番外編 ジュスト・アステールの献身
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番外編です。
朝、聞きなれない鐘が鳴る。
鐘が鳴ること、それは女王の死を意味するものだ。
私はその鐘の数を数えながら、王女のところへと向かう足の方向を変えて塔へと急いだ。
三十八回。
きっちり彼女の年齢と同じ数の鐘が鳴らされて、塔を見上げながら思う。
やはりこうなったか、と。
ここ最近のクリステル女王の様子は少しおかしかった。
いや、覇気がなかった最近の様子から以前のように戻ったと表現すべきか。
レックスが死んだ後のように。鬼気迫るように後継者を決定した。
鐘を鳴らしている者は女王の死を知っている者だ。
私はその者が下りてくるまで塔の下で待った。金色の髪に金色の目の昨日会ったばかりの彼女を思い出しながら。
「今頃、ハワードは大慌てかな。予想していた……わけはないか。もし彼女が病気だったならばあいつは世界中から医者を集めるだろうし」
何段もの階段があるはずなのに、鐘を鳴らしていたであろう者は恐るべき速さで階段を下りてきた。
護衛騎士の恰好をしているが、その騎士はなんとも覚えにくい顔立ちだった。女王の側にいつもいたような、いないような。
平均的な身長に、平凡な顔。いや、平凡なのだろうか。どこかに大きく特徴があれば覚えやすいのだが、公爵として生きてきた自分でもこの護衛騎士の顔は覚えられるか自信がない。恐ろしく整っているというわけでもなく、しかし醜いわけでもない。何と言っても特徴がなく、説明しがたい。
「女王陛下は亡くなったのか?」
私は護衛騎士を呼び止めた。
騎士は誰かいるとは思っていなかったのか、思わずといったように立ち止まる。
「……今朝、眠るように亡くなられました」
「そうか」
私が頷くと騎士は礼をしてそのまま角を曲がっていく。
ふと気になって私はその騎士の後を追いかけた。角を曲がった後は直線なのだが、その騎士はもうどこにも見当たらなかった。よほど足早に去ったのだろうか。
女王が亡くなって鐘が鳴らされたのなら、これから王宮は忙しくなるだろう。
私は本来の用事を済ませることにした。王女、いや私の娘に会うためだ。
王女は女王の死を聞いたばかりのようで、立ったり座ったりして落ち着きがなかった。
「何か心配なのかい? 王女殿下」
「結婚式が延期になるんじゃないかと思って……」
この王女は、自分が私の娘であることを知っている。周りの誰かが吹き込んだのだろう。私に直接聞いてきたから、ちゃんと答えておいた。
「一年以上準備期間があるだろう。喪は明けるから問題ないよ」
王女はこの年齢特有の潔癖さをまだ持っている。王配がいるのに、愛人を二人、しかも子供まで作っていた女王を彼女は汚いとばかりに嫌っている。だから、女王の死に動揺しているものの利己的な発言しか口から出てこない。まだまだお子ちゃまだ。自分のことしか考えられない。でも、それは平和である証拠だ。女王の作った平和、その上にこのお子ちゃまな娘は何の感謝もなく立っている。
これがハワードの息子である第二王子なら、ちゃんと気の利いた言葉も言うだろうし、なんなら涙だって一筋綺麗に流すだろう。
でも、女王はこういう王女を愛していた。王女には好きな相手と結婚して欲しいと思っていた。だから、私も敢えて何も言わなかった。こういうことは年齢を重ねて自分で気付かなければいけない。あるいは、女王のように悲惨な経験をして全身の痛みで身に染みて理解するのか。
綺麗なだけで政治がうまくいくならば、なんと甘い世界だろうか。貴族・王族ならば時には綺麗なだけではいられない。
あぁ、なんて可愛くて愚かな娘。
