6 第一王子
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それから会議や国賓を迎えるなど女王としての仕事をこなし、気付けばさらに二週間。私が死ぬまであと一カ月半ほどだった。
死ぬとしても女王の仕事は待ってくれない。王配の死を言い訳に子供たちにも怪しまれない程度に割り振ってはいるが、あと少しで死ぬという現実を考えるには時間が足りない。
「母上、私が王太子になります」
「三人の話し合いでそう決まったの?」
「はい」
「そう」
穏やかな陽光の降り注ぐ珍しく温かい城の庭で、向かいの席から意気揚々と私に告げたのは第一王子だ。彼の赤毛は王配そっくりである。その赤毛を見ても私の心はピクリとも動かない。
私が好きだったのはもっと暗い赤毛だ。後ろに立つ死神のような。
父である王配が死んでも第一王子は接点がほぼなかったせいか、全く悲しむ様子はなかった。何の仕事もしていない王配のことをこの息子は嫌っていた。
息子たちは娘と比べて交流がある。
しかし、第一王子は私のことを幾度も戦争を仕掛けた好戦的な女王だと思っている様だ。そしてその生きざまを良しとしているせいか、度々隣国を併合すべきだと言ってくる。
隣国は我が国と違って災害が少なく、豊かな食糧庫だ。軍事力はあまりないが、隣国を狙って攻め入るには我が国を通らねばならない。そしてローワン王国は代々の王族が好戦的であったことから軍事力はある。
隣国はそれがあるせいか女王になった私に舐めた態度を取ることなく、災害が起きたらすぐに食料を支援してくれる仲だ。
隣国は私から何も奪っていない。だから攻め込んで併合する意味はない。あくまで私には。
「第二王子を脅していたとも聞いたけれど」
これは腹心の侍女セリーンが持って来た情報だ。
「もし私が脅したとして何の問題があるのでしょうか。それくらいのことで王位を諦めるような人間でしょう」
「そうね、脅迫も立派な話し合いの一つかもしれないわね」
「あのようなどもった喋り方では臣下もついてこないでしょう」
第一王子は良く言えば自信満々に見える。悪く言えば傲慢。
好戦的で傲慢で、自分が正しいと思っている。そして幸運にも何かを奪われたこともなく、与えられただけの人間。
第一王子を見ていて、愛人を作っておいて良かったと思う。第二王子と第一王女はこんな性格ではないから。子供というのはよく分からない、育て方によるのか、本人の資質なのか、それとも親の責任なのか。
第一王子は、王には向いていない。
第二王子のどもりが演技だということも見抜けないとは。表層しか見ることのできない国王など害悪にしかならない。
「国王になったら隣国を併合するつもり?」
「はい。母上にも何度も進言していますが。災害対策に金をかけるよりも早いでしょう」
「反対よ。併合したからいいというものでもない。併合した隣国を巡ってまた戦争が起きるでしょう」
奪ったら、どうせまた奪われるのだ。私を殺そうとした兄のように。
「勝てばいいことです。我が国の軍事力なら勝てるでしょう。帝国だって後ろにいるのですから」
覚えている。兄の首を刺したあの瞬間。
肌に飛び散る血の温かさ。憎しみと怒りしかないと思っていたのに、兄が死んでいく様を見ているうちに恐怖で震え出した手。兄の信じられないとでも言いたげな表情。絶命した後の目。
憎いはずの兄の姿もレックスと同じくらい覚えているのだ。
私は確かに幾度となく戦争をしてきた。国境での小競り合いの方が多かったかもしれない。国民には負担をかけ、兵士たちもその分死んだ。
しかし、そのおかげで今はもう舐められることはない。
ある日突然、大切なものを奪われるよりも恐れられている方がずっといい。
そんなことを考えていると、第一王子は私が手をつけないカップにちらちらと視線を寄越し始めた。
「母上、体調が悪いのですか?」
「いいえ。なぜ?」
「せっかく、母上の好きなお茶を用意したのに飲まれないので」
「あぁ、ありがとう。では、新しい私の後継者に乾杯といったところね」
