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再動 1

夜が明け始めた。うっすらと雲のかかった空が淡い乳白色に染まっていく。激しく揺れるスチール棚を身体全体で押さえ付けながら、柚木は窓の外を見つめ続けていた。


『もう少し…もう少しで外に出られる』


ドアの向こうにいる感染者達は諦める事なく執拗に体当たりを繰り返していた。ドア窓はとうに破れ、彼等の上げる餓えた咆哮と共に何本もの腕がそのドア窓から室内へと伸びている。

1時間ほど前、キャンプ内のどこかで何かがぶつかる大きい音がした。自動車事故を連想させるような、金属的で耳障りな音。

柚木は、それが達彦と堤が上げた音だと信じていた。2人はまだ無事で、夜明けというゴールを目指し懸命に生き残ろうとしているのだ、と。

ドアの蝶番が外れた。棚とドア枠の僅かな隙間に嵌まったドア板が、ガタガタと激しい音を立てる。一層大きくなった揺れのせいで、棚に収まっていた段ボール箱も少しづつ動き始めてしまった。もう長くは持たないだろう。

柚木はベルトから拳銃を引き抜き、ドアへと近寄った。そのままドア板の隙間から一心不乱に引き金を絞る。

1発、2発、3発…まさか自分が銃を撃つ事になるなんて…。柚木は感染者の身体に弾がめり込む湿った音を聞き、思わず顔をしかめた。


「柚木さん!和久井さんと一緒に子供達を連れて先に屋根へ降りてくれ!」


阿部が叫んだ。


「早く!早く行ってくれ!!」


柚木と和久井が棚から離れ、窓辺で縮こまっている子供達の元へと駆け寄る。そのとき、配管から下がっているロープが揺らぎ、ピンと張った。誰かが引っ張っているのだ。


『達彦さん!?』


柚木は期待を込めて窓から身を乗り出し下を見た。はたして、そこにはロープを掴みこちらに登ってくる達彦の姿があった。


「達彦さん!!」


窓枠に足をかけ、室内へ入って来た達彦を見たとき、柚木は自分が達彦と再び顔を合わせることをどれだけ諦めていたかを思い知らされた。立っていられないくらいに足腰が震える。


「ロープが外に出てるし、銃声もしたから心配したよ。」


達彦はすれ違いざま柚木に言い、そのまま真っ直ぐドアへ向かう。


「みんな外に出て下さい!もう出ても大丈夫だから!さぁ、行って!」


和久井、池内が子供を背負い降りていった。斎藤も続く。阿部が我が子を背負い降り始めたとき、ひときわ大きく棚が揺れた。


「柚木さん!君も早く!」


ドア板の隙間に銃口をねじ込み(緒方から借り受けた89式小銃だ)、弾倉1本分をまるまる乱射する。血しぶきが服を汚したが、微塵も気にする事なく撃ち切った。弾倉を交換し、もう1回。この銃撃により、感染者達の勢いが僅かに弱まった。この隙を逃さず、達彦も窓辺へ走る。


『もうすぐだ、もうすぐ終わる…終わりだくそったれ!』


ロープを掴むのもほどほどに、達彦は屋根に向かい跳んだ。



「こりゃ…何だ…」


池内が呆然と呟く。それから慌てて抱きかかえている我が子の顔を自分の胸に埋めた。和久井も、阿部も、それにならう。

あの地獄のような夜を生き延びたのは僅か11名。子供を除く(当然だろう)全員が目の前の光景に目を奪われていた。

焚火の名残達が細々と煙を立ち上らせる広大な敷地、それを埋め尽くす赤、赤、赤…。どこもかしこも血にまみれ、かろうじて体の部位だった物だと分かるミンチ状の肉塊がアスファルトの地面に張り付いている。


「それ以上言うなよ、やるしかなかった」


いまや濃緑と赤の迷彩柄となった73式装甲車にもたれかかり、緒方が言った。


「そうだろ?香川」


その問いに、達彦は頷くだけで返した。

達彦、緒方、堤の3人は、大量の感染者達を轢き殺した…キャンプ内を走り回り、夜明けまで時間の許す限り。その結果がこの光景だ。そうだ…やるしかなかった。


「これから…どうする?」


「もう一晩ここで過ごすか?お断りだよ俺は。これから無線で他所のキャンプに救援を要請する。ダメもとだがね」


とにかく何かを言わなければといった様子の阿部に、緒方が即座に反応した。


「もし来てくれなかったら?移動手段は他にあるの?例えばヘリコプターとか」


斎藤が割って入る。


「あるよ、チヌークとヒューイが1機づつな。だが生憎俺は飛ばせない。操縦出来る奴は、この中の何処かにいるだろ…捜してみるか?」


両腕を広げ、にやりと笑い緒方が言った。


「何度も言うが、俺はここでもう一晩過ごすつもりはない。残しておいても食う奴はいないんだ、トラックに積んである食料を餌にしてでも救援に来てもらう。他所の連中も食料は欲しいだろうからな。それでも来てくれないってんなら、自力でいくしかないだろ」


