第52話 涙の剣と希望の杖
アイリアルが活性化し、教皇が大聖堂から尻尾を巻いて逃げた日の翌日にまで時は戻る。教皇の敵対派閥の神官たちは意気揚々と大聖堂のある一室に向かっていた。
「いよいよですな」
「私たちの派閥から教皇が選ばれる。なんと名誉なことか」
「はっはっは、君が欲しいのは名誉ではなく金だろう?」
「それもそうだな、はっはっは」
「次代の教皇はどんな利益をもたらすのだろうな」
側から見れば彼らが神職についているとは信じられなくなるような、そんな思い思いの言葉を次々と口走りながら廊下を歩む。その足がある曲がり角の壁の前で急に立ち止まる。
1人の神官が剣と杖をモチーフにした教会、引いてはこの国のエンブレムを、なにもない無機質な壁にかざす。すると、そこから壁に向かって青く輝く光の筋が放たれ、そこに扉の模様を描いていく。数秒もすると光で描かかれた扉は完全に実体化する。
「ここが教皇の証の隠し場所か」
「どうやらあの教皇は持ち出さなかったようだな」
「ふん、あの愚物にそんな気が回るわけがない」
「それもそうだ」
「ところで教皇の証はどこだ?」
教皇の証が保管されているその隠し部屋は、山の露出している岩肌の一部を四角く切り出し、中身の壁面を綺麗に整えて人工の洞窟のようにした空間だ。しかしそこは無骨とは程遠い、ひたすらシンプルを目指して洗練された、静謐という言葉を具現化したかのような部屋だ。
そして本来、この部屋の簡素な石の台に安置されているであろう教皇の証はどこなにもなかった。
「証? あァ、コレって教皇の証だったんだネ」
「「「「「「!??」」」」」」
「ま、でも僕にソレは関係ナイネ。貰ってくカラ、じゃア! そういうコトデ!」
イビリスは金色の鍵を手に、脇にある立方体の岩に足を組んで腰掛けていた。彼は退屈そうに鍵を片手で弄んでおり、彼らと対面した時とは異なる服装である青いローブを見に纏っていた。イビリスはそれを普段着として使っており、一番気に入っている物だ。
「な、イビリス! 貴様さては最初から教皇の地位が狙いだったんだな! それがあれば教皇だと認められるから、我々を唆した。そうだな!」
「エ? ナニ言ってんノ? マジで全然違うヨ。……君たちに説明する義理なんて全くないケド、コレは『鍵』なんダ。コノ鍵1つでも計り知れないホドの価値があるケド、本来の用途は『秘宝』に至るための5つの鍵のうちの1つに過ぎないのサ。多重に鍵をかけて封印するなんて聖人サマも結構マメなことするよネ〜。僕はその秘宝を手にするために世界中を旅してたカラ、この国に鍵の1つがあることは分かってたんだよネ。デモ、よほど隠匿と警備が完璧だったみたいデ、鍵は僕の力をもってしてもソノ輪郭スラ見つけられなかったんだよネェ……。ケドケド、ホントーにちょうどいいタイミングでアイリアルが復活したカラ、利用さセテもらうコトにしたんダ。『虹の涙剣』と『星の杖』を使ってネ。コノ2つ、というか聖人由来の武具はその力を発揮するト、別の武具が近くにアル場合呼応しテ、あとに使った方の力を大幅に増大させる効果があるんダ。コノ性質を利用すると武具の本来の持ち主でしカ発揮できナイ規模で力を発揮できタってワケ。今回使ったのハ『星の杖』だから活性化ダネ。あと、アイリアルの活性化っテ事態をアッサリと収束させられテモ困るから勇者をサクっと始末し……ヨウと思ったんだケド、アル人物が先に対抗戦力を奪ってくれてネ。イヤー、手間が省けたヨ。そうしてこの国は滅亡の危機に陥ってもらうコトにしたのサ。そうすればこの鍵の位置を炙り出せると踏んでネ。外でアイリアルが暴れテ、騎士が外にたくさん派遣されてドレだけ大聖堂の警備が手薄になってモ、一ヶ所だけ警備が変わらず強固な場所、この鍵、教皇の証はそういう場所にアルと思ってたケド、ココまでうまくいくとはネ。イヤー、君たちがたくさん踊ってくれタお陰だヨ」
