電脳異世界、迷いと天命のコレクシア
何も言わずに聞いてほしい。
例えば、今自分が生きる世界とは全く異なる世界があったとする。アニメや漫画を嗜む趣味がない者でも、昨今では『異世界』という言葉自体は耳にする機会も多い。そういうのを想像してほしい。
そんな世界に、ある日何の前触れもなく引きずり込まれたとしたら。そんな非日常が他人事でなくなったら。
「異世界にでも転生して~」なんて思う人の気持ちもわかる。非日常的な刺激が欲しいと思うのは、現代社会を生きる者にとっては失い難い感性なのだろう。
一方で、それはあくまで現実の範疇であってほしい……なんてことを思う人間だって、世の中にはいる。だって俺がそうだからね。
そして、それは決して「現実味があればいい」というわけでもないことは加味しておいてほしい……いや、加味しておいてほしかったな。今更言っても無駄だろうけどね。
なぜなら。大人気ソーシャルゲーム、『導きのコレクシア』――絵に描いたようなファンタジー色全開のこの世界は、既に俺にとっての現実に置き換わってしまったのだから。
「そこ違う! そんな位置からじゃ一匹取り逃すから、もっと走って――」
「まあ見てなって、次のターンでちゃんと仕留めるから」
女の声を遮って迷わずデバイスを操作する。
戦場にバランスよく散らばった戦士の一人が剣を大きく振るって必殺技を繰り出す。二匹の化け物がその餌食となったが、女の言う通り一匹だけはその軌道から外れ、生き残って戦線を離脱しようとしていた。
「よし、じゃああと一発。これで決めろよ~?」
さらにデバイスを雑につつく。剣士の影に潜んでいた長槍の女騎士が水飛沫を上げて飛び出し、瞬く間に残る一体を追い詰める。突き貫かれた化け物は傷跡からポリゴンに変換され、わずかなエフェクトを伴って消滅した。
「ほら終わり。この程度、誤差の範囲だろ?」
「そういう勝てばなんでもいいみたいな意識が気に入らないんだけど? 私が欲しかったレア『シザーズ』、そんなに持ってるのになんでそんな非効率的な立ち回りしかできないのよ」
苛立ちを露わにする女を尻目に、俺は近くの手頃な岩に腰かける。
「だって、こういうゴリ押しを効かせるためにレアキャラって高ステータスなわけじゃん?」
「そ、それはある意味そう……でもないわ! そのゴリ押しが成立するのだって、そもそも三対三の状況あってのものじゃないの」
女がデバイスをいじると、彼女の足元に迷彩色のマントを羽織った少年が現れる。戦闘中、少し離れたところをうろついては近づこうとする敵を追い返してくれていたのは俺からも見えていた。
「そんなに余裕ぶりたければ、せめて私のサポートなしでも一人前にやれるくらいには強くなりなさいってのよ。まったく、欲しくても手に入れられない人間に申し訳ないと思わないのかしら?」
「いやいやいや、その理屈はおかしいぞクロネアさんよ」
俺はデバイスを操作してリストを開き、その少年――クロネアの足元で蹲るキャラと似た見た目のキャラを見つけ出してタップする。レアリティ覧の表記は「☆1」だ。
「ほら、そいつ低レアじゃん? でも俺のレアキャラをもフォローできる性能持ちときた。なら別にそれでいいんじゃないの?」
「なっ……何を言い出すかと思えば、そんなバカなこと考えてたわけ!?」
「え? 強いキャラが欲しいから高レアが欲しかったんじゃないの?」
「そればっかりなわけがないでしょうが!」
語気と息を荒げ、女は反論を繰り返してくる。「わけがない」とか言われても本当にそう思ったんだから仕方がない。
「んじゃ、何のためか教えてもらえるか?」
「……理由は色々あるわよ。強くなりたいってのも確かに理由の一つではあるけど、ただ強くなりたいってだけかその力で成し遂げたい目標があるのかで違うでしょ?」
「うんうん、それで?」
軽い気持ちで聞いたら思いのほか深い話になりそうだったので、少しだけ真剣に耳を傾ける。
「その例で言えば私は後者。もっとも『シアター』からの依頼で貰える報酬のためではあるんだけど、その依頼だって報酬が良くなるにつれて受けるための条件もシビアになっていくでしょ? 『レアリティ☆5以上の所持者限定』なんてのもざらにあるし」
「なるほど、依頼を受けるために必要だから用意しておきたいわけか」
「最後まで黙って聞きなさいよ。で、この間理由あってそのクエストに同行させてもらったの。参戦は出来なくても着いて行くくらいなら問題ないしね。で、その時にその人の持ってる☆5の『シザーズ』を見せてもらったのよ。『無垢なる奏者 リリィ・フルール』って子なんだけど」
「ん、んん? なるほど……?」
なんとなく嫌な予感がした。どこかズレ始めている話題、徐々に加速していく口調。これはまるで……
「その子ね、もう名前からして可愛いと思うんだけど、あ、男の子ね? 男の子なんだけど名前からして既に可愛くて、で、見せてもらった瞬間『あ、ダメだこれ』って悟っちゃったの。なんていうかなぁ、その名の通り無垢な感じで、表情は乏しいんだけどそこはまた良いっていうか? それなのに照れ顔とか泣き顔みたいなのは結構わかりやすくこっちに訴えかけてくる感じでもう心がグイッとされるわけよ、うんわからないわよね。それなのに戦闘で成果あげると自信なさげながらもちょっと『ニッ』て。『ニコッ』じゃなくて『ニッ』なのね? ここ肝心よ? その内に秘めた黒さというかニヒルというか、もう一目惚れとかそういう規模じゃないわけで、それで……」
