第78話 カントリ林、再び
爆発音が、悲鳴が響く。建物や町中に生き物が焼けていく酷い臭いが充満していたが、その場の誰もが自らに差し迫る命の危機の前には悪臭なんて気にしてはいられない。誰もが共通してたった1つだけ持つ自分の最も大切なものである命。それだけを抱えて力なき人々は逃げ惑うしかない。
暴力とどうしようもない人間の欲望で支配されたこの空間に救いは用意されていなかった。
「おいおい、ちと派手にやり過ぎだろ。なにもかも燃えちまってるじゃねえか」
1人の男性は燃えていく町をそこから数キロほど離れた山の中腹から見下ろし、火と血で赤く染まった街並みを眺めている。その口ぶりはちょっとした賭けに負けたみたいな言い草だ。
「問題ありませんよ。この町は魔物の侵攻から後方の、より大きな街を守っているんです。さながら砦のようにね。それを敵側に、我々と戦うための拠点として使われたらいろいろと面倒ですからと、焼き払うよう指示があったじゃないですか」
「まあ、そうだけどよ。あんな風に全部燃やすんだったら、その前に金目の物を盗ってきてもいいんじゃねえの?」
「そんなことを許していては全体の行動の遅れに繋がりますから、まず許可は降りないでしょうね」
金がどうこうとぼやく男性に対して、青年はあくまで計画の、自分たちに与えられた役割の遂行を遵守の重要性を説く。だが、男性にはイマイチ響かなかったらしく、青年の話を打ち切るように大袈裟に溜め息をつく。
「あれ? こんなところでなにしてんの?」
「金品が燃えてくところを眺めてんの」
「う、うわぁ……こんなところに暇人がいるよ。ハロワでも行けば?」
「うっせぇ! 大体、俺は勇者として当然の権利を手に入れるために、この異世界を勇者の手で変える計画に参加してるだろ。だから俺は断じてニートじゃない!」
「つまりフリーターだね。ハロワでも行けば?」
「う、うっせぇ!」
「3人とも、計画によれば次の行動の開始予定時刻まであと5分だぞ。身支度を整えろ」
男性と少女の口喧嘩に割り込んできたのはこの勇者たちの部隊の指揮を任されている壮年の男性だ。彼は2人を一喝すると、「この次の任務がなにか分かっているだろうな?」と言いたげな表情で男性を見つめる。
「へいへい、分かってる分かってる。次はアレだろ? えーっと、そうアレ!」
「……カントリ林だ。しばらくはそこを拠点として使う。そのために生息する魔物の一掃、及び再出現防止のために土地を枯らす」
「えー……。そこ虫がたくさんいるんでしょ? 私ヤダなー。行きたくないなー」
「悪いが分担された仕事は嫌でもこなしてもらわなくては困る。この戦いは我々勇者の待遇改善と地位向上のためであり、この世界を変えるための聖戦なのだからな」
壮年の男性は、この戦いに臨む勇者なら誰しもが頭に入れておくべき計画を、たとえ一部であっても答えられなかった彼に、意識が低いと心底呆れたように行き先を呟く。
「クソだるい。あーあ、俺が東B2部隊じゃなくて東A1部隊だったら放火なんてシケたことしないでイキりちらしてる冒険者どもを潰しまくれるのによー!」
「いいじゃん、安心安全で無理のない仕事。天空国マジェスに向かった東C部隊とかヤバいって噂だよ?」
「そうですよ。いくら僕たちが勇者で無敵で完璧な存在でも、功を焦って怪我する可能性が全くないわけじゃないんですから」
「次の目的地にはそれなりに距離がある。急ぐぞ」
「「「はーい」」」
東B2部隊と呼ばれる勇者の軍団を統率する部隊長である壮年の男性は部下を指揮し、彼らを引き連れて目的のカントリ林に赴いて行った。
東B2部隊は、焼き払った町を出発してからおよそ数時間後に目的地であるカントリ林周辺にやってきた。本来なら、勇者たちのこの反乱を画策した者によって支給されている転移用の魔術機械を使って直接乗り込む手筈だったが、直近になってカントリ林近くに魔術師のSランク冒険者の住む別荘があるという情報が入ってきた。その魔術師がどんな能力を持っているか分からない以上、下手に転移でカントリ林に近づけば、転移魔術の発動をたちまち感知されてしまい、拠点を手に入れる前に本格的な戦闘が始まる可能性がある。
