第7話 お出掛け
また少し長いです
「葵、お昼は駅前のカフェレストランにしようと思っているんだけれど、いいかな?」
「もちろん!」
映画館に向かう前に誠史が提案した。駅前のカフェレストランはあまり高くない上におしゃれなメニューが多いことで最近話題になっていた。それを知っていた葵は密かに行きたいと思っていた。
お店までの道すがら、2人は会話に花を咲かせた。
「最近、暖かくなってきたね」
「うん、まだまだ寒いかと思ったけど、一気に暖かくなってきたね」
「もう少ししたら、植物園とかの見ごろの花も種類が変わってくるんじゃないかな」
「わぁっ」
葵はこれまでに何度か誠史に誘われて植物園に行ったことがあった。行くたびにその季節の見ごろの花が満開に咲いていて、葵はいつもその景色に感動していた。
「今度、また一緒に行こうか」
「うん! 行きたい」
「フフッ。じゃあ、都合を合わせて行こう」
「楽しみにしているね」
思いがけず次のデートの約束まで出来たことに葵は心を躍らせた。その様子に誠史は微笑ましげに見つめていた。
「――あっ、ここだね」
駅前に着いてしばらくすると、誠史は葵に声をかけた。横を見ると、店名の書かれた立て看板がある。誠史が扉を開け、葵は中に入った。フワッと紅茶の香りがしてきた。
お店の中は落ち着いた雰囲気で、それなりにお客さんも入っていた。大半がカップルで、残りのほとんどが女性客だ。
「(女の人たちの視線が痛い……)」
殆どの人が誠史に釘付けになり、それには店員まで含まれている。更にはカップルの男性の方が葵に見惚れていたが、誠史が視線を向けるとすぐに逸らしていた。
「いらっしゃいませー。2名様ですか?」
「はい」
「お席にご案内します」
ほんのりと頬を染めた店員に案内され、窓際の席に着いた。外にはテラス席もあり、天気のいい日はとても気持ちが良さそうに見える。
「葵、何食べる?」
誠史にそう聞かれ、葵はメニューに目を向けた。写真付きのメニューでとても可愛らしい字で書かれていた。書かれている内容もどれも美味しそうで葵は何を注文するか迷っていた。
注文が決まると誠史が店員を呼ぶ。すると、女性店員たちが誰が行くか小声で揉めた。周りに聞こえないほどのやり取りだが、葵はもう一つの姿である“九尾の狐”の影響で耳が良い。そのため、しっかりとそのやり取りが聞こえていた。
勝者となった女性店員がいそいそと葵たちのテーブルにやって来た。
「ご注文をお伺いします」
「日替わりランチプレートのAとアイスコーヒー、日替わりサンドイッチセットとフルーツ・フレーバー・ティーのアイスをお願いします」
「かしこまりました」
誠史から注文を聞いた店員は少しだけ名残惜しそうに離れていった。葵はその店員の背中と周りの席にチラチラと目を向けた。
「葵、どうしたの?」
「ううん、何でもないよ」
他の席にいる女性客たちが時々チラッと見てくるのが気になる葵に、誠史が不思議そうに聞いてきた。誠史は気付いていないのか、ただ単に気にしていないのか、いつもの穏やかな笑みを浮かべている。葵もせっかくの誠史と2人きりの時間を楽しもうと周りから意識を切り離した。
葵が頼んだ日替わりサンドイッチは、クラブハウスサンドだった。野菜とチキンとカリカリに焼かれたベーコンがサンドされていて、バターの染みたトーストとよく合っていた。フルーツ・フレーバー・ティーは透明なガラスのティーポットに入った紅茶の中にイチゴやオレンジなどのドライフルーツが浮かび、フルーティーな香りと味はもちろんのこと見た目でも楽しめた。
食事に満足した葵と誠史は映画の時間が近づくと店を出た。2人が出る時、店中にいた女性たちが残念そうなため息をつくのが聞こえたが、葵は聞かなかったことにした。
「いいお店だったね」
「うん! また来たいね」
「俺で良ければ、いつでも付き合うよ」
誠史がそう言うと、葵は嬉しそうに笑った。
その後、2人はこれから見る映画のことを話しながら、映画館へと向かっていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
葵と誠史が映画館へ向かう頃、咲緒理と慶人は目的のカフェに着いていた。
図書館からは割と近く、すぐ側には自然公園がある。そのため人通りもそれほど多くなく、とても静かな雰囲気だった。自然公園と雰囲気が合うように、カフェ周りにも色々と花や植物が植えられている。