「鍵? 秘宝? 武具? なんのことだ!?」
「まァ、君たちには全く関係ナイんだよネー」
イビリスの長々とした独り言の中に突如として出てくる謎のワード群に混乱し、それを問う神官だが、イビリスは彼らとまともに取り合う気はないようだ。彼は椅子代わりにしている岩から降りると、そのまま隠し部屋の入り口である扉へ向かって歩き始める。
「待て! どこへ行くつもりだ!」
「ドコっテ、次の鍵を探しに別の国に行こうと思ってるんだよネ。もうコノ国に用はナイシ」
「クソッ! これでも……な!?」
「アレ? ……ふーん。アイリアルが目覚めたんだかラ、ソリャ聖人もいつかは目覚めるカ。星の杖を失うのは惜しいケド、目的は果たせたんだかラよしとするカ。杖だっテ使い手が元の持ち主の方がいいに決まってるもんネ」
「き、消えた!?」
会話にすら応じる気のないイビリスに、苛立ちを抑えられなくなった神官の1人が手に持つ星の杖でイビリスを攻撃しようとするが、その行動が実現される前に杖自体が突如として消えてしまった。それは一瞬でどこかへ転移したようだが、当然神官たちになにが起こったのか理解できるはずもない。
そしてイビリスもまた転移で隠し部屋から姿を消す。彼が去ったあとの隠し部屋は痛々しいほどの沈黙に包まれていた。国宝である教皇の証がどこの馬の骨とも知れない男に持ち去られたのだ。彼らの心中は穏やかではいられないだろう。
それに自分たちが教皇の派閥になるどころか、イビリスがその証を盗むための片棒を担いでいたなんて、知らなかったとはいえ、それが許されるはずもない。彼らが想像する未来は自分たちの立場が危うくなるような最悪なものばかり。
しかし、これからこの国で起こることは、そんな生易しいものではない。イビリスの言ったようにこの国はまもなく滅亡の危機に瀕することになる。
そして時は現在に戻る。アイリアルが跋扈し、今まさに滅亡の危機に瀕しているこの国を1人の神官が駆けていた。元々は豪奢で白と金の2色だったであろう法衣は、血や煤がつき、切り裂いて倒したアイリアルから出た黒い靄のようなものによる汚れで、荘厳な美しさは損なわれており、戦闘や移動で法衣はところどころ破れたり、また足下に関していえば、動きやすくするために自ら破いていたりもした。
平時であればその姿を見ることができる者は極端に限られ、遠目に見ることすら叶わず、また、その人物がボロボロの格好で全力疾走する姿を見られる機会はまずない。
しかし、今はそれを気にしていられる者はこの国には誰もいない。皆自分のことで精一杯なのだ。抗う力を持たない者は隠れ潜み、力ある者はこの国から脱出を試みる。
この神官は後者だ。幸いなことに手にしている剣の力が彼を守っていた。彼はこの力さえあれば逃げ切れると確信していた。幸い、魔王城のような外観と化した大聖堂から離れれば離れるほどアイリアルは弱く、数も少なくなっていく。
彼は助けを求める民を無視し、縋りつく民を蹴飛ばし、あとをついて来る民を剣で切り裂き、ただ1人でこの国を脱しようとしていた。大勢で動けばアイリアルに発見されるリスクが高まる。大聖堂から離れた場所にいるアイリアルは弱くなっているはずだが、たった1体を相手するだけでも既に限界なのだ。足手纏いの相手をしている暇はない。
そう、『彼』とはこの国の教皇だ。教皇は当初、大聖堂を出たのち、中央から離れた別荘でこの騒ぎが収まるのを高い酒を呷りながら呑気に待っていた。しかし、いつまで経っても収まらず、それどころか状況は日に日に悪化の一途を辿っていた。なんとかなるだろう、という根拠のない希望的観測でつい先日までその別荘に篭っていたのだ。
そしてこの日、昼間から愛人たちとの情事にうつつを抜かす教皇は窓の外を見てやっと状況の深刻さを理解した。
