砂山の向こう
翌日。いつも通り慌ただしい一日を過ごしつつどこか気持ちが落ち着かないでいた私は、撮影が終わると同時にあの砂浜へと全速力で向かった。春が近づいてきたとはいえ夕暮れ時の空気はまだまだ冷たい。肌という肌を寒気が容赦なく突き刺すが、そんなこともお構いなしに速度を上げていく。潮の香りが濃くなるごとに私の鼓動は早まっていく。浜辺はすでに暗くてほとんど何も見えない。かごに入れてきた懐中電灯を手に、転びそうになりながらも堤防を駆け下りていく。靴の中に大量の砂を含ませつつ、昨日手紙を書いた辺りで立ち止まり光を照らす。まっさら、まっしろ。そこにはつるつるの砂浜が広がっているだけであった。あまりの綺麗さに照らす場所を間違えたかと懐中電灯を振り回してみたが、人の足跡ひとつない。今日は遊びに来なかったのか。いや、不気味がって消されたのか。暗がりの中で思考だけがぐるぐると回る。波音だけが私をあざ笑うように騒がしい。夕日は次第に海面へと沈んでいく。私はやり場のない悔しさ、もどかしさをもみ消すために砂を思い切り蹴る。すると、舞い上がった砂埃が夕日を背景にきらきらと舞った。私は一瞬その美しさに目を奪われかけたが、すぐに視界が真っ暗になる。自分が舞い上げた砂埃が見開いた目に入ったのだった。もう何の感情が溢れたのかもわからない涙が頬を伝う。
「会いたい。」
そんな悲痛な独り言も無情な闇が吸い込んでしまう。遠くで船の汽笛。背後では家路を急ぐ車の走る音。一定のリズムで打ち寄せては引いていく波が私をさらに失望の淵へと追い込んでいく。私だけが物音ひとつ立てずに砂浜の上で夜空を見上げている。雲しかない真っ黒の空。窮屈な砂浜で私だけがこの世に足をつけていないみたいだ。このやり場のない悲痛な思いをどうしたものかと懐中電灯を握りしめる。会いたい。触れたい。声を聴きたい。いろんな角度で見てみたい。画角に収めたい。抱えきれないほどの想いが爆発しそうになった私は思い切り懐中電灯を地面に突き刺さした。砂浜をぽつぽつと何かが濡らす。歯を食いしばり、懐中電灯を持つ手に力を籠め、徐々にその手を動かしていく。
『あなたと会いたい』
他の誰に向けるでもない、私の叫びを刻む。私が明確な意思をもってこの世に存在しているということを。この想いは届くだろうか。紛れもなく私の胸に、たくさんの感情で押しつぶされかけている私の胸に。どうしてだろう、自分の腹の内が見えるようになると妙に落ち着く。頭の中が整理され、すっきりしたようにも感じる。ゆっくりと腰を下ろし、遠く海面に浮かぶ一粒の光を見つめる。もしかしたら砂山を作っていたのは砂絵さんたちではなかったのかもしれない。世界には私がまだ気づいていないだけで、私の感性を刺激するようなものがこれからもたくさん浮かび上がってくるだろう。カメラを手に、それを気長に待っていればいいじゃないか。たまたま私の感性を最も強い力でくすぐってきたのが砂絵さんというだけ。また楽しみが増えたと思えばいい。心に残ったしこりが消えるまで、旅を続ければいい。今のところ治療法は見つかっていないけど。せめてこの想いだけが彼女の心に巡り巡って届けばいい。そんなことを考えながら滲みゆく光を見つめていた。
少し気持ちが軽くなった気がする。胸にぽっかりと穴が開いたからだろうか。次の日、私は機械的に仕事をこなした。食欲もわかず、カメラを手にしても全くわくわくしない。
「なんか今日いつもと様子が違うっすね、風邪でもひいちゃいましたか?」
「いやぁ、そんなんじゃ。」
この男にも人を心配するという感情があったのか。妙に感心しつつ、そんなこともすぐに頭から抜けていく。
「顔色もいつもより悪い気がするわね、今日は早く帰って寝たほうがよさそうよ。」
「飲酒は今日は我慢してくださいよ。カメラマンいないとこのスタジオ成り立たねぇっす。」
