第55話 降臨
「……貴様か」
「久しぶりですね。ゼロリアル」
結理たちに迫っていた圧倒的な闇はある人物がその場に立っただけで掻き消された。その人物がなんなのか、ゼロリアルは理解していた。100年前、自分が売った喧嘩を買いに現れた吸血鬼との激戦の末に弱ったところを、この人間に道連れにされる形であのステンドグラスに封印されたのだ。忘れられるはずもない。
「桃髪の聖人、また私を封印するのか?」
「いえ、100年前とは状況が変わりました。今回は倒します」
トレードマークにしてチャームポイントの桃色の髪に、憎たらしいほど整った容姿、機能性などないただただオシャレなだけの格好。(服装に関して言えば以前と変わっていたが)なにをとっても100年前と変わらない。それがゼロリアルをさらに苛立たせた。そして聖人のその返答がさらにゼロリアルを苛立せる。
「世迷言を。お前は私を倒せないから封印するという手段しか取れなかったのだ。それを、今さら現れて倒す? バカバカしい」
「あなたは私と戦ったこと、ありませんよね?」
「……だからなんだ」
「なら、あなたの方が強いという持論の根拠はありませんね。時間もないので手早く済ませましょう」
「ッ!! ほざけ! 人間風情が!」
「真意解放」
近くにあった、半ばから折れたニオンのレイピアをすばやく手に取る。聖人の言葉はレイピアをその存在を塗り替えるようにして片手剣に変化させた。意匠が別物の、そしてより洗練された剣に変わってはいるが、それ自体に特殊性は感じられない。しかし、元のレイピアでは折れていたはずの刀身が、どういう仕組みなのか変化した際に復元されている。
一方のゼロリアルは本気で聖人を討つべく先程までとは比較にならない規模の黒いビームを放った。アイリアル専用の攻撃能力である告示単眼閃の上位能力、告死単眼光を、今日の今までの戦闘で放った闇の攻撃の全てを軽く上回る量のそれは聖人を押し流し、神聖国レインボーの半分を消滅させるはずだった。
しかし、
「ふッ!」
構えた剣を上段から素振りのような気軽さで振り下ろす。ただそれだけの動作で放たれた闇は切り裂かれ、しかもそれと同時に塵すら残さずに消滅し、放たれた黒光がどこにも被害をもたらすことはなかった。さらに、
「……」
ゼロリアルは2つに裂かれ、完全に沈黙していた。ゼロリアルにとってはなにが起こったのか、なにをされたのかも分からない幕切れだった。ゼロリアルはそこから仰向けに床に倒れると同時に、己が放った技と同じように塵も残さず消滅した。使用者がいなくなったせいか、市街地上空にあった白い球体も消滅し、暗雲も晴れ始めた。
時間にして1分も経たずに世界滅亡の危機は回避されたのだ。
「……スピネル」
「あなたに、ユウリさんにつけてもらった名前で呼ばれるのは少し感慨深いですね」
桃髪の聖人は、いつのまにか背後に現れたゴーストの名前を呼ぶ。
霊体から機械の実体に外見が変わり、名前が与えられたくらいで自身の配下が分からなくなるはずもなく、スピネルの方へ振り返った聖人は過去を懐かしむように顔を綻ばせた。
「……すみません、私が他者に名前をつけることができないばかりにスピネルには苦労をさせました」
「いえ! あなたが気に病むことなど少しもありません。あなたには私に居場所を、本当の心というものを教えてもらいました。苦労なんてありませんよ!」
「……ありがとう。スピネル、私はしばらくこの国に残り、アイリアルの復活防止のために各地に石碑を建てます。あなたは為政者不在のこの国を政治的に支えてください」
聖人は一度顔を綻ばすも、自分の不甲斐ない過去を思い出して、すぐに顔を曇らせてしまう。その表情を見たスピネルは慌てた様子でフォローし、その気遣いに、聖人はまたすぐに嬉しそうに微笑む。
「分かりました。しかし、あの石碑、味気なさ過ぎませんか? もっと祭壇っぽくしてもよいのでは?」
「その程度のことで自己主張しても無意味です。第一、あなたに任せた大石碑、いつのまにか原形がないレベルで改造してあったのですが、さらに石碑としての効力も落ちていましたが、それはどう弁明しますか?」
