第93話 鬱蒼とした森は獣の巣
二度あることは三度あるって言うよね。(無反省)
鬱蒼と生い茂る木々、どれだけ歩いてもこの場所は以前来た時と同じように変化に乏しい。ここはいつも非常に静かで、風が吹いても揺れた葉の擦れ合う音がわずかにでるだけだ。時折、鳥の囀りや魔物と思しき唸り声が聞こえてもそれらはすぐに掻き消えてしまう。木々が空を覆い隠して昼間でも薄暗いせいか見晴らしも日当たりも悪い。そんな人の手の入っている様子がほとんどない場所、ヒナツ森林に俺たちは来ていた。
無論、入る前から戦闘の準備は済ませてある。俺は《硬化兵装》の鎧を服の上から纏い、ニオンはレイピアを抜刀した状態で、燃香は魔術の発動を用意を終えた状態だ。
「ここに来るのは久しぶりですね。以前は集結する者たちがまだ私とユウリの2人きりだった頃ですから」
「そうだな。まだニオンがよそよそしかった頃だな。それに燃香にこっそり吸血されて体調悪くなってたっけか。どっちも懐かしいな」
「今思うと少し恥ずかしいですね……」
「いや、あの時は腹ペコすぎて理性がなくなってたから加減とかできなかっただけで、その、悪気とかはなかったよ?」
「なら仕方ないか……」
隣りを歩くニオンは当時————とは言ってもそこまで昔でもないのだが————を懐かしんでいるのか少し頬を緩めると、さりげなく距離を詰めてくる。
ふと振り返ると燃香はなにか気にかかることでも見つけたのか、最初は3人とも並んで歩いていたにもかかわらず今は彼女だけが1歩遅れて後ろを歩いている。なにに気づいたのか問おうとして口を開く前に燃香は俺の視線に気づくと、俺の意図を察して彼女は俺たちに問いかけた。
「私はここに来るの100年前を除くと初めてだけど2人は違うんだよね?」
「そうだな」
「えぇ。それがなにか?」
「100年も経ってると地形とか生えてる木の古さが全然違うからなんとも言えないけど、ここってこんなヤな雰囲気の場所だった?」
「確かにそうだな。なんか獣臭い、か?」
「ええ。少々気が緩んでいて気づきませんでしたが、妙な雰囲気ですね。以前来た時よりも殺気立っているような……感知範囲に異常はありませんが、いつもより警戒をした方がいいでしょう」
「……」
ニオンが警戒を怠るなんて珍しいこともあるものだと思うも、直後にその原因に心当たりのあることに気づいて俺は沈黙する。
「それもあるけどなにか命が消えてく雰囲気、呪いみたいなものを感じるね。……呪術、かなぁ?」
「呪い? そんな変な雰囲気のものは感じないが?」
「私もです。本当ですか?」
「この場になにかあるのは本当だって。でも呪術にしてはなにかおかしいような気がするんだよね……。あれを呪術っていうには違和感があって……」
「……つまり燃香が今この森で感じてる違和感の原因の呪いは呪術由来じゃないってこと、か?」
「うーん、そうだね。呪術は魔術と同じように時間をかけて体系化されてきたものだからある程度は規則性があるはずなんだけど、これは我流っていうか粗が多いっていうか、一応規則性はあるんだけど、それは魔術のものに近くて……しかも他の人には再現できないほどの……なんていえばいいんだろう。それにこの気配、最近どこかで感じたような……?」
「性質が魔術に近いからこそ、それに著しく長けているモエカだけが気づいた。そういうことなのでしょうね。しかし、私にはスピネルの結界の時とは違ってそれを感知できないのであなたが感じている違和感を解決することはできませんよ」
「そ、そっかぁ……」
どこか棘を感じるニオンのその言い回しに燃香は苦笑しながら曖昧な返事で流す。
……いやこれ、どういう状況よ?
