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「私がそれ程までに強いという事でしょうか」

 男は、今日ここに来た事を酷く後悔していた。


 視線の先に居るのは、全長およそ六メティアもある巨大な鳥。薄紫色の羽毛で全身を覆い、ついばまれればひとたまりもないであろう鋭いくちばしは、返り血でも浴びたかの様に真っ赤だ。


 怪鳥ブラヴァード。ギルドが『超級』に指定した非常に好戦的で危険な魔物だ。


 この森林型迷宮『穏健の森』は、住んでいる魔物はどれも下級や中級なので、冒険者になったばかりの人達が仕事をこなすに適した、謂わば初心者向けの迷宮と言える。


 そんな場所に、超級に指定された危険な魔物が生息する事は本来ありえない事だ。そもそもブラヴァードは、本来はここから遥か遠い場所にある魔力濃度の濃い魔族領周辺にのみ生息しているのだ。


 男は冒険者になってから今年で五年になる。つい数日前に昇格試験に合格し、一人前と言えるB級に認定されたばかりであった。


 彼が森を訪れたのは、ネルヴィア王都を拠点とする冒険者達の間で囁かれていた、ある噂の真偽を確かめる為だった。


 その噂とは、穏健の森から怪鳥ブラヴァ―ドの鳴き声がする。というもの。


「(まさか、本当だったなんてな……)」


 実物を見るまでは、誰かが広めた嘘なのだと思っていた。王都からほど近いこの森に、超級に認定される程の魔物が居る訳が無い。それが『常識』なのだ。彼でなくとも、この噂はまず信じないだろう。


 しかし噂は本当だった。視界に映る巨大な鳥は、見紛う事なく本物だ。


 どうやってコイツはここに来たのか。どうして居るのか。気になる事は山程あるが、今は何よりも逃げる事を最優先するべきだ。超級というのは、最高ランクであるA級の冒険者五人が束になって、初めて勝てるレベルの魔物を指し示している。B級冒険者一人が、敵う相手では無いのは明白だ。


