第3話 日常 後編
授業が終わると、そのまま放課後のSHRをやった。今日は7限がない上にほとんどの部活がないため、いつもより早く帰ることに生徒達は喜んでいた。
「ねぇ優、1年生の仮入部っていつからだっけ?」
帰りの準備をしていると、先に支度を終えた葵がやってきて聞いた。
「明日からじゃなかったかな? 期間は10日くらいだったよね。土曜の部活も仮入部やるんだっけ?」
「運動部はそうじゃないかな。あと、私のコーラス部とか」
「そういえば、コーラス部は今日の部活はないの?」
「うん、一応ね。でも、次のコンクールの自由曲のことで、私は部長と話してくる」
「そっか。ところで、アオは今年ソロで出ないの?」
葵はコーラス部の大会でソロパートを任されるほどの実力がある。団体の大会やコンクールだけでなく、個人のコンクールなどにも出場している。
「んー、考え中。良いのがあったら出ようかなって思っているけれど、まずは団体の大会に集中かな。優は弓道の個人に出るの?」
「そのつもり。てか、出ないって言っても部長が鬼の如く『出ろ!』って言うに決まっているよ」
「去年の結果があれなら当然か……」
昨年、優梨は全国の大会に個人・団体の両方に出場している。個人ではあと少しでベスト4入りだった。団体では優梨の活躍で3位を取っている。それで今年の弓道部は個人・団体共に昨年より上の順位を目指している。
「そういえばサオちゃんが買い物に行くみたいだけれど、優も一緒なの?」
「ううん。サオは雑貨屋とかに行くみたいだけれど、私は本屋とスーパーに行く予定」
「あ、今日の夕飯当番は優だっけ」
葵は朝の連絡事項のことを思い出しながらそう言った。
「ちなみに、今日のメニューは何?」
心なしかワクワクとした声色で葵が聞く。
「んー、考え中だけれど、昨日の玲の夕飯が和食だったから洋食のつもり。今のところの候補はドライカレーかな」
「ドライカレー! 優のドライカレー美味しいから好き!」
「アオがそう言うなら、決定にしようかな。あれならいっぱい作れるし、食べ盛りの男子にはぴったりでいいんだよね」
慶人たち6人は一見細身だが、見た目の予想以上によく食べる。ご飯なら1人で1~2合は余裕で食べてしまう。そのため、ハヤシライスやカレーなど、一度に大量に作れる料理は重宝している。
「あとは簡単なサラダの予定。アオは部長との話し合いの後はどうするの?」
「ボールペンを買いに行くつもりだけれど、あとは家で自主練かな……」
「気を付けて帰るんだよ」
「優もね」
その後、葵はコーラス部の部長に呼ばれて教室を出て行った。優梨はそのすぐ後に学校を出た。
最初に向かったのは駅の近くにある大型の本屋だ。漫画コーナーで新刊はないかと見て回る。次に小説のコーナーに移動してざっと眺める。気になったものがあれば手に取り、パラパラとページを捲って気になった部分を読んだ。それを繰り返し、何冊かを手に取ってレジに移動した。購入した後もしばらく店内を見て回り、本屋を出た。
スーパーに向かう途中のゲームセンターに目を向けると、最近はまっているUFOキャッチャーがあった。抱きかかえられるくらい大きなぬいぐるみが数種類ある。新作だったが、夕飯に間に合わなくなると思い、今回はやめることにした。
家に近い大型のスーパーに入って、夕飯の材料を選んでいく。
並行世界なので、食材は元の地球と同じものがある。一方でこの世界独自の食材や素材も数多く存在している。優梨が最初にこの世界のスーパーに来たとき、肉や魚売り場に普通の牛肉や豚肉、魚などと一緒に魔物の肉が一緒に売られていたことにたいそう驚いた。よく知る名前の食材も種類が多かったり、見た目やサイズが全く違うものがあったりする。それも今ではすっかり見慣れた。
「(にんじんと玉ねぎは、まだ貯蔵室にあったよね。牛ひきも確かまだあったはず……)」
家にまだある材料を考え、それ以外の材料を手に取る。
「あ、アボカドが安い……」
