凶報 1
『……てる!繰り返す!救援求む!こちら京浜島難民収容施設!奴等が敷地内の排水管から上がってきやがった!!突破された!!どんどん増えてる!奴等はそこいら中にいる!外にもだ!奴等が!頼む!救援を寄越してくれ!もう本部の近くまで押し寄せてる!助けてくれ!!ちくしょう!助け…』
激しい銃声と共にスピーカーから流れていた声が、プツリと途絶えた。緒方がスイッチを切ったのだ。
「…俺達には何も出来ない。それよりも…」
そう言って、達彦を見た。額からは汗が幾筋も流れ落ち、見開かれた目はひたすら困惑に揺れている。無理もない。つい数分前に話した推測がこうも簡単に現実となっては…。
もし神がいるのなら、彼はずいぶんと行動の早いタイプと言える。厭味なくらいに。
「緒方さん、無線を使える環境にいる人達に向けて送信するにはどうすれば?」
「何…?」
「だから!特定の相手だけじゃなく、可能な限り全ての無線機に向けて一斉に送信するにはどうすればいいのかって聞いてるんです!」
京浜島はもう駄目だ。残念だが。それよりもこの事実を少しでも多くの生存者に流さなければ…。早く…早くしないと。
緒方と達彦の切羽詰まったやり取りが理解出来ないメンバーは、ただおろおろと事の成り行きを見守っている。
「一般の災害時には、警察も消防も自治体の防災課も…とにかく治安出動や支援を行う組織の本部は無線周波数を4630kHzに設定出来る。非常呼出周波数って言うんだが…」
緒方が顎から垂れる汗を拭いながら言った。
「全無線局共通のチャンネルでね、それを使う事で状況や指示が共有出来るんだ。自衛隊ももちろん使える。ただ、最初に周波数がちゃんと設定されていれば、だが」
「つまり、このままマイクに向けて話せばいいんですね?」
緒方が頷く。達彦は無線機から引ったくるようにマイクを取り上げた。
緒方の言う通り、いわゆるオープンチャンネルの類に設定されているのなら、先ほど京浜島から流れた救援要請は現状無線機を使える環境にいる人達には届いていたはずだ。もしかしたら気付いた人もいるかもしれない。あの救援の叫びの中に、聞き逃してはならない一言があった事に。
果たしてこの状況…電力の供給が停止し、バッテリーや発電機に頼らざるを得ない状況で、無線機が使える幸運な人間がどれくらいいるのか?だがそんな事はいい、とにかくあの場所に…品川埠頭にあるキャンプに届きさえすればいいのだ。
達彦はマイクを口元に寄せ、1回だけ唇を噛み、送信スイッチを押した。
「この声が聞こえている生存者へ。俺達は浮島キャンプの生き残りです。浮島は壊滅、京浜島への移動中にさっきの救援要請を聞いた。あそこももう駄目だろう…だけど問題は別にある。気付いた人はいますか?奴等が…感染者達がとうとう外に出て来た事に」
達彦の周りをぐるりと取り囲んでいたメンバー、緒方以外の全員がハッと息を飲んだのを感じた。柚木が震える手で達彦のパーカーの袖口を掴む。
「まだ全ての感染者の行動が変化したわけじゃない。今俺達がいる場所にも、奴等はいない。だけど…これから徐々に拡がるはずだ。そう思う。だから…」
だから?だからどうしろと?感染者達が全員晴れて引き篭りを卒業したら、生き残った人間にはチャンスなんて微塵も残らないぞ?
「だから…とにかく気を付けて。打てる防衛手段は全て検討し、実行して欲しい。俺達ももう行く。以上です」
達彦はスイッチから指を離し、マイクを置いた。どれだけの人に届いただろう?品川埠頭のキャンプには届いただろうか?
