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鞠返し 

掲載日:2021/12/10

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 おお、今日はグラウンドでワンバンノーバンができる日か。

 珍しいのかな、うちの学校。日によってグラウンドや体育館でできる球技が、クラスごとで違うのってさ。たぶん、道具が足らなくなるためなんだろうけど。


 ワンバンノーバンといいつつ、僕たちがやる時はほぼノーバン。落とさずに相手側へ蹴り返すわけだけど、これって蹴鞠に似ていると思わないかい?

 もともとは中国から伝わったって話だけど、当の中国では麻雀と似て、熱中する人が増えすぎたために、風紀が乱れて禁止令。

 対する日本では、貴族たちの間で流行。作法以外に心身の鍛錬にもなるってことで、武家の間でも技芸として取り入れられる。信長の相撲人気に押されて下火になるかと思いきや、江戸時代ではリバイバルブームが到来。

 町人の間で人気となり、そのハマり具合をからかうような記述さえ生まれたって話だよ。

 

 そして体験する人が増えたなら、不可解な事例もまた知られるようになっていく。

 僕の地元に伝わる話のひとつなんだけど、聞いてみないかい?

 

 

 地元には、「河田寺子屋跡」と知られる跡地がある。

 特に観光名所というわけじゃないのだけど、この学校の半分ほどのスペースの空き地には、明治時代より今に至るまで、建物が建ったことはない。

 原因をたどると、江戸時代に存在した河田寺子屋の存在に端を発するのだという。

 

 ご存じの通り、庶民の子供が読み書きそろばんを教わる場所として、各所に配されていた、学校の前身、寺子屋。

 ここを任されたのが、この地域出身で、名字と帯刀を許される身分となった「河田」という男性だったというんだ。

 河田の行う寺子屋の授業は、引きこもっての授業ばかりでなかった。持久走をはじめとする運動も行い、子供たちもまた授業の前後の時間に、寺子屋の敷地内で外遊びをよくやっていた。

 蹴鞠もそのひとつで、天気のいい日などはここに集う数十人が、複数の鞠を持って班に分かれ、それぞれの鞠を蹴上げていたというんだ。


 冬も近づいてきたある日。

 じっとしていたら身がこごえると、朝早くから十数人集まっていた子供たちは、再び鞠を引っ張り出した。

 この程度の人数だと、彼らはひたすら鞠を落とさず、蹴り続けることを重視していたらしい。

 大縄跳びの競技に似て、長く続けば続くほど、疲れ以上に緊張が溜まってくる。

 100回を超えたあたりから、ここまでたどり着く苦労や、やり直しになった時の手間、みんなからの責めを思うと、自らの足のなまりがより強く感じられていく。

 今回は70回目あたりで、庭の木の枝で跳ね返った変化球を、見事に拾った妙技も飛び出し、なおのこと「落とすべからず」な空気が満ちていたとか。

 


 回数149を数えた折だった。

 参加者のうち、もっとも最年少の子の真ん前へ、鞠が下りてくる。

 周りの子が彼の名前を呼び、蹴り返すことを促すも、力む彼の脚は見事すぎるほどに鞠をとらえてしまった。

 勢いよく跳ね上がる鞠。ほぼ垂直に上っていくそれを、周りの皆の視線が追うが、ほどなく顔をそむけてしまう。


 太陽だ。

 蹴り上げた鞠は、遮るものなく浮かぶ陽の光に重なり、見上げる者の目をことごとく潰したんだ。

 手をひさしのように顔へかざしながら、一同は鞠がどこから降ってくるか、気を張っていた。

 角度からして、周りの塀を越える恐れはなさそうだったんだ。ただ高く上がった鞠ほど勢いをつけて落ちてくる。脚に受けるだろう衝撃を覚悟し、彼らは落下を待ち受けていたんだ。



 しかし、師範がやってくる時間になっても、鞠は落ちてこなかった。

 自然と、最後に蹴った彼の不手際となり、本人はすっかり縮こまってしまったが、そこは年長組。彼を責める者は現れなかったそうだ。

 ただ鞠の行方は気になる。授業のあった二刻あまりの間、庭へ鞠が落ちてくる気配はなかった。帰りがてら、皆も近所のあちらこちらを探すも、やはり鞠の姿はない。屋根に乗っかってもいなかった。

