第36話 盤上の戦士たち
この世界には大小さまざまなな陸地はあれど、大陸と呼ばれるのは4つだけ。魔術工学の技術や理論、その他さまざまな学問の粋が集まる西大陸。芸術や伝統文化、娯楽による経済の発展が著しい南大陸。聖人の伝説が色濃く残る東大陸。そして北大陸、1つの国家が大陸を支配する唯一の国、アーク共和国。その首都マイン。
その中心に聳え立つ神聖さを具現化したような白亜の巨城。余人では決して入ることが叶わないこの国の中枢だ。その一角、下手をするとこの城へ入ることよりもさらに厳しい警備体制のこの場所に5人の男女が集っていた。
その中の1人の少女、彼女の名はルークという。結理が聞けば「チェスの駒みたいな名前だな」と言うだろう。事実、彼女は駒なのだ。それを疑問に思ったことなど一度もなく、そうあるべきだと自らそう思っている。
「集まったか、皆の者」
その場に老いた男性の声が響いた。その声はしわがれていたが不思議と威厳を感じさせるもので、ルークを含めた5人はすぐさま横並びに整列し、片膝をつき、平伏した。
声の主はついさっきまでこの場にはおらず、正真正銘5人しかいなかったが、彼らは声の主が転移でこの場所にきていることを知っているのでとくに驚くようなそぶりはない。
「はっ! 我らが王におきましてもご壮健でなによりで————」
「ここには我々しかいない。そのわざとらしい口調を止めてもよいのだぞ?」
「……じゃあ、そうさせてもらうか。今日は俺たち5人全員に召集がかかるなんて珍しいこともあるんだな」
「うむ。伝えるべきことがあってな。それよりも今はナイトよ。貴様も壮健でなによりだ。異民族の掃討は順調か?」
そう言うと、老人にナイトと呼ばれた青年は平伏するのを止めて体を解しながら立ち上がった。
「ああ、東部に残ってる残党もあと少しで片付く。けど問題があるとすれば国内の方だ。結構な数が潜り込んでる。その辺の狩りを期待するのはよしてくれよ? 俺は辺り一帯をブッ飛ばすのは得意だが入り組んでる市街地の中に潜伏してる異民族を始末するのは苦手なんだ」
「それくらい私も理解しておる。お前は東部での掃討に引き続き取り組むのだ」
「任せとけ」
ナイトはその軽薄そうな顔をさらに軽薄にする笑みを浮かべながら応対する。
「次にビショップよ、西部の竜人族の征伐の進捗はいかほどか?」
「はい。粗方済んでおり、あとは将の首のみとなります」
「うむ。引き続き任務にあたれ」
「承知しました」
次に呼ばれたのはビショップという壮年の男だった。ナイトとは真逆で、老人の言葉に、立ち振る舞いに常に恭しく従っている。頭髪はオールバックに、服装もきっちりと整えられており、彼が貴族の屋敷にでもいればベテランの執事のように見えただろう。
「クイーン、南部の反乱軍、蛮族国家の同盟軍の鎮圧はどうなっている?」
「指令の通り進めている。しかし、向こうも手練が多く、進捗率は予定の半分となっています。ですがこのあと私自らが敵陣に乗り込み、殲滅する予定ですのでなにも問題はありません」
「そうか、ならよい」
「……」
その次はクイーンと呼ばれた妙齢の女性で、腰にまで伸びた銀髪は照明の光を反射して輝いていた。彼女の容姿が、並外れて整っているのは言うまでもない事実だということをこの場のルークを除いて理解していた。
彼女は老人の返答に無言で返し、平伏の姿勢を維持する。
「最後にキング。北部戦線の状況は?」
「正直に言えば旗色はあまりよくねぇな。奴さんは地形を知り尽くしてる。こっちがアウェーになるのは仕方のねぇことだ。だが俺はこの戦い、あと2ヶ月もあれば俺の力抜きでも勝利できると確信している」
キングと呼ばれた青年はナイトと同様に立ち上がり、ぶっきらぼうに答え、自軍の勝利を確信する旨の発言で締めくくった。
「うむ、やはり貴殿に任せて正解であった」
老人がキングへの労いの言葉を終え、少しの間を置いて視線が彼からルークに移る。
「ルーク、今回はお前にも任務を与える」
「私に、任務」
私以外のチェックメイトシリーズと老人の会話が終わり、キングから私へ老人の視線が移る。いつもならこういった集まりはこれで終わりのはずだった。
しかし、私にとって不測の事態が起こった。任務を与えられることになったのだ。
興味はないが。
これまで度々、チェックメイトシリーズの何人かが呼ばれることはあった。けれど5人全員に割り当てられた任務を放り出させてまで召集することはなかった。最古参の私ですら全員揃ったところを見たことがなかった。
しかし、そんなことはどうでもよかった。だが、任務と聞いてそれだけは少しだけ驚いた。もっとも顔には出ていない。
そもそもださないが。
「そりゃ、なんでだ? ルークはまだ調整中だろ? いきなり実戦はキツいんじゃないのか?」
そうだ。最古参ではあるが、キングの言う通り私はとても不安定だ。未だ調整を受け続ける身。いつもはこの白尽くめの城で調整を受けている。
そのため、これまで外へ出て任務に身を投じたことはない。けれどそれもどうでもよかった。
老人に臆することなく意見するキングに対しても。
「問題はない。これは偵察任務。そもそも君たち5人はこの国ではおろか、世界でも頂点に座す存在、我が国アーク共和国の切り札である『チェックメイトシリーズ』なのだ。なにも問題はない。それに場所は中立国ポップ。勇者もSランク冒険者も大したことないとの事前情報がある。仮に戦闘になってもそれはもはや戦闘とは呼べん。我らとの差を思い知らせるだけだ」
「委細承知しました。すぐにここを発ちます」
任務を受けた、ならば駒としてそれを果たしに行かなければならない。平伏の姿勢を解いて立ち上がり、その場をあとにしようとするが、キングが思い出したように呟いた。
速く任務に行かなければいけないのに。
「そういや、伝えるべきことってなんだ?」
「我らが神より神託があった」
「「「「!」」」」
私以外の4人が驚いた。
どうでもいい。
神、この国の人々はその存在を信じて疑わない。無論ここにいる彼らもだ。だが私にそれを是とすることはできない。どうでもいいから、ではない。(少しだけだが、どうでもいいと思っている)ただうまく言語化できないのだ。
なんで彼らを、神を肯定できないのか、自分でも分からない。自分について分かることなんてほんの僅かしかないが、それでもなにかが神を是とできない理由になっているのだろう。
分からない。
「東大陸のどこかは分からない。だが、邪竜が再び現れたと告げられた」
「邪竜!? そいつはあの邪竜か?」
ナイトが動揺する。
なぜ?