それにより勇者たちは徒歩での(それでもスキルや特性を駆使しての移動なので字面以上に速い)移動を、さらに言えば道中は気配と痕跡を消しながらの慎重な移動を強いられることとなった。
到着して数分間は物陰に隠れてカントリ林の様子を窺っていた。なにせ日はまだ高い。まだこの近くを訪れている人がいるかもしれないのだ。そしてこのまま派手に魔力を使って魔昆虫の掃討を始めれば、どう楽観的に考えても目立つ。転移を避けてまで徒歩で来た意味がない。
林の中に人の気配がないことを確認すると、彼らは誰にも発見されることのないよう慎重にカントリ林に入っていく。勇者たちが鬱蒼と木々が生い茂るその林へ足を踏み入れると、2分と経たないうちに侵入者を迎撃するかのように現れた多種多様な魔昆虫が殺到してくる。カマキリ、バッタ、てんとう虫、カブトムシ、蜂などなど。さらにはゴキ(以下略)や毛虫といった比較的人気のない虫までが歓迎に現れる始末。加えて、いずれも当然のことのようにデカい。それもあってか、ここは虫が苦手な勇者は生きた心地がしない空間だろう。
しかし、その程度の戦力で勇者たちをどうこうできるはずもなく、派手に魔力を使わせることも、大した負傷を負わせることもできずに次々と殲滅されていく。30分も経てば圧倒的な戦力差を理解したのか、はたまた数がかなり減ったのか、突撃してくる魔昆虫はほとんどいなくなっていた。
「ここがこのカントリ林の中心か」
「はい。間違いありません。この大樹を切れば魔昆虫の出現は止まり、この林はダンジョンではなくなるでしょう」
東B2部隊の勇者たちを率いてここまで来た壮年の男性は《閲覧》で大樹のステータスを確認すると、間違いなくこれがこの林の中心だと確認できた。《閲覧》は対象のステータスを盗み見ることのできるスキル。ランクが高いほど開示される情報量が多くなり、格上でも機能するようになる。一般の冒険者でもAランククラスともなるとその大半が、Sランクなら全員が保持し、勇者なら全員が低レベルのうちに獲得するスキルだ。
「本日より、東B2部隊はここカントリ林を活動拠点とする。《捕獲》のスキルを持つ者は手分けして残りの魔昆虫をテイムし、この林の警備をさせろ。進入許可がないならたとえ相手が誰であっても近づけるな。名前を呼ばれた者はテイム担当1人に対して3人一組で護衛を、残りはここで拠点の設営と探索を、解散!」
壮年の男性の指揮により、勇者の集団およそ100人が文句や不平不満を言いつつも一斉に行動を始める。
現在彼らは統率のとれた集団になっていて、協力関係にあるものの、それはあくまで一時的なものに過ぎない。この反乱が自分たち勇者の勝利で終わったあとはそれぞれが陣営を作り、敵として合い争うのだ。しかし、たった1つの陣営が勝利し、それで終わりだとは彼らは考えてはいない。彼ら勇者は、自分が特別な存在に、ほんのひと握りの勝者になることを望んでいる。誰もが特別ではなく、自分だけが特別になることを望んでいる。
勇者たちがカントリ林を拠点とするべく魔昆虫の捕獲、大樹の伐採にとりかかっている頃、結理たちは地方都市ランドへの帰路についていた。
朝早くに出発し、移動も支援物資の配達もかなりスムーズに進んだので日もまだ高く、今、俺たち4人はは高性能馬車の中で摂った昼食の感想を語り合っている。高沢は料理がかなりうまいようで、彼女の弁当は評議会が用意した物ではなく手作りだった。その内容は異世界の食材や調味料を使って、食べ慣れた日本の料理を再現したもので、俺は驚き、燃香は感動していた。
昼食を終えたあと、燃香は喉が渇いたのか俺をちらちらとみて若干ソワソワしていた。高沢のいない時に補給するかとこっそり聞くと、「羞恥心はないのか?」と言いたげな目で睨まれた。デリカシーが足りなくてすまない……。
「ッ!!?」
俺はこっそり拠点から取り出しておいたデザートをバレないように食べるはずが、あっさりとバレてしまい、それを巡って燃香と取り合いを演じていると、急にニオンが声にならない声をあげて、めまいでも起こしたようにその場に倒れる。
「ニオン! 大丈夫か!?」
