第69話 竜人族
これまでの『竜の如き異様』は、
意識がおぼつかない中、ふらつきながらも立ち上がり、顔を上げるとそこには竜は大口を開けてこちらに向けている光景が見えた。喉元から口にかけてのその赤い輝きはいつぞやのワームを彷彿とさせた。
「あ……」
そこで問題だ! 竜の炎が届くこの一瞬の間でどうやってあの攻撃をかわすか?
3択―ひとつだけ選びなさい。
答え① イケメンの結理は突如反撃のアイデアが閃く。
答え② 仲間がきて助けてくれる。
答え③ 躱せない。現実は非情である。
結理「俺としては答え②を選びたい。だが都合よく誰かが助けに来てくれるとは思えない。やはり答えは①しかないようだな!」
しかし、朦朧とする意識の中でいいアイデアが思いつくことはなかった————。
絶望! 突きつけられた答えは③ッ! 現実は非情なりッ!!
「ゲホッ、ゲホッ…… お前ら……なんでこんなことをッ!」
岩と化した竜たちが魔力の粒子に還っていく————。
本当の答えは②であった……。
結理「……なんだ、この茶番……」
『やった、やったぞ! とうとうビショップを討ち取った! これで我が同胞たちの無念も少しは晴れるだろう。ふは、ふははははは!!』
意識を失っている結理の傍らで竜が誇らしげに、そう高らかに宣言していた。結理は、生きているのか死んでいるのか、それは不明だが顔色は青白く、鋭利な刃物のような質感を持つ竜の爪に貫かれた彼の腹部と、切り裂かれた腕からは夥しい量の血が流れ出ていた。
『ぐっ……しかし、既に一度死してコープスと化した私であっても、残された時間が残り僅かなのは変わりない。チェックメイトシリーズは皆、化け物。こいつがなんらかの手段でもって復活しないとも言い切れない。あと私にできることといえば、残りの力全てを込めた呪いをかけるだけだ』
この竜は北大陸にある竜人族の集落でのビショップとの戦闘により、既に殺されていた。しかし、その執念でもってコープスとして蘇り、生き残った竜人族をこの東大陸に逃していたのだ。
だが、復活しただけではなく、襲いかかる刺客から身を挺して同胞を守っていたためにかなりの負傷を負っていた。その時に結理と出会い、戦闘に発展したものの、竜自体は半端な強さのコープスではないため、いくら攻撃しても死なないのだ。そのため、結理の攻撃は無意味であったと言える。
同胞を守るために戦っていたとはいえ、この時点でこの「竜」としての精神は崩壊しかけており、相手を竜人族か否かを判別することはできても、それ以外の人や生き物の判別はできなくなっていた。しかし竜は自身の精神の変調に気づいておらず、「竜人族以外は全て敵、憎き共和国の尖兵、チェックメイトシリーズのビショップと同じ!」と思い込んでいる。
仲間を守るので精一杯で変調に気づく余裕がなかったともいえるが。
『貴様と道連れなど御免だが、コープスとなってしまった以上、誇り高き竜人族としては壊れかけている私はもう同胞の足手纏いにしかならん。私はそんなことは望まない。ここで大人しく地獄に落ちるとしよう。……さらばだ、我が友たちよ』
竜はこの場にいない友人たちに届くことのない言葉を言い残し、結理に呪いをかけ始める。彼の腹部に突き刺さった竜の爪が鬱血したような色合いの紫色に変色すると、その色が結理の体にも広がっていく。戦闘で破れた衣服から覗く彼の肌が毒に侵されるようにして紫色に染まっていき、そこを中心に血管のように浮き出たミミズ腫れが全身に広がり始める。
呪いは結理の全身に広がり、体を腐食させていき、それにつられるように竜の体がボロボロと崩れていく。命を代償とした呪いだ。いくら竜が強力な存在とはいえ、自分だけ助かるような都合の良いものではない。
勝者のない戦いは誰の目にも触れることなくここに終結した。
「これは……」
「族長! 返事をしてくれ!」
「分かっているはずだ。族長はもう……」
火柱が立って数分も経たないうちにその場に数人の男が現れた。本来なら檻が出現した時点で竜の元へ赴きたかったが、岩をドロドロに溶かして溶岩にするその温度に耐えられず、檻の外で足踏みせざるを得なかった。
彼らは皆、どこかしら負傷を負っており、疲労の色も濃い。しかし、そんなことを気にしている暇などないと、焼け野原になった場所とその周囲を重点的に彼らを纏める長を探し始めた。
