第二話 ドラムを叩くあの子に抱いた劣情
ライブの日。
千夜さんは、ストレートの髪を緩く巻いて、いつもよりぱっちりメイクをして、普段なら滅多に着ない花柄のワンピースを着て僕を迎えに来た。
千夜さんはいつも細身のジーンズを履いていて、どちらかと言えばボーイッシュな格好をしていることが多い。
だから、こういう格好は、滅多にない。
所謂、クールビューティなのだ。
「え?何?私がワンピースはおかしい?」
いや、今日はなんでそんな被害妄想出てるんだろう?
さては叔父さんに何か言われたな。
僕はただ、珍しいこともあるんだなぁって歩きながら見てただけなんだけど。
「いや。初めてできた彼氏の事、本気なんだなって思っただけだよ」
「な、何よ、悪い?!」
そう、この美女、今回の人が初彼氏なのだ。
ガード固い美女って巷で有名だったんだよな。
ホントに、どんな男なんだろう?
「どんな人なの?初彼さん」
千夜さんが、う~ん、と唸ってから、うふふ!!と上機嫌に笑い出したので、僕は薄気味悪くて、眉間に皺をよせて薄目で彼女を見る。
いや、ホントに、本来、高橋千夜という女性はクールな女なはずなんだけど……。
それが、こうやって思い出し笑いなんかするんだ……。
恋って、怖いな。
「大陽くんは、かっこいいお兄ちゃんなの」
「めちゃくちゃ年上……?」
「失礼ね。同い年よ」
千夜さんは怒りながらも、大陽さんについて話してくれた。
年は彼女と同い年で二十歳。四歳年下の妹と五歳年下の弟と三人でバンド『シャングリラ』を組んでいるボーカリストでベーシスト。
大学の専攻は声楽らしい。
ご両親は幼いころに事故で他界していて兄弟三人は施設で育つ。
現在、施設で最年長なので兄的ポジションで頑張っている。と楽しそうに千夜さんは話した。
「無口だけど、優しいの」
「ふーん」
なんだか、話を聞いているのがめっちゃめんどくさくなってきた。
この辺にしといてくれないかな。
他人の色恋が一番めんどくさいし、つまらないし、奇怪なんだよな。
小説もたまに読むけど、色恋が絡むと途端に訳が分からなくなってしまう。
別に、昔にトラウマになるような大失恋をしたとかでもないし、同性が好きとかでもないし、ただ、分からない。
言ってしまえば、今まで他人を好きになったことなんてないし、童貞である。
「修は?そういう子いないの?」
「いないし、いたことない」
「即答でお姉さん、びっくりしてるんだけど」
「アロマンティックなのかも」
「うん?アロマ?」
「何にも恋愛感情を抱かない人の事」
僕も最近知った。
というか、流石に、冷血漢なのかも、と調べていたら、アロマンティックに辿り着いた。
「修の場合、恋愛、というか、全てに興味なさそうだから、何かキッカケがあれば解決するかもね」
優しいな、千夜さん。
きっと、そういうきっかけになれば、って考えてくれたんだ。
こんな優しい女性の初めての彼氏が、変なバンド男じゃなきゃいいけど。
音楽。
触れなくなって、どれくらいになるだろう。
楽しいと思ってやってたのって、いつだったっけ?
僕は、いつからピアノに触れていないんだろう……。
そんなことを考えながらぼぅ、としていたらライブハウスに着いていた。
「大丈夫?」
「うん、ちょっと考え事してた」
「そっか。思春期だねぇ」
馬鹿にしてんのか?って一瞬思ったけど、千夜さんの表情が優しくて、なんだか安心してしまって、今日、全力で楽しむぞ。と思ったのだけど。
一組目、二組目がくっそつまらないありきたりなコード進行の単調な音楽だったので、すっかり萎えてしまった。
しかも、如何にもな、派手なバンド男たちばっかだし、ちょっと心配になる。
というか。
僕は『楽しむ』ということが出来なくなっている。
あの日、ピアノが弾けなくなった、あの日から。
「……こんにちは、『シャングリラ』、です」
ステージ上には、三組目、千夜さんの恋人さんのバンド、『シャングリラ』が立っていた。
大陽さん、厳ついな。眼光鋭いし、ピアス耳にも口にも、眉尻にもめっちゃついてるし。
挨拶の声も、低い、バリトン?いや、バスくらいか?めちゃくちゃ低くてかっけぇ。
と、ひたすら大陽さんにフォーカスを向けてたらドラマーの妹さん———ドラムセットからギリギリ見えるくらい小柄———がカウントを始めた。
始まった演奏に、僕の心臓は久々に激しく高鳴った。
周りの女性———もれなく千夜さんも———を魅了する、大陽さんのセクシーな低音声で紡がれる甘いラブソングは恐らくこのバンド独自のもの。
きっと、大陽さんが千夜さんにむけて歌っているのだろう。
大陽さんは、たまにこちら———僕の隣の千夜さんの方———を熱のこもった目で見つめている。
そして。
甘い歌詞とは裏腹に、激しいメロディーラインのリズムを、妹さんが力強く刻む。
漆黒の長いポニーテールを激しく揺らし乱しながら、恍惚な表情を見せたり、時に不敵に笑う彼女はかなり小柄だが、ドラムを叩く姿はすごく雄々しく、力強くて。
不敵に、恍惚に笑う彼女の口元から見えた八重歯が、セクシーで。
僕はその日、初めての、恋をした———……。
—第二話 了—