カフェに着くと、2人はテラス席に案内された。テラスにも色々な花が飾られている。
「綺麗なカフェだね。誠史君とかアオちゃんも好きそう」
「そうだな」
咲緒理の言葉に返事をしつつ、慶人は周りの席にチラッと眼を向けた。男性の店員や客の視線が多く集まっているのはもちろんのこと、それ以上に誠史たちのように女性たちの視線がこちらに向けられていた。
「(沖田が1人では来づらそうにするのも分かるな、これは……)」
侑哉も慶人たち同様ファンクラブがある生徒の1人だ。それだけ、女性からの視線を集めやすい。咲緒理と一緒に来ている慶人ですらこの状態だ。侑哉一人で来ていたらどうなっていたか、想像するまでもなかった。
咲緒理も自分たちに集まる視線に気付いているのか、チラッと周りに目を向けて苦笑いをしている。
「すごいね、慶人君」
「お前だって男どもの視線の的だぞ」
「そうかな?」
「(女の視線には気付いて、男の視線には気付いてねぇのかよ……)」
半分呆れつつも咲緒理らしいと慶人は思う。
「それで、なに頼むんだ?」
「ん~、どうしようかな……」
メニューにはサンドイッチなどの軽食の他にオムライスやナポリタンなどの名前も並んでいる。いくつかは写真付きで載り、その写真も美味しそうに見える。
「何で迷っているんだ」
「マカロニ・グラタンとオムライス」
咲緒理が挙げた2つはカフェの人気メニューだ。どちらもサラダとスープが付いている。加えてどちらも咲緒理の好物だ。
「それなら俺がオムライスを頼むから、お前はグラタンを頼んだらどうだ」
「……いいの?」
「構わねぇよ。ドリンクはどうする?」
「えっと……アイスティーのレモンで」
咲緒理の返事を聞くと、慶人は店員を呼ぶ。今いる店員の中で一番上らしき女性が颯爽と向かってくる。その後ろでは他の女性店員たちが残念そうにしている。
「ご注文をお伺いいたします」
やって来た店員は大抵の男性なら見惚れるであろう笑みを慶人に向ける。しかし、慶人はそれに目を向けずにメニューを開く。
「オムライスとグラタンを1つずつ。ドリンクはアイスティーのレモンとアイスコーヒーを食前に。以上だ」
「……かしこまりました」
自分の最高の笑みが全く響かず、メニューを差し出された女性店員はそれを受け取ると、肩を落として戻っていく。その後姿を咲緒理は少しだけ気の毒そうに見た。
「……なんだ」
咲緒理の表情に気付いた慶人が声をかけた。
「ううん。ちょっとだけ可哀想だなって思っただけ。綺麗な人だったじゃない」
「好みじゃねぇ」
「慶人君の好みって結構厳しそう……」
慶人はタイプは違えど容姿端麗な仲間全員の中でもトップクラスに部類する。そのため女性から声をかけられるのは日常茶飯事だが、それに応えたことはない。
「そう言うお前はどうなんだ」
「私? 私は特に……優とアオちゃんの恋バナを聞いて満足っていうか……恋愛する自分が想像できない」
「その優梨と葵は、匡利と誠史と出掛けているようだな」
「うん。だから、帰ってから話を聞くのが楽しみ」
優梨と葵と誠史の気持ちは匡利を含めた当人たち以外には周知の事実だ。あれだけ分かりやすいのに、何故当人たちは気付かないのかと慶人は疑問に思っているが、それで良いと本人たちが言うのでそれ以上口は出していない。むしろ自分もその様子を楽しんでいる節もあった。
会話に花を咲かせていると、頼んだものがやってきた。2人は取り皿を頼み、それぞれの料理を盛って交換した。
グラタンは程よく茹でられたマカロニにホワイトソースが絡み、具材のうまみもしっかりと感じられた。オムライスはシンプルな味付けのチキンライスにトロっとした卵と上にかかるトマトソースがよく合っている。
好物を両方とも堪能できた咲緒理は始終ご機嫌で食べていた。その様子を慶人は微笑ましそうに眺め、誘って良かったと思っていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
教室を出た雅樹と紗奈はそのまま校門を出て通りを歩いていた。繋がれたままの手に戸惑いつつも、何故か紗奈はそれを振り解くことが出来なかった。
「紗奈、腹は空いているか?」
ずっと黙っていた雅樹が立ち止まり、不意に声をかけてきた。驚いて顔を上げると、雅樹は紗奈を見つめていた。いつの間にか交差点まで来ていて信号待ちをしている。
