第6話 ご褒美と模試本番
少し長いです。
校内模試まで残り5日となった日曜日の夜。誠史は試験勉強の後に1階のリビングのソファで映画の雑誌を読んでいた。
「(昼はどこかで食事をして、そのあと映画を観るとして……葵だったらどれが好きかな)」
模試の2日目は午前中いっぱいテストがあり、午後は授業も部活もない。たまの午後のオフを葵と過ごそうと、誠史は密かに出掛ける計画を立てていた。読んでいる雑誌には現在公開中の映画の情報がたくさん載っている。
明日の放課後にチケットショップで前売り券を買う予定で、それまでに決めようとしている。
「誠史」
声がして顔を上げると、いつの間にか玲がコーヒーの入ったマグカップをもって目の前にいた。
「集中しているようだからコーヒーを淹れたんだが、飲むか?」
「うん。ありがとう、玲」
玲からマグカップを受け取り、一口飲んでみる。好みの味と香りに誠史は思わず笑みを浮かべた。
玲は誠史の隣に座ると、目の前のローテーブルに広げられた雑誌を覗き込んだ。
「映画の雑誌か?」
「あぁ、そうだよ」
「……土曜の模試の後に葵と出掛ける予定を計画中か」
「フフッ、さすがだね」
「だが、この様子だとどの映画に行くか迷っている、といったところか」
「玲にかかれば何でもお見通しって感じだね」
誠史も玲も相手の心を読む《読心》のスキルを持っているが、玲にとってそれくらいはスキルを使うまでもなかった。
玲も誠史が読んでいる雑誌を手に取り、ページを捲った。ふと、1つの映画タイトルが目に入った。
「誠史」
「ん? なんだい?」
「優梨からの情報なのだが、葵がこの映画を観たいと言っていたようだぞ」
玲がそう言って指差したのはアニメ映画だった。その映画は昔からある2つのアニメのコラボ作品で、テレビでも話題になっていたものだった。最近葵がそのコラボされたアニメのうちの1つにはまったと言っていたのを誠史は思い出した。
「……うん、この映画だったら昼食の後に行けばちょうど始まるくらいだ」
「俺の情報は役に立ったようだな」
「あぁ、助かったよ。玲、ありがとう」
誠史はそう言ってコーヒーをまた飲んだ。その後、残りの日程を考えようと映画以外の雑誌を読み始めた。そんな誠史を玲は何も言わずに眺めながらコーヒーを飲んでいた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
模試の前日の放課後、慶人はテニス部の部室で作業をしていた。週の残りの2日間は模試のため部活がなく、日曜から始まる連休の前半には部活がある。そのため、週のまとめを部誌に書くのと連休中の部活の日程を考えるため、まだ残っていた。
作業も終盤になった頃、部室のドアがノックされた。返事をすると、1人の男が顔を出した
「おっ、まだおったんやな」
「沖田か。どうした」
男の名は沖田侑哉。特進クラス所属で龍一や治士と同じ組だ。部活は慶人と同じテニス部でレギュラーでもある。中学の頃に大阪から転校してきて、気さくな性格から割とすぐに慶人たちと打ち解けていた。また、その性格に加えて甘いルックスに女子からの人気も絶大だ。
「ちょっとええか? 今」
「ちょうど終わったところだ。どうした」
「あんな、相談っちゅうかお願いなんやけど、これ貰ってくれへん?」
そう言って侑哉が差し出してきたのは、あるカフェの割引券が2枚だった。
「……なんだ、これは」
「区立図書館の側にな、新しいカフェが出来てん。そこの割引券や」
「何故これを俺に?」
訝し気に視線を向けると、侑哉は困り顔で肩を竦めた。
「大阪におる俺の姉貴がな、模試の2日目にこっちに来るねん。ほんで、昼飯にどっかええ所のカフェを見繕ってやって言われたんや。せやから、そこのカフェ中々評判がええから割引券を貰ってきたんやけど……」
「そこのカフェは嫌がられたのか?」
