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生存者たち 1


 目の前に広がる光景は、酸鼻極まるという言葉がぴたりと当てはまるものだった。暴徒達に食べられたと見られる死体がいたるところに転がっており、明るい日差しの下、引き裂かれた腹や肉、腕や足の切断面を覗かせていた。

吐き気を堪えてようとしているのだろう、先ほどから柚木は喉の奥からくぐもった呻き声を上げている。

「ごめんなさい・・・もう駄目・・・」

柚木は低く溜息を漏らし、身体を折り曲げて吐き始めた。視線を地面に向けたため、すぐ目の前に転がる両腕のない若い男性の死体を見てしまった。そのせいでまた吐いた。達彦は柚木の吐く音で、つられて自分まで吐いてしまわないように意識していなければならなかった。実際、それは容易なことではなかった。達彦だって限界なのだ。しかし、柚木の傍を離れるわけにはいかず、達彦はただじっと耐えた。

柚木がひと通り吐き終わり、ぜぇぜぇと荒い息を上げ始めたとき、1人の男が目の前を通りかかった。清掃業者だろうか(『元』だ、もちろん)、グレーの作業着に身を包んだ40代くらいのその男は、手に鉄パイプを持ち、死体を突付きながら歩いている。達彦と柚木の前を通るとき、その男は2人にちらりと視線を寄越したが、すぐに興味をなくしたのかそのまま通り過ぎていく。

「ちょっと待って!!」

何故この男に声を掛けたのか、自分でも分からない。

「何が・・・あったんですか?」

呼びかけられたその男は、歩みこそ止めたものの、振り返らない。一瞬の沈黙のあと、男は唐突に言葉を発した。

「あんたら、昨日の夜から今朝までに、誰かを殺したか?」

質問の真意が分からず、達彦と柚木が黙っていると、男はやっと振り返り言葉を続けた。

「俺は殺したよ。1人目は同僚、2人目はどっかの野郎で、3人目はコンビニ店員、4人目は・・・ありゃ多分OLさんだろ。ほら、見てみろよ」

そう言って男は手に持った鉄パイプを少し掲げて見せた。鉄パイプの先端にはまだ乾ききっていない血がべっとりとこびり付いている。

「あの感触は忘れられない。最悪だった。どいつもこいつも狂い始めて。どいつもこいつも・・・俺は・・・必死で・・・くそっ」

「何があったんです?昨夜の暴徒、あいつらは何なんです?」

焦りを押し殺し、冷静を装って達彦は問いかけた。目の前のこの男は、『殺した』と言った。しかも4人。こんな状況だ、精神的に参っていることもあり得る。変に刺激したら危険だ。

「暴徒?あいつらが暴徒!?」

男が鉄パイプで地面を叩く。乾いた、カンという金属音が辺りに響いた。

「あいつらはもう人間じゃない、化け物だよ、化け物!おい知ってるか?あいつらは殺した人間の肉を食ってる。まともな人間がそんな真似するか!?」

達彦は昨夜見た光景を思い出した。そう、確かに食べていた。柚木は信じられないというように目を見開き、悲鳴を我慢するかのように手で口を押さえている。

「しかもな、あいつらの狂気は伝染するんだ!感染するんだよ!」

男は口の端から唾の飛沫を飛ばしながら叫んだ。


  ・


 作業着の男を含め3人は、オフィスへ戻るため再び非常階段の扉の前まで戻っていた。最初の印象と違い、男は過度に困惑こそしているものの、狂っているわけではなさそうだったし(それでも男が鉄パイプを掲げたときは、きっと次の染みは自分の血で付けられるだろうと達彦は思った)、この男から話を聞けば、現時点で知りたい情報は十分得られそうだと考えたからだ。達彦は4階に戻り腰を下ろして話をしようと男を案内した。

達彦は喫煙室のドアを開けると、まず柚木を通した。次いで作業着の男。最後に達彦が室内へと入り、しっかりと鍵を掛ける。

「そういえば、まだ名前を聞いていませんでしたね。俺は香川、彼女は柚木といいます。あなたは?」

男はすぐに振り返り、手を差し出しながら名乗った。

「森屋博之だ、よろしく」

その手を握り返しながら、達彦は不思議と安堵感を感じていた。

 室内に戻った一行は、話を始める前に簡単な食事をした。驚くことに、森屋が持っていたバッグには菓子パンやおにぎり、弁当などが詰まっていたのだ。

「咎めないでくれよ?こんな状況だし、そりゃ盗みもするさ」

笑いながら森屋は達彦と柚木に弁当を差し出した。達彦は受け取ったが、柚木は顔の前で小さく手を振り、弁当を拒んだ。食欲がないと。

「少しでも食べないと駄目だぞ?弁当が無理ならせめてパンとかおにぎりをさ。体力つけなきゃ」

「そうだ、兄ちゃんの言う通りだ。食えるときに食わないと駄目だ」

優しくたしなめる達彦に続いて、森屋も食事を勧める。森屋の手にはおにぎりが乗っていた。

「ほら、食いなって」

しぶしぶだろうか、柚木はその手からおにぎりをひとつ受け取り、包みを開けた。柚木がやっとおにぎりを口に運ぶのを確認して、達彦と森屋も食事を始める。

「弁当はたくさんあったのに、何でこんな不味い弁当を選んじまったんだろうな。これって本当に唐揚げか?ほら、見てみろよ」

森屋が大げさに顔をしかめ、箸でつまんだ唐揚げを2人に見せる。

「うちのかあちゃんのが何倍も美味いよ・・・まったく」

愚痴を言いながらも、その表情は笑顔で、明らかに柚木を励ましてやりたいという森屋なりの思いが感じられた。達彦はありがたいと思った。居合わせたのは偶然とはいえ、柚木のことは守ってやりたい。だが、冷静さや普通を装うことは出来ても、おどけることは多分無理だ。外の状況が少しづつ分かってきてしまったいまは尚更に。