 しかし逃げようにもこの距離ならすぐに追いつかれるし、空を飛べる相手に走って逃げ切れるとは到底思えない。


 結局のところ彼に、『戦う』以外の選択肢なんて無かった。腰の鞘に収めていた剣を抜き、両手で構える。


 剣は小刻みに震えていた。自分に一切勝ち目が無い圧倒的な化物を前に恐怖心を覚えない人なんて、ほんの一握りの変わり者だけ。彼が恐れ戦くのも無理はない。


「この、クソ鳥がぁぁ‼︎」


 力一杯に叫びながら、怪鳥へと突進する。作戦なんて無い。今の彼に、作戦を考える余裕なんて無かった。


 ブラヴァードが、それまで折り畳んでいた翼を一気に広げる。付け根から先端まで目測で七メティアはあるそれによって生じた強風が、男の身体を吹き飛ばした。


「がっ……‼︎」


 後方にあった木に背中を打ち付け、地面に倒れ伏した。


 ただ翼を広げただけでこの威力。圧倒的な実力の差を思い知らされた。


 なんとか立ち上がり、もう一度剣を構える。


『――ッ‼︎』


 その時ブラヴァードが、森全域に響かんばかりの奇声を発した。周囲の空気が振動し、男の動きが止まる。


 右翼を薙ぎ払う事で発生した風が回転。渦を巻き、旋風となった。それは男を巻き込み、上空へと巻き上げる。


 次に鳥は大きな口を開け、その前方に赤い魔法陣が展開された。炎属性の魔法が発動される合図だ。


 これはマズイ。非常にマズい。宙に浮いているために身動きが上手く取れず、攻撃を避けられそうにない。


 この状況の事を、恐らくは『絶体絶命』と呼ぶのだろう。自身の命の危機だというのに、彼は無意識にそんな事を考えていた。


 けれどまだ、諦めてはいない。どうにかして態勢を立て直す。


 そんな抵抗はどうでもいいらしい怪鳥の赤い魔法陣が、少しだけ大きくなった。魔法の発動に必要な詠唱が、一節増えたのだ。


 続けて二節、三節と増えたところで、男は肝を冷やした。魔法に関する知識は専門外ではあるものの、魔法陣の形状が何を意味しているのかは理解している。


 現在六節。つまり、普通の魔導士ならまず扱えない第六階級以上の魔法を発動させるつもりなのだ。当然ながらそんな攻撃を受けて、無事でいられる可能性は無に等しい。


 もう終わりかと、彼はここに来て諦念を抱いた。目を瞑り、大人しく自分の最期を待つ。


『ッ――!?』


 突然鳥が、素っ頓狂な声を上げた。直径三メートルはある巨大な炎の玉が、奴の横顔を殴ったのだ。それによって魔法の発動はキャンセル。男に訪れる筈だった死は背を向けて、引き返していった。


 男は着地と同時に身体を前に回転させて、衝撃を最小限に和らげる。それから、火球が飛んで来た方へと顔を向けた。


 そこには、女神と見間違える程の美少女が立っていた。


 腰まで伸びた明るい緑色に染まったサラサラの髪と、金色の瞳。白を基調としたノースリーブの衣服と、黒のスカートを身に付けている。


 彼は、その少女の事を知っていた。


 それ以前に、ネルヴィア王都に彼女の事を存じない者など居なかった。


「(千変万化の魔導姫……ルピナス=ヘンゼリッタ……!!)」


「流石は超級。一発では死にませんか……。まだまだ修行が足りませんね」


 ルピナスは肩を竦ませ、首を横に振った。


「そこの貴方、今のうちに逃げてください。ここに居たら邪魔です」


 事実とは言え率直に。しかも透き通る様な声で足手纏いだと宣言されて心が痛んだが、事実だ。大人しくこの場から離れた方が、自分と彼女のためになる。


 とりあえずこれで、自分は助かる。あの怪鳥も、恐らくは終わっただろう。


 なんたって彼女は、現在最も規格外を意味するS級に近いA級冒険者。超級程度の魔物なら、一人でも容易く勝ててしまう程の化物なのだ。


 男の姿が見えなくなってから、ルピナスはブラヴァードを見据えた。嬉しそうに笑みを零す。


「それにしても、まさか本当に居るとは思いませんでしたよ。怪鳥ブラヴァードさん」


 ルピナスもまた、噂の真偽を確かめる為にここへ足を運んできた。ただ彼女は男と違い、ここに来た事を微塵も後悔していないし、寧ろ心から喜んでいた。


「ま、実験体が出来たのは非常に喜ばしい事ですけどね。──『転送』」


 彼女が唱えると、右手に指輪が現れた。


 真紅に輝く宝石が使われているそれを、左手の中指に嵌める。


「……魔力解放」


 宝石が、前方に光を放出。魔法陣が展開された。


 魔法陣はゆっくりとルピナスの方へ接近して通り抜け、背後で消滅する。


 魔法陣を潜った彼女の姿は、目に見えて変化していた。明るい緑色だった髪と金色の瞳が、燃え盛る炎の様に赤くなっていたのだ。


 この指輪は、彼女の開発した『魔道具』──『マギアリング』だ。誰もが体内に宿している不可視の概念『魔力』の性質を変化させ、特定の手段に適した状態にする事が出来る。髪の色はその人がどの属性に適しているのかを示しているので、彼女の髪色が変わったのは、魔力の性質が変化したのと同時に、適した属性も変わったからだ。


