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寄る辺 1


 男と揉みあったのは多分ほんの2・3分くらいだったはずなのに、息は絶え絶え、腕や足は痺れ頭もズキズキと鈍く痛む。このまま倒れこみ、何も考えずに眠りたいという誘惑をどうにか振り払い、達彦はこの部屋に来た目的を果たすため辺りを調べ始めた。

目当ての物は、キッチンにある食器棚の引き出しに入っていた。‘半分は優しさで出来ている’がうたい文句の、有名な薬だ。解熱作用もちゃんとある。薬は通常の物と、小児用の物が入っていた。小児用という文字を見たとき、達彦の胸は再び激しく締めつけられた。・・・ともかく、先立つ2人に早く追いつけと父親の背中を押してやった、いまはそれで許してもらうしかない。

達彦は薬を手に、家族3人の死体があるリビングの方を見やる。先ほどの男は、達彦にとってこの騒ぎが勃発して以来初めて殺した相手になる。悪いことをしたと思う、可哀想だなと思う。だが、襲われ、組み敷かれたときに感じた我を忘れるほどの恐怖と怒り。それを思い出し、達彦はかぶりを振った。

『あいつらはライオンや虎と同じ・・・獰猛な捕食者だ。人間じゃない別の生き物だ・・・姿形に惑わされるなよ?迷わず殺せ・・・徹底的に』

駆逐するという言葉が頭に浮かび、それが最善だと達彦は思った。


  ・


 柚木は相変わらず荒い呼吸をし、小刻みに身体を震わせている。数分前に薬を飲ませたばかりだ。本当は何か食べさせてからと思ったのだが、柚木はほとんど意識を失った状態でどうにも無理だった。他に何か出来ることはないかとキッチンに向かうが、何も思い付かず気ばかり焦る。もしも柚木がインフルエンザなら、市販の解熱剤では効果がないはずだ。それにこんな状況ではワクチンやインフルエンザ用の薬も簡単には手に入らないだろう。達彦は流し台の淵に手を当てじっと考え込んだ。

『ワクチンか・・・』

オフィスでそれについて話したことを思い出した。新型インフルエンザとワクチン、3人とも受けていなかった予防接種。

『ウィルス・・・突然変異・・・いままでにない型のインフルエンザウィルスに、間に合わせで使用した既存のワクチンが悪かったのか?それが何らかの変異を起こさせたとか・・・?』

達彦は身体の向きを変え流し台に寄りかかる。

『いや・・・それならもっと早い時期にこの騒ぎが起こっていてもいいはずだろ。それに、都合よく日が落ちてから始まったのも気に入らないな』

本当のところは分からないままだが、全国規模で、爆発的に広がった事実を考えるとインフルエンザとワクチンの関係が全くの無関係だとも思えなかった。

達彦はキッチン窓を見る。曇りガラスの向こうは明るくなり始めていた。もう間もなく感染者達は姿を隠すだろう。

『連中の習性も分からないままだしな・・・』

煙草を咥え火を点けた。煙を吐き出しながらぼんやりと考える。疑問ばかり浮かんできて気が重い。

「んっ・・・」

突然リビングから微かな呻きが聞こえた。柚木が意識を取り戻したのかもしれない。達彦は煙草を流し台の中に放り込み、急いでリビングへと向かった。

 眉間に刻まれていた深い皺と、歯がカチカチと鳴るような細かい震えは消えていたが、意識が戻った様子もなく柚木は眠り続けている。先ほどの声は、何かのはずみで漏れた無意識の声だったようだ。達彦は汗で前髪が貼りついている柚木の額に触れた。熱も相変わらずだった。

インフルエンザへの懸念が再び首をもたげてくる。同時に、加奈子のことを考えた。加奈子は予防接種を受けたと言っていただろうか?加奈子はその日にあった、どんな些細なことでも達彦に話してくる娘だ。しかし覚えている限り加奈子の口から予防接種について聞いたことはない。

だからと言って安心できるわけではないと達彦は自身に言い聞かせた。感染するということの方がよほど厄介だ。あの晩加奈子と一緒にいた友人が1人でも豹変したら、あとはそいつが被害を拡げてしまうことになる。接触・・・噛み付かれたらそれで終わる。達彦は昨夜の出来事を思い出した。あれと同じ目に加奈子が遭ったかもしれないのだ。

柚木が再び声を上げた。寝苦しそうだ。薬は飲ませたし、あとは様子を見守るしかない。ゆっくり休ませるならソファの上では不十分だということにふと気付く。配慮が足りない自分に苦笑しながら達彦は柚木を抱きかかえた。柚木の身体は服の上からでも分かるくらい全身に汗をかいている。加奈子が寝る際に使っていたスウェットを思い出した。一度身体を拭いてやり、着替えさせようと思った。

