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さまよう時間 2


 その次の日もまた朝をむかえ、ルーは旅を続けます。


 朝と夜を繰り返し、虫や落ちている木の実や種、それらの味に慣れ始めた頃、彼に新しい知識、水の探し方を教えてくれたのは、一羽のカラスでした。といっても、その教えをルーが実践することはできなかったのですが――。


 何日も水を飲みそびれ、喉を渇かせたルーが、やっとのことで見つけた水たまりに、そのカラスが先約としていたのです。


「それ、分けてもらってもいい?」息も絶え絶えでルーは訊ねました。

「この水のことか?」

「うん。僕、喉が渇いてて」

 カラスは横にちょんちょんと跳ねて、ルーに場所を開けてくれました。

「ありがとう」

「いいさ。俺だけで飲み干せるもんでもないしな」彼は言います。


 水を飲むと、ルーは生き返ったように、大きく息を吐きました。これからはもっと気をつけねばなりません。どうやら外の世界では、ゴツゴツ海岸にいたときとは違って、どこにでも水があるというわけではないようです。


 ルーがそのことをカラスに話すと、相手は、もっともだと言うように頷きました。

「水も食い物も同じだな。大事なのはさっさと見つけて、選り好みをしないことだ」

「食べ物は大丈夫。僕、虫だって食べられるから」

「え? お前、虫なんて食べるのか?」

 カラスはぎょっとした顔でルーを見てから、自分の言葉を取り繕うように、咳払いをしました。「そうだな。選ばない。それが大事だ」

 ルーは水面に映る自分の姿を見つめました。

「でもさ、僕の問題は水なんだ。どうやって見つければいいか、分からなくて」

「ふむ。探すのなら、飛んで上から見るのが一番簡単だ。だだっ広い場所を見下ろして、きらきら反射するのがあったら、大抵それが水たまりだ。カモメのお前も光るものは好きだろう?」

「でも僕、飛べないんだ」ルーは言います。

「本当か?」カラスは驚いたようでしたが、「じゃあ、歩いて見つけるしかないな」と言っただけでした。

「歩いて見つけるにはどうすればいいの?」

「そいつは飛べないお前の問題だ。お前が自分で考えな」カラスは肩をすくめて、水をつつきます。


 自分で考える……。ルーは水を飲みながら思案にくれましたが、いい考えは浮かびませんでした。とりあえず出来ることといえば、目の前にある水を大事に飲んでおくことくらいです。


 カラスの隣で、水をつつきながら、ルーは彼に訊ねました。

「ねえ、あなたもひとりなの?」

 カラスはぼんやりと目を細めて、言います。「さあな。俺は好きなときに群れて、好きなときにひとりになる。そうやって生きている」

「それがあなたの生き方ってこと?」

「生き方なんて大したものじゃない。ただ、自然とそんな風になるだけさ」

 カラスは黒いくちばしをルーにむけると、目で目をみながら言いました。

「お前はひとりなのか?」

「うん……。でも、僕はもう群に戻れないと思うんだ」ルーは俯いて言います。「だから、どうしたらいいのか分からなくて」

「簡単だ。それならそれで生きていけばいい」カラスは何でもないというばかりに答えました。

「それならそれで生きていく……か」ルーはその言葉の意味を考えました。そして、自分の中にある心の晴れない部分に答えを出してくれる、てがかりのようなものを感じました。


 もっとこのひとと話したい。ルーはそう思いました。けれど、こちらが口を開く前に、水を飲み終えたカラスはお別れも言わずに、さっと飛び去ってしまいました。

 ルーは風に乗って小さくなっていく黒い姿を、ひとりで静かに見送るしかありませんでした。




 ◇◇◇




 次の日も進んでいくと、今度は海に出ました。


 まさかゴツゴツ海岸に戻ってきてしまったのでは、と慌てたルーでしたが、すぐにそこが故郷とは別の海だと気付きました。地形も違えば、風景も違い、よく味わえば風の味も違います。それに何より、そこにいたのはカモメとは別の鳥達でした。


 キョクアジサシ達です。人参みたいなくちばしと、長い二股フォークのような尾が目を引きます。彼等は餌の魚を獲るために、空中から海面に突っ込むと、水に潜って魚を捕まえるのです。カモメにはとてもできない芸当です。