『加奈子のこともあるしな・・・』

加奈子を思うと居てもたってもいられなくなる。早く迎えに行きたい、顔を見て安心したい。

「ひとつ言わせてもらうと・・・」

達彦の思考を中断させるように、柚木が言葉を発した。

「もっと日持ちのする食べ物を持ってくるべきだったかも・・・ですね」

そう言って柚木が笑う。森屋も笑っていた。いまこの時間だけは、血や暴力や、狂い始めた外の世界を忘れたい。達彦もまた、暗くなりそうな気持ちを振り払うように笑った。


  ・


 「さっきは、下では済まなかったね。取り乱したようになって」

食事を終え、そろそろ話を始めるタイミングだと判断したのだろう、煙草を唇の端にぶら下げたまま森屋が切り出した。その侘びに対し、達彦と柚木は微笑みを返す。

「聞かせてください」

達彦が促すと、森屋は目を閉じ話し始めた。

「ん・・・。昨日、俺は仕事を終えて同僚と一緒に車に向かってた。ほら、ひとつ隣の通りにあるラブホテルの裏にあるコインパーキングさ。車に乗り、さぁ帰ろうってときだよ、いきなり同僚が・・・柴田っていう奴なんだが・・・掴みかかってきたんだ」

煙草をもみ消し、すぐにまた新しい煙草に火を点ける。

「普段柴田はおとなしい奴でね、力だってある方じゃない。でもあのときは違ってた・・・恐ろしく強い力で俺を押さえ込んでくるんだ。おまけにあの顔・・・ひどいもんさ。くしゃくしゃで、目なんか真っ赤で、黒目がどこにあるか分からないくらいだよ。想像出来るか?そんな顔」

森屋は一旦話を切り、達彦と柚木を見た。

「私は見ました。淳子が・・・友人が同じ顔をしてたから」

俯き、膝に置いた自分の手をじっと見つめたまま、柚木が言った。

「そうか・・・とにかく、柴田は俺を襲った。俺は訳も分からずで、何とか説得しようとしたよ。『よせ』とか『どうしたんだ』とか、そんな感じだ」

溜息をつく。

「結果から言うと、俺は柴田を殺した。そうするしかなかった。途中で分かっちまったんだ、『あぁ、こいつはもう柴田じゃないんだ』ってね。上手く言えないが、別の生き物になっちまった感じだ。そのあとはもうぐちゃぐちゃさ。みんなパニックだったよ。俺は逃げながら何とか安全な場所を見つけようと必死だった。そのときだ、コンビニの前で男の店員が狂った化け物の1人と組み合ってた。店員は肩を噛まれてもがいてたんだ。俺はそいつを助けようとして、化け物にこいつを・・・」

そう言って森屋が鉄パイプを掴む。

「思い切り叩きつけてやったよ。思い切りな。開放された店員は肩を押さえて苦しそうだったが、命はある。これで大丈夫だろう。そう思ったら今度はその店員が俺に襲いかかってきやがった。柴田と同じ顔をして・・・。だから俺はこの店員も殺した。その先はずっとこんな調子だ。4人目、OLさんを殺したあと俺は車まで戻り、一晩中隠れてた。正直すぐ見つかると覚悟してたよ。でも何とか生きてる。夜が明けて、連中がいないのを確認してから外に出たんだ。どの道、通りがあんな状態じゃ車は使えないからな。弁当を調達して徒歩で逃げ道を探してたら兄ちゃん達に会った。で、現在に至る、だ」

肩をすくめ、森屋は話をまとめた。

「あぁ、さっきもいったが、肝心なのは『感染する』ってことだからな。俺が言いたい一番のポイントはそこだ。映画みたいに、噛まれたらアウトだ。素敵な話だろ?」

正体が何であれ、森屋の言う『感染』は事実のようだ。そうなると、これはウィルスや病原菌の類ということか。でもそれならなぜ自分達は発症しないのだろう?達彦は考えをめぐらせたが、すぐに諦めた。無駄だ、自分はそっちの世界には暗い。なぜかなんて分かるはずがないではないか。それよりも大事なのは、生き残ること。そして加奈子を見つけ出すことだ。

「ひとついいですか?森屋さんが車から出てきたときには、もう連中はいなくなってたんですよね?」

加奈子を探すためには、移動が可能な状況というのが大前提だ。ヒントを得なければ。そして同時に達彦はあるひとつの仮説を考えていた。

「それは確かだ。兄ちゃん達もそれはさっき見たはずだぞ?」

白髪混じりの髪を掻きながら、森屋は『それがどうした』と言わんばかりに答えた。

「ちょっと確認したいことがあるんです。上手くいけばここから出て移動出来る。もっと安全な場所へ向かえるかもしれない」

自分の考えを話そうと、達彦は身を乗り出した。


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