第1話 新天地での始まり
轟音が鳴り響く。鋼のような質感のその生物が這い回る度、攻撃を繰り出す度に、かなり頑丈なはずの洞窟の壁や地面が容易に砕かれていく。地球上に全長10メートルを超える蛇が実際にいるか俺は知らないが、岩石を一撃で木っ端微塵にするバケモノがいるか否かは考えるまでもない。
余りのその振動に、天井が崩れてくるのも時間の問題だと俺には思えてくるが、暴れている当のその巨大蛇にそれを気づかう素振りはない。
しかもそいつは打撃だけでは俺を仕留められないと考えたのか、追撃に口から炎を放ってくる。迫る熱と死の予感から這々の体で逃げ出し、巨大蛇から距離をとる。しかし、出口はそいつが塞いでおり、他に退路はない。つまり俺の生殺与奪は巨大蛇に握られていると言ってもいい。
炎は洞窟内に落ちていたとある可燃物にいつのまにか燃え移っていたのか、前方の巨大蛇からだけでなく四方からも迫る。放たれる熱気はこちらの命を削らんとジリジリと皮膚を焼く。
「しまっ!?」
迫っていた炎に気を取られ、蛇の巨大な尾が目の前にまで接近していたことに直前まで気づかなかった。俺の目にはそれが凄まじいスピードで襲いかかってくるのは分かったが、距離が近過ぎて全体像ははっきりせず、なにか黒くて大きい物体にしか見えなかった。
その物体が蛇の尾だと気づいた頃には躱せない間合いにまで、既に眼前にまで迫った時、走馬灯のように記憶が脳裏に浮かんできた。
その日もいつも通りいたって平凡な日だった。
いつからか、そんな風に代わり映えのないと感じる日常が続いていた。けれど俺は今の心地よい日常から逸脱してまでなにかを変えようとは思わなかった。危ういバランスでその日常が成り立っているということを理解していたからだ。
平凡な日々は積み重ねられ、やがて俺の人生は『平凡』で幕を閉じるのだと、当時は疑いもしなかったし行動を起こすこともしなかった。それでいいとも思っていた。
一部の人は歓喜するのだろう。退屈な世界から解放されて、あるとも知れない新天地に来ることができたのだから。元の世界では味わえない体験を提供する素晴らしい場所に来れたのだから。
だが、だがそれを体験した当の本人である俺はと言えば、
「……めっちゃ帰りてぇ」
そんな感想しか思いつかなかった。
時は数十分前に遡る。
俺は学校から家に帰り、居間のテレビで録り溜めしておいた深夜アニメを消化すべく、リモコンを操作していた。朝は忙しいので必然的に学校から帰ってきた夕方頃から夜や、休日に見ることになっているが、別にその時放送しているアニメを全部録画するわけではないのですぐに消化しきれる。
「っと、次回が最終回か……。振り返ってみると半年って意外に短いな。この調子だと受験まであと僅かだな……」
俺は今、高校三年生。本来なら血眼になって参考書と向き合っている日々のはずだが、現実はそうはなっていない。もちろん諦めてるわけではなく、ちゃんと勉強はしている。受かりそうな大学を受験することにしてるし、家から通うことを考えても無理のない距離だ。
「そろそろ夕飯の準備に取りかからないと遅くなるな……。続きはあとにするか」
台所に向かい、夕飯の準備に取りかかり始める。
俺は物心つく前に家族とは死別しており、その頃から今に至るまでずっと1人で生活している。住んでいるところは、そこそこ規模のある山の中腹に一件だけ建っている平屋建ての家だ。生前、両親が所有していたらしく、遺産として俺に受け継がれた。
それは外観も中身も純和風建築で、それなりにこだわって建てられたらしく、機能的に不便なところはない。
本来なら夕飯を終えて風呂に入り、戸締りをしたのち、宿題をして残りのアニメを見る。それが俺のルーティーンだったのだが、その日だけは違った。
「な、なんだ!? 地震か!?」
苦手な地理の問題を解いていた時のことだ。
なんの予兆も、それが始まった頃の微弱な振動もなく、急に強く揺れる地震が起こった。最初は弱く、そこから揺れが大きくなるようなものではなく、最初から全速力で揺らしにきていた。
それはまるで巨人が山を掴んで左右に揺らしているかのような揺れで、棚やテレビなどの家具が揺れ動く。
だがそれらは、地震の際の二次被害の対策のために設置された金具によって固定されているので、地震に激しく揺さぶられることはあっても、倒れたり中身が溢れたりはしなかった。
しかし、俺の精神の方は補強も固定もされていないのでそういうわけにもいかず、どこからくるのか分からない地震という災害に、理屈でない恐怖を覚えていた。頭を抱えてみっともなく床で蹲る姿は、知り合いにはとてもではないが見せられないな。