昨日燃香が俺から吸血する姿をニオンが目撃してから、ずっとこうだ。吸血行為になにか思うことがあるのか、ニオンは燃香に対して若干、というか結構よそよそしい。
「ですが、その魔術は一体なんのためにこの森に? 情報が少なすぎて私には検討もつきませんね……」
「そうだね……」
燃香はそうやってしばらく悩んでいたが、結局結論はでなかった。今のこの森には以前来た時とは異なり、なにかがある。しかし、それがなんなのかを感知できるのが燃香だけ、ニオンが言うように俺にもに協力できることは皆無だった。
「……ところでさっきから訳知り顔で呪術と呪いに関して話して悪いんだが、そもそも呪いと呪術ってなにか違うのか? 同じに聞こえるんだが?」
「呪術っていうのは、嫉妬の魔王の配下が使った『破弾』、スピネルが使った内部の生物の魂に干渉する結界の『凍結界』、その術の総称を呪術って言うんだ。火炎や静水っていった術そのものの総称を魔術と言うのと同じだね。それで、呪いはその結果。つまり、炎で負った火傷とか水に溺れた時の後遺症かな。まれに術者や呪術を介さずに呪いが発生することもあるけどね。メジャーな例が、強い恨みや憎しみが同じ場所で蓄積されたことで発生するパターンかな。お墓とか、事故物件とか」
「成る程。つまり呪術で発生させた呪いを使えば直接攻撃できなくても相手を害せる。スピネルが破弾を結界で受けるのではなく跳ね返したのは、張った結界との接触で呪いを自分が受けることを防ぐためだったのですね」
「そういうこと」
「へぇ……そんなこともできるのか……」
呪術は魔術とは似て非なるもの、ということか。
しかし、呪いを発生させる呪術は厄介だな。スピネルがやったように躱すか跳ね返すのがベストなんだろう。まあ、自分が使うわけではないのだから対処法さえ分かればいいか。多分。
「(いや、呪術が脅威になるってことは分かったが、俺たちがここに来たのは今この森林にいるであろう奴らをなんとかするためだ。2人はともかくとして俺は油断したら致死率倍増するから気を張らないとな!)」
ここに来たのは勇者の目撃情報が冒険者や植物採取に来た民間人から寄せられたからだ。そしてそれを議長が俺に調査を割り振った。実績を示してこの国のトップである議長に楯突く輩を黙らせろ、ということだろう。
まさか議長が善意から俺たちを本当に勇者として起用し、民衆に集結する者たち、というより俺の存在を認めさせよう、なんて殊勝なことを考える可能性はまずない。
きっとあの議長はこう考えてる。高沢が俺たちの情報を渡さなかったのは親愛の情を覚えているからだと。そして俺たちには知られてはならない秘密が、それはバレたら敵だと、すぐに排除しなくてはならないと認識されるようなものがある、と。
そして俺たちに勇者を捜索させているのは、俺たちが勇者を殺すなり捕縛なりしても逆に俺たちが殺されても議長にデメリットはない、と考えているからだろう。だがこれには当然のことながら穴があり、もし俺たちが勇者側についたらデメリットしかない、ということだ。しかし、議長がそれを考えないはずはない。どうやら彼は俺たちが勇者側に与するとは考えてないようだ。嫌な信頼のされ方だな。
警戒しながらしばらく進むと俺にもはっきり分かるほどに殺気立った、それもかなり強い気配を感じた。
「……ユウリ、来ます」
「分かってる、6人……か?」
「いや、8人だよ。うち2人は気配を極端に薄くするなにかを持ってる。魔術機械、かな?」
「恐らくは。その2人が身につけているなにかの方が極端に気配が薄いので、外付けの物で誤魔化している可能性は高いでしょうね」
その気配に気づいた俺たちは立ち止まり、臨戦体勢でその8人が現れるのを待つ。お互いが動かないことで膠着状態になり、緊張感ある静けさが辺りを覆う。ピリピリした空気はこれから起こるであろう殺し合いが凄まじいものになると告げているかのようだ。
