第40話 夜の始まり
馬車は道中、何事もなかったかのように国境近辺から街へと向かっていた。当然、刺客の遺体や戦闘の痕跡は3人で隠蔽した。目撃者も被害者もいないこの事件は、もはや事件ですらない。
不自然なくらいタイミングよく現れた魔物の集団が通り過ぎるのを待った結果、予定よりもだいぶ遅れている。元々遅れているが、到着はさらにあとになるだろう。
街へと帰る道から見える景色にはいろいろなものがあった。時間の流れる速度が遅く感じられるような長閑な農村、宝石を散りばめたように、日光を反射してきらきらと輝く水面の湖、活気のある町の建物やそこに住む人々、果物の成る木々が複数種類植えられた農園、緑豊かな山や林、移り変わる天気……。
「いい景色だな……。日本にいた頃は旅行に行った記憶がほとんどないからこういうのは新鮮なんだよな。……新鮮なんだ。うん、新鮮なんだが、この気持ちを共有できる仲間は今、ここにはいないんだよな……」
現在、ニオンと燃香は広い馬車の空間を最大限に利用して熟睡している。若干俺のスペースが心許ないほどに。
彼女たちは道中の村や町の観光、名所巡りに全力を尽くした結果、後半になるにつれて馬車が止まる場所以外は段々と寝ている時間が長くなっていた。そのせいで俺は1人、孤独に窓の外を見る時間が続く。
「これじゃあ、1人きりで旅行してるのと大差ねぇな。これはテンションの差なのか? それともなにに体力を使うかの方針の違いなのか……?」
ニオンはカントリ林の外に出てからそんなに時間が経っていないし、燃香は最近100年の眠りから覚めたばかりの吸血鬼だ。俺以上に今のこの世界に馴染みのない2人は外の世界を見て回りたくなるのだろう。
ちなみに俺は景色を見たい派。カメラがあれば容量の許す限り撮ってたな。
「って、うお!?」
そんな1人の寂しさを紛らわすため、現実逃避じみた思考をぼんやりとしていたところ、いつの間にか燃香の腕が俺の足を抱き抱えて横になっていた。
その腕、というか、今までに感じたことのない、想像を絶するほど柔らかい2つの凶器に足が包まれていて、今までに覚えがないほどのパワーとスピードで理性が削られていた。
ヤ、ヤバい。これ、起きた時かなりマズい展開になる。『なにしてんのよ、このド変態がーーッ!』と燃香にどつかれて瀕死の重傷を負うからマズいのではない。
彼女の場合、顔を赤熱した鉄もかくやというほど真っ赤にして硬直して無言になり、しばらく気まずいことになるからマズいのだ。
さらに困ったことにこの姿勢の場合、俺の足を彼女の腕と2つのえげつないほど柔らかい凶器で包んだまま硬直するから、正気に戻ってもまたすぐに羞恥心で硬直するを延々と繰り返すからとても困る。
「こっちもかよ……」
普段ならこんな時はニオンの出番なのだが、生憎今は熟睡している。しかも狙い澄ましたかのように燃香に絡みつくようにしてくっついて寝ている。
……なんだか、とてもアレな感じだな。ニオンに性別はないのだが。外見がカワイイからどうしてもそっちの方向に見えてしまう。
これがカワイイの功罪か。世の中、とても世知辛いことになってるな。
「……このまま放置しておけば間違いなくあとで酷い目に遭う。仕方ない、リスキーだがこの手しかないな。……ニオン、起きろ」
いろいろと悩んだ結果、この方法しか思いつかず、それと同時にこれしかないと思いついた時から無意識のうちに結論づけていたため、他の作戦や代替案はない。なので失敗はできないし、あとあとのことを考えると失敗したくない。
燃香の隣りでニオンはこれまでに見たことがないほどリラックスした様子で眠っている。そんなニオンを叩き起こすのは忍びないが、これも元の世界に帰るためにランクを上げて行動範囲を増やし、ゆくゆくは時空の石を手に入れるため、ひいてはこのパーティ存続の危機だと諦めてもらおう。
……よくよく考えるとニオンが眠ってる姿ってほとんど見たことないような気がする。なら、これまでに見たことがないほどなのは当然か。
「………………ふぇ?」
「よかった、起きてくれたか。ちょっといろいろとマズい状況になってる。ここから脱出するために手伝ってくれないか?」
やたら可愛らしい声で目を覚ましたニオンは起き上がり、寝惚け眼をこすりながら周囲を見回す。その一言だけで俺がなにを考えているのかを察したニオンは無言で頷いた。
「構いませんよ。モエカが起きる前に済ませましょう。まずはユウリの足を抱いている腕をなんとかします。私は左手、ユウリは右手をお願いします」
燃香の両手を俺の足から引き剥がすために自分の体勢を動かして、彼女を仰向けにする。側から見ると木にしがみつくコアラのように見えなくもない。
ニオンに促され、俺は俺の足をがっちり抱く燃香の右手を、万力を込めて足から引き離そうと引っ張る。なんたって彼女の筋力は俺のおよそ4倍はあるのだ。《硬化武鎧》を使っても、魔力を全く使ってない燃香に力負けするのは必至。だが今、彼女は熟睡中。その類稀なる魔術の才能も、高い身体能力も発揮されない。しかし、この状態でもヤバい筋力なのに変わりはなかった。
俺の足が燃香の両腕から脱出するのに数分の時間を要したのは、別に俺たちが非力でも貧弱だったからでもない。燃香の力が強過ぎたからだ。
「……凶器、ですね」
「ああ、間違いない」
