「ええ、救いようの無い馬鹿です」
とりあえずここまでです。
ルピナス=ヘンゼリッタは意識を手放した。あとはもう、殺されるのを待つだけだ。
これで、彼女の死は確定した。……誰かが助けにでも来ない限りは。
「さようなら、ルピナス=ヘンゼリッタ」
フォールンもまた、今度こそ彼女を殺せると確信していた。
「──その手を離しなさい」
だからこそ、背後から聞こえた女性の声に驚いた。思わずルピナスを掴む手の力が緩み、床の上に落としてしまった。
ゆっくりと振り向く。そこに立っていたのは、フォールンも知っている人物だった。
「……おやおや。こんな所に何か用かな? ギルド神霊族代表、アルンクレス殿」
フォールンの挑発するような言葉に、アルンクレスは、なんとも不機嫌そうに返す。
「貴女の様な愚者に、私の崇高な目的を知る権利などありません」
「へー、そう」
「……ですが、この場から逃げる権利はあります」
左手の親指と中指を擦り、音を鳴らす。すると彼女の手元に、半透明の球体が現れた。直径は目測で三セティア程と、かなり小さい。
「質問です。これは一体、なんでしょうか?」
「な、まさかそれって……!!」
それを見て、フォールンは焦り始めた。視線を左手に向け、その直後に目を見開かせた。
見間違える筈がない。だってあれは──。
「ボクの、核……!!」
「はい正解です。今貴女がここで大人しく撤退してくれるなら、これは貴女の中へと返しましょう。しかし撤退しないというのなら、今すぐこれを砕きます。驚異的な再生力のある貴女とは言え、これを壊されたらどうしようも無いはずです」
「ぐっ……」
歯軋りを起こす。
彼女の言う通り、それを壊されたら何もかもがお終いだ。
ルピナスによる『エクスプロージョン』を受けた際は、左手の中にあった核が、奇跡的に一切傷付かなった。だから再生する事が出来たのだ。
「五秒だけ、時間をあげましょう。その間に決めてください。死を選ぶか、みっともなく逃げるか。そのどちらかを」
そう言ってからアルンクレスは、核を摘んだ。少しでも力を加えれば、いとも容易く砕けるだろう。
考えるまでもない。選択肢は、実質一つしか無いのだから。
「わかった、ここは退くよ。ボクだって命は惜しいからね」
両手を挙げ、降参の意思を示す。その状態のまま歩き出し、扉の前まで来た。
「賢明な判断です」
アルンクレスの手元にあった核が、姿を消す。その瞬間──。
「(今だ!!)」
フォールンが即座に、両手をアルンクレスへと伸ばす。
そう。彼女の思う実質一つしか無い選択肢とは、アルンクレスを殺す事だ。退く事でも、殺される事でも無い。
「……前言撤回です」
迫る狂腕を前にして尚、彼女は涼しげに微笑んだ。
そして右手に再び現れた小さな水晶を、砕いた。
「(あっ……)」
瞬間、全身から力が抜け落ちた。
伸ばした腕が獲物に届く前に、全身が完全な水へと変化。足下に敷かれた赤い絨毯に、大きなシミを作った。
「やはり貴女は、単なる愚か者でした」
軽蔑するような目でシミを睨んでから、彼女は気絶しているルピナスの近くへと寄った。
身を屈ませて、緑色に輝く前髪に触れる。
「……大きくなりましたね、ルピナス」
嬉しそうな。しかし何処か悲しげでもある声音で、彼女は独り言を呟いた。
名残惜しそうに立ち上がってから、指を鳴らす。
それだけで、彼女の姿は忽然と消えた。
*
目を開けた時、視界に広がっていたのは茶色の天井。かなり年月が経っているのか、所々汚れが目立った。
「ッ!!」
身体を起こそうとすると、全身に電気ショックを受けたような痛みが走った。
それでも、無理して身体を持ち上げる。
部屋の中を見回してみる。どうやらここは、ルピナスとレディが宿泊している弦月の様だ。
誰がここに運んできてくれたのだろうか。そもそもどうして自分は生きているのだろうか。フォールンはどうなったのだろうか。沢山の疑問を抱えていたら、部屋の扉が開いた。入ってきたのは、黒い猫耳を生やした可憐な少女。
「あっ……」
レディはルピナスと目が合った途端に、動きがピタリと止まった。
「…………ご主人!!」
早足で駆け寄って、胸に飛び込んできた。全身が痛んだが、レディを心配させまいと、顔には出ないように努めた。
「ごめんなさい……心配をかけてしまって」
「本当だよ……! 心配かけさせないで……!!」
叫ぶレディの目からは、涙が溢れ出ていた。
心が痛む。自分のせいで誰かが悲しむというのは、良い気分にはなれない。
「……あの、誰が私をここへ?」
レディが身体を離したところで、ルピナスが尋ねる。
「私。帰ってくるのが遅かったから、多分レベッカの研究所だと思って。そしたら倒れてたから、凄くびっくりした」
「じゃあ、あのスライム女は……」
「スライム女?」
眉を寄せながら、レディが首を傾げる。
「研究所に居ませんでしたか? 少女の姿をしたスライム」
「そんなの居なかった……」
「本当ですか? ……」
自分を食らう為にここへ来たと言っていたのに、逃げたというのか。不思議だ。
「そういえば、レベッカさんは?」
「レベッカは研究所のベッドで休ませてる。あっちも魔力枯渇一歩手前だったから……」
「(私もレベッカさんも生きてる。つまり彼女は、誰も殺せなかった事になる。どうしてでしょうか?)」
「ねぇ、ご主人。研究所で、何があったの……?」
隠す必要は無いだろう。ルピナスは、レディに研究所で起こった事を包み隠さず全て話した。
「そっか……凄く強いご主人でも、勝てなかったんだ……」
何処か悔しそうにレディは下を向き、両手を強く握り締める。ルピナスは、そんな彼女の頭を優しく撫でた。
「今回の件で、私はまだ『最強』には程遠い未熟な一人間で、この世界にはもっと強い者共が居る。それを知る事が出来ました。だから私は、悔しいなんて思ってません。寧ろ清々しい気分です」
「……やっぱり、ご主人は馬鹿だよ」
「ええ、救いようの無い馬鹿です」
「(もっと努力を重ねないと、ですね……!!)」
ルピナスは微笑みながら、心の中を決意の炎で満たしていた。