『今の発信者、こちらの声は聞こえていますか?どうぞ』
達彦がマイクを置いて一瞬後、ノイズ混じりの音声がスピーカーから流れた。その音量の大きさに、達彦達メンバーは全員が身体を震わせた。
緒方はボリュームを下げながら、達彦へと視線で返答を促す。
「えぇ、聞こえてます。そちらは?えっと…どうぞ」
『こちらは品川埠頭難民収容施設です。浮島の生き残りと言いましたね?今朝浮島に派遣されていた隊員から生存者の収容依頼が入りましたが、その該当者ですか?どうぞ』
品川埠頭と聞いて、全身から力が抜けていく。無事だった、まだ品川埠頭は無事だ。達彦は叫び出したいくらいの喜びを感じていた。あぁ…神様、ありがとう。先ほどは少し失礼な事を考えてしまったが、綺麗サッパリ忘れて下さい。
「えぇ…えぇ!そうです!どうぞ!」
『緒方陸曹長は一緒ですか?一緒なら、代わって頂きたい。どうぞ』
緒方が黙って達彦の肩に手を置き、そのまま軽く達彦の身体を押しのけた。マイクを受け取り口元に寄せるその仕草、そして表情からは、すでに困惑は消えている。
「緒方だ。話なら今朝済ませただろう。それとも救援を寄越す気になったのか?どうぞ」
しばしの間。
「なぁ、おい。こっちは子供を連れた生存者もいるんだ。もう俺達が知ってる自衛隊は終わってるんだよ。階級なんて忘れてよく考えてくれ」
口調こそ穏やかだが、緒方が努めて冷静さを保っているのは明らかだ。スピーカーをじっと睨みつけ、うっすらと血管の浮き出た左手は握って開いてを繰り返している。
「…どうぞ」
『…申し訳ありません。須賀二佐の命でそれは出来ません』
緒方が無線機を殴った(それでも、故障に繋がりそうな箇所を避けたのは理性だろう、おそらく)。堤がやれやれと肩をすくめた。
『ただ、現在物資輸送部隊が大田区の京浜トラックターミナルで活動中です。ヘリを待機させる事は可能ですので、ピックアップします。今どちらに?どうぞ』
なお食い下がりそうな勢いの緒方の背中に手を当て、堤がかぶりを振る。緒方はちらりと堤を見、次いで周囲を見渡した。なるべく簡潔に現在地を伝えるための材料を探しているようだ。
「トラックターミナルなら平和島です。場所なら俺が分かります。ここからならそんなに距離は無い」
あのエリアなら、何度も行った事がある。有力な商圏の1つだった。担当を任された顧客も多い。達彦は道案内は請け負ったと、緒方へと頷いた。
「大丈夫だ。11名、すぐに向かう。ヘリを待たせといてくれ。感謝する…交信終了」
『了解しました。こちらの施設近辺ではまだ感染者の動きに変化は見受けられませんが、充分注意して移動を。交信終了』
・
浮島を出発してからのような、乗客の乗り心地を考慮しての優しい運転とはほど遠い速度で、2台の車輌が疾走している。73式装甲車が進路の障害である放置自動車やバイクを弾き飛ばし踏み潰しながら進み、CCVが(多少ヨタヨタと)追従する。
感染者の一部が日の当たる世界に興味を示したという事実は、一同にパニックをもたらした。最も影響を受けたのは池内で、今ごろCCVのハンドルを操る阿部の尻を必死に叩いているだろう。時々車体のバランスが不自然に揺らぐあたり、本当に叩いているのかもしれないが。
達彦はCCVから目を離し、ガンポートから車内を覗き込んだ。
「緒方さん!次の交差点を右です!」
交差点に侵入した装甲車が、炎上し無惨にも黒焦げになった赤帽トラックとタクシーを吹き飛ばしながら右折を始めた。キャタピラはアスファルトをゴリゴリと削り取り、路面にささくれ立った轍を作る。
達彦は火災にあぶられ煤まみれになった案内標識を見た。『平和島口』…もうすぐだ。
「あとは直進!!羽田線を越えたらトラックターミナルが見えてくる!」
平和島競艇場の前を通過した。すぐ隣にはかなり大きい複合アミューズメント施設が建っている。カラオケやゲームセンター、パチスロ、激安の殿堂…あと温泉もあったか…。顧客への挨拶周りの後、柳沢とひと風呂浴びた事もある。今ではあの中も、数え切れないほどの感染者の寝ぐらになっているだろう。
『出て来るなよ…頼むから出て来るな。せめて加奈子との決着が着くまでは…』
加奈子に繋がるチャンスがあるかもしれない品川埠頭。その場所が取りあえず無事だった事は、達彦の心に安堵感と共に隠しようのない焦りを生んだ。急ぎたい…とにかく早く。
疾走する装甲車の上で、祈るように目を閉じた。冷たく乾いた冬の風が、達彦の顔を吹き抜けて行く。この焦りも一緒に持って行って欲しい…そう思い、しばらくの間達彦は目を閉じたままでいた。