微かな望み 3
目指すキャンプは、浮島ジャンクションを降りた少し先、人工島の突端部分に面して作られていた。大手食品会社の看板を最上階に掲げるかなり大きい建物と倉庫を中心に、周囲を鉄製のコンテナ(よくトラックが運んでいる長細いやつだ)で縦2段構えで囲んでいる。収容力があると言っていた自衛隊員の言葉はまったくその通りで、総面積は相当なものだ。いまその敷地からは、食事の用意か暖を取るためか焚き火の煙が幾筋も立ち上っている。
「すごい!」
柚木が歓声を上げた。達彦と堤が頷いて返す。3人はジャンクションを降りる途中からキャンプを見ていた。確かにすごい、ここまで立派なキャンプだとは想像していなかった。ちょっとした要塞クラスだ。
「とにかく中に入れてもらおう。一息つくのはそれからだね」
そこで達彦は自分達が持っている小銃について考えた。あのキャンプを仕切っている自衛隊の連中が、この小銃を見逃すはずはない。先導してくるはずの隊員がいない状態ならなおさらだろう。こちらとしては後ろめたいことなど何もないが、果たして通用するかどうか…。
「銃はここで置いて行こう」
達彦は小銃を地面に置いた。柚木が驚いた表情を見せ、堤はあからさまに不満顔だ。
「え!?何で?せっかく手に入れたのに」
「キャンプの中には俺達と同じ生き残りしかいないんですよ?それに、一定の治安やルールが出来てるはずです。そこに銃を持ってずけずけと入って行ったら何が起こるか分かったもんじゃない。それ以前に、まず入口でアウトだ。つまらない揉め事は避けたい」
堤はそれでも、小銃を抱えたまま渋っている。玩具を取り上げられるのを拒む子供のようだ。
「この状況じゃ、皆キレやすくなってる…堤さんが言ったことです。忘れましたか?」
やっと諦めがついたのか、堤が小銃を地面に置いた。柚木はとうに手放していた。達彦はバックパックから予備の弾倉も全部出し、地面に投げ捨てた。金属のぶつかり合うカチカチという音が路面に響く。たった数時間ほどの所有だったが、惜しくはなかった。
・
正面に横たわるコンテナの壁が、徐々に近付いてきた。2段に重ねられたコンテナは高さも充分で、感染者達がそう簡単には乗り越えられないという安心感を与えてくれる。その壁の中央に、10mほどの距離を空け2人の隊員が立っていた。彼等はずいぶん前から達彦等3人に気付いていたようで、じっと見据えたまま小銃を構えている。
「そこで止まれ!!」
向かって右、背の高い、がっしりとした体格の隊員が声を上げた。明らかに警戒している様子だ。
「手を挙げて、ゆっくり背中を向けるんだ!!」
『ほら見ろ、銃を捨てて来て正解だ…』
達彦は内心安堵の溜息を吐いた。同時に柚木の顔を見、苦笑してみせる。柚木は緊張でそれどころではないといった表情だ。
「そこを動かないで!」
今度は別の声、向かって左にいた隊員だろう。背を向けている達彦にも、その隊員が近付いて来るのが分かった。その隊員は3人の周囲をぐるりと1周しながら視線を細かく動かし、何かを確認している。ずいぶん若い隊員だ。
「手を降ろしていいですよ」
背後から声を掛けられた。達彦は挙げていた手を降ろしながら振り向き、改めて隊員と向き合った。柚木と堤もそれにならう。
「あなた達3人だけですか?報告では100人ほどの避難者が来ると聞いていますが…」
若い隊員が疲労を感じさせる目をジャンクションに向け問いかけてきた。達彦はここに来る途中でその集団と思しき人々を見たと簡潔に答えた。彼等はすでに死んでいて、もうここには来ることが出来ない、と。
・
上下2段に積んだコンテナの1列が、ゆっくりと上昇し始めた。金属同士が擦れあう耳障りな音を立てながら4mほど上がったところで動きが止まる。