「まさか酒の方が良かったのですか、母上。毎晩嗜まれていると聞いていますが」
私はちらりと後ろの死神に視線をやってから、紅茶のカップを持ち上げた。
第一王子は私の様子を見ないように努めつつ、ソワソワした様子で自分のカップを持ち上げた。
こんな無様な演技では駄目だろう。腹心の侍女が持って来た情報はもう一つあった。
それは母親に自分の手で入れた紅茶を初めて飲ませるような微笑ましい話ではない。
しばらく政治の話や他の貴族たちの話をして、私はそろそろかと切り出した。
「婚約者も決めないできたけど、どうするの? 誰か候補者はいる?」
「そうですね、わが国の公爵家の令嬢かあるいは隣国の……」
第一王子はそこから言葉が出なくなったようだった。
ゲホゲホと咳をして喉をかきむしりかけ、何の変化もない私の様子にやっと気付いたようだ。
「はは……うえ……?」
「どうしてそんなに不思議そうな顔をしているの? 私の命を狙ったのでしょう?」
腹心の侍女セリーンの持って来た情報は、第一王子が侍女に接触して私に毒を盛るように指示していたというものだった。
その侍女はその場では震えながら金を貰って承諾し、すぐに上司を介してセリーンに報告した。
「私の毒殺を指示しておいて、自分が毒殺されるなんて考えなかったの? 覚悟がないわね」
私の問いに第一王子は答えなかった。
イスから転げ落ちて喉をかきむしり、地面をのたうち回っている。
王配には眠るように死ねる毒を与えた。
しかし、奪うのならば息子でも容赦はしない。この息子にローワン王国は任せられない。第一王子が王になれば、すぐに戦争をして隣国を併合するだろう。そうすると、他国も豊かな食糧庫を狙って攻め込んでくるはずだ。
隣国の民たちが果たして侵略者の言うことを聞くのか。農業は民がいてこそだ。そのあたりまで考えているのだろうか。
もう少し、この子が聡明であれば。
戦争賛成派の貴族たちにそそのかされたに違いない。後継者になってすぐ即位すればいいじゃないですか、女王は戦争に反対していますがあなたが国王になれば隣国などすぐに併合できます、なんて言われたのだろう。目先のことしか考えていない。
「侍女の情報か。凄い情報網だな」
私の後ろで死神が呟いた。
「私は何も信用していないの。いえ、どうでもいいと言うべきかしらね」
私のカップに侍女のセリーンが毒を入れている可能性だってあった。
第一王子がもっとうまく立ち回れば、あり得たかもしれない。だから私は紅茶を飲む前に死神に視線を向けたのだ。
毒が入っていれば死神は庇うだろうから。
別に私はいつ死んでも良かった。生に執着なんてない。
でも、私が死ぬ日時は決まっているらしい。
「第一王子に死神はいなかったのかしら?」
「見当たらないな。危険度が低いか、俺が女王についているから問題ないと思われたか」
「王配にはいたのに。でも同時期に何人もこの国に死神がいたら困るわよね」
「昔は兼任もあったが、ミスが多発したから一人につき死神一人だ。おかげで死神不足だ」
「死神を作ればいいのではなくて?」
「それは根源の神の役割だ」
死神にもいろいろと事情があるらしい。
息子の死んでいく様を見ながら、私は何の罪悪感も抱かなかった。
奪われてもいないのに積極的に奪おうとした第一王子。それは私が殺した兄と一緒だった。
帝国が後ろにいるなんて勘違いも甚だしい。現皇帝は王配のことも、第一王子のことも嫌っている。第一王子の後ろにつくことなどない。
「ねぇ。王配にはメリンダがどんな姿で見えていたんでしょうね」
王配が罪悪感を持つ人物なんていたのだろうか。
親子ともども殺して、私はそんなどうでもいい感傷に浸った。
「死神番号百未満は人間界に下りる時の姿を数十パターンの中から選ぶんだ。罪悪感を抱いているように見えるのは百番以降だ」
「そう、いろいろ違うのね」
兄のようなことをした息子は、私に毒を盛ろうとして死んだ。
傲慢で自分が正しいと信じて、私から奪おうとした。そしてあろうことか国民と国も危険に晒そうとした。
息子が動かなくなったのを見て、私は立ち上がる。
「夢の中で戦争をいくらでもしたらいいわ」