第65話 怪鳥石と聖人
山頂での他国の勇者との戦闘を終え、ボロ雑巾になった彼を見てふと我に返った。他国の勇者に手を出し、あまつさえ再起不能に近い負傷を負わせるという絶対問題になることをしたと、そしてその危険性に気づいた。
普通に口封じすればよかったかもしれないが、それをなんの躊躇いもなく実行できることがいいことではないと自分に言い聞かせて止めを刺そうとするのは止めた。
どうしようかと思い悩んでいると、山頂を覆うようにして内と外を隔てていた結界は勇者が気絶すると同時に消え、山頂からの脱出を阻むものがなくなり、逃げられるようになっていたことに気づく。だがそのまま逃げては確実に目立つし、背後への追撃もあり得た。
しかしあの時、取り巻きの1人が使った水魔術が赤熱した《硬化武鎧》に当たったことにより発生した水蒸気がいい目眩しになったこと、それが結構な水勢だったようで《点火》で発生していた熱が一瞬で冷却できたことで行動不能にならずに、なんとか背後を気にせずに山頂をあとにできた。
帰りは極力魔物との戦闘を避け、焦らずにしかしできるだけ急いで登山道を下った。
行きはともかくとして帰りは狩った魔物の素材は時間短縮のために取らずに放置した。なんとか1合目付近にまで戻ると再び登山用の重装備に身を包み、手続きを終えて入り口の受け付けを通過する。
俺はたった1人でも無事に下山し、麓まで辿り着けた。それを実感し、ニオンと燃香に並び立てるようになったのだと思うと、ゼロリアル相手になにもできなかった過去から自分が少しだけだが成長できた気がした。
ここ最近は依頼を1日に10件以上受けてそれを当日中に達成するという荒行染みたことをしていた。ギルドの受け付け職員に過労死のことを説かれてからは1日10件以上から3、4件に抑えて活動しているが、それでも他の冒険者パーティよりもかなり多い。
そもそも冒険者はパーティを組むもの。それを俺は単独で、しかも普通にパーティを組んでいる冒険者よりも多くの依頼を受けて達成している。
しかし、今日の活動は登山だけ。登山なら普段からやっているのでそれ自体はさほど疲れない、そう思っていた。だが、そこに強力な魔物との戦闘や《熱暴走》、点火の倦怠感も加わると話は別になる。
結果、拠点に戻るや否や倒れ込むようにしてベッドで横になると、普段よりも疲労困憊になっていたことを自覚するよりも速く、そして瞬く間に眠りに落ちていった。
それからどれくらいの時間が経ったのかは分からないが、ふと何者かの気配を察知すると半ば強制的に目が覚める。
異世界に来てからの俺はこの拠点以外で眠ったことはほとんどない。なにせスキルの効果で気配を感知しやすくなっており、さらに元の世界とは違って命の危険が身近にしかも大量にあるのだ。そのせいか、外ではあまり安心して眠れない。ここでは誰にも邪魔されずに朝まで熟睡できるはずだったのだが、今日は事情が違ったらしい。
布団から這い出て辺りを警戒しながらその気配を探る。出所は意外に近く、ベッドから出て10秒も経たずに辿り着いた。
「おめでとう、無事に怪鳥石を採ってこれたんだね。ご苦労様」
縁側にいたのは俺に試練を与えた張本人、桃髪の聖人だった。彼女は月明かりを浴びながら縁側近くの柱に寄りかかっていた。その穏やかな瞳は星空を見詰めており、俺にはその姿が戻れない過去を思い出して感傷的な気分に浸っているように見えた。
俺が間近に接近すると、彼女はそれに気づいた素振りを見せながらこちらに振り向いて、勝手に人の家に上がり込んでいるというのに何食わぬ顔で微笑を浮かべながら、試練を乗り越えた俺を祝福した。
しかもその手には、俺が苦労して手に入れた怪鳥石があった。それ、割と厳重に保管していたはずなんだが……。
「まあ、怪鳥がいなかったからだけどな」
「でもその代わりに他国の勇者と戦ったんでしょ? そして1人で、しかも引くくらいにはボコボコにした。そこまでできればニオンと燃香に並び立ったと言っても過言じゃないよ」
「……なんで知ってるんだよ」
「さあ? なんでだろうね?」
「はぁ……。ところで怪鳥石ってなんなんだよ? 巣の中に落ちてたが、本来はどこにある物なんだ?」
その光景を思い浮かべているのか、彼女は心底愉快そうに笑いながら俺と勇者の戦闘を振り返る。それを見て覚えた疑問を桃髪の聖人にぶつけるが、俺の問いに大袈裟に肩を竦めてみせるだけだ。やっぱり答える気はないようだ。
その代わりとばかりに手に入れてから気になっていた怪鳥石の出所を問う。やはりラッコの持つ石のようにどこから調達されるものなのだろうか?