「違うねん。そもそもこっちに来る用事が大学時代から付き合うてる彼氏に会うからなんやけど、日曜日に一緒に行くんやて。ほんまは土曜日から会う予定立てて新幹線のチケットも買うてたんやけど、急に彼氏が土曜は会えへんくなって……。せやったらこっちで一人暮らしの俺の様子を見たろうってことらしいねん」
「なるほどな」
「俺一人で行くにもそこのカフェ、女の子かカップルが多いんやて。確か、天宮んところの姫さんたちカフェ好きやったろ? あの子たちにあげてや」
「それはいいが……“姫”って誰のこと言ってるんだ、お前」
あまり聞かない呼び名に慶人は怪訝な顔をした。一方の侑哉は何でもないことの様に笑みを浮かべる。
「誰って咲緒理ちゃんやけど、アカンの?」
「……お前、誰かれ構わずそう呼んでんのか?」
「なんとなくやからなぁ……優梨ちゃんや葵ちゃんは“お嬢さん”“お嬢ちゃん”って呼んどるけど、嫌やって言われてへんで。むしろ喜んどるし」
「……そうか」
「ほんなら、よろしゅうなぁ」
用事が一通り済むと侑哉は機嫌よく部室を出て行った。
残された慶人は小さくため息をつき、侑哉から受け取った割引券に目を落とした。
「(あいつらは全員カフェ好きだが、2枚だからな……)」
少々半端な数に慶人は帰り支度を進めながら思案した。
「(模試の2日目か……確か葵は誠史が何か計画していたな……優梨は最近の機嫌からして匡利に何か誘われているだろう……あとは咲緒理と佳穂だが、あいつら微妙に好みが違うよな……)」
慶人はスマホを取り出し、貰った割引券のカフェを検索した。
「(……確かに女が好みそうな店だな。だが、微妙に佳穂の好みからは外れるか。あいつはもっとクラシカルなカフェを好むからな……咲緒理だったら好きそうか)」
慶人は財布に割引券を仕舞い、支度を済ませて部室から出て行った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
そして模試の日がやってきた。
1日目は地理、化学、古典、歴史または政経の4科目だ。2日目は現文、数学、生物または物理、英語の4科目になる。この2日間は午前中で模試が終わり、午後は授業も部活もなく、生徒たちは帰宅するか図書室や教室で勉強するかのどちらかだ。
1日目のテスト終了後、優梨・葵・咲緒理の3人はいつも通り屋上で昼食後、教室で勉強をしていた。
「ねぇねぇ、優。この文章問題ってどの公式使うとやりやすいの?」
「どれ? ……その問題なら、この公式かな。こっちにこの数字、こっちにこの数字を当てはめればすぐに解けるはずだよ」
「……あ、なるほど」
「引っかけ問題だから間違えやすいけど、そこさえ解ければ後の2問は割と簡単だよ。……サオ、この問題ってこの文章で考えていいの?」
「それは……こっちの文章の方が良いかも」
「……あぁ、確かに」
「次の問題も同じ文章で考えると良いと思うよ。……アオちゃん、この単語の訳ってこの意味で考えていいと思う?」
「どれ~? ……あぁ、それね。私も迷ったんだけれど、それよりこの2個下の意味の方が自然に訳せるよ」
優梨たちはそれぞれ優梨が現文、葵が数学、咲緒理が英語の勉強している。問題集や辞書を広げ、分からない問題を聞きあいながら過ごしていた。
始めてから1時間ほどたち、問題の区切りがいいところで休憩に入った。
「――ところで、2人は明日の午後はどうするの?」
飲んでいたパックジュースのストローから口を離すと、優梨は葵と咲緒理に聞いた。
「私はね、誠史くんと出掛ける予定だよ」
「本当? どこに行くの?」
「映画。私が前から観たいなって思っていた映画の前売り券を誠史くんがたまたま貰ったんだって」
「((絶対に“たまたま”じゃないんだろうな……))」
嬉しそうに話す葵に優梨と咲緒理は微笑ましく感じながらそう思った。さらに優梨の脳裏には少し前のことが浮かんだ。家の廊下で玲に呼び止められ、急に「最近、葵が観たそうにしている映画はないか?」と聞かれた。それで最新のアニメ映画の名前を伝えたことを思い出した。
