長い夜 2
建物1階の入口から、武装した自衛隊員が狂ったように飛び出し、駆け出して行く。隊員達の向かった先300mほど向こうには、点在する焚火の炎に照らされ浮かび上がる黒山の人だかりが見える。連続して鳴り響く銃声と、マズルフラッシュの光。そして人だかりの少し先には、安全だと思われたコンテナの壁に開いた1筋の隙間…。いままさに崩れた巣穴から無数に這い出してくる蟻のように、感染者達がその隙間からキャンプ内へとなだれ込んでいた。
奴等が入ってきた…達彦の身体を言い様のない恐怖が駆け巡る。達彦は踵を返し、再びプラットフォームへと走り始めた。一体どれほどの数の感染者達がこのキャンプの周りに集まっていたかは分からないが(考えたくもない、特にいまは)、中にいる468人を全滅させるには充分過ぎるだろう。
半分ほど戻ったところで、こちらに向かい走ってくる柚木と合流した。暗がりで判別しにくいが、柚木の後ろには数人の生存者がいるようだ。すすり泣いている子供の声も聞こえる。
「建物の中に入ろう、来い!」
こちらをじっと見つめる柚木の目には、1人でプラットフォームを離れた達彦に対する非難の色があったが、達彦は気にせず声を上げ走り始めた。
「中って…堤さんは!?」
柚木が達彦の隣から問いかける。
「大丈夫だ、心配するな。俺が何とかする!」
緊張と恐怖からか、すでに息が上がり始めている。2人の後に続いている生存者達も、子供を連れているだけに辛そうだ。
「とにかく走れ!頑張れ!」
建物の角を曲がり、入口を目指す。入口から出てくる自衛隊員の流れは止んでいた。本部にいた隊員はすでに全員出て行ったのだ。達彦は柚木達を入口から中へと滑り込ませながら、『ゲート』を振り返った。なだれ込み続ける感染者達と、食い止めようと銃撃を行う自衛隊員達。まだこの建物からは距離がある…あと少しは時間がある。いまの内に柚木達を安全な場所に、少なくとも安全だと思える場所に匿わなくてはならない。
・
発電機の微かな唸りと共に、天井から等間隔で吊された比較的大きめな電球が淡い光を落としている。達彦達はその光に導かれるように通路を進み、いかにも間に合わせで整備されたといった様子のシャワールームへと辿り着いた。電球の列は、まだ続いている。夜間でも建物内の必要最低限の箇所を移動出来るよう設置されているのだから、この電球を頼りに進めば間違いなく本部まで行けるはずだ。
「夜が明けたら感染者がこの建物に入ってくるんじゃ…私達が出られなくなりますよ?」
電球の道標に従い階段を昇りながら、柚木が話しかけてきた。
「そうだよ、何考えてるんだ」
誰かは分からないが、男の声が同意するように続く。
「言われなくても、ちゃんと考えてる。説明するべきでしょうがいまは少しでも早く隠れる場所を見つけたい。連中はもうすぐこの建物にも侵入してくるだろうから」
足を止めず、振り向くこともせず達彦は答えた。プランならある、ただそれをここで説明し問答する時間はないのだ。
2階に着いても、電球の列はまだ上の階へと続いていた。開け放たれた階段室のドアの向こうは、真っ暗な闇…このフロアではないようだ。一同は再び階段を昇り3階を目指す。外から聞こえてくる銃声や悲鳴は、やや散発的になっていた。感染者の侵入を『ゲート』前で食い止めることに成功したのか…そんな考えが達彦の頭に浮かぶ。だがそれは一瞬で、達彦はすぐにその考えを否定した。そんなに都合良く処理出来るとは思えない。連中の感染能力は絶大だ。食い止めるどころか、キャンプ内で新たな感染者が生まれているのは間違いない。銃声や悲鳴が消えかけているのは、すなわち生存者の数が急激に減っているからに外ならないのだ…。
3階に到着した。災害前、もともとこの建物に入っていた会社が事務所を置いていたこのフロアを、自衛隊も本部として選んだようだ。通路に吊されていた電球とは違い、大型のハロゲンライトが数基設置され室内を照らしている。先ほどまで聞こえていた唸りとはまた別の音が至近距離から聞こえてくるところを見ると、発電機も独立しているようだ。
達彦は本部室内の、自分達がいまいる場所と反対側の壁を見た。ドアが1つある。ドアは開いており、電球の列が再び通路の奥へと伸びていた。
「あのドアを抜けて先に進もう。探すのはプラットフォーム側に窓が付いている部屋だ。ドアは出来るだけ頑丈な…鉄製なら言うことないけど…」
柚木と他のメンバーを先に進ませ、達彦は本部室内を物色し始めた。いくつかの必要品を調達していたそのとき、建物のすぐ近くで連続した銃声が響いた。銃声に続き悲鳴。ガラスの割れる音も聞こえた。とうとうこの建物まで感染者達が来てしまった…達彦は急いで持ち物をまとめ、柚木達が進んだ通路へと向かう。電球の投げかける淡くぼんやりとした光の下、30mほど先に柚木が立っている。
