第61話 一難去って
優梨が志芭と踊ると決まった日の放課後、ダンパ実行委員会の最初の会議があった。今までは担任を介して個別に資料やアンケートを渡されるだけだったが、今日やっと会議が行われる。
生徒会役員である慶人たちは先に会議室に向かい、咲緒理は実験室に寄ってから会議室に向かう事にしていた。実験室を出ようとしたところで、逆に入ろうとした裕秋とかち合った。
「ごめんね、部長」
「ううん。日向さん、これから会議?」
「うん」
「そっか……。ねぇ、日向さん」
横を通り過ぎようとする咲緒理を裕秋は呼び止めた。咲緒理は立ち止まり、裕秋の方を振り向いた。
「確か日向さん、まだダンパのペア決まっていないよね?」
「うん、そうなの。急がなきゃとは思うんだけれど……」
「……あのさ、もし良かったらなんだけど……俺と踊ってくれないかな?」
「えっ?」
裕秋からの思いがけない誘いに咲緒理は目を丸くした。
「あっ、もし他に踊りたい人がいるなら別に良いんだけれど」
「いや、そんな人は――」
そんな人はいない、そう続けようとして言葉に詰まった。咲緒理の脳裏には1人の男が浮かんだ。その途端、言おうとした言葉を失ってしまった。
急に黙り込んでしまった咲緒理を裕秋は不思議そうに見つめた。
「日向さん?」
「……ごめん、部長……少し、考えさせてもらっても良いかな?」
視線を下げ、咲緒理は言った。裕秋は一瞬目を丸くしたが、すぐに笑みを浮かべた。
「うん、分かった。ごめんね、引き留めて。会議、頑張って」
そう言って裕秋が実験室に入ると、咲緒理は踵を返して会議室の方へ向かった。その道すがら、咲緒理は先ほど思い浮かべた男のことを考えた。
「(私、なに期待しているんだろう……あの人が誘ってくれるとは限らないのに……)」
自嘲気味にため息を吐いていると、いつの間にか会議室の前にいた。
「失礼します……」
ゆっくりと扉を開けて中に入った。すでにいた匡利と玲が振り返り、慶人が顔を上げた。慶人の隣には先ほど咲緒理が思い浮かべた男――侑哉が立っていた。
侑哉を目にした咲緒理は驚き、思わず一歩後ろに下がった。すぐ後ろには閉めたばかりの扉があり、咲緒理は思い切り背中と頭をぶつけた。
「いっ……!」
「咲緒理?」
「大丈夫か?」
「急にどうした?」
思いの外大きな音と衝撃があり、咲緒理は痛みに声を詰まらせた。咲緒理の突然の行動に慶人たち3人も驚き、心配そうに声をかけた。侑哉だけは目を丸くしていたが何も言わなかった。
「な、何でもない……」
痛む頭を押さえつつ、侑哉と目を合わせないように視線を落として咲緒理は答えた。
それからすぐに続々と人がやって来て、慶人が適当な椅子に座るように指示を出した。会議室の長机はロの字型に配置されていて、正面側の一辺には生徒会役員が座っている。
咲緒理はとりあえず手近な椅子に座った。すると、その正面に侑哉が座った。
「(ど、どうしよう……この位置だと目が合っちゃう)」
席を変わろうかと思ったが既に他の椅子は埋まり、会議も始まった。咲緒理は諦め、その席に落ち着いた。
会議の間、咲緒理は視線をなるべく慶人たちの方に向け、なるべく侑哉と目が合わないようにした。それでも目が合ってしまう時もあり、真正面から目が合ってしまった時は思わず勢いよく逸らしてしまった。
「(お、思いっきり逸らしちゃった……本当、私変だよ……それにいくら何でも沖田君に失礼過ぎる……)」
自分の行動がよく分からず、咲緒理は困惑と自己嫌悪した。そのせいか、会議の内容は殆ど頭に入って来なかった。
会議は遅くまで続けられ、終わる頃にはすっかり外が暗くなっていた。慶人たちはまだ仕事があるからと、咲緒理に先に帰るように告げた。それに頷き、咲緒理は1人で昇降口に向かった。
「すっかり遅くなっちゃった……優たち、心配しているかな……」
独り言を呟き、靴を履き替えて急いで帰ろうとした。
「――咲緒理ちゃん」
「っ、沖田君……」
声がして振り返ると、侑哉が立っていた。ドキッと胸が鳴り、狼狽しそうになるのを何とか抑えた。侑哉は咲緒理がよく知る、優しげな微笑みを浮かべた。
「1人で帰るんか?」