 赤いマギアリングは『突き進む刃(ソードテイル)』。剣を始めとした、近接武器による攻撃に特化した状態であり、適した属性は炎だ。


「なるほどねェ。心の底からやる気が溢れて来やがる。……控えめに言って、最ッ高だな」


 右手を無意味に閉じたり開けたりしながら、不敵に笑う。魔力の性質が変わった事による影響で、声音と口調も変化していた。


「それじゃあ遊ぼうぜ? 小鳥ちゃん」


 彼女が左手を掲げると、頭上に魔法陣が現れ、そこから一本の剣が出てきた。


 剣身は黒に近い緑色に。柄は漆塗りに彩られたそれは、彼女が鍛冶屋に製造してもらったオーダーメイドの片手剣。名付けて『ルピナスソード』である。


 ルピナスが剣を構えると同時に、怪鳥ブラヴァードが鳴いた。空気が振動する。


「うるせェなコイツ……」


 片方の耳を塞いで、顔を歪める。その隙に鳥は右翼を払って旋風を発生させた。つい先ほど男に行ったのと同じ攻撃だ。


「そんなモン、通用する訳ねェだろうが」


 剣を縦に軽く振る。迫っていた旋風が真っ二つに裂けて、掻き消えた。


 彼女は今、殆ど力を入れてない。代わりに魔力を剣に集中させて、威力を上昇させたのだ。


 それがこの、『突き進む刃ソードテイル』の戦い方だ。


「さァて。それじゃあ今度はこっちの番だな」


 第二階級の無属性魔法『剣撃強化』と『走力強化』を無詠唱で発動させる。その名の通り剣による攻撃を強化する魔法と、移動速度や攻撃速度を強化する魔法だ。


 因みに魔力解放をしている間は、常に魔力を消費する代わりに詠唱などの行程を一切無視出来るので、無詠唱で魔法を使う事が出来た。


 地面を蹴る。それだけで、今まで彼女の立っていた場所にクレーターが出来上がった。


 怪鳥がその場で両翼を羽ばたかせ始める。風でルピナスの動きを止めようとしたのだ。


 しかしそんな小細工が、彼女に通用する筈が無い。迫り来る突風を目にも留まらぬ速さで何度も斬る事で、風の影響から逃れていた。


 これには流石に、ブラヴァードも驚きを禁じ得ない。風を切り裂く事で風による攻撃を防ぐなんて芸当は普通の頭では思い至らないし、出来るとも思わないだろう。


 だが自分にはそれが出来るという確固たる自信が、ルピナスにはあったのだ。


 気付けばルピナスと怪鳥の距離は、二メートル程にまで縮んでいた。


 焦燥し始めた怪鳥が、足元に土属性を意味する橙色の魔法陣を展開させる。壁でも作って攻撃を防ぐつもりなのだろうか。それにしては、判断があまりにも──。


「遅いっての!!」


 気合の込められた叫びと同時に、胸を縦に斬り下ろした。傷口から血が噴き出す。


 彼女が今しがた放った一撃が、怪鳥の体力を大きく削る。それ程の威力があった。


 けれどまだ死なない。ブラヴァードは悲鳴の様な叫びを上げ、抵抗を続けていた。


 ルピナスは次に、剣を横へと払う。これで怪鳥の胸に、十字の傷が出来上がった。


 怪鳥が、とうとうその場に倒れかけた。


「これでトドメだ!」


 剣身が炎を纏う。剣に魔力を限界まで込めて、薙ぎ払う。


 炎を帯びた斬撃は胸に命中。発生した不可視の衝撃波が、そのまま尾の先まで斬り裂いた。


 断末魔を上げる暇も無く、怪鳥は生き絶えた。


 もし仮に相手がルピナスで無かったなら、もっと長く生きられたに違いない。


 一息吐いてから、展開させた魔法陣の中に剣を戻し、魔力の性質も元に戻す。髪と瞳の色も元に戻った。


「いやはや、手応えがまるでありませんでしたね。……つまり、私がそれ程までに強いという事でしょうか。ふふ、照れちゃいますね」


 死体から、紫色の羽根を何本か抜き取った。ブラヴァードの羽根はそれなりの価値があるし、倒した魔物の一部を持ち帰られないと、倒した証明にはならない。彼女のこの行為は、至極当然と言えた。


「(……しかし、どうしてこの森にこの子が居るのでしょうか)」


 口元に手を添えて、首を傾げる。ルピナスも、その事は不思議に思っていた。


「ま、気にしてても仕方ありませんね。そういう事はレベッカさんの専門分野ですし」


 彼女は怪鳥の背を向けて、その場を後にする。


 この日を境に、森に元々住んでいた魔物や動物達は、突如として現れた絶対強者に怯えなくて済むようになった。

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