頭の中で《鑑定》と唱え、手にしているアボカドを見る。
【アボカド】
ちょうど食べごろに熟している。
サラダなどの生食に最適。
鑑定内容から優梨は少し考えてサラダに入れることにした。最後に新作のアイスを籠に入れて買い物は終わった。人数が人数だけに、すべて袋に詰めると大きな袋が2個になった。
優梨は軽く辺りを見回し、袋の上で軽く手を振った。一見何でもない行動だが、これによって袋の重さを感じなくなった。使ったのは無属性魔法の《浮遊》だ。
本来魔法を使うときは詠唱が必要だが、優梨はAランクスキルの《無詠唱》を持っているため、それも必要なかった。本当なら時空属性魔法の《無限収納》を使ってもいいのだが、時空属性魔法自体が他の属性魔法に比べて得とく取得が難しい上に、レベル60以上にならないと使えない超上級魔法のため、優梨の年齢で使うと周りに怪しまれそうなので止めておいた。
家に帰ると、ミーティングで遅い匡利以外は帰ってきていた。その何人かは地下のトレーニングルームで自主練をしている。
優梨たちが住む家には色々とトレーニングをするための設備が揃っている。外にはテニスやバスケなど様々な用途によって変えられるコートがある。地下にはスポーツジムにあるようなトレーニング用の機械が3台ずつ、オートテニスマシーンが1台、バスケ・バレー用のハーフコート1面、サッカーのシュート練習マシーン1台、弓道用の的が1つ、多目的道場、ボイストレーニング用の防音室が1部屋、彫金・調合用の実験室が1部屋などだ。これだけのものが揃っているので、優梨たちは家でも十分に練習が出来る。
「ただいまー」
「おかえりー、優」
「サオ、新しいアイス買ってきたよ」
「本当!? もしかしてCMでやっていたの?」
「うん。丁度売っていたから、つい買っちゃった」
咲緒理と話しながら厨房へ向かい、部屋の真ん中にあるテーブルに荷物を置いた。咲緒理も手伝いながら食材を次々と大型冷蔵庫にしまっていった。最後に箱からアイスを出してダイニングルームへ向かった。そこへ丁度葵が入ってきた。
「優、おかえりー」
「ただいま、アオ。厨房の冷凍庫にアイスあるよ」
「本当っ!?」
葵はパァッと顔を明るくさせ、いそいそと厨房に向かった。葵が戻ってくると3人はしばらくダイニングルームで雑談を交わしながらアイスを食べた。
食べ終わると優梨は一度部屋に着替えに戻り、夕食の用意を始めた。
まずはご飯を炊く用意から始めた。大きなボウルに15合分の米を量って入れ、水で流しながら磨ぐ。磨ぎ終わったら2升炊きの炊飯器に入れてスイッチを押した。
「優、手伝うよー」
「ありがとう、アオ。貯蔵室から材料取ってくるから待ってて」
そう言ってから厨房の横にある貯蔵室に向かった。貯蔵室には常温保存が可能な野菜や果物、乾物、保存食、調味料などが並ぶ棚に大型の冷蔵庫と冷凍庫が置かれている。優梨はニンニク、にんじん、玉ねぎ、冷凍の牛ひき肉、ホールトマト缶2缶を手にして厨房へ戻った。
優梨は野菜を適当な大きさに切っていき、葵はそれをどんどんフードプロセッサーにかけていった。一通り材料のみじん切りが出来ると、大きな鍋で炒め始めた。
「優、牛肉がまだ凍っているけれど……」
「仕方ないから強制解凍をお願い」
「了解」
葵が牛ひき肉の上で左手を振ると、まだ凍っていた牛ひき肉が一瞬で解凍した。牛ひき肉を入れて炒め、さらに残りの材料入れてから水を加えて顆粒コンソメを入れたら鍋の蓋をした。
「じゃあ、煮込んでいる間にサラダも作ろうか」
「うん」
「アオはレタスを千切りながら洗って、水切りをしてくれるかな?」
「いいよ」
優梨はトマト、キュウリ、アボカドをさいころ上に切った後、ドレッシングの用意をする。各々が好きなドレッシングをかけられるように、フレンチ・ドレッシングと和風ドレッシングを作り、大き目の白いスフレカップに入れた。他にも冷蔵庫からイタリアン・ドレッシングを出し、同じようにスフレカップに入れる。