「……ユウリ、いますぐカントリ林に、一緒に行ってくれませんか?」
「なにかあったんだな?」
「え? 2人ともどうかしたの? そんなに見つめ合って。もしかして相思相愛?」
普段は冷静沈着なニオンだが、今の表情は動揺で青ざめており、震える声で問う。その様子から俺はなにかとてつもないことが起こっているのだと察した。燃香も察したらしく真剣な顔つきだ。
約1名はいろいろな意味で仕方ないこととはいえ、ニオンの異変を、状況の深刻さを理解していない。そのせいか、軽いノリで俺たちを茶化すが、俺もニオンも困った顔になってしまう。今はそんなことを言っている場合ではないのだ。
「来、からかってる場合じゃない。きっとなにか深刻な事態が起こってるんだと思う。でしょ? ニオン」
「ええ。実は同族が危機に陥っているんです。なので今すぐにでも助けに行きたいのですが、私1人だけでは戦力としてはいささか心許ない。できればユウリとモエカにも手伝ってほしいのですが……」
「分かった、行こう」
「ありがとうございます、ユウリ、モエカ」
申し訳なさそうに、遠慮がちに同行の是非を問うニオン。俺は仲間の、友人の頼みならばと即決した。
アイリアル云々の時は神聖国レインボーに向かうか否かを迷った。その時は向かうことを決断し、結果、2人を一時的にとはいえ失ってしまった。その時は決断したことを激しく後悔したのだが、今にして思えば、結局はなにを選んでも後悔は残るものだと分かった。1人きりになって、そして2人が戻って来て、ここ最近冒険者を辞めて、元の世界に帰ることも諦めて、ただただ平穏に暮らしていたいとそう思うようになっていた。もう二度とあんな経験はしたくないのだから。
けれどニオンにも燃香にも誰か大切な人を失うなんて、そんな思いをしてほしくないのだ。拠点に引きこもらずに、2人とともに行動することは、きっとそれを防ぐことにも繋がるはず。だから俺は決断した。
「? カントリ林に人って住んでたっけ……あ! そっか、ニオンさんって魔昆虫なんだったね。でも危機ってどういうことかな?」
「……とりあえず高沢は置いてくか」
「え、なんで!? また私をハブるの!? ニオンさんの仲間の危機なんだよね? なら私も行くよ。戦力は1人でも多い方がいいよね?」
確かに高沢が一緒に来てくれるのなら頼もしい。だが、ここからカントリ林は結構距離がある。転移で向かうには拠点を介して移動する必要性があり、それを彼女に知られるのはいろいろとマズい。だから高沢を連れていくのは不安だったのだが……。
「ライ、ありがとう」
「結理君は来のこともっと信頼した方がいいよ? こんなにまともな性格してて、しかも私たちの秘密を守ってくれる人なんてそうそういないって。この出会いは一生モノだよ。だからつんけんしてないで来にももっと心を開いてあげて」
「そうですね。結理はちょっとガードが堅すぎますね。実は来のことを結構信頼してる割には愛想悪いですし……」
「えっ! そうなの!?」
「ゴホンゴホン! ふ、2人がいいなら、俺に異論はない! じゃ、じゃあこれからカントリ林に行くが……絶対に誰にも言うなよ?」
「ニオンさんが魔昆虫で燃香さんが吸血鬼ってことをだよね? 大丈夫、誰にも言ってないし言わないよ」
2人からの密告に高沢はちょっと嬉しそうに驚き、仲間の裏切りに動揺する俺にやたらといい微笑みを向けてくる。
「そ、それもあるが……」
「?」
「?」マークを点灯させる高沢を放置して、とりあえず片付けをして馬車を降りる。御者には、急用ができたので先に帰ってもらうよう言った。俺たちは去っていく馬車を見送り、その姿が見えなくなると、街道から外れた人目につかない茂みの中へ4人で移動する。さらに「?」を量産する彼女を尻目に巻き込む形で拠点に転移する。彼女は急速に歪んでいく視界に動揺するもさほど身の危険を感じていないらしく、興味深げに辺りを見回す。
その視界の変化は1秒と経たずに終わり、その場に茂みの緑色まみれの光景は既になく、山の中腹に建つ一軒家と緑色が鮮やかな森が現れていた。
「え? ナニコレ?」
高沢は目が点になった。