「う、ん。慶人君たち、まだ仕事があるって……」
「ほなら、家まで送るで」
いつか聞いたのと同じ申し出に咲緒理は目を丸くした。
「そ、そんな悪いよ……」
「かまへんて。もう暗いやん。1人で帰るんは危ないで。なっ?」
優しい微笑みと言葉につられ、戸惑っていた咲緒理は気付くと無言で頷いていた。
靴を履き替え、昇降口を出て正門を通った。隣同士に並んで歩く2人は無言のままで、横の車道を車が通り過ぎる音以外は静かだった。
なんとも気まずい雰囲気に咲緒理は冷や汗が流れるのを感じた。何か話さなければと、必死に話題を考えた。
「……お、沖田君も」
「ん?」
やっと絞り出した話題を話そうとすると、侑哉は咲緒理に顔を向けた。一方で咲緒理は俯き気味に歩く道路を見つめたまま話した。
「沖田君も、学園祭だけじゃなくてダンパも実行委員になったんだね」
「あぁ、先生に頼まれてなぁ。断っても良かったんやけど、折角やから……そないに大変やないって聞いとったし。姫さんは?」
「私は先生が決めちゃって……学園祭の時のことを評価してくれたからなんだけれどね」
「そら大変やったな」
普通に会話ができたことに、咲緒理は内心安堵した。やっぱり学園祭やこの前のことは、たまたま虫の居所が悪かったのだろうと考えた。
それから一言二言ずつ会話を続け、気付けば家の近くまで来ていた。
「あっ、ここで大丈夫だから」
「ええの? もっと近くまで行けるで」
「ううん、大丈夫。ありがとうね」
「うん……なぁ」
ついさっきまでにこやかに話していた侑哉は、急に表情を暗くして言葉を濁した。咲緒理はどうしたのかと首を傾げ、何か言おうと視線を泳がせる侑哉の言葉をジッと待った。
しばらくすると、侑哉は意を決したように咲緒理を真っすぐに見た。
「咲緒理ちゃん」
「うん?」
「その……すまん、かった」
侑哉は深々と頭を下げ、謝罪の言葉を口にした。咲緒理は目を丸くして侑哉を見つめた。ゆっくりと上げられた侑哉の顔はとても苦々しげだ。
「学園祭ん時……俺、どうかしてたんや。あないな事言うつもりあらへんかったし、思てへんかった。……せやけど、咲緒理ちゃんを傷つけたことには変わらへん。ホンマにすまんかった……」
「沖田君……」
「ホンマはこの間会う時に謝らなアカンて思たんやけど、あないに傷つけた俺に話しかける資格あらへんのやないかって……そのまま行ってもうた……」
その言葉に咲緒理はハッとしてあの時のことを思い出した。
「(じゃあ、あの時は怒っていて無視したんじゃなくて……)」
無視されたとショックを受けていた咲緒理は本当の事を知り、それだけで心が軽くなるのを感じた。それを知らない侑哉はまだ言葉を続けている。
「――せやけど、やっぱりこのまま咲緒理ちゃんと話せへんようになりたないって思て……ホンマごめんな……」
「(沖田君……)」
侑哉が精いっぱい心から謝っているのを感じる咲緒理は、心が温かくなったように思えた。そして、自然と口元に笑みが浮かんだ。
「沖田君、大丈夫だよ。……ありがとう」
「姫さん……」
侑哉は心底安心したのか、大きく息を吐いて微笑んだ。それに笑い返すと、侑哉はほんのりと頬を染めて視線を泳がせた。その反応に咲緒理が首を傾げていると、何かを思い出したかのように振り向いた。
「なぁ、姫さん。姫さんはダンパのペアって、もう決まったか?」
「ううん、まだだけど……」
「俺もなんや。それでな、姫さんが良かったらなんやけど、俺と踊らへんか?」
「(えっ!?)」
侑哉の急な誘いに驚くのと同時に、顔がだんだんと赤くなるのを咲緒理は感じた。しどろもどろと言葉を探していると、侑哉はクスッと笑った。
「返事は待つさかい、考えといてや」
侑哉は手を伸ばし、軽く咲緒理の頭を撫でた。その行動に、咲緒理は驚きのあまり体が固まった。
「ほな、またな」
咲緒理が驚いている間に侑哉は手を振って背を向け、その場を去って行った。呆然としている咲緒理は無意識に手を振り返した。侑哉の姿が見えなくなると、一瞬にして顔を染めた。
「……っ、参った……」
絞り出すように呟き、咲緒理はしばらくその場で火照った顔が冷めるのを待った。ある程度落ち着くと、咲緒理は深呼吸をして家へと急いだ。
