表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/31

生存者たち 4

 森屋と別れ歩き始めた達彦と柚木は、ひとまず日吉へ、達彦のアパートへと向かうことに決めていた。感染者達は日中であれば建物や地下に潜み外をうろつかない。これは確認済みだ。おかげで生存者は日中の間だけ比較的自由に動ける。事実いま2人がいるJR線に沿って伸びるこの道路には、放置された車と死体しかない。動き回っているのは達彦や柚木と同じく生存者達だ。だが、あくまで日中は大丈夫だという曖昧なところしか分かっておらず、具体的に何時から何時は危ないとか、どういう建物に好んで潜むかなどといった詳しい情報はいまだに得られないままだ。食料を調達するにせよ非難場所を探すにせよ、建物に入る必要は常にある。そのため日吉へ向かう道すがら、周囲の建物を観察し何かヒントになるものがないか見ながら進むつもりだった。

『不用意に入って感染者と鉢合わせ・・・じゃ、たまらないからな』

達彦は足を止め目の前の建物を見る。ドアも含め前面は全てガラス貼りの釣具店だ。見える範囲で店内に感染者の姿はないが、奥にいくにつれ光が届かず薄暗闇になっている。こうなると、果たして入っても大丈夫だろうかと不安になってしまう。釣具に用はないが、もしこれが食料品店なら一気に大問題になる。

「どうしたんですか?」

足を止めたまま動かない達彦へ、柚木が不安そうに声をかけた。

「うん、何か上手い見分け方とかないかなと思ってね」

今日のところは日吉のアパートだから問題ない。自宅なら缶詰や乾物があるし、ボトルの水も1ケース置いてある(ビールは論外だ、飲む気になれない)。それに1人暮らしである以上、入ったら誰かがいたなんてこともない。安心して中に入れる。問題は日吉を出たあとのことだ。夜を明かす場所は必要だし、食べないわけにもいかない。

「見分け方って・・・中にあの・・・アレがいるかどうかのですか?」

「そう。建物の中に入らなきゃいけないときもあると思ってさ、そのときになって慌てたくないからね。何かいい判断材料はないかなと・・・もしかして焦り過ぎかな?俺」

「いえ・・・いままでは私達のよく知ってる場所にいましたから大丈夫でしたけど。そうですよね・・・知らないところに入るのはちょっと怖いかも・・・」

「まぁこんな状況だしね、どこに入るのも怖いよ。でもまだ歩き始めたばかりだし、これからいろいろ分かってくるかもしれない。柚木さんも何か気になったことがあれば何でも言って?2人で注意して見てみよう。ところでさ・・・」

すぐに答えが出ない問題に時間をかけるのはもったいない。アパートまではまだ距離がある。達彦は気持ちを切り替えて地図を開いた。オフィスに置いてあった、かつて営業マンが使っていた物だ。

「いま俺達がいるのがここなんだ。この道をもう少し進んで、ここを左・・・」

指先で地図上をなぞりながら言葉を続ける。

「そのまま真っ直ぐ行けば綱島街道に出られるよ。そうしたらあとは簡単。ただ・・・だいたいこの辺かな・・・この辺りは住宅地でね、あまり道が広くないし左右をアパートや一軒家に挟まれてるんだ。特に何がってわけじゃないんだけど、ここを通るときが心配でね」

「じゃあ、その道に入ったら一度様子を見てみましょうよ」

柚木は地図に目を落としたまま言った。

「もしそこで・・・大丈夫だと思うけど、感染者を見たり、危険なくらい接近しそうな感じなら迂回して別の道を進めば・・・それに・・・」

そこで地図から顔を上げ、上目遣いに達彦を見る。

「私達ならきっと無事に辿り着けますよ。大丈夫です」


  ・


 片側1車線のその道は、両脇に戸建住宅やアパート、年季の入った小じんまりとした個人経営店を従え、くねくねと曲がり伸びていた。建物が密集しているため圧迫感を感じる道だ。目に入ってくる惨状も、これまで通ってきた道とさして変わらない。あちこちに欠損した死体が転がっている。道幅が狭い分惨たらしい雰囲気は増しているかもしれない。達彦は死体を踏まないよう所々避けながら、柚木の手を引いて進んだ。もう吐いたりはしないみたいだが、それでも柚木はこの道に入ってからずっと黙ったままだった。

歩きながら達彦は左右の建物に注意深く目を配る。玄関、窓、ベランダ・・・何か動く者がいないか・・・危険はないか。そのとき、達彦が足元の死体に躓いた(ちなみに、いかにも部屋着といった様子のジャージ姿をした若い男性だった)。手を引かれていた柚木も合わせて体勢を崩し、短い悲鳴を上げた。