しばらく警戒しながら様子を窺っていると相手は観念したのか姿を現した。男性の6人組だ。いずれも茶髪も混じっているが、全体的に黒髪黒目であることや目撃証言の存在から勇者に間違いないだろう。ここからは残りの2人は見えないが、あまりキョロキョロしすぎるのはダメだ。余計に警戒させてしまう。そう思い正面の勇者たちを見据える。
「なんだ、ただの冒険者かよ、驚かせやがって」
「てっきりこの国のSランク冒険者の襲撃かと思ったぜ」
「おい、どこに目ぇつけてればそんな判断下せんだよ。ステータス見ろよ」
「げぇ!? なんだこいつら!? しかも2人も勇者がいやがる!」
「は? ヤバッ!? チートかよ! ……ん? けどこの国にこんな名前の勇者いたか?」
まだバレていないと思っているのか、それとも残りの2人が後衛がだからなのかは分からないが彼らは姿を現さない。
6人のうちの2人はまだ油断しているのか、勇者ではないと判断するとあからさまに侮りの眼差しを向けてくるが、リーダー格と思しき男の叱咤されたからか、相手のヤバさに気づいたからか即座に武器を構えて臨戦体勢に入る。
「1人はこっちに寝返ってるからこの国の勇者は2人だよな? 確か名前は青葉立花、高沢来だから……こいつら誰だよ」
「落ち着け。おい、そこの3人、所属を言え」
リーダー格の勇者は仲間の勇者を窘め、どこかで聞いたような文言を口にする。
「そういえば前にそんなことを言ってた勇者がいたな」
「結理君、こいつらカントリ林にいた勇者集団の中にいたよ」
「マジか」
「というか、よく覚えてますね。あんなムシ————ではなく人たち」
今、ムシケラって言おうとしてなかった?
カントリ林、それを聞いた勇者たちはあからさまに動揺した様子を見せる。中には「海に飛ばされたのってまさか!」とか言い出す勇者も。
どうやら転移先の座標は嫉妬の魔王領ではなく、近くの海上だったようだ。さすがにあの人数をあの距離、しかもトラブルが起こって急いで用意した急拵えの作戦では正確な地点に飛ばすのは燃香でも厳しかったか。
「カントリ林だと? なぜ我々がそこにいたことを知ってる!」
「まさかあのコスプレ集団の仲間か!」
「コ、コスプレ!?」
「その反応からして間違いないようだな。所属を答えないところからしても間違いない。やるぞ、お前ら!」
その声で勇者6人が一斉に地面を蹴り、一気に接近。さらに後方からは輝く、球状の中心に近づくほど色が青から紫に変わる魔術の砲弾が。無属性のBランク魔術の砲弾だ。それらは自由落下と見紛う速度で、しかも12発飛んできた。
「風神剣」
「鉄砲水流!」
「雷撃!」
ニオン、燃香、俺の3人がほぼ同時に魔術を放ち、融合してより強化されたそれが砲弾諸共勇者を吹き飛ばさんと彼らに迫る。俺は魔術を使えないのでもちろんアジ・ダハーカが使っての攻撃だ。しかし、それに勇者たちはとんでもない速度で反応して後退し、躱した。
「「「「「「っ!?」」」」」」
「今っ!」
だがその結果は相手を少し怯ませたことだけでなく、砲弾を魔力の勢いで跳ね返して相手に盛大に被弾し負傷させたことにまで発展した。思わぬ反撃に驚く勇者たちを尻目に3人揃って全力で後退する。なお、アジ・ダハーカは引っ込めた。スピードはそこそこあるが、あの勇者たちの機動力や火力の前ではデカい的にしかならないからだ。
これは事前に決めていたこと。ニオンと燃香がいてもさすがに8人の勇者を相手にするのは無理どころの騒ぎではない。ただでさえ《不可逆論理》の力で謎の超パワーアップを遂げている勇者たちだ。仮に同数であっても正面きって戦うのは避けたいところ。