「帰りには近くのカフェに行こうねって言ってるの!」
「それは楽しみだね」
「うん! 優は?」
「私はね、今回の模試の勉強を頑張ったご褒美で匡利に駅前のドーナツ屋さんに連れてってもらう約束をしたんだ」
一週間前、優梨はその日も家の図書室で匡利から試験勉強を見てもらっていた。相変わらずのスパルタっぷりに優梨は目を回していた。
『――あぁ! もう無理!』
匡利が出す問題に即答えるというやり方で、地理だけでなく古典や歴史などの暗記中心の教科を勉強していた。それを何度か繰り返したところで優梨は根を上げた。
『……今のとこと全問正解しているぞ』
『だって間違ったらデコピン一発だし、匡利のデコピン強烈だし……』
涙目で少々赤くなっている額をさする。
『加減はしている』
『いやいや、加減してこの威力って全力だとどんだけ痛いの……』
想像してみた途端、何もされていないのに思わず額を押さえた。
少し休憩をしようと匡利が言い、優梨はホッと息をついた。それでも無意識のうちに目の前の教科書のページを捲っている。
『……2日目の午後、どこかに行くか?』
不意に匡利がそう言った。優梨が顔を上げると、匡利は腕を組みながら優梨を見つめている。
『この調子で頑張ったら、好きな場所に連れていく』
『……いいの?』
『頑張れたらな』
無表情のままそう繰り返す匡利。優梨は頬が自然と緩むのを感じた。
『駅前にあるドーナツ屋がいいなぁ。今、春の新作が出ているんだ』
『駅前……お前が好きでよく行っている場所か』
『うん! 甘くないドーナツのランチプレートとかもあるんだよ。お昼も兼ねてそこが良い』
『構わない』
『ついでに本屋も行きたいな。匡利のおすすめの小説とか教えて』
『あぁ』
『フフッ、楽しみだなぁ』
急に機嫌が良さそうに教科書を見始める優梨。匡利は相変わらずの無表情のまま問題集を開いた。
『続きをするぞ』
『はぁい』
返事をした次の瞬間には矢継ぎ早に問題を出された。それでも優梨は晴れ晴れとした気持ちで答えていた。
匡利の教え方はスパルタだったけれど、優梨とそれなりに長く一緒にいるだけに飴とムチの使い分けがうまい。出掛ける約束をしたおかげでその後の試験勉強はいつも以上に捗ったように優梨は感じている。
約束したときのことを思い出し、優梨は思わず頬が緩んだ。心なしか赤く染まっているようにも葵と咲緒理には見えた。
「良かったね、優」
嬉しそうにする優梨に葵がそう言った。
「えへへ。ついでに一緒に本屋とかにも行こうかって話になっているんだ」
「なんか2人らしいお出掛けコースだね」
「まぁね。ところで、サオはどうするの?」
「私は慶人君と区立図書館の側に出来た新しいカフェに行く約束をしているよ」
意外な人物の名前に優梨と葵は目を丸くした。
「慶人と?」
「珍しいね。2人が一緒に出掛けるなんて」
「なんでも、同じ部活の人から割引券を貰ったらしいんだけど、それが2枚らしくて。優もアオちゃんも佳穂も予定があるから、私を誘ってくれたみたい」
「何で慶人くんは私たちの予定を知っていたのかな?」
「多分、匡利君とか誠史君に直接聞いたんじゃないかな? 優とアオちゃんが一緒に出掛けそうなのって私たち以外だと、その2人が殆どだから」
区立図書館の側に出来た新しいカフェは、優梨も広告雑誌を見て何となく知っていた。雑誌に載っていた写真の感じでは女の子が喜びそうな所で、雰囲気は咲緒理が一番好きそうだと優梨は感じていた。
「(もしかして割引券を貰ったのは本当だろうけれど、慶人は最初からサオを誘うつもりだったんじゃないかなぁ……)」
何事もスマートにそつなくこなす慶人が、咲緒理の好みを把握せずに誘うはずがないと優梨は思っている。それを慶人は敢えて口にしていないのだから、自分も黙っていようと優梨はそれ以上何も言わなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