『なるほど…内側からフォークリフトを使って開けるわけか…考えたな』
かなり大型のフォークリフトが威圧するように正面から3人を見下ろしている。
「さぁ、中へ。早く」
若い隊員が指示を出した。もう1人の隊員は興味がないというようにすでに定位置に戻り、険しい視線をジャンクションに向けている。もしかしたらあそこで死んでいた隊員の中に友人がいたのかもしれないと、達彦はふと思った。コンテナのトンネルをくぐり中に入ると、若い隊員がここで待つよう新たに指示を出し外へと戻って行った。合わせて上がっていたコンテナの壁が下がり始め、元の位置に収まる。
「ねぇ…私はここに入って大丈夫だと思う?」
堤が小声で問いかけてきた。
「私はいつどうなるか分からない身体よ?ここにいる人達にとって危険な存在じゃない?」
ワクチンに関する疑問はいまだに答えが出ていない。この3日間は問題なく過ごせたが、やはり不安は拭いきれないようだ。達彦は堤の肩に手を置き微笑して見せる。
「同じ不安を持ってる人が、この中にいるかも。話を聞いて回ってみましょう」
その時、女性の隊員が近付いてくるのが見えた。なおも言葉を続けようとする達彦を制し、堤は会話を中断する。女性隊員はもう目の前まできていた。左手にはファイルのような物を持ち、右手に持ったペンで神経質そうにそのファイルを叩きながら3人を見つめている。
「あなた達の氏名と、住所をお願いします」
唐突に、きっぱりとした口調で用件を切り出した。名簿でも作成しているのだろうか。堤、柚木、達彦の順で質問に答え、その間女性隊員はただ黙ってペンを走らせた。
「当キャンプへようこそ。とにかく、無事で何よりです」
ペンを動かす手が止まったかと思ったら、今度は勢い良く口が動き出した。
「ここは避難キャンプの1つです。収容人数は現在468名。ここ以外に神奈川ではあと3ヶ所、大黒埠頭と南本牧埠頭、横浜ベイサイドマリーナにそれぞれキャンプがあります。東京都ですと、辰巳、品川埠頭、京浜島の3ヶ所です。家族や友人の安否についての問い合わせは申し訳ありませんがお断りしています、膨大な数になってしまいますから。このキャンプでの食料の配給は朝と晩、9時と20時の2回です。あそこに見える倉庫の前で行います。それと、倉庫の隣の建物ですが、1階にシャワー室があります。こちらは自由に使って頂いて結構です。ただし2階から上は立ち入らないように、本部として使用していますから。何か質問は?」
一気にまくし立てたあと、女性隊員がじろりと3人を見る。
「この騒ぎの原因はどこまで分かってるんです?」
達彦が聞いた。当然の質問だ。原因が分からなければ終わりもないだろう。
「ここは研究施設ではありません。ですが安心して下さい、専門家チームによる原因究明と解決方法の調査が進められています。すぐに事態は収束しますよ」
女性隊員は表情を崩さず答えた。この手の質問にはそう答えるよう命令されているのか、もしくは彼女自身そう教えられているのか…少なくとも期待した答えではない。
「あ、もう1つだけ…。ここから出ることは出来ますか?」
柚木がハッとした表情で達彦を見つめる。女性隊員は少しだけ考える素振りを見せ、かぶりを振った。
「出来ません。皆さんを保護するのが我々の任務です。危険だと分かっていて外に出すわけにはいきませんよ」
そう言って3人に軽く敬礼をする。
「では、私はこれで失礼します。ゆっくり休んで下さい」
歩き去る女性隊員の背中を見つめ続けていた達彦の腕に、柚木がそっと手を添える。
「取り敢えず、居場所を決めましょう?寝る場所を見つけないと…」
達彦はコンテナの壁を少しの間見上げ、頷いた。
『東京都にもキャンプがある…何とかしてここを出ないと』