「このどこかで見たことある逃げっぷり、あいつらはあのコスプレ集団の仲間なんかじゃない。奴らこそがあの時のコスプレイヤーどもだ! はぐれないように気をつけながら追え!」
「「「「「了解!」」」」」
1人1人集団から引き離して各個撃破、これが最も勝率が高く現実的な作戦だ。しかし、向こうがそれを理解していないはずがない。十中八九なんらかの対策をしてくるだろう。だが、俺たちはそれを分かった上でこの作戦を、木々やその枝を躱しながらアクロバティックに逃走を開始するしかない。
背後からの追撃を警戒しつつ《硬化兵装》で作った煙幕を手のひらから噴射し、それに紛れさせる形で牽制として杭のように太い針、黒針を無数に投擲。数日夜なべして幾つもの失敗から完成させた物だ。できれば人体に当たった時の黒針の反応や、それがどれだけ有効なのかをつぶさに観察したいところだが今は諦めるしかない。
「ユウリ、モエカ、掴まってください。飛びます」
「頼む」
「お願いね!」
俺と燃香がニオンの手を掴んだ次の瞬間、ニオンは一瞬光に包まれると本来の姿であるセミへと変貌し、俺たちを空へと運んだ。とは言ってもそこまで高いところへと上がってしまうと格好の的なので木々の間を縫うような低空飛行だ。ニオンの力なのか魔術なのか、かなりのスピードで動いているにも関わらず俺たちは空気抵抗がもたらす風圧に晒されることはなかった。
「くそっ! 追いつけねぇ!」
「チートだ! 調子乗りやがって!」
「……意味不明なことを。あなた方の持つ《不可逆論理》の方がよっぽどではありませんか」
勇者たちの野次を軽く流しつつ、ニオンは俺と燃香を6本の足でそれぞれを抱えながら木々の間を舞う。勇者たちの飛び道具を躱すために結構な頻度で急制動と急加速が起こるので、酔いを通り越して喉元までゲロが出かかるがそこはなんとか堪えようと精神統一を図る。
「(俺は風だ。そう、この林に吹く一陣の風。誰も掴めない自由な旅人、穏やかな流れの中を気ままに揺蕩う旅人————)」
うまくいったと一息ついてふと横を見ると、燃香も青白い顔色で口元に手を当てており、今にも吐いてしま————
「おろろろろ!!」
「も、燃香ーーっ!?」
「うわッ!? バッチィ!」
「なにしやがんだこのアマー!」
「あ゛! 汚ねぇ! こっち来んな!」
乗り物酔いを克服すべく日々努力して、最近馬車に酔わなくなった燃香でもこの凄まじい加速度には耐えられないのか、なにがとは言わないが彼女は盛大にリバースしてしまった。皮肉にもそのおかげで勇者たちとの距離をより一層確保できたが、燃香はなにか大事なものを失った、みたいな表情をし、「この手の乗り物は本当にダメなの、この手のは……」と虚ろな目でぶつぶつ呟いている。
ニオンはその隙に《超加速》、《超高速》の上位互換である《神速》と《超音速》を発動させてさらに勇者たちを突き離す。
これで一安心、あとは俺の煙幕や燃香の魔術、ニオンの分身で勇者たちを撹乱して集団から逸れたところを各個撃破していくだけだ。
そう考えた次の瞬間、凄まじい突風が俺たちを殴りつけた。その勢いで3人とも飛んでいたのとは逆方向に吹き飛ばされて地面に叩き落とされる。ニオンは《神速》と《超音速》が解除され、なにかが起こっているのか倒れた状態のまま、再度飛ぶどころか微動だにしていない。燃香はさらに加速度がかかったせいなのか目を回している。ジェットコースターとか苦手なんだろうな。俺はといえば持ち前の頑丈さでなんとか耐えた。が、《硬化兵装》の鎧が体に食い込んでかなり痛かった。機動力と耐久力のバランスの兼ね合い上、スタイリッシュになってはいるのだが。要改善だな。
しかし、注意が逸れている状況でも俺たちは見た。森林の上空を何者かが俺たちと逆の方向へ通り過ぎ、巨大な黒い影を落とした瞬間を。




