第74話 動乱の時代へ
「……さて、ソロソロ始めようかナ」
その言葉が誰ともなしに呟かれたのは、結理たちが『ニオンと燃香、お帰り記念パーティー』をアイアス宅で開催している時のことだった。
彼の計画の遂行に必要な、おおよその準備は半年前に既に済んでいた。そこから今日まではスケジュールの調整や追加人員の配置、事前に配布した武器や装備よりもさらに性能のいい物の調達、及びその配備。
他にも重要拠点や、高位の冒険者や勇者、騎士や軍人などの要注意人物の情報の共有やその更新。全ての人員に有用なスキルや特性の獲得させる、そしてそれらの行動が目立たないように細々とした活動に制限していた。
練りに練られて当初の想定とは比べられないほどに綿密になった計画はこの瞬間、成就の時を迎えていた。
————東大陸、デラリーム連邦。
そのとある軍事拠点の一室、そこには数人の男女が集まっていた。彼らは真剣な面持ちで何事かの議論を行なっていたが、その物々しい空気に包まれていた部屋に1人の兵士が、息も絶え絶えといった様子で駆け込んで来た。
「失礼します、将軍! 緊急事態につき、どうしてもお伝えしたいことが……!」
「……それは、この国の7つの州それぞれに1人しかいない将軍が、年に一度集まる会議を中断させるほどの緊急事態なんだろうな?」
「……っ! は、はいっ!」
その場にいる7人の将軍のうちの1人が兵士を見つめて問いかけた。彼は兵士とそう年齢の変わらない、少年と呼べるほどに年若く、まだ世の中の理不尽さを知らない無垢な子どもに見える。
もっとも、彼から放たれる視線とその佇まいは、およそ人間が纏えるとは思えないほどの強い圧力に満ちているが。そのあまりの迫力に兵士は畏縮してしまい、少しの間硬直して口籠ってしまう。
無理もない。彼らはこの国の軍事力の頂点に立つ7人で、いずれもSランク冒険者と同等の戦闘能力を持ち、単独で軍隊と同等の役割を果たせるほどの実力者であり軍部における権力者だ。さすがに州の代表者ほどの権力はないが、軍部においての指揮権や政治での不正行為を行う者を裁く権力、内通者の始末など、一部は代表者に匹敵するほどの権限を有している。
しかも兵士に問いかけた将軍、彼はその中でも頭ひとつ抜けた存在であり、中立国ポップのSSランク冒険者のキリヤに匹敵するとされ、その上、冷酷さは他の将軍の追随を許さないと言われている。粛清した高官や兵士は数知れず、そんな存在を怯えないはずがない。
「そうか。なら構わない。話せ」
「しょ、承知しました」
「おいおいおい! ロウタス! テメェんとこのしたっぱには、機密情報が飛び交うこの会議に勝手に入ってもいい、っていう教育をしてんのかよ!」
「黙れ、エンプス。それで? 緊急事態とはなんだ?」
「————」
「……そうか。とうとうこの時が来てしまったか。もっと早くに起こると思っていたが……。いや、今論じるべきはその問題への対処だ。非常警戒をデラリーム連邦全域に発令、ただちに司令部へ向かい、この旨とこれを伝えるように」
「しょ、承知しました!」
兵士の口にした言葉に将軍たちは自分の耳を疑った。伝えられた情報は歴戦の猛者であり、将軍の地位に立ち独自の情報網を持つ彼らを持ってしても驚愕に値するもので、突如として起こったその事態に困惑を隠せない。
兵士の緊急事態を告げる報告に二の句が継げない他の将軍たちに代わり、ロウタスは事態の悪さに嘆息しながらも立ち上がり、すぐさま事態の打開へ動き出す。彼は兵士に近寄ると、どこからか取り出した手紙を手渡した。
兵士は兵役についてから初めての非常警戒の宣言に、それを伝えるためにこの部屋に入ってきた時以上に慌てながら部屋を飛び出して行く。
彼が司令部にこの判断をありのまま伝えても、最初は誤報ではないのかと疑うだろう。それを防ぐためにロウタスは直筆の手紙を兵士に持たせた。それを見れば誤報でないことはすぐに伝わるはずだ。