どれくらい時間が経ったのかは分からないが、しばらくして揺れが治まり、安心と疲労から溜め息をつく。
物質的には無傷とはいえ、精神的には堪えるものがあった。具体的に言うと人間は震度4以上になると揺れに対して恐怖を感じるらしい。俺自身のビビり様から察するに、今の地震はそれを上回る震度だったのは間違いない。
ここら辺でこれほどの地震が起きることはあまりないのだが……。
外に出てみても家の外観になんら変化はない。中身は多少物が散乱していることはあってもそこまでの被害はない。
街の方を見てみても特に————。
「街、ないんですけど」
特にではなく大いにあった。いつもなら今いる庭から街の明かりが織りなす絶景が一望できるはずなのだが、今はそれがない。一瞬停電かと思ったが、俺の家の屋内は今も煌々と光を発している。なので停電ってことはない。我が家に自家発電の設備はないからだ。
「とりあえずニュースでも見るか」
居間に戻り、テレビをつける。ちょうどニュース速報が始まっていた。街は真っ暗なのにテレビ番組はやってるのか、という疑問が湧いてこないわけではないが、それよりも今はなにが起こっているのかを把握したい。
『現場と中継が繋がっています。そちらはどうなっていますか?』
『はい! 見えますでしょうか? こちらは上空から現場を捉えた映像です。本来そこには標高300メートルほどの山があるはずなのですが、昨夜遅くに突如として消失。今そこにあるのは、地面が陥没した際にできたと思われる空洞だけです』
『現場からは以上です————』
テレビをつけるとちょうどニュースキャスターが中継を繋ぐところだった。
そのシーンの映像はヘリコプターで撮影したのか、時折揺れており、プロペラの騒音とそれに負けじと現場のアナウンサーが声を張り上げている音声が俺の耳に届いた。
カメラが捉えたと思しき映像には陥没した空洞が映し出されていた。
そこから先も同じような話題が続いていた。今回の地震の規模、陥没した場所やそれまでの特徴の似た地盤沈下のケースを比較しての説明だ。だが山が消える例なんてあるとは思えない。
「……これは、一体?」
カメラが映した映像の街には見覚えがあった。俺が住んでいる街だ。学校に図書館、デパートなどなど……。
だがそこには決定的に欠けているものがあった。俺の住んでいる家がある山がなくなっていた。結構目立つ街の名所の一つだ。
俺の知っている建物と山の位置関係自体は映像と同じ。だがこのニュースはおかしい。
昨夜とアナウンサーは言っていた。当然のことだが一夜のうちに山が消えたら絶対に俺は気づく。なにせ自分の家があるのだ。もしそれが起こっていたなら俺は巻き添えで死んでる。それにニュースの内容は過去形だ。
これが未来の内容だとしても外が真っ暗なのはやはり妙だ。それにそんなファンタジー、俺は信じていないし信じたくない。
この状況で分かることといえば、ニュースの内容と俺の認識する現実が乖離していること、少なくとも、俺は生きているということだけだ。
「……とりあえず山の外に降りてみるか」
どれくらいの時間が経っただろう? 歩き慣れた道だ。数分かもしれないし、焦りと混乱のせいで一時間以上かかったかもしれない。
だがそれでも確実に街に繋がっている道だ。山の外に出ればなんの問題もないはずだ。
なんの根拠もないのに、辿り着くまではそう思っていた。
「な、なんだ、こりゃ!?」
下山道を通って辿り着いた場所にある、街と山を繋ぐ歩き慣れた道が途中でなくなっていた。それも街に入る境の辺りでだ。
境の辺りは巨大な黒いカーテンが引かれたように、ライトで照らしても先が全く見えなくなっていた。先に進もうとすると見えない壁にぶつかり阻まれてしまう。透明な壁は触れると、グニュグニュと鈍い音を鳴らし、それと同時に触れた部分に波紋が起こる。
「わけが分からん……」
混乱を通り越して変な悟りを開きかけている。もう帰って寝ようかな? そう思うくらいには疲れていた。なので回れ右してその場をあとにする。が、
「……いい加減、開けろよ! ってうお!?」
振り向いて壁に向かって猛ダッシュ。最大最高の苛立ちを込めた渾身の拳を放つ。それは透明な壁を叩くはずが、なぜか空を切る。
もともと壁にぶつかって止まる予定だったので、体勢やバランスを考えずに拳を放っていた。それが思わぬ形で裏切られる。
いきなり目の前の壁が消えていたのだ。そのせいで碌に受け身も取れずに地面倒れ伏してしまった。
しかも盛大にすっ転んだのを周囲の人々に見られてしまう。ヤバい、超恥ずかしい。
「……アレ?」
さっきまで俺、一人きりじゃなかったっけ?