問いかけに頷いて返事をすると、雅樹は少し考えた。
「ハンバーガーは好き?」
「うん、好きだよ」
「そう……俺の知っている所で良いか?」
「うん」
紗奈が返事したところで青になり、横断歩道を渡る。
紗奈は雅樹が鞄を持ったままで自分が手ぶらなことに気付いたが、とてもそれを言い出せる雰囲気じゃなく、少し迷ったがそのままでいることにした。
しばらく歩いて着いたのはカフェのような店だった。てっきりファーストフード店に行くものだと思っていた紗奈は少し驚いた。
そのまま店に入るとカウンターに向かい、そこで注文するようだ。メニューを見ると、ハンバーガー専門の店なのだと分かった。ただ紗奈がよく行くファーストフード店と違い、少し値段は高めだ。
「何が良い?」
「えっと……この特製ハンバーガーかな」
数あるメニューの中でも比較的に安めの物を選んだ。すると、雅樹が紗奈をジッと見つめた。どうしたのかと紗奈が首をかしげていると、それ以上頼む気がないのだと悟った雅樹は小さく息をついた。
「……紗奈、サラダ好き?」
「えっ? うん、好きだよ」
「ポテトは?」
「好きだよ」
「ドリンクは何が好き?」
「えっと……ウーロン茶かな」
何の質問かと思いつつ答えていくと、雅樹は満足したような雰囲気で店員の方を向いた。雅樹に見惚れていた女性店員は、はっと我に返ったように背筋を正した。
「ご注文をどうぞ」
「ベーコンチーズバーガーのポテトセット1つ、ドリンクはコーラで。あと、単品で照り焼きチキンバーガー1つ。それから特製ハンバーガーのサラダとポテトのセット1つ、ドリンクはウーロン茶で」
いつの間にか自分の注文する物が増えていることに紗奈はギョッとした。慌てて止めようとするが、雅樹は気にせずそのまま注文を通した。
「4310円になります」
金額が伝えられると、紗奈が財布を出すよりも早く雅樹が全額支払った。驚いて見上げると、紗奈の視線に気付いた雅樹がニッと口角を上げた。
「俺の奢り。俺に付き合ってくれた礼だ」
「でも……」
「いいから、気にするな」
雅樹にそこまで言われ、紗奈はその言葉に甘えることにした。笑顔でお礼を言うと、雅樹は少し照れくさそうに頭を掻いた。
店員から番号札を貰い、2人は窓際の席へと向かった。途中、他の客が2人をチラ見していたが、気にせずその前を通り過ぎた。
しばらく2人で談笑をしていると、注文したものが来た。肉厚のハンバーグと新鮮な野菜がパンにサンドされて、シンプルながらボリュームもあって豪華だ。
「「いただきます」」
2人で声を揃えて言い、ハンバーガーに齧り付く。ハンバーグはとてもジューシーで、シンプルな味のソースと野菜とよく合う。セットのフライドポテトは少し太めの細切りで、外はカリッとして中はホクホクとしている。塩加減も丁度良い具合だ。
「美味しい~」
「それは良かった」
顔を綻ばせて食べる紗奈を見て雅樹もどこか嬉しそうだ。ハンバーガーはそれなりにサイズがあるが、紗奈が半分食べたころには雅樹は2個目に手を付けていた。
「雅樹くんはよくここには来るの?」
「いや、たまにだな。最初は慶人たちに誘われて来て、その後は1人で来たり誘われたり……」
「そっかぁ。それにしても本当に美味しいね。気に入っちゃった」
「じゃあ、また誘うな」
雅樹がそう言うと紗奈は一瞬目を丸くしたが、すぐに照れくさそうに笑いながら頷いていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
駅前まで向かう道中、優梨はずっと上機嫌だった。ニコニコと笑顔を浮かべ、人が見ていなければスキップまでしそうな勢いだ。
「……嬉しそうだな」
優梨とは対照的に無表情のままの匡利がその様子を見て呟く。その声が聞こえたのか、優梨は匡利を見上げた。
「だってテストも終わったし、久しぶりのドーナツ屋だし」
何食わぬ顔でそう答える。もっとも、上機嫌の一番の理由は匡利と出掛けられることだ。それに気づかない匡利はそういうものかと納得している。
優梨は気付かれなかったことにホッとしつつも、複雑な気持ちにもなった。
「(そもそも私って、前世の分も合わせてもこれがほぼ初恋なんだよね……)」
前世で両親が生きている頃は憧れる先輩はいたが恋とは言えず、事故で両親が亡くなってからは恋愛なんてしていられなかった。転生後も慶人たちと暮らすまで恋どころか周りの人間は誰も信じられなかった。