それにロウタスは、自らのスキルや特性を総動員することで、兵士の告げた言葉が真実だということは手紙を渡す前に既に確認できている。これでこの情報そのものがデマである可能性は消えた。あとは、あの兵士が敵方の間者で、非常警戒の伝達をしないという可能性もあるが、これは自分があとで司令部に赴けば事足りる。可能性など考えればキリがないが、こういうのはより多くのことを想定しておくに限る。
ふと自分がスキルや特性で得た情報を思い返す。
普段の持ち場を離れて行動する人間が数人。彼らがこの国を裏切ったのだ。たとえ、彼らが特別な待遇を受ける特別な存在であっても、保護されるべき存在であっても、敵として戦うのであれば容赦はできない。
なにせ、敵になった彼らが集団になると非常に強力になるからだ。自分たち将軍が守っている東大陸随一の大国のデラリーム連邦であっても危うくなるほどだ。ゆえに人道に則っての彼らの生捕は難しい。殺害という判断はやむを得ないだろう。
「こうなればあまり悠長に構えていられませんね。すぐさま暴動の鎮圧ために部隊を各地に派遣するべきでしょう」
「……それも全部隊の全人員が、冒険者で換算した場合のAランク以上の兵士を、ですよね……」
「暴動の発生を緊急事態とし、本日の会議はこれで終了とする。……言っておくが中止ではなく延期だ。日程は後日連絡するから欠席はするな」
ロウタスのその一言に、他の6人の将軍たちは肯定の視線を返すと彼らは無言で続々と部屋を出て行く。彼らは指揮官であると同時に常人とは隔絶した力を持つ軍人なのだ。彼らも暴動の鎮圧のために前線へ赴くことになる。
しばらくは、同じ国の中の州同士で起こる利権争いは停戦になるだろう。そんなことにかまけていられる余裕はどの州にもない。
1分と経たないうちに先程まで議論で賑わっていた会議室は静まり返る。ロウタスはそれまで立ち上がっていたが、思い出したように近くの椅子に思い切り体重をかけて寄りかかり、重く溜め息をつく。
「……とうとう始まったか」
————同大陸、神聖国レインボー。
「もし、この事態がアイリアルが跋扈してた時に起こっていたら手に負えないところでした。うまい具合にタイミングがずれてよかったと喜ぶべきでしょうかね?」
「喜ばないでください。世界中で示し合わせたかのように同時に起こったこの暴動、もしかしたら……」
「世界規模の戦争になるかもしれないと、そう言いたいのですね。スピネル?」
「はい。それに何者かが裏で糸を引いているとしか思えません。暴動に参加している者たちは皆、強力な装備に身を固めており、加えて《不可逆論理》という見たことも聞いたことのない特性を有しています。また、個々の戦闘能力やステータスはそれまでの比ではないほどに急激に上昇し、前日までそれが全くなかったことから、何者かによって高度の隠蔽がなされていたと考えるのが普通でしょう。それに————」
大聖堂の教皇執務室、そこで桃髪の聖人とスピネルは目下最大の問題である暴動の情報を整理していた。
しかし、途中から聖人の耳にスピネルの言葉は届いていなかった。敵戦力がどれほどのものなのかを調べるために試しに大陸一帯を探査したその時、思いがけない、そしてもっとも待ち望んでいたものを見つけたからだ。
「(まさか、私と同じ特性を持つ者が、《完全身体》を持つ者が現れるなんて……! これは偶然なんかじゃない。正しく運命! ああ、早速、私の後継者にならないか勧誘しに行かないと! あと久しぶりにユウリ君にも会いに行って勧誘しないと。気が変わってるかもしれないし!)」
聖人にとってはとても重要な事実が発覚し、今すぐ会いに行きたくて気が気でないのだが、スピネルの前でウキウキするわけにもいかないと、ポーカーフェイスで表情を誤魔化しながら彼の報告が終わるのを待つ。自分の(後継者として)運命の相手である《完全身体》の特性の持ち主に思いを馳せながら。
————同大陸、天空国マジェス。
天空国マジェスは東大陸の中で最も狭い国だ。地上部分の面積では神聖国レインボーや中立国ポップの半分以下であり、隣国の、大陸の半分を手中に収める巨大国家のデラリーム連邦から見れば弱小国家以外の何物でもない。