緒方の物言いは、疲弊している一同には少々カンに障るようだ。ぴりぴりとした空気が漂い始めている。だが、言っている事は正しい。このキャンプは壊滅したのだ。


「緒方さん、救援の依頼お願いします。その間に俺達は出発の用意をしよう。集められるだけ食料を集める。武器と弾薬もだ。くれぐれも建物には入らないようにね?」


口論になる前に動き始めた方が良さそうだ。達彦の声で、一同は方々に散っていく。


「柚木さん、堤さん、俺達もいこう」


達彦はそびえ立つ建物へと目を向けた。大虐殺を免れた感染者達が入口ドアをはじめあらゆる窓からこちらを凝視している。汚れに汚れたボロボロの衣服を纏い、血と埃にまみれた顔をした感染者達…興奮しているようだが、相変わらず外に出て来る気配はない。

その一つ一つの顔を睨みつけながら、達彦は歩いた。




「香川君…と言ったね?」


バックパックに毛布を詰め込んでいる達彦へ、阿部が声をかけてきた。阿部はすでに荷物をまとめ終えたようで、右肩からスポーツバッグが下がっている。


「昨夜は君が動いてくれたおかげで助かったよ。その…辺りは酷い事になってるけど、助かるために必要な方法だったんだ。緒方さんと堤さんにも感謝してる」


そう言って弱々しく堤へ微笑みかけた。堤は肩をすくめただけでそれに応えた。


「お礼なら柚木さんに。俺は皆さんと一緒にはいなかったですから」


「もちろん、もちろんさ。柚木さんにも感謝してるよ。ただ…君にも言っておきたくてね」


石原が死んだ事を達彦に教えたのは阿部だった。パニックを起こし、飛び出していったと。その際、柚木を盾にとった事も聞いた。その事を聞いて、自分でも不思議なくらい怒りが沸いたが、気の毒に思う気持ちも本当だ。あまり好きになれそうにないタイプの男ではあったが…。


「柚木さん…俺が出ていったせいで大変な思いをさせて…でもおかげで堤さんを連れて戻れた。ありがとう」


石原の死、あの部屋で起こった事…柚木の性格上、自分に非があると考えてしまっているかもしれない。もしそうなら、それは改めさせなければならない。


「柚木さんが守ったんだよ、皆を。辛い事はあったけど…それは君のせいじゃない。いい?」


「良いんです、達彦さんと堤さんが無事なら私はそれで…」


達彦の言葉を遮るように、柚木が言った。


「2人に無事会えた事が嬉しい…でも、それ以上にまた達彦さんと一緒にいられる事がたまらなく嬉しいんです…達彦さんは私を置いてここを出ていくんだと思ってたから」


柚木の目から涙が溢れる。拳はぎゅっと握られ、間接が白くななっている。


「でも、一緒にいられるのはキャンプがこんな目に遭ったから…それなのに私は嬉しいと思ってしまう。たくさんの人が死んだのに…それでも一緒にいられる事を喜んでしまう…最低です…私…」


しゃくり上げ、搾り出すように話しながら、両手で顔を覆い泣き続ける。


「そんな…そんな事ない…」


柚木の震える肩に手を伸ばしかけ、止めた。何を言えば良い?1人でいくつもりだった。それは確かだ。だがキャンプがこうなってしまった以上また一緒に進むしかない…ごく当たり前のようにそう考えていたのだ。

思い至らなかった…柚木にとってはそんな簡単な話ではないという事に。彼女は、457人の命と引き換えに達彦と共に進む権利を得たのだ。そう考えてしまった。なお悪い事は、表現がどうあれ、これが事実だという事だ。柚木の細く小さい身体には、重過ぎる…。


「加奈子に君を紹介するのが楽しみだよ…俺の尻を守ってくれた頼りになる相棒だよってね。だから、最後まで一緒にいよう。もう置いていくなんて言わない」


慰めようとは思えなかった。そうするくらいなら、一緒に背負ってやろうと思った。

だから達彦は、胸に微かな痛みを感じながらも、そっと柚木を抱きしめた。

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