婚約破棄されてもないのに、隣国の王子様が求婚してきます
「なあ、お前ら婚約破棄しないの?」
「はあ?」
私、メリンダはミラージュ伯爵家の一人娘。幼馴染でこの国の王太子であるクローシュ様と婚約関係にある。
「どういうつもりだ? ミハイル」
隣国の第一王子でこちらも王太子のミハイル・シューゲット様に、クローシュ様がジロリと睨む。
「だって俺、メリンダのこと好きになったんだもん」
「だもんって……」
いきなりの告白に、私は口をあんぐりと開けてしまう。はしたない、というお叱りは置いておいて欲しい。
「友好国の王太子の婚約者に懸想することがどういうことかわかっているのか?」
超がつくほど真面目なクローシュ様は、ミハイル様を睨んだまま、私を隠すように前に立ちはだかった。
「でも、まだ結婚したわけじゃないだろ? 我が家の家訓は、『欲しい物には全力で挑め!』だからさ」
「メリィは物ではない!」
「クローシュ様……」
襟足の少し長い髪をベルベットのリボンで結んだ金色の髪、綺麗な深緑の瞳。綺麗なそのお顔は、このアカデミー全女生徒の憧れだ。
そんな綺麗な顔でミハイル様を睨むクローシュ様も素敵だ。
私はクローシュ様と幼馴染で婚約者だけあって、長い付き合いだ。
穏やかで優しいクローシュ様がこんなに怖い顔をして声を荒げるのは珍しい。常にアカデミーに通う生徒の模範であるように努められていたから。
「でもクローシュ、お前最近、リアと噂になっているだろう?」
「リア?」
ミハイル様の言葉を首を傾げて復唱する。
リア様と言えば、一学年下の元平民の女の子だ。
男爵家の隠し子だったそうで、最近引き取られ、このアカデミーにも編入してきた。
とても可愛らしい見た目で、男子学生たちが夢中になっていると噂になっていた。
クローシュ様は復唱した私の言葉にびくりと肩を揺らした。
「メリンダに隠れて浮気か?」
「違う!」
浮気? 信じられない言葉がミハイル様から飛んだが、クローシュ様はすぐに否定をした。
「じゃあ何故噂になっている?」
「それはっ……」
「言えないやましいことがあるということだ。お前らが婚約破棄する可能性が高まったな」
ジリジリと追い詰めるように、ミハイル様がクローシュ様に言い放つ。
「私たちは婚約破棄などしない……っ……」
「どうかな?」
ぐっ、と絞り出したクローシュ様の言葉に、ミハイル様は余裕の表情で言った。
「メリンダ、お前は俺の妻になったほうが幸せだよ?」
クローシュ様を押し退け、私の直ぐ側まで来ると、ミハイル様は私の顎をクイ、と上げた。
「……私の幸せはクローシュ様と共にあります」
見つめられた黒曜石のような美しい瞳に負けないように私は告げた。瞳と同じ色の髪がさらりと揺れる。
「お前のそういう所、好きだけどな。……お前の泣く姿は見たくない」
「泣く?」
「いや、まあ、そんなお前に付け入るのも良いか」
何か一人で納得したミハイル様は、私の顎から手を離した。
「メリンダ、きっとお前は俺を選ぶよ」
「なっ……」
ニヤリと口角を上げて、私の頬を撫でたミハイル様は、言いたいことだけ言って、その場を去って行ってしまった。
「……何なの一体」
突然のことにその場で呆然としていたけど、すぐにクローシュ様の方へ向き直る。
「クローシュ様……!」
振り返ると、彼は青ざめて震えていた。
「クローシュ様?」
この世の終わりかのような表情に心配になり、私はクローシュ様に近寄り、手を伸ばした。
しかし、パシッ、と彼によってその手は振り払われた。
「クローシュ様?」
振り払われた手を握りしめ、私が驚きを表すと、クローシュ様も酷く焦った表情で瞳を揺らした。
「……っ、すまない、メリィ……」
「私は大丈夫ですわ」
その時私は、手を振り払ったことを謝られているのだと思った。
でも青ざめるクローシュ様には秘めたることがあったのだと、後から知ることになる。
☆☆☆
「まあ、見て、クローシュ様とリア様よ」
次の日、クローシュ様とランチを取ろうと、お昼休みに彼の教室に向かっている途中だった。
彼は一学年上で、中庭を挟んだ反対側の塔にいる。生徒会長も努める彼は、忙しい中でもランチは必ず私との時間を取ってくれていた。
中庭の奥まった場所にあるベンチに、二人で静かにランチをするのが日常だった。
中庭の入口、クローシュ様とリア様が二人で並んで何か話されている。
こんな人目が付く所で、二人きり(護衛騎士のカミルもいるけど)、何を話しているのだろう?
