実に、大陸中に広まっていった。北の鉱山都市で働く男たちの心を支える、力強い味噌の味。南の港町で、多様な人々の舌を唸らせる、革新的な塩の味。それは、もはや単なる食事の噂ではなかった。人々の心を結びつけ、新しい文化が生まれる瞬間の、生き生きとした物語だった。
一方、その頃。王都では、レオナルド・デ・ロッシが仕掛ける、壮大な商業プロジェクトが、ついにそのベールを脱いでいた。
王都の最も華やかな大通り。その一等地に、四海通商連合の莫大な資本を投じて建設された、『SEIJO RAMEN』の世界第一号店が、きらびやかにオープンしたのだ。
開店当日、その前には王都中の貴族や富裕層が長蛇の列を作った。レオが魔法の水晶で見せた、あの幻影が、今、現実のものとなったのだ。
店内は、ジロの『極』をさらに大衆向けにしたような、洗練され、効率化された空間だった。客たちは、番号札で管理され、寸分の狂いもないマニュアル通りの接客を受ける。厨房では、連合が育成した料理人たちが、寸胴に入った濃縮スープをお湯で薄め、工場から送られてくる規格化された麺を茹で、真空パックされたチャーシューを乗せるだけ。わずか数分で、あの「試作品」と寸分違わぬ、完璧に均一なラーメンが完成する。
「素晴らしい!これが、あの聖女の味か!」
「並ばずに、いつでもこの味が楽しめるなど、夢のようだ!」
最初の数日、店は物珍しさと、その圧倒的なブランド力で、大成功を収めたかに見えた。レオの計画通り、世界はまず、この規格化された味を「聖女のラーメン」として認識したのだ。
だが、数週間が過ぎる頃から、その熱狂に、微かな、しかし無視できない不協和音が混じり始めた。
王都の人々は、最初こそその手軽さと目新しさに熱狂したが、二度、三度と通ううちに、あの魂のない模倣品と同じ、奇妙な物足りなさを感じ始めたのだ。
「確かに、美味しい。美味しいのだが……なぜだろう。あの感動が、二度と訪れない」
そんな空気が生まれ始めた頃、王都に、旅人たちが運んでくる新しい「物語」が届き始めた。
北の果ての鉱山で、馴鹿の骨から作る、魂まで温まる味噌ラーメンの話。
南の島で、海竜の出汁と果物で作る、誰も食べたことのない塩ラーメンの話。
その物語は、酒場で、市場で、人々の心を惹きつけてやまなかった。人々は、いつでも食べられる規格化された味よりも、そこにしかない、一生に一度出会えるかもしれない、温かい「本物のラーメン」の物語に、心を焦がすようになっていったのだ。
王都の『SEIJO RAMEN』一号店の客足は、目に見えて遠のき始めた。空席が目立つようになった店内で、人々が話題にしているのは、目の前のラーメンのことではなく、まだ見ぬ、遠い土地のラーメンの噂話だった。
レオの冷徹なビジネスモデルは、致命的な欠陥を抱えていた。
彼は、一杯のラーメンを「商品」として売ることはできても、その一杯が生まれるまでの「物語」を売ることはできなかったのだ。そして、人々が本当に求めていたのは、腹を満たす商品ではなく、心を満たす物語の方だった。
その報告を受けたレオは、初めて、自らの執務室で、苛立ちのあまりグラスを壁に叩きつけたという。
彼の築き上げた、完璧なブランド帝国。その土台が、名もなき弟子たちが世界中に広める、無数の、温かい湯気によって、足元から静かに、しかし確実に、崩され始めていた。
偽物の帝国は、本物の文化の前に、その終焉の時を迎えようとしていた。




