第35話 中立国への帰還
「ほとんど素通りでしたね」
「友好国だからか、手続きが既に済んでるからか、アイリアルの対処でそんな暇がないからかは分からないが楽なのはよかったよな」
俺たちは既に国境を抜けて中立国ポップに帰って来ていた。この馬車はなにかしらの魔術が付与されているのか、以前乗ったものよりもかなり速度が出ていたが、大聖堂のある辺りからここまでで数日は余裕で経過しているだろう。その間は馬車の中に1人を残して交代で拠点に戻り、トレーニングや息抜きをしていた。
今は、そろそろ燃香への3回目の血の補給が必要な頃だ。その証拠に髪の毛が茶髪から金髪に戻りかけているような色合いになっている。
この数日の間、竜の力を今できる最大限の出力を出しても余裕で使いこなせるように訓練をしていた。その過程で何体か新しく使える竜が増えたり、他にも燃香に魔術を教わったりした。
まず最初に彼女から、魔術には属性があると聞かされた。火属性、水属性、土属性、風属性、雷属性、無属性の6つだ。本来なら光属性と闇属性もそこに加えるのだが、その2つの属性は持っている人が極端に少ないせいか、ステータス上ですら無属性として一括りになっている。なぜなのかは分からない。
俺が燃香から聞いたものの中で実際に見たことがあるのは、火属性ではEランクの火炎。これはワームに一方的に蹂躙されていたパーティの冒険者の1人が使っていた。他にBランクの炎渦。これはアジ・ダハーカと燃香が使用した。土属性は山脈剣山。これはBランクでニオンが剣先に付与していた。Cランクの風刀はソウジのパーティのゴリゴリな魔術師が使っていた。パスュの手で強化されたカットゴーレム戦では、燃費と連射性を考えてこの魔術を選んで使っていたのだろう。風圧弾はBランク、これもニオンが剣先に付与していた。光属性では光明はEランク。光撃の槍はBランクで俺がアジ・ダハーカで炎渦と同様に使用した。
火、水、土、風、雷の5つの属性の複合魔術の虹の砲撃はCランク。威力はそれぞれの属性の適性で決まるため、5つ全ての属性のランクが高くないと火力が伸び悩む。
Sランクの魔術は、大抵はその人のみのオリジナルの魔術らしく、シルドの使っていた氷結乱舞、あれもその部類に入るのだろう。他にも燃香は、よほど適性が高いか魔術に半生を費やすレベルで熟練でもない限り、大体の魔術は詠唱が必要なのだと教えてくれた。つまり高ランク魔術を乱発する燃香とニオン、気軽にSランク魔術を使っていたシルドはヤバいのだ。
「……」
「燃香、どうかしたのか?」
「え? 別になにもないけど、どうして?」
「なんというか、気まずさを感じてだな……」
最初は新鮮に見えていた景色も、数日と似たようなものを延々と見せられていると、それに関しての感想やら会話もなくなってくる。
昨日、一昨日の段階で既に話す話題も出尽くした状態になってしまっており、流れていく景色を無言で眺めるだけになっていた。
関係は円満だし仲がいいのだが、別段、俺たち全員が仲良しのパーティというわけではない。
俺とニオン、ニオンと燃香ならともかく、俺と燃香、という組み合わせになるとあまり会話が続かない。ここ最近パーティに加入したばかりな上に、まともな会話や交流をする前に評議会議長からこの緊張感溢れる依頼が来たせいで、その機会を完全に逸してしまったからだろう。
「結理君は気まずい?」
「無言はなぁ……。騒がしいのがいいってわけじゃないんだが、同じパーティの仲間なわけだからある程度のコミュニケーションは必要だと俺は思ってる」
「要は仲良くなりたいってことだよね?」
向かいの席に座る燃香は意地悪い笑みを浮かべて俺の本音を暴き立てる。俺の無駄に長々としている言い訳じみた誤魔化しは通用しなかったか……。
「……要約するとそうなるな。……ダメか?」