一度、他国から侵略されれば、吹けば飛ぶように容易く支配されてしまうほど武力に劣る国だ。世界中探してもこの国のように自衛のための武力すらない国はまずない。
しかし、この国は今日も世界の地図に残り続け、常に隣国の脅威に晒されているにも関わらず、それらを全て撥ね除けている。
狭い国土に比例して少ない資源、自衛すらできない頼りない武力、他者との争いを好まない穏やかな気風の国民、他国への侵略を是とする隣国、これら全てがあってなお、独立を維持していられるのは、ひとえにこの国を治める王の存在あってこそだ。
それに狭い国土というのも、それは地上部分に限った場合だけだ。その国土の大半は空の上にあり、天空国マジェスは地上とその上空に階層状に浮遊する6つの合わせて7つの陸地からなる国だ。その陸地全てを合わせればデラリーム連邦と同等かそれ以上になる。
最も、この国の王はとんでもなく知略に長けており、圧倒的な戦力差を覆すほどの頭脳がある、というわけではない。それよりも分かりやすく、かつ圧倒的に理不尽な力を持っているだけのことだ。
「……フン、くだらんな。もうよい、下がれ」
天空国マジェスの最も高層にある陸地、第7階層は他の階層に比べるとかなり狭いが、1つの陸地全てが王の居城になっている特異な階層だ。それゆえ、住んでいるのはたった1人、この国を治める王だけだ。そこでは1人の少女が、自分の元を訪れた部下の報告を玉座の上で退屈そうに聞いていた。
常に燃え盛っているかのような赤い髪に深紅に染まった瞳、すらっとした体躯に高い身長、無駄と一切の妥協を許さない引き締まった肉体。
あどけなさを残しつつ、見る者を魅了する容貌、少女と呼ぶには余りにもアンバランスなその体は、どこか神々しさすら感じさせる。
万人の美しさへの憧れを一身に受ける完成された美の体現とも呼ぶべきその少女の名はマジェス。天空国マジェスの女王だ。
「クッソ蛆虫どもが……ッ! 私の国の土を無許可で踏もうとは、余程死にたいらしいな……!」
報告を終えた部下が居城の中の広大な謁見の間を去ると、マジェスは途端に威厳に満ちた態度をかなぐり捨てて本性を露わにして怒りを爆発させる。
「……まあ、攻め込んで来る者が強いのなら、コレクションを増やす絶好の機会とも考えられるか……」
マジェスはその感情の赴くままに玉座から立ち上がり、比例するかのような強力な熱を体から発しながら石造りの床を溶かし、憤怒に満ちた一歩を踏み出す。
しかし、彼女はなにを考えたのか、その場で立ち止まり、しばらく目を瞑る。少ししてなんとか切り替えて怒りを静めると、先程よりもゆったりとした歩みで居城の外へ向かって歩き出した。
————同大陸、中立国ポップ。
雲ひとつない青空の穏やかな昼下がり、人々は今日も変わらず永遠とも思える平和を享受し、日銭を稼ぐために労働に勤しんでいた。
しかし、その平穏を打ち破るかのようにどこからともなく耳をつんざく轟音が響いた。人々はその音に釣られるようにその方向を見ると、空の一部が夕焼けのように赤く染まっていた。この国のシンボルとも言える建物、評議会からとてつもない勢いで火が、煙が立ち上がっていたのだ。
それまでが平穏そのものだったせいか、平和ボケしていた人々は一体なにが起こったのか、さっきの音の発生源は一体なんなのか、騎士たちは、この国を守護する勇者は一体なにをしているのか、自分たちはどうすればいいのか、どうすれば助かるのか、なにもかもに理解が追いつかずに民衆は軽い恐慌状態に陥っていた。
評議会が炎上する光景を目にした誰もがこの平穏が終わったのだと悟り、助けを、救いの手を求め出す。
しかし、この場を、この異常事態を収めてくれるような英雄的存在はどこにもいない。
後世の歴史において『勇者戦争』と呼ばれる世界中を巻き込んだ紛争が始まった瞬間である。
結理「ん? なんか外が騒がしいな」
シルド「気のせい。速く初恋告白大会の続き続き」
高沢「(ここでアイアスさんの口を割らせるつもりなんだね……)」
なお、失敗する模様。