「ここです!香川さん!」
柚木はドアを押し開けた状態で達彦を待っていた。ドアには{資料室1 許可なき者の入室を禁止する}というプレートが貼り付けてある。鉄製ではなかったが、ドアは頑丈そうだ。
「窓は?プラットフォームに向いて窓はある?」
部屋に入りながら柚木へと問いかける。柚木が頷いたのを確認し、ドアに鍵をかけた。次いで室内を見渡す。学校の教室くらいの広さがあるこの部屋には電球が配されておらず、窓から差し込む月明かりだけが室内を照らしている。壁にはスチール製の4段の棚が置かれており、おそらく在庫表や伝票等が詰め込まれているであろう段ボール箱がその棚全てに隙間なく収まっている。部屋の中央には閲覧用の机と椅子。不安そうに自分を見つめる複数の視線を感じながら、達彦は持っていた荷物を机に置き窓へと近寄った。
「搬入用プラットフォームはこの建物の全幅に渡り作られてる。屋根付きのプラットフォームだ」
外を見ながら話す達彦に誘われるように、柚木や他のメンバーも窓際へと移動した。窓からは、建物の1階と2階の間に突き出したコンクリート製の屋根が見える。つい先ほどまで自分達がいた広場は屋根に遮られ、ここからでは見ることが出来ない。
「感染者があの広場から見上げても、この部屋は見えない。俺達が窓から出入りするときに姿を見られる危険を抑えてくれるはずだよ」
そう言って達彦は窓を開けた。微かに潮の香りを含んだ冷たい風が室内へと吹き込んでくる。
「ちょっと待て!ここから出るのか!?」
小さい女の子を抱えた男が声を上げた。達彦は男を見、他のメンバーへと視線を移す。子供連れが3組と、達彦と同年代くらいの男と女が1人づつ…8名だ。そして柚木。皆一様に不安そうな表情をし、達彦を見つめている。メンバーの顔をはっきり見たのは初めてだった。
「もうこの建物には奴等が入り込んでるでしょう。それに夜が明けたら大量の感染者がこの建物を寝ぐらにする。だからこの窓から出るしかないんです」
達彦は机からロープを取る。本部室内から持ってきた物だ。
「この窓から屋根まではだいたい6m…お子さんを背負ってロープ伝いに降りる。不満はあるでしょうが、我慢して下さい」
そのとき部屋の外、本部の方から複数の足音とキャビネットや机を引き倒す騒音が聞こえてきた。一瞬で会話が止み、達彦達はお互いを見つめ合う。やがて、この部屋に逃げてきた以上そうするしかないと諦めたのか、メンバーは黙って部屋の隅に腰を下ろし始めた。
「持ってきた携行食料と懐中電灯を机に置いておきます、少ないですが皆で分けて下さい。懐中電灯を使うときはドア窓に向けないように気をつけて」
達彦は声を落として言った。そして柚木の手を取り、メンバーから少し離れた場所へ導く。
「柚木さん、俺が戻るまで皆を頼む。それと、これ…持っててくれ」
自身の身体で隠すようにしながら、達彦は柚木へ拳銃を差し出した。SIG・P220。本部に置いてあった物だ。受け取ることを拒もうとする柚木の手に、しっかりとねじ込むように渡す。
「予備の弾は見つけられなかった…装填されているだけしかないから、無駄に撃たないようにね。撃つときはハンマーを…ここを倒して、引き金を引く。簡単だ」
「香川さん…どこに行くつもりですか…?」
「堤さんを捜しに行く。さっき言ったろ?何とかするって」
そう言って達彦は、肩から下げた89式小銃を軽く叩く。これも、拳銃と一緒に調達した物だ。
「おい…あんた…」
座りこんでいた男が1人、小銃を見て声を上げた。釣られるように他のメンバーも達彦へと視線を向ける。
「連れが行方不明でね、これから捜しに行きます。皆さんは夜が明けるまでここに隠れていて下さい。音を立てないように、誰がドアを叩いても絶対に開けないで。いいですか?」
ロープを手に取り、達彦が机の上に上がった。天井を這っている配管にロープを固く結び付ける。
「あんた映画とか観ないのか?あんたみたいな無茶する奴が真っ先に死ぬんだよ。正気じゃないぜ。それに、あんたが俺達をこんな所に連れてきたんだろ?最後まで面倒見ろよ!」
小声ではあるが、明らかに怒気を含んだ口調で男がまくし立てた。
「大丈夫、彼女がいる。」
そう言って、達彦は柚木を見た。
「今日の昼に俺が言ったこと、覚えてるかい?」
「何が何でも生き残ることを考える…たとえその結果1人になってしまっても…」
柚木が、呟くように答えた。
「そうだ。君は皆とここで生き残る努力をしろ。柚木さんになら出来る。」
達彦はロープを掴み、窓から身を乗り出した。柚木はじっと達彦を見つめている。
「でもな、君を1人にはしない。堤さんを連れて必ず戻るよ。また3人で進もうな」
窓枠から足を離し、達彦が屋根へと降り始める。そんな達彦の元に駆け寄り、柚木は1度だけ頷いた。
「達彦さん、気をつけて…」
その言葉に、達彦は笑って返した。