第61話 いざ、キャドン山へ
神聖国レインボー、そんな名前の国があったのは今は昔のことだ。それは統治者や国の名前が変わったから過去のものになったというだけのことではなく、国家の仕組みや本質的な意味合いが別物に変貌したことを意味している。
それまでは教皇を頂点とした絶対君主制染みた政治体制が敷かれ、教皇が属する派閥の神官が利権などの甘い汁を啜り、敵対派閥は教皇一派の粗を探す、という足の引っ張り合いが年柄年中起こっているような国だった。
教皇や敵対派閥の暴走により起こったアイリアル復活、さらにはその災害でこの国は傾き、いつ他国の侵略によって滅ぼされてもおかしくない状況に陥った。
国を覆っていた結界は破壊され、冒険者ギルドや教会、騎士の拠点や、国にとって重要な中枢機関はアイリアルによって徹底的に破壊されており、色彩騎士隊は3分の1が死に、残りの半数がアイリアルから逃げるために国外へ。
国の権力者たちはなぜか、アイリアルとの戦いが終結したのち、偶然事故に巻き込まれるなどしてほとんどが死んだ。暗殺されなかった勇者2人は亡国に用はないと、アイリアル復活時点で国外へ逃亡。
今、この国を治めているのはスピネルというゴーストと桃髪の聖人のたった2人だ。この国が滅ばずに辛うじて生き長らえているのは、早期の対応が対応があったからだ。各地に石碑が建てられたことでアイリアルたちの数は段々と減っていき、今では鎧武者のような風貌の個体が数体残るのみ。
改革の邪魔になるであろう利権に塗れた神聖国教会は解体され、代わりに新しい教会が設立された。神聖国教会時代の神官は一新され、桃髪の聖人の面接で選ばれた常識的な思考の神官が高位のポストにつくこととなった。
桃髪の聖人の姿はかなり正確に現在にまで伝わっており、面接の際にバレることを案じた聖人は変装して臨むことにした。だが、なぜか面接を受けに来た神官の大半に初見でバレた。彼らは伝説の存在である聖人に出会えた喜びに、今も存在している奇跡を目の当たりにし、感涙に咽び、しばらく会話できない状態に状態になった。
生まれてからこの方、常に柔和な微笑を浮かべ、それを崩したことはなかったと自負している聖人だったが、目の前で泣き崩れる神官を見て、この時ばかりは盛大に顔を引き攣らせた。
その後始まった本格的な建て直しのために裕福な者を中心に国中から富は接収され、災害からの復興に充てられた。そんな中、自分から財産を収める者が現れ始めた。彼らが言うには、今まで貯めてきた財産はこの時のために、聖人のためにあったのだ、とのこと。どこからか今のこの国を治めているのが聖人だと漏れたらしい。聖人は再度引き攣った顔をした。
生き残った国民はトップの首が挿げ替えられていることを知らず、明日も分からない今の生活に腐心する。しかし、スピネルと桃髪の聖人、新しい教会の神官によって状況は次第次第に好転していった。この国が本来の、いや、それ以上の活気に包まれる日も近い。
ゼロリアルが聖人の手によって倒されてから1週間が経ち、スピネルはそれまで全く経験したことのなかった書類仕事にも慣れ、復興も着実に進み始めた頃のことだ。石碑の設置がひと段落して久しぶりにスピネルの元に桃髪の聖人が現れた。
2人とも丸一日活動していても疲れないスタミナの持ち主なのだが、体は1つしかなく、得意不得意がある。それに国家を運営するのだ。必然的に人手は必要になってくる。
なお、スピネルは書類の処理や国家運営のための人員の配置といった役所仕事を担当し、軍事や改革を断行するのは桃髪の聖人。2人は仕事を分担してこの短期間で国家のほぼ全ての機能を復旧させていた。
「……あなたを信仰する国をこんな簡単に、しかもあなたを必要としない国家に変えてもよろしいのですか?」
それまでは教皇の執務室だった部屋で、今はこの国の仮トップの片割れであるスピネルが、書類片手に桃髪の聖人に問いかける。
神聖国レインボーは桃髪の聖人を信仰する国だ。自国民にとっては周知の事実だが、他国の人はそのことをあまり、というよりほとんど知らない。国のトップも国民も大手を振って宣伝しているわけではないし、信仰とは慎ましやかに行うもの、という彼らの信条がそれを内密なものにしていた。
しかも「なにを信仰してるかなんて言わなくても分かるよね?」というスタンスなので、ほとんど自分たちの口からは言わない。聞かれても、「えっ? 知らないの? いや知ってるよね? なんでそんな当たり前のことを聞くの?」と一笑にふされてしまう。