「(色んなスキルは持っていても恋愛スキルなんてものは存在しないし、知識はあっても経験なさ過ぎてどうすればいいのか分からないし、何より匡利は恋愛に興味なしだし……)」
悶々と考えながら匡利を一瞥する。優梨の視線に気付かない端整な横顔がまっすぐ前を向いている。
「(とりあえず現状維持で正解、だよね……?)」
そう思ってから、ひとまずはデートを楽しもうと優梨はこっそりと匡利との距離を縮めていた。
駅前のドーナツ屋は土曜日ということもあって大いに賑わっていた。
注文するカウンターの横には大きなショーケースがあり、そこには色々な種類のドーナツが並んでいる。それとは別途に食事系のドーナツやセットがメニュー表に載っている。食事系のドーナツは甘くないドーナツで、いろいろな具材をサンドイッチのように挟んでいる物や、カレーやシチューとセットになっているメニューが多い。
優梨と匡利は順番に並びながら、メニューを開いて頼むものを選んでいる。
「色々あって迷う~。匡利はどうするの?」
「そうだな……この野菜とチーズのサンドとコーヒーだな」
「甘いのはいらないの?」
「そのつもりだが、お前は両方食べるのか?」
「うん。デザートセットにすると、手ごろなサイズで両方楽しめるんだよね!」
「(……本当に好きだな)」
目をキラキラと輝かせながら言う優梨に匡利はしみじみと思っていた。
ギリギリまで悩んでいた優梨は最終的にハムと野菜のサンドのデザートセットにして、甘いドーナツは定番のチョコと砂糖を選んでいた。注文が終わると、飲み物と番号札を受け取って席を探した。店内はそれなりに混みあっていたが、運よく窓際のテーブル席に座れた。
「とりあえず、テストお疲れ様」
「お疲れ様」
向かい合わせに座って荷物を置くと、アイスコーヒーとジンジャーエールの入ったグラスを軽くぶつけ合った。一口飲んでホッと一息ついた。
「匡利はどうだった? テスト」
「問題ない」
優梨の問いに迷いなく答える。苦手教科がないと豪語するだけのことはあると優梨は思った。
「優は?」
「数学は手応えあったし自信あるけど、他はちょこちょこ自信ない部分があるかな……あっ、赤点ではないと思うよ」
「それは大丈夫だろう。前日の勉強もよく出来ていたからな」
「ありがとうね」
勉強をみてもらえただけでなく、こうして願いを聞いてもらえたことを含めて礼を言うと、通じたのか匡利は小さく頷いている。
注文した料理がやってきた。運んできたのは女性店員で、料理をテーブルに置いた後にチラッと匡利を見た。視線に気付いた匡利が顔を上げて目が合うと、女性店員は顔を赤くして戻っていった。その意味が分からない匡利は首を傾げているが、優梨はその様子に苦笑した。
「(本当に鈍いなぁ……)」
そう思いつつ、優梨は料理に手をのばした。丸型のドーナツに挟まれているハムは店の自家製だ、程よい塩味と肉のうまみが甘味の少ないドーナツによく合っている。匡利が食べている方のチーズは店のオーナーが厳選して仕入れているものらしく、優梨も何度か食べているがそれも美味しかった。
ペロリとドーナツ・サンドを食べ終えると今度は甘いドーナツに手にとる。通常サイズより少し小振りのリングドーナツにたっぷりと砂糖がまぶされたシュガードーナツと表面にまんべんなく塗られたチョコレートのドーナツだ。定番と言える味だが、何度食べても飽きない美味しさだ。
ニコニコと笑みを浮かべながら食べていると、料理を食べ終えた匡利がジッと見つめてきた。
「なぁに?」
「いや……幸せそうに食べるなと思っただけだ」
そう言われ、優梨はなんだか気恥ずかしくなった。匡利は相変わらずの無表情だが、きっと表情があったら笑っているんだろうなと優梨は思った。
一通り食べ終わった後、優梨と匡利は午後の予定を話し合った。予定通り駅ビルの中の大きな本屋に行くついでに駅ビルの中も見て回ることになり、優梨は密かに喜んだ。
店を出る前に他の皆にお土産で買っていくことにした。それぞれの好みを考えながら選んだら結構な量になった。その後の予定もあるので、店を出た後に人のいない場所で《無限収納》にしまい、優梨は意気揚々と匡利の隣に並んで駅ビルへと向かっていった。
その日の夜、夕飯後のデザートには優梨と匡利が買ってきたドーナツがテーブルに並び、みんな喜んで食べていた。