「美男美女でお二人並ぶと、絵画のようですわね」
「あら、でもクローシュ様には婚約者がいらっしゃるのよ?」
「秘密で障害のある恋っていうのがまた二人を燃え上がらせるのよ」
昨日ミハイル様が言っていた噂はこれだろう。
周りの女生徒たちが二人を見ながら嬉しそうに話している。
いつからだろう?全然気が付かなかった。
だってクローシュ様は私との時間をきちんと取ってくれていたし、幼い頃から絆を築いてきた自信がある。
自信がある……のに。
こんな噂一つで心が揺らぐなんて。私はクローシュ様を信じている。
そう思ってクローシュ様の方を見れば、リア様が嬉しそうに顔を綻ばせている。
クローシュ様は後ろ姿で表情が見えない。
その時、リア様がクローシュ様の腕に触れた、かと思うと、彼の胸に飛び込んだ。
きゃあ、と小さな悲鳴が周りの女生徒たちから起こった。
クローシュ様はそんな彼女の肩を受け止めている。
クローシュ様は、私に触れたことは無い。
私たちは穏やかに関係を築いてきた。でも、手を繋ぐことも、ましてや抱き締められることもなかった。
クローシュ様……!
叫びたいのに叫べない。声にならない声が、ハクハクと宙を漂う。
ここから動けない私の視界が、急に暗くなった。
「今、俺の助けを求めた?」
「ミハイル……様……?」
ミハイル様の片手にすっぽりと目を覆われ、視界を遮られた私は、後ろからの声に、やっと息をしているのに気付く。
「泣くなら俺の胸の中で泣けよ」
「……泣きません」
ミハイル様は私の視界を奪ったまま、言葉を続けた。
「お前のそういう所、好きでたまらない」
「昨日から何なんですか」
そういう所って、変態なんですか、と心の中でツッコミを入れると可笑しくなった。
フ、と笑みが溢れる。
「俺の腕の中で泣かせたいと思うのに、やっぱり笑った顔の方が良いな」
「やっぱり変態なんですか」
今度は口に出してツッコんでしまった。
気付けば絶望的な気持ちが軽くなっていた。本当にミハイル様に助けられるなんて。
「メリィ……?」
ミハイル様とそんなやり取りをしていると、クローシュ様の声が遠くからした。先ほどリア様といた方向からだ。
「クローシュ様……?」
声に反応するも、ミハイル様に視界を遮られて、彼がどんな顔をしているのかわからない。
「ミハイル様、離してください……!」
「嫌だ」
ミハイル様の手を離そうと身をよじるも、彼はもう片方の腕で、私を抱き寄せた。
「……ミハイル様!」
クローシュ様に誤解されてしまうわ!
そんな私の気持ちもわかった上でミハイル様はクローシュ様に言い放つ。
「クローシュ、メリンダは俺が貰う。良いよな?」
クローシュ様からの返事は返って来なかった。
私はそのままミハイル様にふわりと抱き抱えられて、その場から離されてしまった。
☆☆☆
「メリンダ、今日は授業どころじゃないだろう? 送って行くから帰ろう」
校舎裏までやって来たミハイル様は、ベンチに私を降ろした。
私は先ほどまで起こっていたことに現実味がなく、ぼんやりとしていた。
「おい、そんなに隙があるとキスするぞ」
「!」
思わず口を両手で覆い、後ずさる。
「ははっ、残念」
そんな私を見てミハイル様がくしゃりと笑った。
「もう、あなたはいつも本気なのか冗談なのかわかりませんね」
ふう、と溜息を吐いて彼を見れば、細めていた瞳が大きく開かれる。
「メリンダのことはいつも本気なんだけどな」
大きく開かれた黒曜石のような美しい瞳で真っ直ぐ見つめられ、今度はドキンと胸が跳ねる。
いつもふざけた態度の人が急に真剣な表情をするから、びっくりしたんだわ。
ドキドキする原因に理由を付けて心を落ち着かせる。
「あなたはどうして他国の王太子の婚約者である私に拘るんですか?」
昨日からずっと不思議に思っていたことを口にする。
「それはーー」
「メリンダ様!!」
ミハイル様が何かを言おうとした瞬間、クローシュ様の護衛騎士、カミルが走り込んで来た。
「カミル?!」
走り込んで来たカミルはすぐに片膝を付いて頭を下げた。
「護衛騎士が何の用かな? 隣国の要人である俺の邪魔をするほど急ぎの用なのかな?」
「……っ!」
ミハイル様の凄みにカミルは躊躇するも、頭を下げたまま続けた。
「恐れながら、メリンダ様はクローシュ殿下の婚約者……他の男性と二人きりになるのは……」
「クローシュは他の女性と会っているのに?」
「……!」
カミルの言葉にミハイル様は攻めるように被せる。