「ううん。むしろ嬉しい。今まで、自分が吸血鬼って理由だけでまともに相手してくなくなる人がほとんどだった。もちろん、私が何者なのか分かった上で手を差し伸べてくれる人もいた。けど、その人たちは私を匿ったり、助けただけで処刑された。それを2回、3回と繰り返してるうちに他人に頼ったり、近づくことが間違いなんだって身に沁みて感じてたから結理君の誘いは嬉しい。私、ずっとここにいてもいいのかな?」
「いいに決まってる。燃香はなにも悪くないんだからな」
「そうですね。あなたはもう私たちのパーティメンバーで、頼れる仲間です。拒絶する理由なんてありませんよ」
どんな境遇だろうと種族がなんだろうと、俺とニオンが燃香を邪険に扱う理由には不足過ぎる。それに100年前とはいえ、貴重な同郷出身者だ。無碍にするのは気が引ける。
「うん、ありがとう。じゃあ早速、女子会やろ! まずは好みのタイプは?」
「俺、女子じゃないんだが」
「私、性別ないんですが」
「がーん!」
その日の夜、俺は拠点で寝ることになっていた。馬車の中は結構広いので3人が横になってもまだ余裕があるほどの巨大さだが、燃香の血の補給も兼ねて今日はこっちで寝ることになった。もちろん1人で寝ている。
ここで思春期の欲望を他人に爆発させるようなイベントは起こらない。吸血の際、燃香が足を俺の体に絡ませてきたり、やけに熱っぽい視線を送ってきたりはしたが、それは本人によると食欲が刺激されてのことらしい。いつのまにか俺が食べ物扱いされてたことにはツッコまなかった。
当然のことながら寝室では1人だし、テレビは点かないので即座に就寝することになるのだが、俺も思春期真っ只中の男。性欲ゼロなわけがない。性別ナシだけどそこら辺の女の子よりも可愛いニオン、すらっとしているが主張するところは主張している燃香。
普段はそういう目で見ないが、夜、1人でいるとどうも意識してしまう。ここ最近、というか、この世界に転移してからはそんな余裕は今、馬車での中立国ポップへの帰還というタイミングまで全くなかったなー、なんて考えてとりあえずお月見でもするかと立ち上がった瞬間になぜか意識が途切れた。
「ハッ!?」
そして気づけば俺はやや薄暗い謎の空間に座り込んでいた。いつのまにか見たこともない場所にワープしたことから敵の攻撃を疑ったが、ニオンや燃香が侵入した頃とは違い、俺の拠点の制御能力は遥かに向上している。今ならかつてのニオンですら侵入できないほどに。つまりこれが攻撃である可能性は低い。
「(……ならこれは一体なんなんだろうな?)」
意識が途切れる瞬間までのことは確かに覚えているのに、この空間に来た方法と過程が全く分からない。その上、最初はこの薄暗い空間の空に、一際暗い筋のようなものが空を虹が横断するかのような形で複数あるとだけしか考えていなかった。だが、よく目を凝らして見てみるとその影のような筋には、返しのついた鋭い刃が無数に生えていてそれが歯車のように規則正しく動いていることに、この空間にある筋のいずれもが巨大ななにかの体のほんの一部に過ぎないことに気づいた。それは大蛇のようだった。
その巨大さに呆然としている俺の目の前にその体の主である巨大な何者かが気配もなくいきなり現れる。
「ほう、見込み通り我が与えた力を使いこなしているようだ」
威厳が溢れ出るかのような低い声とともに目の前に現れたのは竜だ。とはいっても翼があって手足があるようなタイプの「竜」ではなく、蛇のような形状のいわゆる「龍」で、とぐろを巻けそうな外見をしている。
しかし、そこにいるのは間違いなく『本物』だった。今まで見た魔物や冒険者が小石や蟻に見えるほどの。
龍のその巨体はこの空間を覆い尽くせるほどの長さだが、この空間自体がどれほど広いのか、遠近感の狂う灰色の空と地平線からはまともに計ることもできない。しかし、まるで雲や竜巻を相手に見上げているように思える巨大さから、その全長は優に十数キロメートルは超えているだろう。