 ルーが見惚れていると、一羽のキョクアジサシがそばにやってきました。


「おや、これはお若いカモメさん。我々に何かご用ですかな?」

 その鳥は質問に答えようとするルーに先回して、早口で言いました。

「ああ、分かった。あなた、伝令か何かでしょう? カモメから我々キョクアジサシに何か重大なメッセージを伝えに来たのではありませんか? さしづめそれは、航路に関する秘密の情報、そんなところでしょう、違いますか?」


 ルーは首を横に振ります。


「全然違います。僕、歩いてたら、たまたまここを通りかかっただけです」

 そのキョクアジサシは悲しそうな声で鳴くと、ルーの隣に降り立ちました。「そうですか。それは残念。でも、カモメは我々の友達ですからね。訪ねてきてくれただけでも嬉しいですよ」

 ルーは魚を獲っているキョクアジサシの群の方へと目を戻しました。「あんな風に水に潜るなんて、すごいですね」

「ああ、あなた、お腹がすいているんですね?」隣のキョクアジサシが、ぱっと顔を明るくして言います。「よかったら、あなたも召しあがってはいかがですか? ここの魚はおいしいですよ」

「いえ、僕はちょっと」

「まあ、そう遠慮なさらずに。恵みはみんなで分け合うもの。我々は独り占めするような恥知らずではありません」

「本当にいいんです。僕は空が飛べないんです。だから、魚も獲れません」

 ルーが言うと、そのキョクアジサシは口をあんぐりと開け、次に、岸に降りて獲った魚を食べている仲間達を、心配そうにちらちらと見ました。その視線の意味を理解したルーは言います。「大丈夫です。横取りなんてしません」

 キョクアジサシは疑わしそうにルーを上から下まで眺めてから、ようやく納得したのか、安堵のため息をつきました。

「でも、カモメなのに飛べないなんて」信じられないと言わんばかりに、体をゆらします。「それじゃあ、あなた、どこにも行けないじゃないですか」


 この言葉には、ルーも少しむっとしました。


「どこにもってことはないと思います。だって、僕はゴツゴツ海岸から、ここまで歩いて来たんだから。すごく長い距離なんですよ」

「はあ、それはそれは」キョクアジサシは何度も首を傾げながら、ふくみを持たせて言います。

 ルーは肩をすくめると、海上にいる他のキョクアジサシ達の方をくちばしで指しました。「なんだか、みなさん忙しそうですね」

「それはそうですとも。これから、出立ですから」

「へえ、どこかへお出かけなんですか」

「出かける……。まあ、そういう言い方もできますかねえ」

「いつ戻るんですか?」自分を友達と呼んでくれた鳥とまた会えればと、期待を込めて訊きましたが、返ってきたのは、意外な答えでした。

「さあ。もしかしたら、もう二度と戻ってこないかもしれません」

「えっ?」ルーの反応を見て、キョクアジサシは誇らしげな笑みを浮かべました。

「私達は長い旅の途中なんですよ」

「旅ってどこへ?」

「想像もできないほど遠い場所です。はたして私も行きつけるかどうか……。頼りになるのは、この翼だけです」

 キョクアジサシが広げた翼は、すきとおるように白く、しなやかでした。ルーには、それが少し羨ましく思えました。

「こんなに住みやすそうなところを出ていくなんて、残念ですね」

「確かに、とてもいい漁場でした。でも、むかうべき先があるのなら、毎日が旅立ちなんですよ」キョクアジサシはこたえて言うと、仲間達の方を見上げました。「ああ、そろそろ私も行かなければ」


 群は移動を初め、鳥達は同じ方向に、どんどん飛び去っていきます。ルーと話していたキョクアジサシも空に舞いあがり、その最後尾につくと、ルーを振り返って言いました。


「あなたはどこに行くのですか?」

「僕は――」


 ルーはその後に、言葉を続けることができませんでした。キョクアジサシはその場に、留まったまま、ルーの答えをしばらく待っていてくれましたが、仲間達と離れるわけにもいかず、最後に「さよなら」と言い残すと、行ってしまいました。


 鳥達が消え、ただ波の音が響く海岸に、ルーは立ちつくしました。


 やっと自分に足りないものが分かったのです。


 このまま、ただ歩き続けるのではなく、どこかへ行かなければなりません。居場所を見つけるために。

でも、どこへ? 空が飛べず、代わりに走ることが好きなカモメ。自分のような鳥が行くべき場所などあるのでしょうか?


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