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生存者たち 3


 沈みかけた太陽の投げかける光が、立ち並ぶビルに降り注ぐ。眼下の通りを含めあらゆる路上は、いまはそれら建物群が生み出す暗い影に飲み込まれ始めている。日没の時間がきた。そんな中、少数の生存者達がいまだに通りを歩いているのが達彦には気がかりだった。窓を開けて警告するべきだろうか?もうすぐ殺しの時間が始まることを伝えるべきか?

達彦の考えていることが分かったのか、森屋が達彦の肩に手を置いた。

「やめとけ、もう時間がない」

そう言って、少し離れた場所に見える比較的大き目のビルを指差す。いくつものカラオケ店やパチンコ店が入っているビルだ。いままさに、そのビルからぞろぞろと例の連中が姿を現したところだった。

『奴らだ・・・感染者』

もう人ではない、狂気に感染した者達。

それにしてもすごい数だ。達彦は息を呑んだ。建物という建物ほぼ全てから、そしてかろうじて見える地下街出入り口のひとつからも大規模な集団が出てきた。彼らはみな虚ろな表情で、どこを見ているのか分からない真っ赤な目を持つ顔をゆっくり動かし歩いている。

そのときどこからか甲高い悲鳴が響いた。そして、まるでそれが合図だったかのように感染者達が走り始める。圧倒される光景だ。運悪く外にいた生存者がどれくらいなのかは分からないが、彼らが上げる悲鳴は数分間続いた。

「もういいだろう?とりあえず最初の確認は済んだ」

森屋が窓から離れ腰を下ろした。柚木もそれに続く。達彦はしばらく視線を通りに向けていたが、やがて窓から離れた。


  ・


 柚木と森屋の2人は、いま仮眠を取っている。先ほどから森屋のいびきがうるさいが、それが柚木を起こすこともなく、彼女は身じろぎもせず眠っていた。柚木がくるまっているのが例の10万円コートだろうか(携帯電話や財布の入ったバッグをデパートに忘れてきたかわりに、このコートはしっかり持ってきた)。もともと柚木が着ていたコートは、いまは森屋の身体に掛けられている。森屋の雰囲気と可愛らしいピンクのコートという組み合わせはいささか奇妙だと、達彦は微笑した。

『もうそろそろ交代の時間だな』

次の不寝番は柚木だ。彼女を起こそうと達彦が腰を上げたその瞬間、外のネオンや灯りが一斉に消えた。オフィス内に微かに聞こえていたエアコンの唸りも消えた。若干の驚きはあったものの、いずれこうなるという考えがあったのだ。達彦は取り乱すこともなく柚木を起こす作業に戻る。

「柚木さん、交代だよ」

小声で呼びかける分、少し強めに肩を揺すった。柚木はすぐに目を覚ました。

「いま午前3時だ、5時半になったら俺と森屋さんを起こしてほしい、いいかな?」

「5時半ですね、分かりました」

柚木は腕時計を見ながら答える。そして、これまでと違う室内の雰囲気に気が付いたのか辺りを見回し始めた。

「灯りが消えたんだよ、電気が止まったみたいでね」

自分のコートにくるまり、達彦は横になりながら柚木を見る。

「心配ないよ、大丈夫。それよりエアコンが切れたから冷えてくるぞ、ちゃんと着ときなよ?あと、不安になったら起こしてくれていいから。じゃ、お休み」

「お休みなさい」

柚木は頷き、横になった途端寝息を立て始めた達彦を見つめる。同じ会社に勤めている以上簡単な挨拶くらいは交わしたことがあるが、そこまでだ。部署も違うし、ほとんど知らない者同士だと言ってもいい。それなのに彼はちゃんと自分にも気を使って接してくれる。今日だって、一緒に行こうと言ってくれた。本当は恋人のことで気が気じゃないはずなのに。

これがこんなひどい状況ではなかったら、新しい出会いにわくわくしたりするのだろうか。ちょっと気になりだして、でも恋人がいるのが分かって淳子に相談したり、そんな過ごし方が出来たのだろうか。考えても無駄なことなのは分かっている。もう普通に過ごせた時間は戻ってこないし、淳子を始め大勢の人が実際に戻ってこない存在になった。