翌日、模試2日目の最終科目は英語だった。
教室にいる全員が必死に手を動かして問題を解き続けている。
「(あと5分……)」
優梨は問題を解き終わり、最後の見直しをしている。空欄はないか、解答欄を間違えていないか、些細なミスをしていないか……。答案用紙を隅々まで見る。
最後の問題の見直しを終えたところで、校舎中に終了の鐘が響いた。
「はい、そこまで。ペンを置いて後ろから回収してください」
桜先生の声が上がり、同時に教室中から嬉しそうな声が上がった。
テストを回収し終えた桜先生は一度職員室に行くと言って教室を出て行った。すると、生徒たちは友人同士で集まってテストの出来栄えを話し始めた。葵もその1人で桜先生が教室を出るのと同時に優梨のもとへやってきた。
「終わったねー、テスト」
「ねっ! これでやっと落ち着いて休みを過ごせるよ」
「そうだねぇ」
ホッとしたように2人がそう話していると、すぐそばの席の男子生徒が驚いたような顔で2人を見た。
「汐崎と大野は、テストに落ちているかもしれないとは思わねぇの?」
「「えっ? 全然」」
「そうかよ……すげぇな」
けろっと答える2人に男子生徒は呆れ半分感心半分で返事をした。その会話が聞こえたのか、席の近い佳穂と誠史が苦笑を浮かべていた。
桜先生が戻ってくるとSHRになった。休み明けの連絡事項と、模試の結果は翌々日の月曜に送られてくること、補習になった場合は火曜日から3日間行われることが伝えられた。
SHRが終わると、生徒たちはいっせいに帰り支度を始める。もちろん優梨たちも約束があるため急いで支度を進めている。
「葵、もう行けるかな?」
「うん!」
葵と誠史がそう話すのが優梨は聞こえてきた。顔を上げると、目が合った葵が笑顔で手を振ってきた。手を振り返すと、葵は誠史と一緒に教室を出ていく。途中で佳穂と紗奈と雅樹に声をかけていた。
「お待ちなさい、大野葵! この私を置いて私の加村君とどこへ行くつもり!?」
2人が教室を出て行く直前にエリカがそう叫んでいたが、葵の耳には届いていないのか何も反応せずに行ってしまった。悔し気に声を上げるエリカに優梨は苦笑していた。
「咲緒理、用意は出来たか?」
今度は慶人が咲緒理に声をかけるのが聞こえてきた。そちらに目を向けると、準備を整える咲緒理の側に慶人が立っていた。
「あとちょっと……うん、行けるよ」
咲緒理がそう答え、2人は並んで歩いて教室を出て行った。
他にも朔夜と玲も一緒に出掛ける約束をしているのか、何やら相談しながら帰っていく。優梨が気付かない間に佳穂もいなくなっていた。
「優梨」
後ろから声をかけられて振り返ると、匡利が用意を終えて立っていた。
「行けるか?」
「うん、行けるよ」
忘れ物がないかチェックをして優梨は鞄を持って匡利の横に並んだ。
「なんだ、匡利と優梨も一緒に出掛けるのか?」
雅樹と紗奈の側を通る時、雅樹からそう声をかけられた。
「うん、そうだよ」
「前に約束したんだ」
「ねっ。雅樹と紗奈ちゃんは、これからどうするの?」
「特に決めていないかな」
優梨の問いかけに紗奈がそう答えると、それまで気だるげにしていた雅樹が紗奈を振り返った。
「それなら、俺と一緒に出掛けないか?」
「えっ?」
「ちょうど暇だし。家に帰っても誰もいないみたいだから」
「う、うん。いいけど……」
「なら、早速行くか。じゃあな、優梨、匡利」
雅樹はそういうと立ち上がり、自分と紗奈の鞄を掴んだ。右手にまとめて持つと、反対の手で戸惑い気味の紗奈の手を掴み、そのまま教室を出て行った。優梨と匡利は2人の後姿を呆然と見つめていた。
「……何だったんだ、今のは」
「雅樹があんな風に言うなんて珍しいね」
「そうだな」
「……とりあえず、私たちも行こうか」
「あぁ」
らしくない雅樹の行動のことはしばらく忘れ、優梨は匡利とのお出掛けを楽しむことにした。