番外編 王太子(国王)による静かなる回想2
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明らかに進捗が早く、これは王太子教育だとさすがに気付いたが宰相に対して何も言わなかった。兄に会った時にさりげなく探りを入れたが、兄もここまでは進んでいないようだ。
貴族たちは俺をバカにして蔑むのに、兄だけは相変わらず俺に絡んできた。
妹は侯爵令息との恋愛に忙しい。
俺は兄ではなく、妹を蔑んでいた。
だって、王女が自由に恋愛できるわけないだろう? 妹は「好きな人と結婚する!」なんて阿呆のようなことを言っている様だが、あの子はバカだ。王女の周囲に近づける者なんて誰かによってしっかり管理されているに決まっているのに。
ジュスト・アステール公爵。女王の幼馴染で愛人の一人、妹の父親。
あの人はうまく妹を手のひらで転がして管理していた。あるいは妹が愚かであり続けるようにしていた。無害を装ってニコニコ笑いながら、妹の我儘は全部叶えるようにしながら、公爵の作った広く快適な檻の中で妹は踊り続けているように俺には見えた。そして女王もそれを黙認していた。妹に侯爵令息を近付けたのもアステール公爵だろう。
愚かな妹。
公爵の作った檻を自ら破って招待されていないパーティーに行って男爵令息と恋に落ちたのなら、それは恐らく完全な自由と呼ばれただろう。
でも、妹はあまりに愚かだった。自分が檻の中にいることさえ気付いていない。
女王は後継者について何も発言することはなかったので、表では兄である第一王子がずっと幅を利かせていた。
しかし突然、女王は後継者を話し合いで決めろと言ってきた。その後に王配が不摂生で亡くなった。
王配はどうやら完全に用無しになったらしい。大して興味もなかったが、彼は帝国との細い細い管だっただけだ。そろそろ帝国の先代皇帝の影響力が完全になくなりそうなのだろう。女王は王配が用無しになるタイミングを待って後継者を決めようとしたのだろうか。
後継者をいつまでも決めないのは、貴族の分断も進むのでよろしくない。
妹は降嫁するから継承権は放棄する。当然のように兄は大きな顔をして脅してきた。
「お前のようなどもりが国王になんかなれるわけがない。話し合いの結果で後継者は俺だ。いいな? おかしなことを言えば、お前の食べ物に手始めにネズミを入れてやる。ネズミが毒に変わるのはいつだろうな」
以前もやられたことがある。
まぁ、見ただけで分かるからもちろん食べることなどないのだが。
「わ、わかり……ま、した」
兄の周囲の使用人は宰相の助けも借りて何人か買収してあるから、兄の評判が下がった時にでも毒を盛って後遺症が残るくらいにすればいいだろう。
それにしても、迂闊な兄だ。こんなところでそんな発言をすれば、使用人が誰かしら聞いている。この城の使用人のトップは果たして誰か。女王だ。
あの柱の陰に隠れるようにしているメイドが恐らく母の腹心の侍女セリーンに伝えるだろう。
この兄では、あの女王のようになれない。演説していた女王のように威厳があって美しい王にはなれない。
まだ、俺の方がなれる。絶対になれる。あの日に震えるほど感動した女王のような王に。俺はなりたい。
後継者の話し合いという名の脅しをされてから数日たって、女王と廊下ですれ違った。
「あ……はは……うえ……。ご、ご機嫌……うるわしゅう……」
「もういいわよ」
いつになく突き放すような言葉に思わず顔を上げた。
「も、もうしわけ……ありま……せ、ん。いま、なんと……?」
「宰相から言われていたのでしょう。でももう、どもりの演技は必要ないわ」
「い、いったい……どうい……う意味で、しょうか……」
「庭に行けば分かるわ。第一王子の死体が転がっているだろうから」
女王の告げる内容が信じられずに目を見開いた。
女王は兄を殺したのか? 話し合いをしろと言って嬉々として報告に行った兄を?