そして、学校を出た時から咲緒理と侑哉の様子を少し離れた場所からジッと見つめる人影があったことに、咲緒理は最後まで気づくことはなかった。
その夜、夕食後に匡利は自室で宿題をしていた。それが終わり、寝る支度でもしようと思っていると、インターホンが鳴った。匡利はチラッと時計を見てから、部屋の入口へ向かった。
「よぉ、匡利」
「慶人……」
「入るぜ」
扉の向こうにいたのは慶人だった。匡利の返事を聞く前に慶人は部屋の中に入った。匡利も特に気にしていないのか、そのまま慶人を中に通した。
慶人はそのままリビングに向かうと、黒い革のシンプルなソファに座った。
「何か飲むか?」
「いや、良い。それより匡利、話がある」
そう言われ、匡利は一瞬だけ思案すると、慶人から少し離れた場所に座った。
「なんだ、話とは」
「お前も分かっているんだろう。……ダンパのペアのことだ」
ピクっと一瞬だけ匡利の眉が動いた。その僅かな動きが、慶人の言葉を肯定している意味だと慶人は分かった。
「何故、宮岸の申し込みを受けた」
「……誰とペアを組むか、それは俺の自由だろう」
慶人と視線を合わせず、匡利はそう言った。その言葉に、慶人は眉を寄せた。
「あぁ、そうだ。お前が誰と組もうが、それはお前の自由だ。……だが、その相手が宮岸なら話は別だ」
「…………」
「お前は知っているはずだぞ、宮岸とその周りがやっている事を……優梨がどんな目に遭わされているのかを……」
「…………」
「もう一度聞く。何故、申し込みを受けたんだ。よりによって、あの宮岸の申し込みを……」
視線を鋭くしながら問いを重ねた。匡利は視線を逸らしたまま、何も言わなかった。慶人も何も言わず、匡利からの答えを待った。
どれくらいそうしていたのか、長いような短いような沈黙が続いたが、不意に匡利が顔を上げた。
「あの宮岸の申し込みだから、受けたんだ」
「……なに?」
慶人は怪訝そうに匡利を見た。今度は慶人から視線を逸らそうとせず、匡利は真っすぐと慶人を見つめた。
「宮岸のやっている事はもちろん知っている。その理由が、あいつが俺に好意を寄せているからという事も分かっている」
「……珍しいな。お前が人からの好意に気付いているとは」
「さすがに分かる。そもそも、あいつの周りにいる奴が俺と宮岸が似合うと言っているのを何度か聞いている」
そう言われてみれば側に匡利がいようといまいと、梨香子のシンパたちがそうやって彼女を持てはやしているのを慶人も目撃したことがあった。
「それが理由で、俺と親しい優梨が色々な目に遭わされている事も前から知っている。何故、同じように親しい葵たちには何もせず優梨だけがその対象にされているのかと、不思議には思っていたが……」
それは優梨が梨香子と同じように匡利に想いを寄せているから、とは慶人は言えず口を噤んだ。匡利は慶人の様子を気にせず、言葉を続けた。
「だから俺が宮岸と組めば、あいつ自身やその周りが満足するかと思ったんだ。そうすれば、優梨への仕打ちも多少なりとも無くなるんじゃないかと……」
「……優梨のために、敢えて宮岸と組んだって言うのか?」
「……そうだ」
匡利の答えを聞き、慶人は顔をしかめて考え込んだ。匡利は膝の上で握った手を見つめていた。
「……慶人、俺は――」
視線を上げず、匡利はおもむろに口を開いた。慶人は匡利の言葉を聞くと、大きく目を見開いて絶句した。
「お前、本気か。それは……」
やっと出てきた言葉はそれだけだった。匡利は視線を慶人と合わせようとしなかった。慶人はどこか悲しそうに顔を歪めた。
「お前は本当にそれで良いのか」
何も言わず、匡利はゆっくりと頷いた。慶人は何か言いたげに匡利を見つめたが、それ以上何も言わなかった。
それからしばらくして、慶人は匡利の部屋を出た。6階のフロアを出る直前、振り返って優梨の部屋の扉を見つめた。
「……すまねぇ、優梨」
小さく呟かれた言葉は静かに消えた。慶人は一度軽く目を伏せると、後は振り返らずフロアを出て行った。
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