「それ……は……」
言いにくそうにちらりとカミルは私に目線をやった。
「カミル、伝えたいことがあるのなら言って?」
「しかし……」
今度はミハイル様の方に目をやって、カミルは口を噤んでしまった。
クローシュ様にも何か事情があるのか無いのか。私はそのことが気掛かりで、ミハイル様がいることなんて構っていられなかった。
「言って! カミル!」
それでも言いにくそうにするカミルに、ミハイル様が私の肩を抱き寄せて言った。
「どうせ、あの女の所業だろう?」
「……! 知って、おられたのですか……?」
「まあ、うちの密偵は有能だからね」
「………!」
ミハイル様とカミルが訳の分からない会話をするので、私は首を傾げる。
「あの女?」
首を傾げた私を見たカミルは、ミハイル様に視線をやると、観念したかのように溜息を吐いた。
「リア・グランジェル男爵令嬢です」
「リア様?!」
それからカミルはクローシュ様に先日起こった出来事を淡々と話してくれた。
「クローシュ殿下はいつものように生徒会室で仕事をなさっておいででした。……それが……」
カミルは入口で護衛をしていた。そこに一年生代表であるリア様が書類を持って訪れた。
「室内にも護衛はいたはずでした……」
カミルは、リア様が入ったきり中々出てこないので、様子を見に中に入った。そして、彼が見たのは、ソファーの上で衣服をはだけて寄り添いながら眠るクローシュ様とリア様だった。
中にいるはずの護衛はいなかった。入ってきたカミルに気付いたリア様は、『きゃあ』と声を上げ、その声で目を覚ましたクローシュ様は青ざめた。
リア様曰く、気持ちが盛り上がってこんなことになった、らしい。肝心のクローシュ様は記憶が無い。
そんなとき、窓の外からゴシップ新聞で有名な商会の男が現場写真を撮って逃げて行った。
リア様は涙ながらに「責任を取って欲しい」とクローシュ様に結婚を迫った。
「ええと、何というか、カオスね」
「……はい……」
カミルの説明に、私は思わず苦笑した。
「まあ、何もかもタイミングが良すぎるな」
「リア様の謀ということ?」
「ああ」
ミハイル様の言葉に、まさか、と驚きが隠せない。
「殿下もその方向で探っておいでです。ただ、撮られた写真をグランジェル男爵が金で抑えているということで、グランジェル家からも王家に結婚を迫られております」
「まあ……、国王陛下や王妃様は何とおっしゃっているの?」
「自身の力で解決せよと……」
「まあ……」
とりあえず、私との婚約を破棄して、リア様と結婚しろ、ということになっていないらしく、安心する。
「大方、茶に薬でも盛られたんだろう」
「……おっしゃる通りです。ただ、証拠が全て持ち去られておりまして」
「用意周到なこった」
カミルの言葉に、ミハイル様が鼻で笑う。
「というか、ミハイル様はその事実を知っていながら秘匿されていたのはどういうおつもりで?」
笑うミハイル様にカミルがキッと睨む。
確かに。どうしてこんな大変なことを知っておきながら、黙っていたのかしら?
友好国である我が国とミハイル様の国で、駆け引きなんて必要ないのに。
「このままいけばお前たちが婚約を破棄することになる」
「へ……」
「だから黙っていた」
ミハイル様はこちらを見つめると、私の頬に手を滑らせた。
「……私が泣くのを知っていたということですね。泣けば良いとさえも……」
そんなミハイル様の黒い瞳をじっと私も見つめ返した。不思議と心は凪いでいる。
「……それは違う! ……いや、違わないな。泣いているお前の心に付け入ろうと思っていた」
「正直ですわね」
ふふ、と笑う私に、ミハイル様は申し訳無さそうに言った。
「すまない。メリンダを傷付けるつもりは無かった。俺が幸せにしてやる自信があったから……」
「ふふ、それで手の内を明かされて、私のことは諦めてくれますの?」
「いや、お前の憂いを払った上で、今度は正々堂々とメリンダを奪ってみせる」
「なんて?」
自信たっぷりに微笑んだミハイル様は、それからは凄かった。
元々掴んでいた情報を元に、商会の写真を瞬く間に手に入れ、グランジェル男爵家との繋がりも押さえた。
クローシュ様に使われた薬も、商会が裏で取引されていた物で、証拠がミハイル様の元に集まった。
あのとき、クローシュ様に使われた薬入りのカップも処分される前に取り押さえられ、グランジェル男爵家の全ての企みがミハイル様によって瞬く間に暴かれた。