また泣きたくなって、柚木はあわててかぶりを振る。役に立ちたいと思ったばかりではないか、こんな弱気じゃ駄目だ。

『しっかりしなさいよ・・・私にも出来ることはあるはずなんだから』

最後に少しだけ達彦を見て、柚木は窓の外へ視線を向けた。


  ・


 午前5時半。3人は再び窓の前に立ち、眼下でひしめいている感染者達を見下ろしていた。

空は微かに、うっすらと明るみを帯び始めている。達彦の言った通りなら、このあと感染者達は建物の中へ、地下へ、彼らの巣穴へと帰って行くはずだ。

太陽が昇った。日の光が建物を、地面を照らしいままで闇に溶け込んでいた輪郭を浮かび上がらせる。それに対し、まるで抵抗するかのような咆哮を上げ、感染者達は移動を始めた。やはり予想通り、巣穴へと帰って行くのだ。

「確認は終わったね。連中が活動するのは夜だけで、日のあるうちは俺達生存者に与えられた時間だってことだよ」

「だいたい予想してたとはいえ、驚きだよ。参ったね」

森屋が額の汗を拭いながら言った。達彦と柚木にとってもそれは同じだった。ここまですんなりと予想が当たるとは正直考えていなかったのだ。だが、これで移動を始められる。もっと安全な場所へ、もっと多くの生存者のいる場所へ、そして目的を果たすために。

「さぁ、行こうか。時間は限られてるんだ。もたもたしてたらもったいないぞ」

荷物を持ち上げ、森屋が非常階段のドアを開ける。そのドアをくぐりながら、達彦は室内を振り返った。もうここに戻ってくることはないだろう。ほんのちょっと前まで、自分がここで仕事をしていたのがまるで嘘のようだった。

『仕事・・・結局終わらなかったな』

一瞬、出来上がった書類だけでも支店長のデスクに置いてこようかとも考えたが、すぐに改めた。この場所への別れとしてけじめにはなるかもしれない。だが、いま必要なのはそんなことじゃない。柚木と一緒に生き残り、加奈子を探し出す。感傷には、そのあと浸ればいい。達彦はドアを閉め、先を行く森屋と柚木のあとを追い階段を降りた。


  ・


 「短い間だったが、あんた達に会えてよかったよ。世話になったね。ありがとう」

そう言って、森屋が手を差し出した。それを柚木が握り、達彦もまた握り返す。

「こちらこそ・・・家族の無事を祈ってます」

「あぁ、そっちもな。会えるといい、本当にそう思う。お嬢さんも気を付けて行けよ?」

頷いて返す柚木の顔は、早くも泣き顔になっていた。それを見た森屋は、握った手をぐいと引っ張り達彦を引き寄せた。

「あまり不安にさせたくないが、これだけは言っておく。本当に怖いのは感染者じゃないぞ。こんな状況に放り出されて、生きることを余儀なくされた生存者の方がよほど怖い。お前はお嬢さんを連れてこれから行動するんだし、俺の言ってることの意味、分かるよな?」

達彦は頷いた。

「生き残った連中が全て悪者じゃない、信用する相手は選べってことさ。そしてそれをするのは香川、お前だよ。お嬢さんをちゃんと守ってやってくれ」

「分かってます。俺は森屋さんに声をかけた。相手を選ぶセンスは、もう証明されてるでしょ?」

やはり森屋には一緒に来てもらいたい。だが、そのことを再び議論するつもりはなかった。だから達彦は森屋を安心させようと無理矢理の笑顔で答えた。森屋も笑う。

「大丈夫そうだな。じゃあ俺は行くぞ」

「はい、気を付けて」

軽く手を上げ、歩き去っていく森屋の背中をしばらく見送ったあと、達彦と柚木も歩き始める。達彦は柚木の顔を見た。泣きそうな顔は消えていて、その目はしっかりと前を向いていた。



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