「わかったわかった! ちょっと一旦その口止められますかねクロネアさん!?」
いわゆる、早口のオタクというやつだ。喋らせておくと止まらなくなりそうなので一度全力で制止する。それに気づいた彼女は、恥ずかしそうにコホン、と咳払いで茶を濁した。
「……要するに、そんな特に強いわけじゃない☆5でも、私は欲しいと思ってるわ。だからそんな『強けりゃいい』みたいな考え方でレア『シザーズ』を欲してるわけでもないのよ」
なるほど、大体わかったかもしれない。要するに彼女は他人に言えないちょっとアレな”ヘキ”を持っていて、それを満たしたいわけだ。或いはただ他人が持っているのを見て羨ましくなってしまっただけなのかもしれない。しかし……
「で、それが俺に何の関係があるわけ?」
「何って、あなたが聞いてきたんじゃないの」
「そうじゃなくてさ。結局のところ、俺相手に戦い方を強いてくる理由にはならないじゃん」
「はあ? そんなこと……!」
ない、とは言えなかったらしい。
「まあその強い熱意は汲まないでもないし、クロネアさんの『シザーズ』愛にも文句はつけないさ。でもそれが俺を動かす理由にはならないでしょ」
「かもしれない……でも、やっぱり納得いかないわ。『プレイヤー』……『シザーズ』を召喚出来る人間なんて、本当に限られてるのよ。そんな人より優れた才を持つ人が、その才を腐らせてるのなんて、黙って見ていられないわよ」
「なんだ。結局そういうのが本音なわけ?」
「だからそれだけじゃないって言ったでしょ。私にだって自分の考えが全部わかるわけじゃないもの。でも、そういった色々複雑な感情があったから……ただでさえ珍しい『プレイヤー』の中でもひと際珍しいくらいの『シザーズ』所有者だったあなたに、声を掛けたのよ。運命、とでも言うのかしら。どうしようもなく『この人しかいない!』って感覚が、こう、ビビッ! てね」
「クロネアさん……お前……」
なんだかとんでもなく恥ずかしいことを言われたような気がして、少し顔が熱くなる。心なしかクロネアさんからも、『そういうことです』とでも言うような熱い視線を送られている……ような錯覚に陥っていたりする。あれ? そんな話だったっけ?
「その……迷惑だって思われるようなことしたのは謝るわ。でも、本当にちょっとだけ考え直してほしい、ってのは変わらないわ。だから、お願い。もう少しだけ、そばであれこれ指南させてほしいの」
「うん……うん、そうだな。クロネアさんの気持ちはよく伝わってきた。わかったよ、俺もその気持ちには出来るだけ報いたい」
「! そう! それでいいのよ! それじゃあこれからも引き続き経験値稼ぎを……」
「だが答えは『ごめんなさい』だ」
「!?」
バァァァン! なんて擬音のつきそうな表情で固まるクロネアを前に、俺はさらに追い打ちをかける。
「気持ちは伝わったし報いたいとも思ったけど、やっぱり俺のメリットって何もないんだわ。クロネアさんの気持ちに報いて、鍛錬して、強くなって、で、その先は? って考えると、やっぱり何もないんだわ」
「え、いや、だから、強くなればもっと効率のいい稼ぎ方だって……」
「うん。それだって今までのやり方でも日銭を稼いでその日暮らしくらい出来てたし。腹を満たせて寝床も用意できて、他に何か求めてるか、ってと、正直何もない。何かに追われず日々自由に寝て起きてって出来るってだけで、俺は十分に満たされてる」
「そんなの生きてるなんて言えないじゃないの! 何かしら目的をもって、一つ一つ達成していく充実感だって、きっと……」
「じゃあそれ、クロネアさんがやればいいじゃん。あるんでしょ? クロネアさんには目的もやりがいも。そこに俺が絡む必要性はどこにもないよな」
「~~……!」
返答に腹を立てたのか、何も言わずに地団駄を踏んで見せるクロネア。ちょっと可哀そうな気もするが、俺にも意思は有るので仕方がない。俺は悪くない。
クロネアはひとしきり暴れたかと思うと唐突に踵を返し、そして。
「今日という今日は本当に愛想が尽きた! だから明日からは一人寂しく周回でもなんでもやればいいわ!」
上半身だけ振り返って俺に人差し指を突き立ててきた。
「途中の『私を失って初めて私のありがたみに気づくといいわ』が抜けてるぞ」
「~~~!!」
クロネアはそのまま何も言い返さずに走って行ってしまった。
今のくだり、実はここ一週間毎日のように繰り返していたものだ。特に捨て台詞に関しては二日前と五日前にもほぼ同じものを聞かされた覚えがあった。なので、そんな華麗な決め台詞から抜け落ちた尊い一節が抜けてしまっていることを教えてあげたかったのだが、かえって怒らせてしまったらしい。
俺は悪くない。何も間違ったことは言ってない……はずなのだが……
「……はぁーぁ……」
口をついたため息の長さが、そんな自信を奪い去っていく。紛れもない自分の意思だと突きつけたはずの言葉が脳内で反芻される。この世界に来てから何をしたか。この世界に来た時、何を思ったんだったか。いや、それよりもっと前の……
「……バカバカしい、やめだやめ」
考えるのをやめる。その場に寝転がり、自然の感触(ただの岩だが)に身を委ねる。切河イルカ――元はただのプレイヤーアバターであったはずの俺の体は、そのまま今日も優雅にお昼寝タイムへと洒落込むのだった。