そのままの姿勢は恥ずかしいので、とりあえず何事もなかったかのように立ち上がり、その場を去る。
日は中天に昇っており、さんさんと日光を飛ばしている。
「(いや、おかしいだろ。さっきまで夜だったんだぞ? いきなり真昼になるなんておかしいだろ。って回りの人の着てる服装がなんか昔っぽい。少なくとも現代人の装いではないな……)」
明るいのでライトを消して、そのまましばらく周りの人々と街並みを観察する。
場所は不明。日本にこんなレジャー施設があるなんて少なくとも俺は聞いたことがない。街にある建物は現代ではあまり見かけない中世っぽいものばかりだ。人々に統一性はなく、時折馬車っぽい乗り物が走っていたり、あからさまに騎士っぽい格好の人が歩いていたりした。
その中に会社に通勤するサラリーマンはいない。
「……ここどこ?」
未知との遭遇を果たしてから、すぐに、時間をかけて方々を見て回った。そこに見慣れた街の風景はなく、さっきまで背後にあったはずの山もない。頭に入れている街の地図とはかけ離れた見たことも聞いたこともない街。
建物に取り付けられている板は看板の役割を担っているのか、解読不能の言語が書かれ、道を歩く人々はファンタジーテイストな配色の目や頭髪。しかも中には猫耳が生えていたり、耳が尖っていたりなど、現実では考えられないものばかり。
そこにある物も道を行き交う人々もまるで見たことがないものばかり。まだこの世界にはこんな秘境があったのかと一瞬思ったが、そもそも時間帯がおかしい。それに最初にいた場所の背後に山がないこともおかしい。
頭が混乱してきた俺は、今、この身に起こっているこの不可思議な現象は、実は壮大なドッキリなのでは? という仮説をたてる。しかし、まず移動手段がおかしい。寝て覚めたら移動してた、なら細工の余地はあるが、俺はバッチリ起きていたし、勝手に移動させられたのなら気づく。そもそも一般人の俺がドッキリを仕掛けられる理由はない。加えて海外ならともかく、日本でこの規模のドッキリはまずない。
あるいは、山や街の地下に作られた巨大都市なのかもしれないと考えたが、地下にこの規模の都市があったら工事の音や振動、設備の運搬で気づく。
つまり、どれだけ思考を巡らせても、ここがどこなのか全く分からないし、検討もつかないし、地震がなんで起こったのかも分からない。
だが、ここまでよく分からない展開だと、逆にある1つの現象を疑わなければならなくなってくる。
些か突拍子もない発想だが、ここはテレビで見たことがあるような、正確にはここ最近のアニメでよく見る全く別の世界という説が濃厚になってきた。
そしてそれが正しいのなら、俺の身に起こったこの現象は『神隠し』ということになる。今風にいうなら『異世界転移』か。
それからさらに見て回り、聞き込みをしたところ、なぜか言葉は通じるらしく、異世界で間違いないだろうという結論に達した。街中の人に地名や、今が何月か、この国がなんなのか聞いたが、いずれも聞いたことのないものばかりだった。
それにより得られた情報に拠れば、この国の名前は中立国ポップというらしかった。首都の名はシビル。この国は年中温暖で季節の変化に乏しく、東大陸の南東に位置している。都市部は魔術工学とやらで発展しているが、辺境にいくと長閑な農村部や自然がどこまでも広がる文明レベルの格差の大きい国だ。他の国と比べると、都市部を除いてこの国は田舎で特色と呼べるようなものはほとんどない。『魔女の工房』という古代の建築物はあるがほぼ探索し尽くされており、こちらも見どころはないに等しい。聞く人によってはその建築物は遺跡や墳墓、ダンジョンなどと表現の仕方が変わるが些細なことだろう。(ダンジョンってなんだ? 英語の意味だと地下牢だが……)
道行く人から聞いた情報をまとめるとこんなところか。あと評議会と呼ばれる有識者の集団が国会の舵取りをしているらしい。しかし……
「どうすんだよ、俺」
状況は最悪。初期装備はライト。精密機器なので「ひのきのぼう」よりも貧弱だ。持ってきてはいないが、日本のお金はここでは使えないだろう。紙幣は信用の産物。誰とも知らないオッサンが書かれた紙切れなんてこの国ではチリ紙程度の価値しかない。
だがここは異世界で、体験しているのは異世界転移だ。なにかしらのなにかがあってもおかしくない。なにせファンタジーなのだ。魔法を出したり、空を飛んだり、銃火器じゃなくて剣で戦ったりなどなどがあるかもしれない。
だが今のところ自分自身にそんな不思議な力が宿っているようには感じないし、仮にあったとしても、
「……めっちゃ帰りてぇ」
当然、そこに帰結する。
当時はただ帰りたいとだけしか思っていなかった。元の世界の日常に戻りたいとしか。
だが、この時点で俺は気づかぬうちに既に引き返せないところまで来ていた。
それに気づくのはずっとあとのことだ。
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