権力が絡む上層部は腐っているが、聖人に対する信仰に関して言えば他とは違ってかなりまともだ。
他国や他人の信仰する存在を悪魔に貶めたり、異端扱いや魔女狩りなどしないし、神の名の下に云々もないし、聖戦だと言って他国に喧嘩をふっかけたりもしない。自分たちの信仰する存在を貶めた人を殺したり、それをなして死んだ信者を教会が殉教者扱いもしない。
「アイリアルをこの世界から排除するにはそれしかありません。世界中に潜む彼らを消していくのではなく、まずはこの国に根づいているアイリアルを全て消し去るのがベスト。国の方針や信条など知ったことではありません」
「だからといって邪魔な権力者たちを皆殺しにする必要性ってありましたか?」
「必要です。急な改革に一定数の反対派が生まれるのは回避できません。それに今は復興のために、他国の侵略を防ぐために、有象無象と議論を交わしているような余力は私たちにはない。ですので手早く済ませました」
「ところで国の名前はどうします? せっかくですし、変えませんか?」
「必要ありません。この国が健在であることを他国に示し、アイリアルを撥ね除けるほどの武力があることをアピールするために名前は変えません。そうすれば無闇に侵略してくるような国はいなくなるはずです」
「ですが、仮に侵略された場合は?」
「私が結界を張ります。それだけで事足りますから。それよりこの国を去った勇者はどうなりましたか?」
「デラリーム連邦へ向かった可能性が高いと思われます。天空国マジェスを突っ切って向かってのではなく、そこを迂回し、中立国ポップを抜けてデラリーム連邦に向かったかと。隣国の天空国マジェスは勇者に否定的なスタンスをとっています。場合によっては無抵抗で亡命しただけであっても軍隊を差し向けられる可能性がありますから……。それ以外には、海路を使った可能性もあります。それから他大陸に向かった可能性も……」
「居場所の特定は難しい、ということですか。まあ、有象無象は放置しておきましょう。どうせ大した実力ではありませんから」
「この国を去った色彩騎士隊への対応はどうしますか?」
「戻ってくるのであれば面接を合格すれば再度雇うことを広めておいてください」
「承知しました」
スピネルと桃髪の聖人の一問一答の形になっており、しかも非常に事務的な会話は引き伸ばされることなくすぐに終わった。最早それは会話と呼べるものではなかったが、2人はそれなりに長い付き合いで、意思疎通は一言二言で済むくらいにはお互いのことを理解していた。
スピネルの返事を聞くと聖人は再度、石碑の設置や残存アイリアルの討伐に赴くために部屋を出る。1人だけになった執務室ではペンの音が機械的に響くだけだった。
高沢たちとの勇者会を終えた俺は2人と別れて拠点に戻っていた。理由は単純、これからキャドン山に登るためだ。勇者会が終わって街を歩いていると、今の天気は絶好の登山日和だと聞いた。この機会を逃しては1ヶ月単位で足止めを食らう可能性があるとも聞いたし、なにより、もっと強くなりたいのだ。多少無茶でも何ヶ月も待っていられない。
幸い、登山の準備は桃髪の聖人から試練を言い渡されたその日に済ませてあるので、あとはその場所に行き、登るだけだ。
キャドン山は中立国ポップの北側、デラリーム連邦との国境近くにある巨大な山脈だ。この世界で使われている単位と俺の世界の単位が違うからなんとも言えないが、多分富士山より高く、しかもそれが無数に連なって山脈を作っているような山だ。
生息する魔物もかなり強く、Cランク未満の冒険者は入山できないほど。しかし、仮にCランクの冒険者が万全の準備を整えてパーティを組んで入山したとしても6合目までが限界だ。そこから先は加速度的に魔物が強くなり、山頂に近くなると手練れのAランクの冒険者パーティでも危ういほど。Sランク冒険者でもない限り山頂からの眺めを拝むことはできない。
キャドン山に限らず、山はとても危険な場所だ。天候は変わりやすく雨風による低体温症、高山病や情報不足による遭難などなど。万全の準備を整えて挑まなければどんな超人でもアッサリ死ぬ。過去には対策を怠ったせいで死んだSSランク冒険者がいたらしい。
