翔吾と枕草子
謝礼・手土産などについては触れておりません。
困ったな。なんだか大事になってきた気がするぞ。
そんなことを考えたのは和樹だ。
ことの発端は黒石翔吾が授業で古典を習ってきたことにある。
清少納言の『枕草子』を習った翔吾は和樹に「春はあけぼのって何?何がいいん?」と聞いた。
「春は明け方に見る景色が1番趣があるってことだね」とか言われたが、いまいちよくわからない。
雨の日と晴れの日とでは違うだろうが、1年間どの朝日でも同じものだと翔吾は思っていた。
どう質問し直すか考えていると、「サロンの人にも聞いてみたら?」と和樹に言われた。
早速サロンに向かった翔吾は、そこで情緒たっぷりに説明を受けることとなる。
その結果見てみたいな、と思ったこともまた自然な流れだ。
朝起きて見てみたら?と言われた翔吾が「山とか見えんもん」とうなだれたのも仕方なかっただろう。
しかし、話はそこで終わらなかった。
なぜならサロンには人が揃いすぎていたからだ。
昔からの地域人脈を活かした結果、いつの間にか小山の上にある弘安寺に泊まりで集まることになっていた。
トントン拍子にお泊まり会が決まると、数日の間に子どもの数が増え、引率の親も増え、具体的な日時も決まり、きっかけのサロンメンバーは流石についていくのは無理だそうで、和樹も行くしかない状況になっていた。
そして迎えた当日。
お風呂を済ませた子どもや親子が嬉野さん家に集まり、みんなで夕飯を食べていた。
いつもより人数が多く、京子もお手伝いする人も動きっぱなしだ。
人手が多いので回っているが、京子だけではとても対応出来なかっただろう。
「もうすぐやな!」
「楽しみ〜!!」
と、お泊まり会への期待の声はそこかしこで聞こえるが、枕草子については何の話も聞こえてこない。
当初の目的が忘れられているな、と考えながらまぁそんなもんだろうと和樹はお茶をすすった。
手分けして車に子どもを乗せ出発すれば、どの車からも楽しげな声が漏れ聞こえる。
そう遠くないため、興奮冷めやらぬまま弘安寺にはすぐに着いた。
「こんばんは。いらっしゃい」
住職はニコニコと笑って迎え入れてくれた。
「こんばんは。無理を聞いていただきありがとうございます。今日明日と、どうぞよろしくお願いします」
「「「よろしくおねがいします!」」」
和樹が挨拶をすると、揃って大きな声が響いた。
案内に従ってついて行くと、広々とした本堂に通された。
すでにたくさんの布団が敷かれている。
今日はここでみんなで雑魚寝の予定だ。
お釈迦様へ礼拝をするといって、みんなで正座して座る。
「合掌。手を合わせてください。礼拝。目を閉じて、深く頭をさげます。はい、おなおりください」
静かなのも一瞬。
場所取り合戦が始まった。
「はい、静かに!騒ぐなら先生が寝るとこ決めてしまうよ!⋯騒がしくてすみません」
「子どもはどんな時でも賑やかなものです。子どもの声がたくさんで、お釈迦様も喜んでおられるでしょう」
受け入れてくれる微笑んでくれる住職に、和樹はもう一度頭をさげた。
お風呂も食事も歯磨きも済ませて来たが、トイレだけは借りなければならない。
宿泊施設と違ってそう多くないので、トイレの順番待ちをするだけでもふざけ合う姿がそこかしこで見える。
9時には電気が消された。
暗闇の中聞こえるささやき声、笑い声、興奮が伝わる空気にちゃんと眠れるのか心配になる。
でも、そう長く話さないうちに翔吾は眠りについた。
4時になり、小さなアラームがそこかしこでなる。
それで起きるのは大人ばかりで、子どもはまだ夢の中だ。
夜明け前の薄暗い部屋の中、軽く身支度を整えていると少し明るくなってきたように感じる。
「そろそろ起こしましょうか」
和樹の確認に親たちが軽く頷いた。
「おはよう。そろそろ起きようかぁ」
普段よりずいぶん早い時間で、昨日は興奮で寝つきが悪かったこともあり、すっきりとした目覚めじゃない子が多いようだ。
声をかけて回るが、布団を離さない。
そうこうしている間にいよいよ外が明るく感じ始めた。
仕方なく何人か大人を残し、和樹は起きた子どもと先に庭に出た。
澄んだ早朝の空気の中、まだ肌寒さはあるが、薄い上着1枚羽織ってちょうどよいくらいだ。
「先生、今があけぼの?」
「うん、時間帯としてはそうだね」
翔吾が明るくなり始めた山を眺めながらそういった。
小山の上にあるお寺から見渡す景色は遮るものが何もない。