「燃香はこんなものを隠し持っていたとは、さすがに予想外でした」
「いや、これは完全に隠せるようなものじゃないだろ。このサイズだぞ? 普段着や冒険者する時の装備ならともかく、今のこの格好じゃ絶対隠せない」
「やはりモエカは只者ではなかった、ということですね」
「ああ。さすがは伝説の吸血鬼だ」
「ええ、さすが、伝説の吸血鬼ですね」
もうそろそろ今日、馬車が止まる町に着くという頃、俺とニオンは燃香が隠し持っていたとある凶器を眺めながら、それについて語り合っていた。
「おっ、と!?」
「……む!」
道に落ちていた石にでも乗り上げたのか、馬車が一瞬揺れる。しかし揺れたのはそれだけではなかった。
馬車が一瞬上下に揺れた光景を見た俺は、議長からの依頼で始まったこの旅を快適にしてくれている、割と乗り心地がいい馬車が揺れるほど大きい石を踏んづけたのかとちょっと驚いた。しかし、視界に映った燃香の持つ凶器が摩擦や抵抗力はどこへ行ったのだと思うほど滑らかに揺れたのを見て、石のことなど次の瞬間には忘れていた。ニオンも目を見開いている。
「……すごかったな」
「ええ、ですがそれだけではありません。必ずしも大は小を兼ねるとは限らないこの世界、そんなルールも基準も目に見えるものすら不確かな世界であの2つの凶器は正しく完成された規律とも言えるでしょう」
「……そ、そうだな」
真顔でちょっと引くぐらい燃香の凶器について熱く語るニオン。クラスメイトの中に1人はいるよな、こういうの。
なお、その日の夕方になるまで燃香は熟睡していた。
「スピリットゴースト?」
「そうなんだよ! 兄ちゃん冒険者なんだろ? 最近この町じゃ夜にそいつがウロつくせいで商売あがったりなんだよ。助けてくれないか?」
「具体的にどんな奴だ? やっぱり半透明か?」
「やっぱりって、ゴーストの見た目を知らないなんて兄ちゃん変わってるな! そうだな、ゴーストってのは色のついた靄の塊に、天井のシミみたいな顔がついた見た目をしてる。それに結構強いんだぜ! 確か、大罪のナントカのなんかだったんだよな」
その日の夜、馬車が停泊した町の宿屋に併設されている酒場で俺たちは夕食を摂っていた。その最中、この店でアルバイトしているらしい、やたら喋り方が達者な少年の口から最近町を困らせている魔物の存在のことを知った。
自分たちが座る席の回りを見てみると、結構なスペースと席がある割に確かに客が少ない。確かにそのゴーストが原因なのかもしれない。
「それって大罪の獣、魔王の眷族ってだよな? なるほど、幽霊やゾンビが強いのはそのせいか……」
「魔王、か……。迷惑な話だよな。なんでもこの東大陸の南側にその魔王の支配地があるらしいんだ。ここは沿岸に近いからそこからやってくる大罪のナントカも多くてなぁ……」
「アンデッドの魔王、か」
こっそり拠点から取り出した俺たちのいる大陸の地図を見る。三日月の形をした、島というには大きく大陸というには小さい、微妙なサイズの陸地が欠けている部分を東大陸の南側に向けている形で存在していた。
そこには国の名前はなく、『嫉妬の魔王領』とだけ記述があった。
「明日には出発するわけだし、夕食が終わったら見に行くか」
「そうですね。ユウリの対ゴースト戦の経験にもちょうどいいですし」
「私も日中は寝てばっかりだったから、そろそろ動きたいと思ってたの」
「おお! 兄ちゃんたち分かってるじゃねぇか! 弱きを助け強きを挫く、それでこそ冒険者だ!」
「お前は家に帰って早く寝ろよ」
「こ、子ども扱いするな!」
店を出て早速、町で噂になっているスピリットゴーストを捜索し始める。明かりのついている店から人気のない町へ3人で歩き出す。
「嫉妬の魔王領ってことはそこにいるのは嫉妬の魔王ってことになるのか?」
やはり7つの大罪か。暴食、色欲、強欲、憤怒、傲慢、怠惰、嫉妬。これらの魔王がこの世界に国のトップとして君臨していて、普通の国と同様に経済活動をしたり、戦争をしているのだろう。
しかし、人間の国と違って向こうは国民全員が戦える力を持っている。もし戦争になれば圧倒的に不利だろう。俺にできることといったらそうならないことを切に祈るしかない。
「なるね。私が活動してた頃の魔王と同一人物かは分からないからなんとも言えないけど、もしそのスピリットゴーストが魔王の送り込んだ手下だったら関わり合いにならない方がいいかも」
「強いから、いや、なにか別の理由があるからか」
「察しがいいね。他の魔王も強力なことに変わりはないけど、嫉妬を冠する魔王は厄介だよ。なにせとんでもない呪いをかけてくるからね」
嫉妬はデバフ特化か。しかも幽霊。物理攻撃が効かなさそうな相手は苦労しそうな予感しかしない。
「ゴーストだから、か……」
「まあ、でも必ずしもゴーストとは限らないよ」
「どういうことだ?」
「ゴーストは嫉妬を冠する魔王の配下だけど、嫉妬の魔王はそれ系の王でもあるから、今代の魔王がゴーストなのか、コープス、結理君風に言うゾンビなのかは分からないの」
「なるほどな……」
町中を3人とも察知能力全開で見て回ったが、その日はそれらしい存在を確認することも感じとることもできなかった。
スキル《複眼》自分の姿形に関わらず、360度の視野の確保を可能とする。デメリットはなく、ランクが高いほど目の性能が上がる。