「ごめん・・・だいじょ・・・」

言いかけたのと同時に、2人を挟む家々の中から、獣のような咆哮が聞こえてきた。最初は小さく、それからボリュームのつまみを回すかのようにだんだん大きく。そして2人から一番近い民家の玄関ドアが、内側から激しく叩かれた。どすん!どすん!という音と共に、ドアが軋む。

『まさか!出られるのか!?』

昼間は安全だと思ったのは間違いだったのかもしれない。達彦は目の前のドアが開き、飛び出してきた感染者達が自分と柚木を引き裂く様を想像し身震いした。柚木は抱きつかんばかりに達彦へ寄り添い、小刻みに震えている。

そしてとうとうドアが勢いよく開いた。そこに立っているのはエプロン姿の女性感染者。歯を剥き出しにし、真っ赤な目で2人を睨む。

『なるほど・・・あれは確かに酷い。別の生き物ってのがぴったりだ』

もうすぐ死ぬかもしれないという危機にあって、自分は何故こんなことを考えているのだろうかと達彦は苦笑した。何故なら・・・そう、考える時間があるからだ。目の前の感染者は、いまにも突進してきそうなほど勢いづいている。しかしドアからこちらに出てこようとはせず、じっと立ったままだ。達彦は恐る恐る周囲の家を見回してみた。数ヶ所の窓に、こちらを凝視している感染者の姿が見える。みな一様に興奮状態で、すぐにでも窓を突き破り飛び出してきそうだ。だがエプロン姿の感染者と同様、動き出す気配がない。

「行こう・・・とにかくこの場を離れよう。大丈夫だ、あいつらは出てこない」

視線は目の前の感染者に据えたまま、小声で柚木に囁く。パニックから無茶苦茶に走りだしたいという衝動を抑えるため、達彦は自分自身に言い聞かせるように呟き続けた。

「出てこれない。出てこれない・・・出てこれるならやってみろ・・・くそったれ」


  ・


 先の住宅地を抜け、2人の目の前に大きめの道路が現れた。綱島街道だ。

歩道の縁石に腰を下ろし、深く深呼吸をする。頭の奥がひりひりする。初めて感染者を至近距離で見た。森屋や柚木に聞いていたとはいえ、あんなに恐怖を感じるなんて。

「駄目かと思っちゃいました、さすがに」

柚木も腰を下ろし、気の抜けた顔で呟く。手が震えていた。

「でも・・・やっぱり出てこれないみたいですね、何でかは分かりませんけど。今回はそれがはっきりしただけよかったじゃないですか」

「あぁ。それにしても・・・いまのは危なかった。俺も正直死んだと思ったよ。いまでも生きて君と話してるのが夢みたいだ」

ポケットから煙草を取り出し、口に咥える。何故かひどく吸いたい気分だ。

「悪い、少し休憩しよう。柚木さんもサンダルだから疲れたろ?」

「香川さんの家まで、あとどれくらいですか?」

ボトルの水を飲みながら、柚木が言う。達彦は地図を開いた。

「えっと・・・いまここだから。そうだな、あと5kmってとこだね。この道を真っ直ぐだよ」

「行きましょうか?休ませてもらってありがとうございます。気を使ってもらっちゃって・・・」

立ち上がり、スカートの汚れを払う。

「俺が休みたかったんだよ、さすがに参ったしね。だから別に気を使ったわけじゃない」

「さっきも私が悲鳴なんか上げちゃったから・・・それで」

やっぱりなと、達彦は内心溜息をつく。それを言うなら、そもそも死体に足を取られた自分に非があるはずだ。詫びるべきは自分だった。

「いや、あれは俺が悪い。俺がちゃんと足元を見てたらよかったんだから」

何か言おうとする柚木を手で制し、達彦は続ける。

「男としてはね、全部俺に任せろって言いたいよ、本当は。でも無理だ。情けないけど。だから俺達はお互いに頼り合っていかなきゃならない。でも、何でもかんでも自分のせいだなんて思われたらその時点でこの関係は終わっちまうよ。いい?俺は君が考えてる以上に君を頼りにしてる。君が一緒にいることを迷惑とか思ったことはない」

柚木は黙ったまま俯いている。

「俺だって怖い。すごく怖いよ。だから自分だけ弱いみたいなこと言うなよ」

達彦は柚木の手を取ると、そのまま歩き出した。恥ずかしいことを言ってしまった。怖いだなんて。柚木を安全な場所まで連れて行くと言ったのに、これじゃあ情けなさ過ぎる。だけど、これは本音だ。何事にも弱気で怯えやすい柚木の前では強がって見せているだけだ。いまは2人しかいないし、強がれる方が引っ張っていくしかないじゃないか。

「ほら行くぞ、もう少しだから頑張れ」

手が微かに汗ばんでいることは自分でも分かる。でももう言ってしまった、いまさら取り繕ってもしょうがない。達彦は柚木が自分の足で付いてきていることに安心しつつ、歩き続けた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