今から昇ろうとする朝日と自分とだけが対面しているような錯覚を起こしそうなほどに美しい風景だ。まだ山に隠れて日は見えないが、黒かった夜が青くその姿を変え、昇る朝日がオレンジ色の光を押し上げるように広がる。
その境目が溶け合い、グラデーションを作り上げていく。
ゆっくりと、でも確実に明るくなる空の中、山の影が朝日によって白く際立っている。
夜を惜しむかのように、明るい光の中薄く広がった雲が紫を残す。
「春はあけぼの。 やうやう白くなりゆく山ぎは、少し明かりて、むらさきだちたる雲の細くたなびきたる」
翔吾の暗唱に和樹は驚いた。
「よく覚えたね。頑張ったんだね」
褒められて照れくさそうに笑った翔吾。
「せっかく『春はあけぼの』見せてくれるっていうから、勉強せんとなって思ったんよ」
「そうかぁ。とてもいいことだね」
子どもを相手にしていて、とても嬉しいと感じる瞬間だと和樹は微笑んだ。
「でもさ、やっぱり朝日は冬でも一緒やない?」
「あはは。そうかもしれないけど、冬は寒くてのんびり眺めるのは辛いかもね」
「そっか!今の時期だから、ちょっと寒いくらいでのんびり眺めてられるんか!」
「枕草子で長く眺めていないと見れない景色なのは、春だけだしね」
「そっかぁそうかも。あ!春ってさ、始まりの時期でしょう?朝日も今日の始まりやん?それも関係するかな?」
色々な考えを繋げていくと、和樹は「そうかもしれないね」と相槌をうってくれる。
のんびりと朝日を眺めながら話をしている間にも段々朝になっていくのがわかる。
「ねぇ、先生?」
「はい?どうした?」
杉並明日香に声をかけられ、和樹はそちらへ向かった。
「見て見て!あっちが朝で、こっちはまだ夜。すごくない?」
「本当だすごいね」
東西それぞれを指さした明日香の顔が黄色に照らされている。
枕草子関係なくなったな、と思いながら振り返れば、縁側で布団にくるまりながら朝日を見る子はまだましで、奥には夢の中のままの子も見える。
朝日そっちのけでふざけあっている子とどちらが良いのか判断にしがたい。
山から完全に朝日が顔を出す頃、ゴーンと鐘がなった。
「見たいものはみれましたか?そろそろ朝ごはんにしましょう」
「はーい!」
住職の声かけに、起きている子どもが元気に返事をした。
バタバタと寝ていた子も起こし、お布団を畳み、端に寄せて場所を作る。
揃って正座したところで、住職が読経するのをみんなで聞く。
朝日が差し込む本堂でのお経に、みんな神妙な面持ちだ。
「さて、みなさん改めておはようございます。見たかったものは見れましたか?今日、みなさんが見た朝日と、枕草子が書かれた1000年前の朝日はどちらも同じものでございます。変わらない太陽と違い、その1000年の間に人にはたくさんの営みがございました。産まれてくる命も、去りゆく命もあったことでしょう。そうして受け継がれてきたものが、君たちの命であるわけです。そして、御縁があって今日ここにみなさんは友人や親子として集まって、そして1000年変わらなかった朝日をみるという体験をしています。すごいことだと思いませんか?」
住職の優しい問いかけに子どもはニコニコと頷いた。
「ただ、こうして集まれたのは決してあなた達だけの力ではありません。ご協力くださった親御さんや先生、紹介してくださった地域の方たちのおかげであることを忘れてはいけません。ですから、みなさんもね、何か自分で他の人の力になれることがあれば、少しでいいので手助けをするように心がけましょう」
お説法を聞き終えると一気に騒がしくなった。
朝ごはんに向けて、見慣れた茶色い座卓の足を立てていく。
並べられた朝食はご飯、お味噌汁、がんもどきの入った炊き合わせ、お漬物。
「それでは、いただきましょう」
「「いただきます!」」
住職の言葉を復唱し、朝ごはんを食べ始めた。
「すげーきれいやったよ!」
「起こしてくれたらよかったんに⋯」
「何回も起こしたのに、あなたが起きなかったの!」
色々な声が混じる中、翔吾の隣の席に座った住職は楽しそうに笑っている。
「枕草子の朝日は見れましたか?」
「はい。思ってたより白じゃなくてオレンジ色やったけど、すごいきれいでした!」
「百聞は一見にしかずといいます。自分の目で確かめられてよかったですね」
「はい!ありがとうございました」
春編こちらで終了です。
ご覧いただき、ありがとうございました!