次にドライカレーの鍋の蓋を取り、カレー粉と調味料を入れて味を調える。味見用の小皿を2つ用意して、1つを葵に渡した。
「どう? 辛さとか平気?」
「うん。いいと思う」
「ありがとう」
味が決まったら再度鍋の蓋をしてサラダの仕上げに取り掛かった。葵が用意したレタスをサラダボールの底に敷き詰め、混ぜ合わせたトマトときゅうりとアボカドを盛りつけた。
「よーし。じゃあ、皆を呼んできてもらえるかな?」
「了解」
葵が皆を呼びに行っている間に食器の用意を始めた。ダイニングルームの方に移り、大き目の食器棚からサラダの取り皿とフォークとスプーンを出す。さらに下の方の引き出しからはランチョンマットとペーパーナプキンを出した。
それらをそれぞれの席の場所にセッティングしていると、咲緒理と佳穂がやって来た。
「優梨、こっちの続きはやっておくわよ」
「ありがとう、佳穂」
残りのセッティングを佳穂に任せ、咲緒理と一緒に厨房に戻る。厨房の食器棚からはカレー皿を人数分出し、咲緒理がご飯を盛りつけて優梨がその上からドライカレーをかけた。
盛り付け終わってテーブルに出す頃にはぼちぼちと皆がやってきた。玲、朔夜、誠史、雅樹、匡利の順に来て、最後に慶人と一緒に葵が戻ってきた。
「――じゃあ、いただきます」
「「「「「「「「いただきます」」」」」」」」」
全員が席について手を合わせ、優梨の一声で食べ始めた
「サラダ取ってー」
「ドレッシングはどれがいい?」
「んー、フレンチ」
夕食の時間はいつもワイワイと賑やかだ。その日にあったことや宿題のこと、テレビのことなど色々と話す。1日の中でこの時間が一番楽しいと優梨は思っていた。
食事を終えると、それぞれ厨房に食器を持っていって軽く洗う。最後に夕飯当番が残りの食器や調理器具を洗い、片づけられるものは棚にしまって残りは大型の食洗器にかける。洗い上がった食器類は翌朝の朝食当番がしまってくれることになっている。
「優、ダイニングの片づけは出来たよ」
「ありがとう。アオ、サオ。お茶淹れるからそっちで待ってて」
「はーい」
人数分のお茶を淹れ、それを飲みながら3人で一息ついた。
「明日の朝食は佳穂で、昼食はサオが当番だっけ?」
優は厨房の入り口の脇にあるホワイトボードを見ながら聞いた。ホワイトボードは2枚あり、1枚は皆の連絡事項が書けるように、もう1枚は当番表になっている。
「夕飯は私だよー」
「アオちゃんの夕飯楽しみにしているね」
「ありがとう。サオちゃんのお弁当も楽しみにしているね」
飲み終わってから湯飲みと急須を片付けてそれぞれの部屋に戻った。
夕飯の後、優梨たちはそれぞれ思い思いに過ごしている。宿題をしたりテレビを見たり読書をしたり、中には地下でトレーニングをする人もいる。優梨はお風呂に入ることにした。
優梨たちの住む家の1階には共用の大浴場があるが、18時以降は1日ごとに男女交代で入れる日が決まっている。入れない日は、自室のお風呂に入ることになっている。今日は男子が入る日なので、優梨は自室のお風呂に入った。
お風呂の後は宿題をして、買ってきた漫画と本を読む。切りの良いところで顔を上げると、だいぶ遅くなっていた。寝る用意をする前に《瞬間移動》でダイニングルームに向かい、ホワイトボードに連絡事項を書き込んだ。その後、部屋に戻る前にリビングルームに顔を出すと、葵と咲緒理がいた。
「アオ、サオ、おやすみ」
「優、おやすみ!」
「おやすみ、優」
2人に声をかけ、《瞬間移動》で部屋に戻る。翌日の用意をして宿題や持ち物の忘れがないかをチェックする。部屋着からパジャマに着替えて、大きな棚を開けた。
いくつも並ぶ大きなぬいぐるみの中から朝にしまったのとは別のぬいぐるみを出した。棚を閉めてぬいぐるみを抱きかかえたままベッドに入った。ベッド横のナイトテーブルの上のライトを消し、リモコンで部屋の電気も消した。
「おやすみ……」
腕に抱くぬいぐるみに声をかけるように呟き、目を閉じた。
こうして優梨の長い長い1日が終わった。