石碑の形は縦に長い台形に見える四角柱で、高さは1メートルほど。祭壇とは異なり、そこまで目立つ代物ではないし、道端にあってもなにかのオブジェに見えないこともない。なお、設置後にかなり強力な認識阻害を付与するため、通常は感知できない。
スピネルが守っていた祭壇が簡単にバレたのは、言うまでもなく改造したことが原因だ。石碑本来の効果だけでなく認識阻害の効果を消滅させてしまっていた。
「すみません、少しでもあなたを讃えたくて」
「その気持ちは有り難いですが、石碑本来の効力を落としてまですることではないでしょう? 気をつけてくださいね。あとその祭壇は石碑に戻しておきます」
『桃髪の聖人』は、今の段階ではただの有名人なのだ。なにせ活動そのものが昔過ぎて、現代ではどういう人物なのかがあまり正確には伝わっていない。
もちろん、正確なものもある。しかし中には誇張や過小評価されているもの、世間一般では聖人の行いとされているものも、実際には行っていなかったりと誤っていることが多い。
少し怒った様子の聖人を見て素直に反省するスピネル。しかしスピネルはもっと多くの人に『桃髪の聖人』が正しく認知され、その偉業を讃えてほしいと思っており、その考えは聖人と食い違っている。けれどスピネルはそれを変えるつもりはない。そんな配下の、純粋に自分を思うその考えに聖人は少しくすぐったいものを覚えている。
「あなたがそう言うのであれば……ところで彼らはどうしますか?」
「私の力で彼らを、彼らの拠点に送ります。今はそっとしておいた方がいいでしょう」
「……それもそうですね」
その問いに聖人は床に倒れている3人を見下ろしながら答える。1人は死に、1人は負傷し、意識を失い、1人は全身から血を流しており重傷だ。聖人は最後の1人は見覚えがあった。100年前、ゼロリアルの封印に結果的に尽力してくれた吸血鬼だ。
ゼロリアルがいなくなった神聖国レインボーの空が晴れていく。時刻はまだ昼間らしく、辺りが夜明けのように明るくなっていく。
傷つき、意識を失っている燃香は日の光を浴びると、その肌は徐々に生気を失い、灰色に変わっていく。最終的には色だけでなくその体自体が砕けるようにして灰になった。
「燃香、今は眠りなさい。私はあなたを殺したくはない」
本来、その言葉をかけられるはずの燃香の意識はなく、他の誰かに届くこともなかった。
今日4度目の魔物の群れを発見すると、察知されないように背後から高速で接近し、その群れの真ん中に飛び込むと一閃。奇襲に気づけないまま、数体の魔物が倒れ伏す。
仲間が殺されたことに気づき、敵である俺の背後に迫ろうとしたリザードマンを振り返らずにブレードで真一文字に切り裂き、正面から粗雑な作りの槍でこちらの喉を貫こうと近づく個体には、逆に接近、反りながら喉への突きを躱し首を切り飛ばす。
さらに残りの数体にまで減ったリザードマンたちは、手に持つ槍で取り囲むようにして一斉に突きかかって来るが、片足にブレードを生やして飛び上がり、さらに瞬間的にその長さを伸ばし、空中で円を描くようにして回し蹴りを放ち、残りの個体を全滅させる。
「……」
殺したリザードマンの死骸から素材を切り取り、拠点に放り込む。本当はこのまま別の魔物を強襲しに行きたいのだが、体力や負傷の問題もある。だから一度拠点に戻って……。
「戻って、それでどうするって言うんだ、俺は……」
誰もいないのだ。本当に1人きり。
あの日、気がつくと拠点の居間にいた。夜になっているからか、辺りは暗く、不気味なくらい静かだった。側には灰になった燃香と、胸から下を失い、事切れたニオンの遺体があった。変わり果てた2人の姿を見て、本当に1人きりになったのだと実感した。
目が覚めたらいつもと変わらない調子で、眠っていた俺に「おはよう」と言ってくれる2人はもういないのだ。そのことに思い至った俺は、慰めてくれる仲間もいないたった1人の拠点でさめざめと泣いた。涙が出なくなるまでずっと。
数日後、再び目を覚ました俺は布団で横になっていた。どうやら涙を流すばかりで、ろくに食事も水分も摂っていなかったせいで倒れたようだ。情けないことこの上ないが、今はなにもできる気がしない。行動を起こすことはできるだろう。しかし、2人とともに戦うことすらできなかった自分では、例え『なにか』をしてもうまくいく未来が想像できない。