「……お前ら、これを見ろ」
「これは?」
「族長の遺骨だ。白骨化している理由は分からないが、この魔力残滓、まず族長のものとみて間違いない」
「……あの方は勇敢だった。私は心からの敬意を表する」
「俺もだ」
「……族長が亡くなったのは分かった。だが、なぜ今なんだ? 理由があるはずだ。竜人族として死期が迫っていたのは分かる。だが、それは今日訪れるようなものではなかったはず。だというのになぜ……」
そのうちの1人が、焼け野原に散乱する灰色の大小やさまざまな形状の棒のような物体、つまり骨を拾い上げると、確信を込めてそう言った。
仲間たちが追悼の意を示す中、竜の死を確認したその人物が疑問を呈するも、その疑問への答えを持つ者はこの場にはいなかった。
「……追っ手」
「「「「!」」」」
そこに1人の少女が現れるまでは。彼女の口から零れた言葉にその場にいた全員が反応し、その方向へ顔を向けた。
「お嬢、また護衛をつけずに……お1人ですか?」
「だったらなに? 私、護衛が必要なほど弱くないけど」
その少女は竜人族の族長の娘で、ゆくゆくは自分たち竜人族を率いていくであろう存在。しかしまだ幼く、正統な後継者になる前の子どもだった。だが、族長亡き今は彼女が新たな族長なのだ。その身を案ずるのは当然と言えるが、当の少女は不服そうだ。
「それは重々承知しております。しかし、この世界には想像を絶するような猛者が、それこそ無数に存在しています。お嬢がいくら強く、どれほど敵が弱かったとしてもたった1人では戦いにすらならない場合もあり得ます。……それに勇者なる異邦人は猛者と呼ぶほどではありませんが彼らもまた強力な存在。彼らはお嬢より弱いでしょう。しかし、どうか彼らにはお気をつけを。どうやらこちらの世界の常識は彼らには通じないようですので」
「どういうこと? 彼らも人間のはずよ。そこまでの価値観の違いが、私たちの住む世界と彼らの住む世界にあるとでも言うの?」
「そこはなんとも言えません。なにせ向こうの世界に行った者も帰って来た者も私は知りませんから」
「別の世界には別の世界の常識がある、そう言いたいわけね?」
「……いや、彼が言った常識というのは、お嬢の言う常識とはニュアンス的に多分違うと思うんですが」
「どういう意味?」
先程まで話していた人とは別の人が彼の言わんとしていたことを捕捉する。その介入に少女は自分の考えが覆されたせいか、不機嫌そうに眉を顰めて問う。
「理由は分かりませんが、大半の異邦人には『常識』というものがないんですよ。有り体に言えば、人としてできて当然のことを行う能力を故郷の世界に忘れてきたような……そんな人間が異邦人、もとい勇者です」
「……異邦人の住む世界ってどうなってるのかしらね」
「それは分かりません。ですが、そういった特徴のある人間ばかりがこちらの世界にやって来るものなのでしょう。でなければその世界は滅んでいますよ」
「……でも私たちが探している『竜鬼』だって異邦人だっていう話でしょう? その人もまともじゃないってことにならない?」
竜人族は北大陸の西方の沿岸から森にかけて集落を作り、そこで暮らしていた少数民族だ。
その集落をさらに西へ、海へ出て沖へと進んでいくとそこに『強欲の魔王領』がある。ドラゴンたちの住まう国だ。その昔、彼らもそこでドラゴンと同様に暮らしていた。しかし、そこに住むドラゴンのうちの魔王やその側近、権力者たちといった自尊心の強い一部の者たちはドラゴンと人間のハーフの竜人を自分たちと同じ種族だとは認めないという、排他的かつ選民思想の強い理屈でもって竜人たちを半端者と呼び蔑み、彼らを魔王領から追い遣った。
同族であるはずのドラゴンたちに迫害され、彼らは北大陸の西の隅に逃げ延びた。そのことがあったのは大昔のことだが、今もドラゴンたちと竜人族の関係は変わらず悪く、事あるごとにいがみ合っている。
ある時、未来を見る力を持つ族長が生まれ、その族長が『竜鬼』と呼ばれる、彼らの救世主となる存在がいずれ現れると予言した。その族長は、今までも予言でもって彼ら竜人族を導いてきた。百発百中の予言、ならばその予言も当たるのだろうと信頼されていたが、その存在が現れることはなかった。しかし、今までの的中率からみて、これだけ外れるのはおかしいと、いつかその『竜鬼』が現れる日は本当に来るのだと、伝え続けられた。