「おう、すまん。」
どうやら胸の内が表情、態度に出てしまっていたらしい。接客もまともにできない今の自分にうんざりする。今日は二人の気遣いに甘えることにする。画像レタッチ作業は早めに切り上げて帰宅し、ありったけの酒をあおってぐっすり眠ることにしよう。カメラの入ったバッグをかごに放り込み、自転車を押して歩く。今はきれいなものもそうでないものもどうでもいい。頭では整理で来ていても気持ちが追い付かない。同じ小さな水槽の中にいるはずのなのに一目見ることすらできないのだから。諦めようと思っていても喉にできたしこりのせいで常にもどかしい気持ちになる。のらりくらり帰路に就く。車にクラクションを鳴らされ顔を上げては、再びうつむきながら歩く。ふと、視界の端が開けた気がした。くしゃくしゃに垂れ下がった髪の毛越しに横を見る。そうか、今日は満月か。海面にはまん丸に整えられた月が浮かんでいる。昨日までの曇天が嘘のように今日は月明かりがこの街を照らしている。私の心にわずかに残っている感受性がその壮観にわずかに反応している。なんだかその景色にに目が離せず、じっとりと月を見つめながら自転車をゆったりと押す。すると先ほどと同様、違和感を感じるように視界の端に真っ黒な何かをとらえる。砂浜に浮かぶ真っ黒な影。その真ん中に一筋の光が伸びている。見覚えのある光景。私は無意識に自転車を放り投げ、その陰向けて一直線に走った。そこには、呼吸を忘れるほどの絶景が広がっていた。月明かりを受けるトンネル付きの砂山。あの日のままの姿にひざが震える。しかしどこか違う、違和感。はっとした、ここは昨日私が失望の中海を見つめていた場所ではなかったか。あまりにも震える膝を落ち着かせるためにひざまづく。するとそこには昨日私が書きなぐった文字が今にも消えそうなほど弱々しく横たわっていた。
『あなたと会いたい』
改めて見ると何とも拙い筆跡で、なんとも情けない内容だろうか。ボーっと見つめていると、どうやらその下にも文章が続いていることがわかった。昨晩私は何か続きを書いていただろうか。あまりにも呆然自失としていたためあまり細かいことは覚えていない。私の両膝につぶされたその文章はかろうじて判読が可能な状態であった。
『カ ラ ンさん?』
指で書いただろう文字を海水でしっかりと固めた文字。私のあまりにも頼りない文字とは打って変わってしっかりと書き残された文字。昨日の私に海辺まで歩いて海水を運んでくる元気はなかったように思う。誰からだろう。まだ分かったわけでもないのに立ち上がり、必死に辺りを見渡す。すると、私がひざまづいていたその真下にさらに続きがあることに気づく。数か所に私が消してしまったような跡が見当たったが、こちらは判読が十分に可能な状態であった。
『砂絵・心介』
「うぅ、、、」
やはりいたのだこの町に。確かにつながっていたのだ、この砂山を通して。やっと見つけた、やっと出会えた。なぜだか不思議と涙が出てくる。もう二度と会うことがないと絶望していたからか、その反動が私を襲う。あそこまで私の感性を刺激した人、今まで出会ったことがない。あの人の最も美しい姿を、私の浮かび上がる感性を切り取りたい。その一心でここまで来た。もう会えないと一度喪失の悲しさを味わったからこそ、あの人の息遣いがこの上なく心地よい。慌てて自転車に駆け戻り、カメラを手にする。私のこの気持ちごと切り取りたい。砂浜に横たわり、トンネル越しの月明かりをカメラに収める。手前には砂浜に残された手紙。このトンネルの先に彼女が待っている。そんな気がしてならなかった。私はカメラを手にその景色にうっとりする。砂浜越しに伝わる鼓動が心地よい。その音に耳を澄ませるように、波音にかき消されぬようにゆっくり、ゆっくりと。