その体はどこか機械的な印象を受けた。黒くゴツゴツした表皮の鱗は自らの動きを妨げないようにそれぞれがまるで意思を持っているかのように噛み合わせ方、覆い方を変えて可動域を確保しており、その装甲の隙間への攻撃が入る余地など微塵もないことが分かった。
そして眼前に突如として現れた巨大な龍の顔、大きさは映画館のスクリーンくらいはある。生えている歯が全て犬歯なのではないかと思えるほど鋭く、頭に生えている稲妻の形を模したような2本の角は青白く発光しており、時折、電撃を上空に飛ばしていた。目に当たる部分には某汎用人型決戦兵器のようなバイザーがあった。オレンジ色に輝くこれが目なのか、あるいは装備かなにかなのかは俺には分からない。ただ、言えるのはこれが常理を曲げるほどの存在なのだということだけだ。
「与えたって、竜の力のことか?」
「そうだ。お前が10の竜の力を得たことで、我と夢の中でのみだが会うことができるようになった。つまり、お前の存在の『格』が高まり、我に近づいたということだ」
とにかくデカい『本物の龍』はどこか満足げに呟いた。声はサイズに比例してデカいのであまり呟いた感はないが。
「ところで、お前は誰だ?」
「ふむ、どうやら忘れているのではなくこの姿の我に見覚えがないだけか。ならば葉桜結理、お前が白い謎生物と呼んでいるあの生き物。あれは我だ」
「………………は?」
「あの時は世話になった。そのお礼に我は『寵愛』を与えた。それが竜の力だ」
「すまん、話についていけない。まずお前は何者だ?」
あの可愛いマスコットみたいな生物が実はこんなゴツイ『本物の龍』だったなんて信じられるわけがない。しかし、寵愛を俺に与えるような竜の知り合いはこいつ以外にいない。
しかも、あの生物が龍だったという時点で既に話についていけていない。
「我に名はない。『滅ぼしの邪竜』と伝えられているようだが」
「一国を滅ぼしたあの!?」
「うむ、まあ、実際に滅ぼしたのはグローリーと名乗る少年だったがな」
「しかも濡れ衣かよッ!」
「おお! 結理はなんと心優しき者なのだろう! こんな日陰者でマイナーで、姿形がほとんど後世に伝わっていなくて、ただただデカいだけの我を気遣ってくれるとは! さすがは我が寵児よ……」
「感動してるとこ悪いんだが、お前がどういう存在なのか具体的に教えてくれないか? 話が全然進まん」
今にもハンカチを用意して目元を拭いそうな『本物の龍』改め邪龍は俺の問いに頷く。その一挙手一投足は俺みたいな人間を余裕で吹き飛ばせそうだが、現実にはそうなっていない。その巨体に反して細やかな動きができるようだ。
「まずは我の生い立ちから語ろうではないか。……あれは数百年前のことであった。ある国家で死んだ者たちの怨念や後悔、怒り、嘆き、憎しみなどの感情が長い年月をかけて集まり、形を持ってこの世に生まれたのが我だ。最初はこの黒い感情の赴くままに破壊の限りを尽くそうとしていたのだ。だが、奴は、我の元に現れたグローリーは止めた。その上、奴は我の代わりにその汚れ役を買って出た。奴は皆殺しにするのではなく、無辜の民を逃したのちに破壊を行った。結果論で言えばデカくて目立つ我の仕業のように語られてはいるが、あの時、奴が止めてくれたお陰でここにいるのだとたまに思い出すのだ」
「……それ、生い立ちか? グローリーって奴との出会いの話じゃないのか?」
自慢げに、最後はしんみりとした様子で自らの過去を語ったが、それをこの邪龍の生い立ちかと言われるとちょっと反応に困る。
「む! それもそうだな……。しかし、我と奴の邂逅は我生誕のその日に起こったこと。つまり切っても切れぬ関係ということ、すなわち、我と結理の関係のようなものよ! ハ、ハハハハハハハハ!!」
「この邪龍、めちゃくちゃフレンドリーだな!」
もうそう思うことにした。
 




