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猜疑

二週間後写真を受け取りに来たのは飛鷹さんただ一人だけであった。仕事に行く道すがらこのスタジオに寄ったのだという。

「今日はご家族といらっしゃらなかったんですね」

理由は明快であったが先日にたてた噂のせいか、単なる砂絵さんへの興味のせいかくだらないことを聞いてしまった。

「はは、砂絵は育児で忙しいんでね。必要ない外出はさせないで極力家で休んでもらうようにしているんです。彼女は少し無理をしすぎところがあって、、、」

穏やかにこう答える飛鷹さんを僕はどうしても悪い目では見れない。屈強な体も、四方に響く力強い声も、ピシッと着こなされているスーツも全て大事な家族を守り抜くための誠実なものに見える。そんな飛鷹さんの勇ましさをぼんやりと見つめながら用意した写真を手渡す。

「どうされました?私の顔におかしなものでも付いていますか?」

「い、いやぁ」

「おぉ!これは素晴らしい出来だ。砂絵も心介もとても綺麗に写っているね。本当にお世話になりました、ありがとうございます!」

全ての発言に感嘆符や疑問符が付くような感情に富んだ喋り方はいかにもエリートサラリーマンといった印象だ。その覇気に気圧されつつかろうじて私は接客を続ける。

「素材が極上なんですよ。とても煌びやかなご家庭で、撮っているこちらも楽しい時間を過ごせました。」

数秒の気まずい余白が続く。こちらだけ呆然と様々な思考を張り巡らせている中、飛鷹さんは痺れを切らし手短に別れを告げ去っていく。私はうあぁ、ありがとうございましたぁと情けない声をあげ、その逞しい背中を見ながら立ち尽くす。やはりどうしても悪い男には見えない。黒光りする立派な外車に乗って颯爽と走り抜ける彼に羨望とも嫉妬ともつかない灰色の感情を抱いてしまう。いい年して人妻に対して色めき立ち、さらにはその夫にやきもちを焼く自分という生き物がこの上なく情けない。ぼうっとしていると耳元で突然大丈夫っすかー?という声がし、飛び跳ねる。

「ははっ、泡瀬さん何ボケーっとしてるんすか〜。砂絵さん来なくて残念でしたね〜。あ、それとも筋肉フェチでしたか!」

「う、うるさいなぁそんなわけないだろ。ごめんごめん、昨日の寝不足が祟ったのかもね。」

男同士特殊な脳波で通じ合うものがあるのだろうか。沼澤くんには私の心を見透かされていた。

「寝る前のお酒も程々にしてくださいよ?体が悲鳴あげてますよ。」

彼の健気さや活気は時と場合によって鬱陶しく感じるものになる。折り重なる感情に麻痺しそうになっていると、奥で様子を見ていたらしい津雲さんが眉間に薄く皺を寄せ微笑みながらこちらにやってくる。

「あんなぎこちない接客じゃクレーム入っちゃいますよ、、、笑。終始落ち着かない様子でしたけど、やっぱりあの一件が気になっているんですか?」

私は日頃そんなに分かりやすい行動をとっているのだろうか、津雲さんにも私の気持ちを見抜かれていた。

「はい、二週間前痣について話してからというもの、自分の中にもうっすらと偏見が漂っていたみたいです。けど今日の飛鷹さんの様子からは全くと言っていいほど狂気であったり、邪気であったりを感じなかったんです。」

「私もよ。けど話している様子からなんとなくだけれど、貼り付けているような、何かを隠しているような、ヴェールをまとっているような器用さを感じた気がしなくもないのよね。」

「確かに!綺麗に写っているって発言にも狂気の片鱗を感じたっていうか。痣が写っていない綺麗な家族像を写し出せたってこと〜?」

そこし話が飛躍しすぎている気がする。二人ともどれだけ飛鷹さんをDV男に仕立て上げたいんだろう。津雲さんは傷だらけの母親と息子の様子を間近で見たからこそ過度に同情し、想像があらぬ方向に向かって膨らんでしまうのだろう。それゆえに飛鷹さんを悪役に仕立て、敵意を向けることで二人の痛みを自分も知った気になっているのだ。沼澤くんもその手助けを見境なくしないでほしい。まだ飛鷹さんが暴力を振るっている証拠すら微塵もないのに、こちらの膨らむばかりの想像で見る目まで変えてしまうのはいかがなものか。そんなことを考えつつも飛鷹さんを完全に信じきれていない私は、どうにかして冷静な思考をしようともがいている。

「確かにその可能性も考えられますね。でも、飛鷹さんの言動のある側面だけ切り取って解釈すれば、いくらでもあの人を悪人に仕立てることはできると思うんです。まだ何も分かってないでしょう。もっと視界を広くするべきだとも思う。」

「でも、、、じゃああの傷はなんなのよ、、、」

雲ひとつない快晴の中、薄暗いスタジオに重苦しい沈黙が落ちる。二人が暗い顔をしている中、私は別のことを考えていた。正直痣が暴力によるものなのか、事故によるものなのかは私にとって二の次だ。砂絵さんに痣があるというのが最重要事項である。これはいい会話の種になる、痣があるうちに話しかけなくては。私の頭はそんないやらしく、性根の腐った思考でいっぱいだった。

「とりあえず今度見かけたら私が話を聞いておきます。私もあの痛々しい姿は見過ごせない。」

「そうね、、、私もそうする。」

混沌とした感情の渦を切り裂くように鈴の音が鳴る。誰かがスタジオに入ってきたみたいだ。振り返ると腰の曲がった老夫婦。おそらくあらかじめ予約が入っていた米寿記念の撮影だろう。ブルーな気持ちが拭えぬままカメラマンとしての一日が始まろうとしている。接客を沼澤くんに任せ、私と津雲さんは撮影準備に取り掛かる。今日は二件の撮影に加えて閉店時間までのレタッチ作業が控えている。朝から私の頭は彼女に支配されており、カメラのことなど頭の中に微塵もなかった。どこか上の空でカメラを起動し、画角の調整をしていく。遠くでは沼澤くんの笑い声。今日も海辺の小さな町にある小さなスタジオは幾つものの幸せを切り取る。胸の内に湧いて出る高揚感はそのままで。

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