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生存者たち 5


 見慣れたスーパーと、それに隣接する大手ドラッグストアが近づいてくるのを見て、達彦は安堵の溜息をついた。アパートまでもう少しだ。

あの住宅地を抜けて以降、2人は感染者の特徴について話しながら歩いてきた。柚木は彼らが日光を嫌うのではないかと言ったが、達彦は反論した。感染者の隠れる場所が地下や日の入らない建物だけというなら納得もいくが、そうではなかった。実際目の前で見たのだ。もし日光を嫌うならあの女性感染者は玄関口で身体をさらけ出すことはしなかっただろうし、他の連中も窓際には近づかなかったはずだ。加えて柚木は、もし雨や曇りの日はどうなのだろうという疑問も口にした。この先ずっと晴天ばかり続くわけじゃない、そういう場合、感染者達はどのように動くのだろうか。

結局、自分の目で見ないことには正確なことは分からない。ああでもないこうでもないと互いに仮説を言い合いながら、ようやく達彦のアパートの前に着いた。日没の時間よりだいぶ早く到着することが出来たようだ。

「ここだよ、ようやく着いたよ」

そう言って達彦はアパートを見上げた。外壁に塗られた水色のペンキが目を引く2階建てのアパートは、両側を小さな駐車場に挟まれ静かに佇んでいる。駐車場のほとんどのスペースは空で、残っている車は3台しかない。明らかに、この場所に帰ってこられなかった者の方が多いことを物語っていた。アパートの正面に立ち、達彦はじっと2階にある自分の部屋を見つめる。

『ここまで来て、何を躊躇してるんだお前は。ここが嫌なら、他の場所に行くしかないんだぞ』

覚悟を決めて、ゆっくりと階段を上った。金属製の階段が音を立てないよう、無意識に忍び足になってしまう。柚木も達彦の動きに合わせて、静かに付いてくる。階段の最上段に到着し、慎重に通路を覗く。相変わらずひっそりとしていて、廃屋のようだ。もう何度となく通っているのに、202号室までの距離がずいぶん遠く感じる。2人は201号室のキッチン窓に上半身がかからないよう姿勢を低く落とし、目指すドアに近寄って行った。

 鍵を開け、部屋の中に身体を滑り込ませた途端、どっと汗が出てきた。自分の部屋に入るだけでもこんなに緊張していては、明日以降が思いやられる・・・。達彦は申し訳ないというような苦笑を柚木へと向けた。

「どきどきしちゃいましたね・・・」

柚木も小声で苦笑し返す。達彦は手振りで上がってくれと促し、柚木を室内へと通した。鍵と、チェーンを掛けて達彦もあとに続く。

玄関を入ってすぐ5畳ほどのダイニングキッチンがあり、そこには冷蔵庫や電子レンジ、食器棚、買い置きの食料がしまってある戸棚などがある。ユニットバスへはダイニングから入る。ダイニングを抜けるとリビングとして使用している6畳の洋室、その隣には寝室である6畳の和室という間取りだ。特筆すべき点など何もない、典型的な2DK。部屋は、達彦が出て行ったときのまま、そこにあった。

「ずいぶん綺麗にしてるんですね。すごくいい匂いもするし・・・意外です」

柚木はリビングを見渡しながら言った。その声を達彦は、玄関にあるシューズボックスを漁りながら聞いていた。目当ての物はすぐに見つかった。

「加奈子が突然泊まりに来ることが多くてさ、汚くしてるとうるさいんだ」

リビングに入り、持っている物を柚木に渡す。

「スニーカーだよ。サイズも問題ないと思う。それと、ちょっとこっちに来て」

そう言って達彦は柚木を和室へと案内した。セミダブルのベッドと、鏡台、本棚しか置いていない寝室。その部屋の押入れを開け、大きめの衣装ケースを引き出す。

「スカートじゃこの先不便だ。加奈子の服がこの中に入ってるから、適当に選んで着替えてくれ。そのあとで俺も着替える。スーツに革靴じゃ動きづらくてね・・・。俺はあっちの部屋に行ってるから、終わったら声かけてくれな?」

寝室をあとにし、軽く溜息をつく。自分の部屋で加奈子以外の女性と2人でいるなんて、どうも気まずい。オフィスにいたときは何とも思わなかったのに・・・。達彦はいま隣の部屋で着替えているであろう柚木のことを考えてしまった。

『おいおい・・・しっかりしろよ・・・思春期の中学生じゃあるまいし』

かぶりを振り、煙草を咥えキッチンへと移動した。

『こんなこと、加奈子に知られたら殺されるな・・・』

加奈子がもし感染者の1人になっていた場合、そのときは間違いなく自分を殺そうとするだろう。そうしたらどうする?甘んじて受け入れるか、それとも加奈子に安息を与えるか。・・・出来るのか?俺に。加奈子を殺すなんてことが。

こんなに悩むくらいなら、いっそ探しに行くのを止めた方がいいのではないか。諦めてしまえば楽になる。ここなら安全だし、事態が収束するまで待つのもいい。そんな考えが達彦の胸のうちに芽生える。・・・駄目だ、それは出来ない。生き残っている可能性があるのだ。助けを待っているかもしれないのだ。放っておくことは出来ない。