「あとはしっかりやりなさい。お前が後継者よ」
女王の後ろに平然とした顔の護衛騎士がいる。俺は記憶力に自信があるが、見たこともない騎士だった。こんな顔の護衛騎士がいたようないなかったような……。しかし、兄を殺した現場にもいたのだろうからこれほど平然としているのは女王の挙動に慣れているのか。じゃあ、勤続年数は長いのか。
「どうせ第一王子を始末する気だったのでしょう? 苛烈な女王がすでにやっておいたわ。お前の治世はせめて血で始まることがないように」
俺が考えこんで返事をしないでいると、女王は続けた。
「お前は他人のものを奪わないように祈っているわ」
あぁ……そうだったのか。
おそらくほとんどの人間が見れば息子を殺した割りに無表情で冷たい女王だと言うだろう。でも、俺は間違いなく愛を感じてしまっていた。
女王は母としてちゃんと俺を愛してくれていた。
自分が兄を殺して「赤い玉座に座った」などと言われていたから、俺がそう言われないように。俺が自分の手を血で染めないように。
「母上」
歩き去ろうとしている女王の背中に俺は大きな声を出した。でも、女王は一切振り返らなかった。
その背中さえも美しかった。何も言わない背中にさえ、俺は果てしなく愛を感じた。他の誰もが愛ではないと言ったとしても、俺にとってそれは愛だった。
庭に向かうと、すでに人だかりができて騒ぎになっていた。
「宮医は呼んだか」
俺はどもりの演技をやめて集団に近付いた。
驚いて皆が道を開けてくれる。兄の息はすでになかったが、相当苦しんだらしい。喉にはかきむしったことでできた傷と血が見えた。
やって来た宮医が死亡を確認して、俺は兄の開いていた目を閉じさせてもらった。
「いつまで見ている。亡くなった兄を見世物のようにするなど失礼だろう。祈りを捧げた者からさっさと去れ」
俺は立ち上がって野次馬たちを追いはらう。どもりの演技をやめ、少しだけ威厳を見せてみた。これで聡い貴族たちは特に反対せずに俺の方に鞍替えするだろう。
俺はいくらいじめられても兄を嫌いにはなれなかった。王の器ではないというだけで、兄のことを嫌いではなかったのだ。妹のことは可哀想なほど愚かだと思っている。
だって、父母を除いたら兄だけだったのだ。俺を対等に扱ったのは。
どもりの第二王子の俺にでも、兄はしっかりと脅してきた。それはどもりの演技をする前でも同じだった。兄だけは俺が演技を始める前と後で態度を変えなかったのだ。
媚びてきた者たちが手のひらを返して蔑んでくる。それを経験していると、兄がどれだけ平等だったか分かる。兄は王の器ではなかったが、決してバカではなかったし人格に著しく問題があったわけでもない。俺の演技を見抜けなかったけれど、どもりで俺を差別しなかった。兄弟として生まれなければ、意外と仲良くなれたのではないだろうか。
俺の王太子としてのお披露目パーティーと妹の婚約を見届けてから、女王は眠るように亡くなった。
まるで知っていたかのようにほとんどを采配して亡くなったのだ。やっと母の愛を感じ始めたところだったが、涙は出なかった。
だって、威厳のある王なら泣かない気がしたからだ。
なんとなく、女王なら自分の死期まで知っていた気がした。病気でもなく、父に何かを悟られるわけでもなく最期まで美しく逝ってしまったのだから。
女王の腕にはイエロートパーズのブレスレットがあった。
女王がするにはやや安っぽいものだ。宰相はそれを見て、拳を震えるほど握りしめていた。
俺は女王の死後からかなり努力した。
王配が死に、兄が死に、母が死んだことで呪われているなどと言わせないためだ。せっかく女王が綺麗に掃除したのにそれを呪いだと見なすなんて愚かだ。
父である宰相は憔悴した。仕事はこなすが、女王を忍ぶように彼女が好んでいた酒を毎晩呷っている。
「いい加減、そのしけた顔をやめてもらっていいですか。女王がそんなこと望んでいるんですか」
「彼女は……一度も私を見てくれたことはないよ」
その一言が、父が漏らした弱みだった。当時の俺には分からなかった。
酒を取り上げて、どうにか新国王として俺を支えてくれるように健康でいてくれと説得した。
酒量は減ったが、父は時折バルコニーから今にも身を投げそうな雰囲気でぼうっと突っ立っていることが増えた。
父ほど賢く、仕事もできて出世した人でも誰かを愛するとこうなるのか。まるで愚かな妹のようだ。
月日は流れ、俺は政略的に最もいい相手と結婚した。
子供にも恵まれた。一度、愛に溺れかけたこともあったが王妃が賢かったために両親の様にはならずに助けられた。これは恥の部分だが、また追々子供たちにも聞かせるとしよう。
そういえば、女王の後ろにいた護衛騎士を俺は即位前までに何度か探したが該当する者はいなかった。
母だった女王が死んだ年齢をとっくに超えて、五十歳を過ぎた。
少し胸に違和感のある痛みを感じ始めた頃だった。それは、新月の夜に現れた。
眠りの浅いはずの王妃は同じ部屋で寝ていたのだが、何か盛られたのではと疑うくらい起きない。
寝室に母である女王が立っていた。
俺が最期に見た三十八歳の姿で。つまり、今の俺よりも若い姿で。
「私は死神だ。あなたの命をもらい受けに来た」
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一旦完結にしますが、できればどこかで宰相の番外編を更新します。