「これがなにか知らないで取りに行ったの? ユウリ君って意外とぬけてるね。これは怪鳥の雛が食べた餌の中の消化、吸収できなかった栄養や食物が体外に排出されたものが固まってできるんだよ」
「うんうん……って! つまり排泄物かよ!」
「そうだよ。ふふ、ユウリ君は怪鳥石をなんだと思ってたのかな?」
「う……てっきりそういう名前の謎鉱物だとばかり思ってました」
「あははははは!!」
桃髪の聖人は人を小馬鹿にするような笑みを浮かべながら問う。それに対しての俺の苦し紛れの解答がおかしかったらしく、お腹を抱えて笑い出した。さっきまで考えていたラッコ云々のことを告げればさらに笑われていたな。言わなくてよかった。
「なにもそこまで笑わなくても……」
「で、どう? 少しはマシになった?」
「マシ?」
ひとしきり笑うと彼女は急に表情を作り、問いかけてきた。相変わらずの微笑みと優しい声色は俺に問う時もその様子に変わりないが、表情も声のトーンもどこか真剣みを帯びていた。
しかし、俺はその「マシ」という言葉だけでは、彼女の意図や真意を察することができずに、桃髪の聖人を見つめながら首をかしげて問い返していた。
「うん。1人きりになって、こうしてあなただけしかいない拠点で過ごしても大丈夫になった?」
「それは……」
「私から見ると結構マシになったように思えるけど、違う?」
彼女の問いに俺は息を呑んだ。まさか桃髪の聖人がそこまで俺のことを見ているとは思ってもみなかったからだ。てっきり、後継者云々以外の対応は全て気紛れで接しているのだとばかり思っていたが、違ったようだ。
「……どうなんだろうな。俺自身よく分からない。でも多少は前向きになれた、のかもしれない」
「それは上々。目標を持って未来を見据えられるようになれば、今の状況が悪くても俯かずにいられる。そ・れ・と、可愛い女の子に気を遣ってもらったからって理由も大きいように私には思えるけどね」
「あれは違うだろ。……でもまあ、少しは救われた」
あの時、高沢が心の底から悲しんでいる姿を見て、悲しんでいるのが俺だけじゃないこと、2人のことを知っているのが俺だけじゃないこと、2人の存在は過去のものではないのだということも気づけた。そのお陰で俺は自分自身を見つめ直し、これからを、未来を見たいと思えるようになり始めていた。
高沢と久しぶりに出会ったあとに3人で始めた勇者会での他愛のない雑談、青葉さんと高沢には知らず知らずのうちに助けられていたのだ。しかし、なぜそれを桃髪の聖人が知っている? さっきの他国の勇者云々のこともそうだが、まさか彼女は俺を1日中ストーキングしているのか……?