『お前を見つけ出すことが、俺が生き残った唯一の意味だよ』


  ・


 「着替え終わりました」

襖が開き、ダイニングにいる達彦の前に、柚木が姿を現す。ジーンズにピンクのハイネックというシンプルな組み合わせ。上着は例の10万円コートを使うつもりのようだ。

「それと・・・言いづらいんですけど、下着もお借りしました。すいません」

律儀なのか正直なのか。そこまで教えてくれなくてもいいと思うのだが、おかげで暗い考えを追い出すことが出来た。

「これで動きやすくなったかな。スニーカーは履いたままにしとくといい、何かあったときすぐに動けるようにね」

加奈子の下着のレパートリーはだいたい知っている。柚木がその中からどれを選んだのか、また馬鹿な考えが出てくる前に達彦は自分も着替えるために和室へと入った。

着替え終わった達彦は、押入れの奥からバックパックを引っ張り出し、数枚の着替えをしまい込んだ。柚木にも同じく数枚選ばせ、一緒にしまう。日没後に物音を立てたくないと、急いで必要な物をまとめた。懐中電灯、電池、食料、水、救急セット、裁縫道具、必要最低限の工具類・・・などだ。いざ揃えてみると、一旦自宅まで戻ってきてよかったと思える充実ぶりだった。しかし武器になりそうな物は相変わらず見つからない。包丁が2本あるが、カッターと同じで接近しないと使えない。達彦は考えたすえ、1本持っていくことにした。ないよりはいいだろうという程度、お守りみたいな物だ。

「これ凄いですね」

柚木がリビングの壁を見ながら感嘆の声を上げる。

「エアガンだよ。玩具だ。趣味でさ、少しづつ集めてたんだ。プラスチックの弾で連中が倒せるなら持っていくけど、効き目はなさそうだし」

壁には大小様々、いくつものエアガンが飾ってある。達彦はバックパックのファスナーを閉めながら続けた。

「もっとも、あれだけの数で押し寄せられたら、本物の銃でも怪しいよ。弾がいくらあっても足りない」

「隠れながら逃げるしかないってことですね、残念ですけど・・・」

壁を飾るコレクションを見つめながら、柚木が呟いた。

そのとき、遠くの空から微かな音が聞こえてきた。幾重にも重なって聞こえてくるその音は、ヘリコプターの音で、だんだん近づいてくる。達彦は窓から外を覗いたが、日没前のオレンジ色の空には何も見えない。音は、窓と反対側、2人の背後から聞こえている。次の瞬間、けたたましいローター音と共にアパートの上空をヘリが通過した。少なく見ても10機以上のヘリが横一列に編隊を組み飛んでいる。

『警察・・・いや、自衛隊機か・・・?まだ組織として残っていたなんて』

この騒ぎが発生した最初の晩、警察や自衛隊といった組織も内部から壊滅的打撃を受けたはずだ。指揮系統は断絶し、混乱のうちに無力化した。達彦はそう考えていた。いままでそれら組織の人間が治安活動を行っている場面を見たことがないからだ。だが、たったいま頭上を飛んで行ったヘリを見る限り、機能を取り戻しつつあるのかもしれない。

急に、もしかしたらという思いがよぎり、達彦はテレビの下、DVDプレイヤーやソフト類が納まっている台を漁りはじめた。取り出したのは電池式のラジオだ。スイッチを入れ、バンドを合わせる。


{・・・・・して下さい。繰り返します、現在日本国内全域において非常事態宣言が発令されています。我々は自衛隊および米軍の協力の元、この放送を行っています。国民の皆さんは、自宅に留まり、治安部隊の到着を待ち指示に従って下さい。たとえ安全と思われても自宅以外の建物に入ったり、移動をしたりしないように。略奪など危険な行為は止め、パニックに惑わされないよう注意して下さい。繰り返します・・・・・}


ヘリはすでに黒い点となって消えかかっていた。

『もうすぐ感染者が活動を始める時間だぞ、こんな時間に何しに行くんだ・・・?』

ラジオでは治安部隊と言っていた。あのヘリはおそらくその一部だろう。しかし救援活動や避難誘導を行うのなら日中に来るべきだ、こんな時間に行動するなんて間違っている。

その考えを裏付けるように、外では感染者達が姿を現し始めた。横浜駅周辺よりも数が少ないのが救いだが、あのオフィスに比べたらこの部屋の守りは薄い。2人はじっと息を殺し、カーテンの隙間から窓の向こう、ヘリの消えた方向を見つめた。空はもう暗くなっている。

数分後、ヘリの消えた先から、微かに銃声や爆発音が連続して聞こえてきた。達彦は柚木の顔を見る。怯えたような、不安そうな表情はいままでと同じだが、薄暗闇でも分かるくらい顔色が悪い。

「大丈夫かい?」

達彦の問いに、柚木は1回だけ頷いた。

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