寄る辺 3
アパートの2階通路から見える綱島街道には、かなりの数の生存者達が居た。彼らは沈んだ表情と疲れた足取りを従え、黙々と歩いている。あれだけの人数で移動しているのだ、ただ闇雲に歩いているわけではないだろう。引率役が居るはずだ。
『もし自衛隊が救援活動をしてるなら、医師も同行してるかもしれない』
すぐにでも外へ飛び出したいという衝動を抑え、達彦は1度部屋へと戻った。昨夜柚木に不安な思いをさせたばかりだ、ちゃんと声を掛けてから行くべきだろうと思った。
「柚木さん?開けるよ?」
返事を待ち襖を開ける。柚木は着替えも終わり再びベッドに横になっていた。
「外を生存者達が移動してる。どこか避難所みたいな場所があるのかもしれない。話を聞いてくるから少しの間だけ待っててくれ。それと、もし医者が居るなら君を診てもらえるよう頼んでみるからね」
達彦がこの場を離れるという事に、柚木の表情が曇る。達彦は柚木の頭を軽く撫で、言葉を続けた。
「大丈夫だよ、1人で勝手に行きはしないから。何処にもね」
・
綱島街道は行進を続ける生存者達で溢れていた。言葉は無く、彼らの上げる靴音だけが街道に響く。達彦はその行進へ、声を張り上げながら近づいていった。
「この中に医師の方は居ませんか!?連れが体調を崩して動けないんです!!お願いだ!!診てやって下さい!!」
生存者の中にも、医者が居る可能性はある。達彦は小走りになりながら行進に沿って声を掛け続けた。だが、その言葉は彼らの耳にはまるで届いていないようだった。皆一様に俯き、顔を上げようともしない。
「自力で行動出来ない方の救助にまでは力を貸せません。申し訳ありませんがご理解下さい」
達彦の耳にこんな言葉が届いたのは、助けを呼びかけ始めて10分程が過ぎた頃だった。情け容赦無いその言葉に、思わずカッとなり振り返る。達彦の目の前に居たのは、自衛隊の制服に身を包んだ、30才くらいの男だった。男は無言のまま達彦の腕を取り、そのまま行進の流れに引き入れようとする。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!俺は行かない!!連れが待ってるんだ!置いては行けない!」
引きずられないよう踏ん張りながら、達彦はより一層大きく声を上げる。
「あんた自衛隊だろ!?自衛隊なら病人を診れる隊員も居るんだろ!?お願いだ!」
「駄目です。怪我人や病人は連れて行けません。自力で動ける方のみ収容対象です」
隊員は先ほどと同様、抑揚のない声で容赦無い言葉を返す。達彦は乱暴に腕を振りほどいた。限界だった。殴りかかりそうな勢いで、隊員を睨みつける。
「ふざけるな!!!」
隊員が信じられないというような目で達彦を見る。気が触れたとでも思われたのだろうか、達彦を見つめたまま、その手が肩から吊るした小銃に伸びていく。
「私は医者よ。その連れの人が居る所に案内しなさい」
隊員が小銃のグリップを握ったその時、唐突に声が上がった。行進の中から進み出てきたのは、1人の女性だった。
「私が診るわ。それでいいでしょ?」
・
「その・・・ありがとうございました。さっきは・・・」
達彦は足を止め、自宅アパートの前で先程助けてもらった礼を言った。嫌な思いをしたが、とにかく医師は見つけた。これで柚木を診てもらえる。
「あの・・・それで俺の連れの状態なんですが・・・」
「先に謝っとくわ。本当は私は歯科医なの、歯医者さんってわけ」
達彦の言葉を遮り、女が言葉を発した。嘘をついた事を責められると思ったのだろうか、すぐに言葉を続ける。
「でもね、私があの時止めに入らなかったらあなたアイツに撃ち殺されてたわよ?うーん・・・殺されはしないまでも、銃で殴られるとか・・・とにかく痛い目には遭ってたわ」
いや、あの隊員は撃つ気になっていた。あの時の彼の目には、自分は敵として映ったのだ。自分が感染者ではない事は一目見れば分かるはずなのだが・・・。
「あなた、気を付けた方がいいわ。今は皆キレやすくなってる、下手な事をしたら早死にするわよ?」
ー『信用する相手は選べってことさ』ー
別れ際、森屋が言った言葉。あれは誰にでも当てはまる。達彦は数分前の出来事を思い出し、今さらながら恐怖を感じた。
「そうですね・・・とにかく、ありがとうございました。助けてもらっちゃって」
「私は堤、堤啓子よ」
かしこまった表情を和らげ、微笑を浮かべながら堤は達彦の顔を覗き込む。
「36歳で、結婚してたけど夫は死んだ。だから未亡人ってわけ。私もあなたに感謝するわね、あの集団から離れる決心をつけさせてくれた事」
「決心って・・・?」
勝手に握手され、勢いよく振り回される手をそのままに任せ、達彦は疑問を口にした。自衛隊が引率していたのだ、あの集団を安全な場所まで連れて行くプランがあった可能性が高い。それを離れた事は堤にとってマイナスにしかならないと思うのだが・・・。
「川崎の浮島ジャンクションに避難民用のキャンプがあるそうよ。私達はそこを目指していたの。でもね、ここから浮島までどれくらい距離があると思う?しかもあんな大人数の人間を連れて行くのよ?1日じゃとても行き着けるはずないわ」
ポケットからガムを取り出し、口に含む。歯磨きガムだった。まだ出回っていたのかという懐かしい気持ちと、歯科医だと言った堤の言葉を思い出し、つい笑ってしまいそうになる。
「おまけに先導する自衛隊員はほんの12人。途中で夜を明かすとして、場所は?そんな少人数であの集団を守れる?私はずっと疑問だった。このまま一緒に居たら命を落とすハメになるんじゃないかってずっと考えてた。そこにあなたよ。咄嗟にだけど、だから、私は決心したの。それにね・・・」
そこで堤は尻つぼみに口をつぐむ。
「ううん・・・何でもない。それにね、あの時のあなたの顔は必死だった。まだこんな表情が出来る人が居たんだって思った。あの人達と一緒に居るとね、自分の感情がどんどん死んでいくのが分かるのよ。自分だけでも・・・そんな雰囲気で一杯で。私には合わなかったみたい」
さぁ行きましょうとでも言うように、堤が階段の手すりに手を掛けた。
『森屋さん、この人は大丈夫だよ。俺はこの人を信じる』
達彦も手すりに手を掛け、登ってくれと堤へと促す。2人は、柚木の待つ201号室へと歩を進めて行った。