「そうだ。この世の全ては我々人間のもの。だというのにそれを真っ向から阻む穢らわしき人もどきや魔物。しかし、奴らとは一線を画す存在、7人しかいない『魔王』。それに匹敵する邪竜がまたしてもこの世に現れたのだ。奴は数百年前、当時の騎士団や精鋭部隊が全員討ち死にしながらも、辛くも討伐した存在。それが再びこの人間の世を地獄に変えるべく現れたのだ」
人もどきは確か亜人。人間に似てるのに人間じゃない種族、だから敵?
魔物、魔王。人とはなにもかもが違う。異形だから敵?
なぜ? そう聞いても誰もまともに答えてくれない。答えられない。
「王よ、中立国ポップは東大陸にある。そのような場所にルークを向かわせるのですか? それはさすがに……」
ビショップが平伏したまま、恐れながら、というような様子で老人に問う。
だからなんだと言うのだろう? 任務は任務。果たすのは義務なのに。
「案ずるな。邪竜と今すぐ事を構えるつもりはない。こちらの戦力と邪竜の戦力を比較し、勝機を見出すまでは様子見に徹するのだ。ルーク」
「承知しました」
私はそう一言だけ残してその場を後にした。不躾な視線を背中に感じながらも振り返ることはしなかった。どうせ、クイーンかビショップかナイトだろう。クイーンはなぜか自分の容姿に自信を持っている。ビショップは神に使えることをなぜか喜んでいるし、ナイトはなぜか私をしつこく食事に誘う。
分からないことばかり。
けれど任務の目的地、そこだけは分かっていた。今はそれだけ分かればいい。余計なことは考えない。意味のないことは考えない。そうあるように命令されたから。もし、それから外れた行動を取ったら任務を辞退させられてしまうだろう。折角、外に出る機会を得られた。なら、彼らの目の届かない場所で考えようと結論づけ、それまでの思考を打ち切った。
が、老人は広間を出ようとするルークを呼び止めた。
「ルーク」
「なんでしょうか?」
「任務を追加する。深化心臓を中立国ポップの評議会議長から取り返せ。あれは我々の偉大なる祖先たちが邪竜を討伐した際、その胸から抉り出して得た国の宝だ」
「承知しました」
翌日、白尽くめの城を出て首都マインから馬車に乗り、港へ向かった。道中、景色を眺めてみたが、一般的に綺麗だと言われるそれを見ても私にはなにが綺麗なのか分からなかった。
そんな風にしばらくぼんやりしていると港が近くなったのか、馬車に乗って景色を眺めているフリをしている私にもどこまでも青い海が見えてきた。
馬車を降り、私を載せて今日、この港から出港する船を見上げた。が、興味が全く湧かなかったのですぐに視線を慌ただしく動く人々に戻す。船は大きいという印象しか残っておらず、観察するものもないので出港まで暇になってしまい、近くの大の大人はあろうかというサイズの積荷にひょいと飛び乗り、腰掛ける。
「……」
積荷に腰掛けて空を見上げてみたものの、手持ち無沙汰になっているのは否めない。いつもいる城なら鍛錬やキングとの模擬試合に励むことはできるのだがここではそれもできない。ただひたすら出港の時を待つだけとなった。
それから1時間後、やっと船は出港した。私が案内されたのは大量の装飾がなされた、いるだけで居心地が悪くなりそうな部屋だった。きっとこれは豪華な部屋なのだろう。ここまで案内した乗組員も、この部屋は重要人物だけが泊まることを知っていたのか、私を案内するのだと分かるとかなり緊張していた。
それに機能性も十分なようだ。具合が悪くなりそうだとは思ったが実際そうはならず、むしろ快適なくらいだ。
「……中立国ポップ、そこに邪竜が……」
私は誰ともなしに呟いた。これから向かう場所、そこに邪竜はいるかもしれないのだ。実際には、いると言われているのは東大陸なのであって、中立国ポップにいるとは限らないが、なんとなく私はそこに邪竜がいるような気がしてならない。
しかし、もし出会ってしまったらどうする? 私がアーク共和国の手のものだとこの国と因縁のある邪竜が知れば、戦闘は避けられない。最悪、任務を中断して撤退と言う名の逃亡をすることになるかもしれない。そうなれば私が次に任務を受けることは夢のまた夢になってしまいかねない。
ゆえに邪竜との接触は避け、中立国ポップの偵察任務のみを遂行すると方針を定め、まだ見ぬその国へ思いを馳せる。
クイーンの戦略が脳筋過ぎるような気がしないでもない。