「こんなに早く解決出来るのなら、そうして欲しかったですわ……」
呆れた顔でミハイル様を見れば、彼は不敵に笑って言った。
「これだけの労力をメリンダ以外に使ってやる義理はないだろう?」
それらの証拠を元に、クローシュ様によってグランジェル男爵家は糾弾されることになった。一家全員、牢屋送り、リア様ももちろん送られた。
クローシュ様の王太子としての威厳も王家として醜聞を出さずに済み、影ながら動いてくれたミハイル様には、留学中のさらなる待遇が約束された。
「結局、クローシュ様とリア様の間には何も無かったんですの?」
全てが片付き、全員国王陛下に呼び出され、報告が終わった後。
城内の庭園にて私たちはお茶をご馳走になっていた。
「当たり前だ! 私はけしてメリィを裏切ったりなどしない!」
「ふふ、信じておりましたが、相談はして欲しかったですね?」
必死に訴えるクローシュ様に、少し意地悪く言うと、彼はしょんぼりとしてしまった。
「お願いだメリィ、どうか私を捨てないでくれ」
瞳を潤ませ訴えるクローシュ様。こんな彼を見るのは初めてで。思わず可愛いと思ってしまう。
「メリンダを泣かせたくせによく言う!」
カップをガチャリと置き、ミハイル様が会話に割って入る。
「私、泣いてませんけど?」
ジロリとミハイル様を見れば、彼はフハッと吹き出す。
「表面はな。心の中では泣いていた」
黒曜石の瞳を真っ直ぐに向けて言うミハイル様に、うぐっ、となってしまう。
確かに、あのとき、心の中はぐちゃぐちゃだった。それを救ってくれたのはミハイル様だった。
「そんなメリンダが好きだ」
真っ直ぐに、淀みなくいつものようにミハイル様が言うから。
私は跳ねた心臓を隠すように言ってしまった。
「やっぱり変態ですね」
そんな私の言葉にミハイル様はただ嬉しそうに笑っていた。
「二人、仲良くなってる?」
そんな私たちを交互に見比べ、クローシュ様がブスッとした顔で言った。
「メリィは私の婚約者だ。ミハイル、もう手を出すな」
「今回、誰のおかげで解決したと?」
「うっ……、それとこれとは別の問題だ!!」
クローシュ様が椅子から立ち上がり、私の前に歩み出るも、負けじとミハイル様も立ち上がり、退かせようとする。
「それに、メリンダの婚約者は彼女自身が選んで良いと、国王陛下も仰った」
「うぐ……」
ミハイル様の言葉に、クローシュ様が言い淀む。
そう。国王陛下へ報告に行ったとき、陛下から言われたのだ。
今回のことでクローシュ様は嵌められたのであって、私を裏切った訳では無い。それでも、評判や心に傷を付けたのには変わりない。だから、この婚約を続けるも破棄するも、私に一任すると。
「俺の妻にしても良いってことだ」
陛下の言葉を思い出していると、ミハイル様がニヤリと笑って私を立ち上がらせた。
「メリンダ、俺を選んで欲しい」
ちゅ、と掴まれた手に、唇を落とされる。
「!! メリィは私の婚約者だ!!」
「それはメリンダ次第だ」
ミハイル様にキスされた方の手を、クローシュ様に掴まれた。
「クローシュ様……初めて私の手を……」
驚いて彼を見れば、クローシュ様の顔は真っ赤だった。
「私は……っ……メリィをずっと大切に大切に、と思っていた。そしてあんなことがあって、触れる資格すら無いと思っていた」
「クローシュ様……」
クローシュ様の初めての想いに、胸がいっぱいになる。ずっと一緒に過ごしてきた想いが、思い返される。
「メリィ、どうかこのまま私と結婚して欲しい。君を他の男に取られるなんておかしくなりそうだ」
初めて見せるクローシュ様の感情に、胸が高鳴る。
「情に絆されるなよ、メリンダ。本当に辛いとき、俺は絶対に側にいてやる」
今度は反対の手を取られてミハイル様が訴える。
ええと、確かに私はミハイル様に救われた。
「お前を幸せに出来るのは俺だ、メリンダ」
「メリィ、ずっと私と一緒にいて欲しい」
右手にはクローシュ様、左手にはミハイル様。
「ええと………?」
「メリィ」
「メリンダ」
同時に二人の男性から求婚される私。
今はどうしたら良いかなんて気持ちの整理が落ち着かない。
「ご、ごめんなさ〜い!」
「メリィ!」
「メリンダ!」
いたたまれなくなった私は、その場から逃げることにした。
それからも、私は二人から熱く求婚されることになるのだけど。
どちらを選んだかは、また次の機会に……ね。
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