表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/11

切望

スタジオに戻ると津雲さんが不安そうな顔をして待っていた。

「どこ行ってたんですか、お客さん来ちゃいますよ?」

「申し訳ない、あまりに天気がいいもんだから気分転換に外で食べようと思って。」

「その気持ちもわかりますけど。時間には厳しく行動してください。カメラマンは泡瀬さんしかいないんですからね。」

「そうだった。ただのカメラ好きが恩情で働かせてもらっていること、忘れていました。気をつけます。」

「ふふっ、今日は運よくお客さんが遅れている様子なので見逃すことにしましょうかね。」

津雲さんとは少ししか歳が違わない。けれど服装のせいか、所作のせいか、とても大人びて見える。彼女はいつも配色を基本的にグレースケールに絞った服を着ており、ジャケットやニット、コートをおしゃれに着こなしている。またお気に入りであるという金木犀の香水をつけており、彼女が歩くとその周囲にはいつもお花畑が広がる。私も以前一振りかけてもらったが、その日いっぱいは澄んだ香りに胸が踊ったことを思い出す。顔も鼻筋が通っていて整っているし、凛とした立ち振る舞いや話し方にはお淑やかで儚げな女性らしさを感じる。確かに綺麗で魅力のある女性だ。けれど私の胸には少しのざわめきも起きない。内なる感性を刺激するような何かが足りない。胸の奥深く沈んでいる私の感性たちが一つも湧き上がってこない。カメラに収めるまでもない。やはり砂絵さんは別格だ。一目見ただけで無数の泡が湧き上がってくるあの感覚を思い出す。津雲さんには申し訳なさでいっぱいだが、今一度砂絵さんへの想いを再確認する。それは今にも破裂しそうなほどに膨らんでいた。

「そういえば、あの一件誰かからお話を聞くことはできた?私は全く。あの人たちは本当にこの町の住人なのかしらね。」

「私も何も聞けていません。姿を見かけるどころか些細な手がかりを見つけることもできていません。」

私よりも先に話しかけさせるわけにはいかない。ひとまず適当な嘘をついてこの場をやり過ごすことにする。

「そうよねぇ、とにかくあの子達が心配だわ。私ももっと注意深く周りを見てみる。何かあったら大変だわ。」

厄介だ。こんな近くにライバルがいるとは。痣に対して都合の良い解釈をして押し付けがましい善意を振り撒いているだけではないのか。

「僕もこの町の人に聞き込みをしようと思います。小さな町なので僅かな手がかりでも得られるかもしれませんし。」

お客さん早く来てくれと願いつつ適当な会話を繰り返していると、「リンリン」という小気味良い音がスタジオ内に響く。帰宅した飼い主に飛びつく小型犬のように勢いよく玄関扉を振り返り、小走りで客を出迎える。

「いらっしゃいませ!」

今日は結婚記念の写真撮影。恋愛から一歩踏み込んだ関係に発展した男女二人はどんな表情をみせ、どんな美しさを放つのか。カメラを手に、魔法のような時間が再び始まる。

その日の撮影は全体で3時間半かかった、らしい。カメラ越しに映る二人の姿を見て、同じく二人並んで佇む私と砂絵さんを想像してしまったのだ。私のこの感情は愛情なんてものをすでに超越している。今すぐにでもあの琴線に触れてみたい。その音色を聞いて私は正気でいられるだろうか。とにかく早くあの人に近づきたい。あの人と私だけの空間で、彼女の美しさに浸っていたい。誰よりも早くあの人の痛みに寄り添わなければ。私だけが理解者でないといけない。痣は私と砂絵さんを結びつける運命の赤い糸になるはずだから。

その日以来私は出勤前、昼休憩、撮影後、勤務後、さらには撮影の合間を縫ってあの浜辺に足を運ぶようになった。絶対に津雲さんに負けるわけにはいかない。朝方に消えかけの砂山を見かけ呆然と立ち尽くす。勤務後に出来立ての足跡を見かけ胸が躍る。昼休憩中にまっさらの砂浜に胸を締め付けられる。撮影の合間に出来立ての砂山を見かけ自分の名前を書き足す。そんなことを繰り返す生活が続いたが、肝心の二人を見かけることはなく虚しく日々は過ぎていく。果てがない反復作業に途方に暮れていたある日の勤務後、私は思い切って砂山の傍にメッセージを残してみた。

「あなたにもう一度会いたいです。」

名前とともにその文章を枯れ枝で力強く書き残す。もしかしたら彼女は私の顔も名前も覚えていないかもしれない。それでも私は自分の胸に湧き上がる気持ちに嘘はつきたくなかった。かなり押し付けがましい熱情かもしれないが、それでも彼女とこの砂浜でつながっているという実感が少しでも欲しかった。祈るように打ち寄せる波を呆然と見つめる。無我夢中で追いかける私を嘲笑うかのように勢いよく引いていく波。かと思えばそれは、私が背を向け立ち去った途端に満ちていく。こんなむず痒ささえ心地よかった。今はゆらめいて見えてもいつか必ずその輪郭を捉えて見せる。そんな青臭い希望を胸に、澄み切った帰り道を辿る。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