そしていつしかその予言は伝説じみたものへと変わっていき、今では当の竜人族の中でも御伽噺程度の認識になってしまっているが、その『竜鬼』の存在を信じている者は少なくない。
「ええ、大半が、とは言いましたが、全員とは言っていません」
「また屁理屈を……」
少女は呆れて背を向けると、夜空を見上げた。彼女は憧れていた。何者をも救う力を持つ『竜鬼』という予言の存在に。そして、その存在がいつか自分の目の前に現れる日を夢想していた。
「(……また、俺は誰かに助けられて生き延びたのか……?)」
酷く体が重い。視界は闇に閉ざされ、音も聞こえない。右腕の感覚がない。自分が宙に浮いているのか、はたまた水中で溺れているのか、それとも土に埋もれているのか判然としない。
ただ、大切ななにかが体からどんどん零れていく。そんな気味の悪い感覚しかない。
「(俺、どうなったんだ? 確か……えーっと、なんだったか。……確か、竜に爪で腹部を攻撃されてそこから意識がない、ということは腹を掻っ捌かれて意識を失ったんだな。なら俺は死んだってことになるのか)」
もう、それでいいや。と意識を手離しかけて、ふと朗らかに笑うニオンと燃香の姿が思い起こされた。もう戻れない、いつかの光景。
戻りたい、でもそんな日が来るとは思えない。そんな諦観とともに意識が遠退いていく。
だが、笑顔を浮かべる2人の姿を上書きするようとに、灰になった燃香と、胸から下を失って無残な姿になってしまったニオンの遺体が目を焼く。
負けたくないと思った竜との戦いは俺の敗北で終わった。2人が死んだ過去はきっと変えられない。それでもまだ俺の人生は終わっていない。2人に助けられたのなら、その先を願われたのなら、まだ終われない。
「(……死ぬのは嫌だ。まだなにもしてないっていうのに……それに俺が死んだらニオンと燃香は無駄死にじゃないか。……嫌だ、そんなの絶対嫌だ! 無駄になんかさせるか!)」
その瞬間、自分自身を強く認識できた。それまで形のなかった空気を凝縮し、さらに凝固させて固体にしたかのようにあやふやになっていた自分という全てを1つにまとめ、死の底から取り戻した。
『その意思を待っていた』
「誰だ?」
『私に与えられた名はファフニール。私たち竜の力の魂の寄る辺、葉桜結理。今までずっと待っていた。お前がその意思を持つことを』
「……なんで今なんだ? 無駄にさせないってのは前々から本心で思っていたはずだぞ」
真っ暗な空間の中で形を取り戻した俺は声のするような気がする方を向いた。しかし、そこに声の主の姿はない。テレパシーで語りかけているのか、姿はどこにもなかった。
『願いというのは、それを実行に移せる能力と果たすに足る意思がなければ何者であってもなし得ない。お前は2人の意思を無駄にさせないと常々思っていると言ったな? だが今までは私、ファフニールに意思が存在していなかった。その程度の思いではダメだったということだ。しかし、今この時、お前の心の実現を可能にする意思を得たからこそ私はここに、初めて存在できるようになった』
「どういう意味だ? まるで、最初はお前に意思がなかったみたいな口振りだが?」
『その通りだ、葉桜結理。竜の力自体に意思がなくとも能力は使える。だが、それでは本来のスペック以上の成長は見込めない。しかし、それでは元の世界と比べて厳しいこの世界を生き抜くことはできない。だからこそ我々の魂の寄る辺で、主人である葉桜結理を守るために意思を獲得し、お前がただその力を見に纏って振るうのではなく、共に戦おうと竜たちは誕生した。しかし、お前はファフニールの竜の力と相性が良すぎた。本来なら半ば強制的に竜に意思が芽生えるはずが、それを押し退けてお前自身が竜の力を纏って戦えていたほどだ。意思の欠如と相性の良さゆえにファフニール自体に意思が入り込む余地がなかった。しかし、お前はさらに成長し、その力が私を誕生させた。……さあ、現実の世界で目を覚ませ。まだなにも終わっていないのだろう?』
「! ああ。当然だ。お前の、ニオンと燃香の期待に応えてやるよ!」
俺の返事にファフニールの満足げな表情が見えたような気がした。暗い夢の世界が砕けていく。辺りに満ち溢れた光は俺を照らしていた。ニオンと燃香がどこかで見守ってくれている、そんな感覚とともに俺の意識は浮上していった。