 もともとは寺子屋に寄贈された、使い古しの鞠。なくして困るものではなかったけれど、子供たちは家の戻ってからも、しばしば暗くなった空を見上げて、鞠の落ち来る気配を見逃すまいとし続けたとか。



 翌日。

 その日は早朝の寺子屋があり、そろばんで基本的な計算をするのみの授業だった。

 子供たちは色づき始めた空を見上げ、なおも鞠が来るかと待ち受けているが、また自分の目を何度もこする羽目になった。

 今度は陽の光が原因じゃない。子供たちの頭上より、まだ太陽の位置は低かった。

 自分たちの視界の中で、小さな点が飛び回っている。ひとつひとつはアブラムシほどの大きさだが、手で払おうとしても微動だにしない。

 点は彼らの考えるより、ずっとずっと空高くに浮かんでいた。

 ところどころ細かい動きは見られるものの、十匹前後集まる黒点は、およそ円陣を組むかのような気配。それらの向かい合う点と点の間を盛んに行きかう、一個の点の姿も見受けられる。


 ――虫たちが蹴鞠をしている。


 寺子屋へ集まり、目撃者の多さから錯覚ではないと悟った子供たちは、昨日の件もあって、そう結論づけたらしい。

 あの時、蹴り上げた鞠が彼らの下へ届き、今なお蹴られ続けていると。



 以降、鞠が戻ってこなくても子供たちは悲観しなくなった。

 いくぶん、鞠を蹴り上げすぎてしまった彼への方便であることは、否めない。それでも件の点たちの円陣は、晴れている日だとしばしば空で見られるようになった。

 彼らは頻繁に移動していて、意識して探さないと見つからないほど。ゆえに仕事に追われる大人たちは、さほど問題にすることがなかったらしい。

 寺子屋の子供たちもまた、大きくなってからは、家の手伝いに時間の大半を割くようになって、あの日の鞠のことはほとんど記憶の隅へ追いやっていたとか。



 それから20年あまりの時が流れ。

 河田寺子屋は師範も子供たちも、次の世代へ移ろうとしていた。準備のために、一時閉校していた寺子屋だが、ちょうどあの日のような冬の朝。

 屋内にいた河田の息子は、不意に「どん」と家屋全体が揺れるほどの、衝撃を受けた。

 ほどなく、背後から響いたのは畳の弾ける音。そして漂う煙の臭い。

 振り返ると、六畳間のうちの一畳に、頭一つ分ほどの穴。そのふちから、白い煙が二すじほど立ち上っている。

 何が起こったか、とっさに分かりかねる。ただ「ぼや」になりかねないと、息子が水を汲みに立ち上がりかけたところで。

 

 だしぬけに、穴から顔をのぞかせるものがあった

 穴に落ちかけた人間が、落ちまいと地面に腕を突き立てる。それと同じような格好で、穴の中から二本の大きな根が、畳の上で踏ん張るかのように立ったんだ。

 根は持ち上がっては畳を叩き、そのたび、どんどん穴から長く大きく、姿をさらけ出してくる。


 ――穴から出てくるぞ……!


 悟った息子が建物から飛び出した直後、先ほどまでいた平屋がガタガタ揺れたかと思うと、窓という窓から、人の腕以上はあろうかという太さの根が飛び出してきた。

 長さに至っては、比べようもない。タコかイカの脚みたく、無数に広がる枝たちは、たちまち寺子屋をかき抱き、屋根の一点より頂点を天へ伸ばしていく。

 あたかも球根のような形を作り終えると、ぴたりと動きを止めてしまったんだ。



 根を斬ったり焼いたりしようとする試みがなされるも、いずれも目立った効果を見せない。いかなる刃も受け付けないほど根は固く、つける火はいずれも目にしみる煙を出すばかり。仮に根が焦げ付いても、少し経てばまた新品の肌へ逆戻りしてしまうんだ。

 河田寺子屋は閉所し、河田一族もゲンが悪いとして、その土地を手放したらしい。

 幕末には、その根の球根もひとりでに傷み、腐って形を崩していたが、中にあったはずの寺子屋の建物は、影もなくなっていたのだとか。


 ただその根の中心には、芽を出して役目を終えた種のように、表面をかっさばかれて真っ黒に焦げ付いた、ひとつの鞠の姿があったんだ。


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