#202-23 素錠は何の味?
小さなころ、俺はずっと家より外にいるときが多かった。少年野球がほぼ毎日あるからだ。親戚の家に行くことが毎年一回。練習終わりの夕方出発し、練習の朝早くに帰ってくる。起きてる時間は約三時間。長山市まで車を走らせる。親戚の親はいく度仕事でいないから、カイト兄さんとあかりとみずほと、お話しするだけだ。おばあちゃんおじいちゃんは居ない。
カナヘビ君はいつも朝家の前の階段にちょこんと腰掛けて待っている。俺を見るや否、おはよう大和君。って言ってくれる。そんなカナヘビ君は俺たちと一緒に練習場まで車で移動する。車内でわいわいしゃべりたいけど、一言漏らすだけでも「ふざけんじゃねえ、降ろすぞこの野郎」と言われるので、二人はビビッて何も話せなかった。
俺らは野球だけ命って顔をした。朝8時から夜6時までの12時間、休憩3時間の弾丸練習。周りに練習キツイって人はすぐに脱落していき、俺は家に帰りたくなかったから、一生懸命練習に励んだ。だって、嫌だもん。休憩の時も親が観戦しているので、俺は一言もしゃべれなかった。言えるのは、おはようとまたねくらいだ。
カナちゃんもおれの家族がどれくらい捻くれた物だと認識している。連れションくらしか二人でしゃべることができない。だけどそれでも家から離れている時間が欲しいので、俺ら二人は寡黙だと思われている。
長期休みは俺らの一番の嫌いなものだった。俺は図書館に行くという言い訳をして、学校の遊具で遊んでいたこともあるし、本当に図書館で勉強に勤しんでいたこともある。二人は中学に上がる前まで、楽しく遊び、勉強、時には寡黙という三つの顔を持ち、6年生の時を過ごした。
中学に上がると同時に、親父が離婚。カナちゃんともお別れ。俺の小学時代が傾いてしまった。それでもカナちゃんと会う機会は結構あった。カナちゃんにまず行ったのは「もうあんな奴いないから」と言った。やったじゃん、と言うより少年時代の俺らは会話ができると言っても、二人は声があんまり出せなかった。いつ親父がいるのかとか二人はビビッて声が出なかった。
俺らはそれからしばらく野球に没頭、いやなんか、薬中になってしまった。それでもお金のないときは野球。その後は、親父の離婚の慰謝料で俺らは生活する。たまに母っていうのかわからない奴の部屋に忍び込み、月一で10万を抜き取り、闇市に通った。自分で注射をしてみようと思い、針を刺す。
「コノクスリ イイ」とニホン語が下手な動物から2シート渡され、こういわれた「ネムクナッテモ、ネチャダメ」わかった。「ハイ、3000エン」負けてよ。お願いだから。「ワカッタ 2500エン」ま、いっか。はい。
俺は家に帰ってさっさと試す。学校は?部活は?知らん。「ごく、」錠剤でかいな。うとうとしてきた。「ネチャダメ」という動物の言葉を思い出し、外に出て散歩をする「大和、どこ行くの」ん