王女であるお前が好きな人と結婚できるのは、女王や先人たちのおかげだというのに。
女王は、帝国から出来損ないの男を引き取って王配にすることで帝国との良好な関係の足掛かりにした。もちろん、他国との戦争でも負けなかったが。その後も努力し続けた。
私の伯母たちが他国に政略結婚で嫁いでいったおかげでもある。
彼女たちの恩恵と屍を全て無視して、娘は甘くて淡い夢を見ている。
女王は、お前のようなお花の詰まった頭をレックスの死と一緒に捨てたのだ。完璧に捨てさせたのがハワードというのは少し面白くないね。まぁ、彼も私と同じ女性に恋した人だから。ハワードの頭脳はローワン王国に必要だった。あんな王配よりもずっとね。
レックスに恋する彼女のことは見ていられなかった。あぁ、別に彼女は他国に嫁ぐ予定があったわけではない。
分かるだろうか、容姿も能力も身分も私はレックスに勝っていた。まぁ、剣の腕だけは別だがね。そんな男に自分の好きな女性の目がずっと向いている。
どうしてほとんど全てが劣る男を相手に、私が嫉妬しないといけないんだろうね。毎日死んだ方がマシかと思ったよ。
だからといって、私はレックスに死んでほしいなんて欠片も思わなかったよ。
だって、彼も大切な幼馴染の一人だから。女王の兄だって大切な幼馴染だったが、もうそうじゃない。レックスが死んだ瞬間から、いや彼女を襲撃して殺そうとした瞬間からあいつは私の敵になった。
「昨日も言ったけれど、婚約おめでとう」
愚かな娘、と心の中で付け加えた。
その愚かさはある意味、美徳だ。きっと女王は娘のように生きたかったはず。
あぁ、彼女はレックスに会えただろうか。
彼女を庇って死に、永遠に彼女の心を手に入れたレックスはちゃんと彼女を待っていただろうか。待っていなかったらいつかどこかで会えたらお説教だ。なにせ私の方が絶対にいい男なのだから。
「陛下はあの方にお会いできたかしらね」
家に帰ると、珍しく帰宅が早かった妻がワインの瓶を片手にそう聞いてきた。俳優の卵を新しい愛人にしたらしいが、もう飽きたのだろうか。
「そうだといいな」
「今日は飲みたい気分なんじゃないかと思って。私、好きな人を亡くした先輩だからよく分かるのよ、付き合うわ」
「先輩には敵わないな」
「私だって偉大なる女王陛下のことは好きだったわ。あんなカッコいい女性を嫌いな女はいない。ちゃんと悲しいのよ。愛人を放って帰ってくるくらい」
「そこは疑っていないよ」
グラスを二つ用意して、私と同じく聡いのに浮気者と言われる妻の前に置く。
妻も私と同類だ。好きな人と結ばれずに、適当な者と結婚して心の穴を埋めるように浮気をする。おかげで夫と妻という緊張した関係ではなく友人のようなおかしな気安さがある。
その心の穴は決して埋まらない。
女王と関係を持っても埋まらなかった。むしろ、心の穴は大きくなった。だって、彼女の心には死んだレックスがいるのだと突き付けられたから。
ハワードは冷静に見えて、とんでもなく執着が激しい男だ。その男がよく関係を持って我慢できたものだ。
私? 私は大人の男だからね。好きな人に泣きわめいて縋ることなんてしないよ、彼女を困らせるだけだからね。好きな女性を困らせることなんて私がするわけないじゃないか。そんなことをするのはただの三流の男だよ。
私から見ればレックスは三流だ。だって、さっさと死んで彼女をあれほど悲しませたのだから。
好きな女性のお願いは全て叶えるためにあるんだよ。戦争も愛人になるのも全て、ね。
なぁ、レックス。
君はちゃんと彼女を待っていてくれただろうか。
「女王陛下に。献杯」
妻の号令で私もグラスを掲げた。
レックス、絶対に私の方が君よりいい男だよ。