雲一つない青空に急に暗雲が立ち込め、空が色を濃くし、今を夜と見紛うほどに暗くなった。ここまでのことが起こって『なんか、急に暗くなったな。まあ、とりあえず続きでもヤるか』となるほど教皇は楽天家でもアホでもない。教皇は事態の深刻さを理解していない愛人たちを放り、身支度を整えて別荘を転がるようにして飛び出した。
教皇は道中、救いを求める者の手を切り落とし、声を斬撃の音で掻き消すという、彼らの信奉する存在が見れば天罰モノの所業を働きながら街を疾走していた。
その結果、数えきれないほどの民の怒りと失望と嘆きと憎しみと軽蔑の視線と罵倒を浴びることになる。普通なら堪えるようなその言葉にも、教皇は平然としていた。なぜなら彼は生まれながらの強者であり、弱者を労るのではなく踏みつける人間だった。したがって彼の耳には虫が騒いでいるようにしか聞こえていなかった。
「どこに行こうというのですか?」
教皇はその声に反射的に振り返った。あまりにもその声が美しく、澄んでいたからだ。そこにいたのは桃色の髪の少女。教皇からすれば小娘と言わざるを得ない年齢だが、その幼さすら色気になる魅惑的な容姿に彼は柄にもなく見惚れていた。
そしてその均整のとれた肢体に気づくと教皇はすぐさま下衆な視線を向け、緊張感がまるで足りない声で少女に話しかける。
「どこに行こうと私の自由だ。ところで君の名前は?」
「あなたに名乗る名なんてありませんよ。それにその『虹の涙剣』は本来は私の所有物。返してくれますよね?」
「……ッ!? なぜこの剣が虹の涙剣だと分かる! 貴様! さてはイビリスの手先か!」
「私はあの魔法使いの手先ではありません。まあ、許可をとる必要もあなたに声をかける必要もなかったのですが、一応あなたの人柄を知っておきたかった、ただそれだけです」
桃色の髪の少女にまともに相手にされず、しかも自分から剣を奪おうとする敵だと気づくと、緩みきった顔を引き締めて剣を振おうとするが、剣はいつのまにか少女の手に戻っていた。その上、剣は教皇が見たことがないほどに美しく輝き、主との再会を喜ぶ。実際は少女どころか剣にすら相手にされていなかったのだ。
「では、私はこれで失礼します。生きていればまた会いましょう」
「ま、待て、いや待ってくれ! その剣なしで私はどうこの国を脱すればいいんだ! 頼む! 助けてくれ!」
「この国の民に、友人や部下に助けてもらえばよいのでは?」
そう言い残すと少女はどこかへ転移した。ひどく真っ当な意見だが、今のこの国の惨状の中で教皇が頼れるような存在はいない。民は自ら切り捨て、打算なく付き合える友人などおらず、亡国になりかけている国に仕えるほど殊勝な部下もいない。
「だ、誰か、たす————」
助けを呼ぼうとする教皇の背に無数の剣が突き刺さり、今までに感じたことのないほどの激痛が全身を貫く。しかし、声はでなかった。虹の涙剣がなければ教皇なんて運動不足な上に無駄に肥えたオッサンでしかない。見上げると数体のアイリアルが感情のない目で見下ろしており、彼らは教皇が致命傷を負ったことを確認するとそのうちの1体が彼の足下に向かって『闇』を放つ。その闇は教皇の足下で紙の上に墨を垂らしたように広がると、底なし沼のように教皇の体をその中に沈め始めた。
「ひ、ひィ! だ、誰か! たす————あがッ!?」
開いた彼の口を塞ぐように1体のアイリアルから投擲された短剣が教皇の喉に突き刺さった。お前にだけはその言葉を決して言わせない、そんな意思があるかのような行動だった。
数秒も経たずに教皇は闇の中に沈みきる。
彼が捕食された場所になにかが残ることはなかった。
教皇はにげだした! (第49話)
→にげられない!
桃髪の聖人があらわれた!
虹の涙剣は(桃髪の聖人の元へ)にげだした!
やせいのアイリアルのむれがあらわれた!
アイリアルのなげつける!
教皇はめのまえがまっくらになった!
特性《超再生》 自身の肉体の再生能力の限界を超える再生力をもたらす。




