表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/31

剛毅果断 1


「巣穴って表現じゃ生ぬるいな。なるほど…要塞とはよく言ったもんだ。これだけの数のマンション全てに感染者連中が詰まってると思うとゾッとする」


緒方が呟く。加奈子の自宅があると達彦が一同を連れて来たのは、約70ものマンション群から成る公団団地だ。品川区の東側に位置し、昭和56年の都市計画決定以降年々人口数を増やしてきたマンモス団地。東京ドーム8.7個分(加奈子からの受け売りだ)の敷地内に建つ大量のマンションには今頃大量の感染者が巣食っているだろう。まさに要塞だ。その中で目当てとなるマンションは京浜運河沿いの一画、比較的新しいマンションだった。

感染者達の要塞というだけでなく、この団地が異様な雰囲気を帯びているのは、おそらく団地全域に立ち込める黒煙によるものだろう。災害の起こった時間が夜だった事もあり、この団地では多くの火の手が上がった。今一同が居る場所を取り囲む複数のマンションも例外ではなく、どれも必ず7~10戸は火災の跡が見受けられ、的確な消火を望めなかった結果いまだ燻り続けていた。

マンション住民用の駐車場入口の近くにある、かつてバス停だった場所に装甲車を停めたのが30分前だ。それから緒方と達彦は双眼鏡を覗き周囲の様子を観察し続けていた。


「加奈子の自宅があるのは5階です。あのマンションでの火災は…7階と9階だから、煙で視界が悪くなる事は無さそうですね。移動は外付けの非常階段で大丈夫として、問題はエレベーターホールかな」


「と言うと?ホールの作りはどうなってる?」


緒方が覗いていた双眼鏡を降ろし、達彦へ視線を向ける。


「広さ自体は大した事はないけど、住民が普段使いしてる屋内階段に繋がってる。その屋内階段からホールまでの空間はかなり薄暗いんです。採光用の窓も小さいから、日中でも蛍光灯を点けてた。当然電気が止まっている今は無理でしょう。至近距離で感染者と鉢合わせるとしたら、間違いなくエレベーターホールが最初ですね」


そう言って、達彦は一点を指し示した。


「エレベーターはマンションの中央、非常階段から数えると1…2…3…そう、5戸目と6戸目の間を走ってる。加奈子の自宅は8戸目、つまりエレベーターホールの前を通る必要があるんです。引きずり込まれないようにしないと」


1階から最上階である12階まで、屋内階段は続いている。各階のエレベーターホールと合わせて薄暗いその環境に潜んでいる感染者はどれくらいになるのか…現状で一番の気がかりがそこだ。もし5階で発見された場合、最悪他の階に居る感染者達も呼び寄せてしまう事になる。一通りの説明を受け、緒方が頷いた。


「とは言え、非常階段と各階の通路には共にヤツ等の姿は無し…少なくとも部屋から出たり、屋内階段から出てうろついてる感染者は居ないようだぞ。となると…とにかくやってみるしかないか。よし、装備を整えよう。今回はしっかり準備して行く、こっちだ、来い」


そう言うと緒方は素早く装甲車の上面から飛び降り、後部ハッチへ向かう。達彦もその後に続いた。ここに来てようやく実感が湧いてきた。自分はやっと、加奈子と自分を結びつける事が出来る場所にやって来たのだ。



 ・



緒方に言われるがまま、兵員室から取り出した装備を身に付けていく。Y型のサスペンダーに吊り下げられたピストルベルトには、救急品袋や銃剣、そして89式小銃用の弾入れが合計6個配置されている。1本、2本とそれぞれの弾入れに弾倉を詰め込んでいると、緒方が水筒を投げて寄越した。


「万が一すぐに戻れなくなった場合に必要だ、弾帯に装備しとけ。あとL型ライトも忘れるな。弾入れは弾倉2本用に交換しておいたから、ちゃんと詰めとけよ」


89式小銃の弾倉は1本で30発。そうなると装填してある分と合わせても所持弾数は1人390発だ。マンション内部の詳しい状況が不明な今、これが多いか少ないかは判断が難しい。

達彦は兵員室に無造作に転がっていたやや大きめのバッグを手に取った。バッグを開け、中身を確認する。防護マスクだった。防護マスクは必要ないが、加奈子の自宅で何か見つけたら持ち帰りたいと考えていた達彦はマスクをバッグから取り出した。そのままバッグをたすき掛けにし身に付ける。


「バッグを持っていくならこいつも頼む。そんなにかさばる物じゃない、入れといてくれ」


そう言って緒方が寄越したのは、袋詰めされた乾パンだった。オレンジ色の液体が入ったチューブが添えられている。ジャムか何かだろうか。


「これも万が一だよ。目的を達成したらすぐ戻るつもりとは言え、何が起こるか分からん。水だけじゃ心許ないしな。準備はしっかりして行かないと。本当ならお前に戦闘服一式も用意してやりたいが、予備が無いんだ。分かってると思うが、袖を捲くし上げたりはするな。噛まれた時、少しでも歯が食い込むのを避ける為だ」


達彦が着ている服は、日吉のアパートを出た時のままだ。黒のニットとオリーブドラブのカーゴパンツ、そしてパナマソールと呼ばれるコンバットブーツ。ジップアップパーカはフード部分を掴まれたら危険だと脱いだのだ。おかげで少し肌寒い。