「よかった。これから私の後継者になるかもしれない子が精神を病んだら困るもんね」
「一応言っておくがその気は全くないからな」
「つれないなー……」
桃髪の聖人の溜め息の混じった残念そうな返事ともに、場は会話を始める前までそこにあった沈黙に再び包まれる。
しかし、たとえ無言でも今の俺にはこの空気が心地よかった。1人きりではないこと、誰かがそばにいること、こうして会話ができたことがなによりも嬉しかった。
「……なんで俺なんだ?」
「なにが?」
「とぼけるなよ。なんで俺を後継者にしようとしてるんだ?」
「目が気に入ったから」
「目?」
「うん。大切な人を失って今にも死にそうな目をしてる君が気に入ったんだよ。……それにしても腐った魚みたいな目してるけど生きてる? 実はもう死んでたりする?」
俺の問いに真面目に答える彼女だが、途中からさも心配そうに顔を覗き込んできたり、人のことを死人呼ばわりし始める。
失礼な。気づいたら吸血鬼の眷属にされてたことはあるが、気づいたらコープスになってたことはないぞ。……今のところ。
「いや生きてるわ。ってか今の理由だとお前が気にいるヤツはこの世界に相当数いると思うんだが? もしかして実はめっちゃ断られてるとか?」
「後継者の勧誘をするの、これが初めてだよ? 私のお眼鏡にかなう人がなかなかいなくて困っててさ、後継者探すの諦めかけてたんだよね。でも、そこに君が現れた。これはもう運命だ! って思ったから声をかけたの。別に選り好みしてるわけじゃないんだけど全然見つけられなくてね……」
「この前は人殺しの才能が云々って言ってたが、あれはなんなんだ?」
「あれも本当。付け加えるなら、まともな精神してて、なおかつその才能がある。そして人としての一線を越えても壊れない。これが聖人の後継者の絶対条件」
……それは確かに少ないだろうな。
才能を生まれつきのものだと仮定すれば、その数は当然少なくなる。「まともな精神をもつ人」というのがどういう定義か分からないが、疑うべくもない善性をもつ人は少ないだろう。そしてそれが変わることがないとするのならさらに少ない。さらに彼女のお眼鏡にかなう人物で、しかも直接巡り会わなければならない。一生に一度も巡り会えない可能性の方が高い。
というか、そもそも俺ってまともな精神持ってるのか?
「嬉しくない才能だな。生きづらくなるだけだろ」
「あったほうがこの世界を生きやすいよ。……じゃあそろそろ私はお暇するね。後継者になりたくなったらいつでも呼んでね」
「こんなに断ってるのに、ぶれないな……」
「ぶれないのは重要だよ。じゃなきゃ数百年間も後継者探しなんてやってられないからね」
こんな可憐な見た目して実はとんでもない長生きだったのか。だが、ファンタジーテイストな頭髪や目の色を除いた外見の特徴から見ると、彼女は人間にしか見えない。何事も見た目で判断するのはよくないが、桃髪の聖人が人間以外の、それも長命な種族ではない可能性が高い。
ならこの若さは一体? とんでもない禁術にでも手を染めているのだろうか……?
「1つ聞いていいか?」
「なにを聞くかにもよるけど、なに?」
「どうやって拠点に入ってきてるんだ?」
「どうして知りたいの?」
「もしここが絶対安全圏じゃないとしたら、いろいろ対策を取らないといけない。そのヒントのために知っておきたいんだ」
「まあ、未来の後継者の頼みなら別に構わないよ。私は、この空間を創ってる存在にここに入る許可をもらってるから割と自由に行き来できるんだ。もしその存在から本気で拒絶されたら私でも侵入するのは無理だし、この世の誰も侵入できない」
「その人物って誰だ? 邪龍か?」
「邪龍ではないよ。君はあったことないだろうけど、いつも近くにいて、君にかなり近しい人物だね」
桃髪の聖人は邪龍に名前がついたことを知らないだろうからミルと呼ぶことはしない。あと敵対してるらしいし、名前を知られたらマズいことになるかもしれない。主に俺が。
そう言い残すと、怪鳥石を俺に手渡し、縁側から腰を上げ、地面に置いてあった靴を履いて家を出た。彼女は笑顔で手を振ると背を向けて夜の森の中に歩いていき、姿を消した。気配も消えたところから察するにこの空間から出たのだろう。
……というか、そう簡単に許可を出されて行き来されては困るのだが。しかも、許可出してるの誰だよ? 全く心当たりないぞ。