思えば、俺はニオンと燃香に寄りかかってばかりで、1人でなにかができるような人間じゃなかった。いつのまにか2人は、俺にとってかけがえのない存在になっていたのだ。そしてそのことに2人を失って初めて気づかされた。
「に、ニオン!?」
それまでぼんやりとしていた視界がいっきに鮮明になった。なぜならそこに死んだはずのニオンがいたからだ。
俺が意識を失っていたこの数日の間、誰が俺の世話をしてくれていたのか? 誰が布団に移動させてくれたのか? 目が覚めた今、誰もが覚えるような疑問が全て氷解したようだった。
起き上がり、その顔をよく見つめ————
「……じゃない、か。でもありがとな、ティフォン」
しかし、現実にそんな都合のいい展開があるわけない。死んだ人は蘇らないのだから。意識と判断力が正常にまで戻るとその姿が何者のものなのか、はっきりと分かった。
俺を看病してくれていたのはティフォンだったのだ。傍らにはラドンとバジリスクもいる。他の竜は小回りが効かなかったり大き過ぎるせいか、自発的に現れているのはこの3人(?)のようだ。
「なんか、迷惑かけたな……」
3人(?)は「そうでもない」と言っていた。
俺が呼び出す竜は、基本的には俺としか会話できない。他の人は「がおー!」とか「シュー!」とか言っているようにしか聞こえないのだ。厳密には俺も話せるわけではなく、テレパシーのようなもので会話している。
聞けば彼らは俺の生命の危機を感じとって自発的に出てきたらしく、今日意識が戻るまでずっと看病してくれていたとのこと。
ニオンの遺体は、気を利かせたアジ・ダハーカが一部屋を使って新鮮な状態に保ち、灰になった状態の燃香は本人の自室に移動させてある。とティフォンが教えてくれた。
試しにその灰に血を数滴垂らしてみるが、流砂に沈んでいくかのように垂らした血が沈み込むだけで、これといった反応はない。ニオンの方も生命を感じない冷たい体になっており、死んでいることに疑いの余地はない。俺はそっとニオンの顔に触れ、その瞼を閉じさせた。
俺は4人(?)に任せて拠点を出た。どこかへ行くわけでもない。ただあてもなく歩き続ける。その足取りは重く、子供にすら追い越される。
気分転換になにかするわけではなく、知っている道、知らない道を問わずにただ歩き続ける。気づけば日は傾き、オレンジ色が綺麗な夕暮れが見える時間になっていた。けれど歩みは止められない。拠点に戻ると1人きりになったことを余計に強く思い起こしてしまうからだ。
その日は町外れの森の中で一夜を過ごした。しかしまともに眠ることはできず、星空を眺めるだけだった。だがそれも空が青くなり始め、朝日が昇るまでのこと。
またあてもなく歩き始めようと下を見ると、俺は魔物の群れに囲まれていた。それまでは木の上でぼんやりと星を眺め、ほとんど意識を手放しているような状態だったせいか、接近されていることに全く気づかなかった。本来ならすぐに気づけたが、今の精神では攻撃を受けるまで気づかなかっただろう。
二足歩行する豚のような外見の魔物、オークだ。手に木でできた棍棒を持っており、こちらへの殺意を剥き出しにしながらブヒブヒ言っている。
ファンタジーでよく出てくる亜人のように、人間とは異なる外見をしてはいるが意思疎通ができるような存在……ではないらしく、何回か声をかけてもブヒブヒ言って殺意を返すだけだ。
俺は無視を決め込もうとしたが、それを見たオークは俺を獲物だと勘違いしたのか棍棒や石を投げつけてくる。しかし投げ方が悪いのか、数体が手身近にある物を絶えず投げてくるが1つも当たらない。そんなオークを無視して木の上で蹲る。今は誰とも関わり合いになりたくなかった。自分の元に来ても無視していたかった。それが命を狙ってくる魔物であってもだ。
そんな中、放り投げられた物の内の1つが運悪く俺の頭に命中し、血が出る。
オークは俺の側頭部から流れる血を見つけると、途端に下品な笑い声を揃って上げ始める。今の俺にはその笑い声が、2人とともに戦えなかったことを指差して笑われているようにしか聞こえなかった。
それまで抑えていた自分の無力さへの苛立ち、ゼロリアルへの憎悪、死地へ赴くことを決めた自分への怒りなどのさまざまな負の感情が一気に弾けた。