しかし、どこの世界にも命知らずはいるもので、今日もキャドン山の麓は賑わっていた。至るところに冒険者用の店が立ち並び、熱心に客を呼び込み、鎬を削っている。
俺は手ぶらでいつも通りの軽装だが、ほとんどの冒険者は動きを阻害しないレベルで登山のための装備を身につけ、パーティの中に1人は荷物持ちとして雇われているポーターらしき人がいた。
勇者でもない限り武器や消耗品などの装備は常に持ち歩いていなければならない。しかし、山に登る以上、登山用の装備もいる。だからこそポーターを雇って登るのだ。
「(……まあ、俺には必要ないけどな)」
冒険者で溢れかえっている通りは、その人通りの多さと、それぞれの人が自分の行きたい方向へ向かおうとしているせいで思ったような方向へ進めない。人の波に揉まれてしばらくの間右往左往したのち、やっとの重いで登山道の入り口へ辿り着くと、既に大量の冒険者の行列ができていた。
さすがに手ぶらでは入れてくれないだろうと考え、重装備で身を固めて行列に並び、順番が来るその時を待つ。どの冒険者もしっかりとした装備を持ち、数人のパーティを組み、ポーターを連れていた。俺みたいに1人の冒険者もいたが、ああいうのは例外だろう。
30分かそこらの間大人しく待っていると、俺に受け付けの順番が回ってきた。冒険者証を提示し、いくつかの質問に答えて問題がないことが確認されると、入山に関しての注意事項が説明された。
救助自体にかなりのリスクを伴うため、救助隊が存在しないため救助がないこと。他の冒険者に危害を加えると場合によっては極刑レベルの重罪が下される(過去にいろいろとあったらしく、再発防止のために重くなった)こと。無理をしないことなどなど。受け付け職員が言う注意事項はモラルに反しない限りは問題ないものばかり。だが、そのモラルが守れない人がいるからこそルールは作られるのだが。
かくして俺にキャドン山への入山許可が降りた。絶好の天気、万全な準備、十分な経験、コンディションは抜群。あとはここに頼もしい2人がいれば、とそこまで考えて切なくなり、俯く。
忘れられるはずがない。いや、忘れないために俺は戦っているのだ。別に死に場所を探しているわけではない……そのはずだ。
キャドン山に入山し、登り初めて既に6合目。ここまで苦戦することなく進めている。ゴマくらいにしか見えないほど遠いが、前後に見える冒険者も苦戦する素振りはないが、段々とその数を減らしている。自分の実力では無理だと判断した冒険者は早々に下山に移っていた。それでも無謀にもさらに上を目指そうとする者は、パーティメンバーによって引きずられて下山していた。
冒険者たちは列になってぞろぞろと登山しているのではなく、パーティごとに分かれて別々の道を提示され、そのルートを登っていく。密集することを避けるために、前の冒険者が出発してから一定の時間を空けて次の冒険者が出発する。という仕組みになっている。
「……拠点には入れない、か」
魔物が散発的に現れるもそれを捌いて悠々と歩いて行く。現れるのはまだCランク程度の魔物らしく、擦り傷すら負うことがない。ちなみに今の俺は荷物を拠点に送り、重装な装備からいつもの軽装に戻っている。
どうやらキャドン山はダンジョン扱いらしく、荷物の出し入れこそできるが、疲れたから拠点で休む、みたいなことはできないようだ。……まあ、それができたら頂上まですぐに行けてしまうし、手段さえあれば誰でもズルできることになる。
『初心者の洞窟』のような純正ダンジョンとは異なり、ダンジョン扱いであっても転移が使えないだけの場所も多い。そういった場所は小型の魔物であっても素材だけを残して消滅しない。ここもそのケースに該当する。
「……っ、来たか!」
目や口、足首に赤い炎を轟々と燃やすヘルハウンドという黒い犬型の魔物が襲いかかってくるが、《硬化武鎧》を纏わせてブレードでもって迎え打ち、豆腐でも切るかのように容易く両断する。
だがそれで終わりではない。4合目を越えると群れで行動するようになるのか、たった今切り捨てた魔物の後方、つまり俺の前方からあと10匹以上のヘルハウンドが高速で駆け、迫る。そうなれば仮にCランクの魔物であっても油断できない。
だがここで死んだり、引き返すことを選択せざるを得ない状況に陥るようなヤワな経験をしてきたのなら、自暴自棄になっていたこの1週間のどこかで確実に息絶えていた。
この程度の敵に負けてなるものか。




