番外編 王太子による静かなる回想1
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「いい加減、そのしけた顔をやめてもらっていいですか」
王太子となった俺は父親にそう告げた。
対外的には父ではないけれど公然の秘密である。俺の父親は冷徹宰相ハワード・ダルトンだ。
その冷徹宰相である父は女王と一緒に死んでしまったかのような顔で、仕事だけはきっちりこなしている。
俺の母は女王だ。この前亡くなった。
母というよりも、彼女は女王だった。母親としての接点がほぼなかったからだ。たまに一緒に茶を飲むくらいで彼女の膝に乗ったことも、柔らかく抱きしめられたことも記憶の片隅にさえ存在しない。
母である女王は生んだらもう終わりとばかりに三人の子供と接点はほぼ持たなかったのだ。
各々教育担当は違ったが、俺の担当はこの宰相だった。
一緒に過ごすうちに嫌でも分かった、この人が俺の父親なのだと。もちろん周りから吹き込まれたこともある。宰相の教育はとんでもなく厳しかった。兄と妹の教育内容も探ってみたが、比較にならないほど厳しい。さらに俺はどもりの演技まで強要させられた。
「あなたがこれほど賢いと分かると、第一王子殿下はあなたを殺すかもしれません」
どうやら俺は賢い部類のようだ。
何でそこまで、と反発したかった。
だが、宰相が俺を見る目に紛れもない心配と愛情が見えたのでやめて大人しく従った。そこでやっと周囲の言っていたことが真実だと分かった。ただの教育係で宰相なら、ここまで俺に肩入れする必要はないはずだから。
宰相が流した噂によって俺はあっという間にどもりの第二王子になった。
「は……はうえ、本日はお、お時間……ありがとうござい、ます」
念のため任された仕事で女王と話す時間でも俺はどもりの演技をした。
しばらく仕事の話をして、終わってすぐに書類を持って席を立つ。
「頭を低くして生きていくことにしたの? それはあなたの意思なの?」
女王は立ち上がる俺をまっすぐに見ながらそう質問してきた。
「は、ははうえ……な、なにを……お、おっしゃってい、るのか」
宰相は女王には演技だと言わないと言っていたのに。一発で見抜かれたのか。なかなかうまいと言われたはずなのに。俺の背中には冷や汗が伝った。
女王は金色の目で射抜くように俺を見ていた。三十秒ほどのその時間は三十分にも感じた。
「あなたの意思で後継者争いに入ってくるのならいいけれど。あなたの意思でないならおやめなさい。頭を低くしていただけでは大切なものは守れない。ただ、ちゃんとした理由があるならいいわよ」
兄に害されないため、というのはちゃんとした理由になるのだろうか。
女王は自身の兄を殺して王位に就いた人だ。
このままどもりの演技を続けたところで兄が王位に就けば、絶対に俺は厚遇はされない。今でさえかなり当たりが強いのだ。
どもりの噂を流してから、兄の周囲からのいじめや牽制はなくなった。バカな第二王子は王位争いから脱落したと思われたらしい。父の思惑は成功しているが、兄だけは相変わらず喧嘩腰で絡んでくる。
兄は好戦的な性格で、即位した途端戦争を始めそうな勢いだ。
豊かな食糧庫である隣国をすぐにでも併合しようといつも大声で言っている。
周囲は、好戦的な兄はとても女王に似ていると言っていた。女王の素質を受け継いでいるとも。俺もある時まではそう思っていた。でも、違った。
それが分かったのは、宰相に何か言われたからではない。こっそり謁見の間での女王を覗き見た時だ。
その時の女王は騎士団長たちを集めていた。
確か、食糧庫ではない方の隣国と戦争を始める時だったと思う。
女王は偉そうに玉座に座っているのではなく、わざわざ階段を下りて団長たちの側まで行っていた。
「そなたたちの愛する者の生活は私が必ず保証します。無論、そなたたちにも安寧に暮らしてほしいと願っています。しかし、かの国は舐めた真似をしました。国境で何度も小競り合いを起こし、農作物を盗み、果ては女子供を連れ去っています。そのようなことが許せますか? かの国はこちらを舐めているのです。今は国境で済んでいますが、やがて舐め腐った彼らは侵食してくるでしょう」
女王は戦争を前にして団長たちに演説していた。
「今、許して甘い顔をすればかの国はつけあがります。つけあがり、私の大切な民の大切なものを奪います。そなたたちの大切なものも奪われるかもしれません。いいですか、そなたたちはそれらの可能性からローワン王国の民たちを守るのです。今は戦わねばならぬとき。これを繰り返すことでかの国は我々を舐めなくなるのです。さぁ、奪われる恐怖と悲しさをこれ以上他の者に、何よりもそなたたちの大切な者に味わわせてはなりません」
女王は、母は恐ろしいほど威厳があって美しかった。
「かの国の者たちに味わわせてやりましょう。我々は屈しないのだと。我々から何も奪うことはできないのだと」
うっかり膝をついてしまいそうな雰囲気があった。
「最も武勲を立てた者の願いを聞き届けましょう。ただし、国が欲しいと私の夫になりたいという二つ以外で」
先ほどまでは厳かな雰囲気だったが、今は笑いが起きる。
「必ず、生きて帰ってくるのです。万が一死んだら、そなたたちの大切な者が泣く暇もないくらいとんでもなく豪華な葬式を用意しましょう。そなたたちは大切な者のために戦うのです」
ただその光景は美しくて、でもどこか物悲しかった。
傍から見れば、女王が戦争に勝つように発破をかけている。しかし、女王の声にはそれ以上のものが載っている気がした。
女王は普通の優しい母ではなかった。悪い意味じゃない。
子供のためではなく、国のために生きるとんでもなく美しい人だった。
宰相に頼み込んでこの光景を見せてもらったので、俺は宰相を振り返った。俺はあんな王になりたい、第一王子では無理だと言うために振り返ったのだ。
しかし、父の目には明らかに普段見せない色があった。恋焦がれる色だ。妹が侯爵令息に見せるような、あんな気持ち悪い目を宰相は女王に向けていた。
それを見て、心底宰相である父を哀れだと思った。
宰相はこんなに賢いのに、恋い慕う心は制御できないのだと。
俺はどもりの演技を続けながら、勉強を進めていった。