トップスはともかく、パンツとブーツについては趣味によって救われたと言って良いだろう。おかげで服装だけは充分それなりに見える。


「そうやってると、香川君も自衛隊の人みたいね。私も付けてみようかしら」


それまで遠巻きに2人を眺めていた堤と柚木が近づいて来た。興味深々といった様子の堤とは対象的に、柚木は不安そうな表情で達彦を見つめている。物々しい装備を身に付けた達彦の姿を見て、危険な場所に行く事を嫌でも実感するのだろう。ただ、柚木の口から引き止める言葉が出る事は無かった。


「あんたにWAC(女性自衛官)の真似事は似合わんよ」


緒方が苦笑しながら堤を見やる。


「2人は73式に乗り込んで待っててくれ。何か問題が起こったらすぐに戻って来てこの場を離れるからな。その時になって俺達があんた達2人を探すはめにならないように、くれぐれも不用意にその辺を歩き回らないでくれよ?それじゃあ香川、行くぞ」


歩き始めた緒方を追う前に、達彦は柚木の正面に歩み寄った。そのまま、柚木の頭をそっと撫でる。


「大丈夫、ちょっと見てくるだけだから。必ず無事に戻って来るよ。堤さんの事、頼むね」


2人をこの場に置いて行くのは気が引ける。だがこれは緒方から提示された条件だ。堤を品川埠頭まで無事に連れて行く必要が生じた今、危険な探索に同行させるわけにはいかない。柚木もそれが分かっているから、堤の護衛役を買って出たのだ。


「はい、気を付けて。あまり無茶はしないで下さいね。2人が戻るまで、堤さんは私がちゃんと守りますから」


達彦の手の平に頭を預けるように俯いた柚木が、上目遣いに微笑みを寄越す。柚木の手には、浮島脱出時から手放す事無く持っていたSIG-P220が握られていた。


「柚木さんこそ、無茶しないように。装甲車に入ってじっとしてるんだよ?ハッチを閉めるのを忘れないようにね。じゃあ、行ってくる」


自分達は仲間だ。互いに信頼し合い、共に戦う仲間。ここは柚木を信頼し任せよう。その代わり、柚木の信頼に応えて必ず戻って来よう。達彦は89式小銃を軽く掲げ、緒方の後を追った。



 ・



装甲車を離れた緒方と達彦は、マンションのエントランスへ続いているコンコースを早々と避け、常に生垣に身を隠すように移動した。この団地内には室内を見られる事を防ぐ為に1階部分へ集会室や倉庫などを配しているマンションも多いが、この建物は違う。1階からすでに住居になっている。おかげで目隠し用に植えられた生垣に潜む事が出来たのだ。2人は生垣に沿って建物を回り込み、外付けされた非常階段へとやって来た。覆う物も無く、赤茶色で塗られた鉄骨と鉄板のみで組み上げられた非常階段。普段は全くと言っていいほど利用する者が居なかったその階段は、長い年月を経て雨風に晒された結果錆が浮き、亀裂のような塗装禿げがそこかしこに走っている。


「小銃の装填は済んでるな?安全装置はちゃんと解除してあるか?」


達彦は頷き、手にした89式小銃を見た。側面にあるセレクターレバーは『レ』を示している。


「『3』に合わせろ、連射は無駄だ。バーストの方が良い。それと、お前それなりに知識はありそうだがクリアリングは分かるか?」


指示された通りセレクターを切り替えた達彦を見て、緒方が次の問いかけを投げた。


「名前と、内容くらいは…」


クリアリングとは敵の潜伏や出現の可能性がある場所を確認しながら進む事、文字通りクリアしていく事を言う。そのテの雑誌やインターネットで意味くらいは分かるし、サバイバルゲームなどで友人達と実行した事もある。だが、あんなのは所詮遊びだ。失敗しても死ぬわけじゃない。緒方は『分かるか』と聞いたが、実際の意味は『出来るか』だろう。無理だ。いざ命が賭かったこの状況でマニュアル通りのクリアリングなど出来るわけがない。


「大丈夫だよ、いくらなんでもそこまで完璧を期待しちゃいない。お前は俺が確認する方向とは別…そうだな…この階段なら俺が進行方向、お前が後方を警戒するって事でどうだ?状況によって指示は俺が出す。俺がお前に求めるのは冷静でいる事だ。どんな状況でも冷静に…そうすれば俺はお前を守れるし、お前も俺を守れる。どうだ?出来るか?」


「やりますよ。今はお互いが支え合うしか無いわけで、無事に帰りたければやるしかない。第一、そんな風に言われたら返せる答えなんて一つでしょう。心配しなくて平気です。加奈子の部屋に急ぐあまり、無鉄砲な行動なんてしませんよ」


恐怖は乗り越えられる。だが欲求は?…つまりはそういう事だろう。欲求に対して冷静である事。求められているのはそこだ。大丈夫だ、やれる。達彦は緒方へと頷いて見せた。


「オーケィ、行こうか。足音に気を付けろ、慎重にな」







89式小銃のセレクターには、『ア』『タ』『レ』『3』の4つのポジションがあります。


『ア』→アンゼン(安全)

『タ』→タンパツ(単発)

『レ』→レンシャ(連射)

『3』→3発制限点射(3点バースト)


です。


本編中に説明を入れたらおかしな感じになってしまったので、ここに記載しておきます。とは言え、ご存知の方が大半でしょうけど。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