加奈子のことが心配で、すぐにでも出発したい気持ちで一杯だが、こんな状態の柚木を置き去りには出来ない。早く回復してもらわなければ。柚木を運びながら、達彦は取り急ぎやることが見つかったことに安堵した。動いていないと不安に押し潰されそうだったから。


  ・


 柚木の看病をするという目的は、達彦にとって嬉しい発見をもたらした。水道とガスの供給が続いていたのだ。電力の供給が早々に途絶えたため、ライフラインは全て駄目になったと思い込んでいたのだ。達彦は湯を沸かし、柚木の身体を拭いた。服に手をかけるにはかなりの勇気が必要だったが、始めてしまえば気にならなくなった。

ひと通りの世話を終えたあと、達彦は自分用にも湯を用意し、身体を拭いた。上半身は返り血でひどい有り様だったのだ。いっそのことシャワーでも浴びようかとも思ったが、何かあったときに裸でいるのは無防備過ぎる。生存者の誰かが入ってくる可能性もある以上、自宅とは言え安心出来ない。

いろいろと暗い考えばかり浮かんでくるが、リビングのソファに座り熱いコーヒーをすすっていると次第に眠気が襲ってきた。

『昨夜は特にひどい目に遭ったからかな・・・』

久しぶりに温かい物を口にした安堵感からか、眠気は急激に増していく。柚木が目覚めるまで傍にいてやらなければならない・・・そう思うのだが、身体が言うことをきかない。達彦はうずくまるように横になると、そのまま深い眠りに落ちていった。


  ・


ーーーーーー


 「俺に仕事押し付けてデートかよっ!?お前ざけんな!」

背中に柳沢の怒声を受けながらオフィスのドアをくぐる。俺は一瞬だけちらりと振り返り、柳沢へと手を上げた。

「悪ぃ!今日だけはどうしても行かないとなんだ!!本っ当悪ぃ!」

柳沢の横では柚木が俺に微笑んでいた。その口元が微かに動く。

・・・行ってらっしゃい・・・気を付けて・・・

俺は柚木にも手を振り返し、エレベーターに飛び乗った。エレベーターの中で腕時計を見る。待ち合わせ時間はもう過ぎている。これはヤバい・・・もっと急がないと。

『怒ってんだろうな・・・こんな時間じゃ』

加奈子の携帯には何度もかけているが、呼び出しが鳴り続けるだけで出る気配がない。こういうときは本当に手が離せない状態か、本当に怒っているかのどちらかだ。

これまで俺はたいていの待ち合わせに遅刻していた。そろそろ怒るを通り越して、呆れてるのかもしれない。

横浜駅北西口、その階段を駆け下りる。週末だから仕方ないが、今日は人出が多い。

「すいません!すいません!」

周囲の人々をかき分けながら進む。全ての人が俺に向かって来ているような、そんな錯覚すら覚えた。

『邪魔・・・すんなっての!!』

内心毒付く。待ち合わせの改札まではあとちょっとなのに。俺は少し背伸びし改札前の様子を見た。いた、加奈子だ。一瞬しか見えなかったが、あの後姿は間違いない。間違えるはずがない。

さっきよりも強引に人々の波をかき分ける。早く顔が見たい、声が聞きたい、抱きしめたい。何で今日に限ってこんなに強く思うのだろう・・・。

「加奈子!!」

思い切って叫ぶ。俺の声が聞こえたのか、加奈子は周囲をキョロキョロと見回している。

「後ろだよ加奈子!ここだ!」

言ったあと、本当に突然、言いようのない恐怖がこみ上げてきた。

『見たくない・・・見たくないんだ。だからやめろ・・・振り返らないでくれ・・・』

俯き、ぎゅっと目を閉じる。どれくらいの時間そうしていたのか分からない。突然、俺の肩に手が添えられた。目を閉じていても分かる、大事な、俺の大事な人の手。

「もう、会えないかと思ったよ・・・だって・・・」

聞こえてくる加奈子の優しげな声に、俺は思わず目を開ける。『・・・だって・・・』何だ?その先は?

言葉の続きが気になって、だから俺は、加奈子へと顔を上げた。それがいけないことだと分かっていても。


ーーーーーー


 達彦は慌てて目を開けた。荒い呼吸のまま天井を見つめる。夢、それは分かった。ただ、自分の本音をつきつけられたような、最悪の夢だ。

『俺は・・・頭のどっかでは覚悟してるんだ・・・加奈子はもう・・・』

真実を知るのが怖い。達彦は指が痛むくらい強くシャツの胸元を掴んだ。心臓がバクバクと脈打っている。再会出来るかもという期待は、達彦の中でどんどん淡くなっていた。外の状況を見るたびに・・・何が起こっているのか考えるたびに。そしてこの夢だ。

『1人じゃキツイよ・・・だから加奈子、早く一緒になろう』

自分が生きていることさえ奇跡なのに、その上加奈子の無事まで願うのは欲張りなのだろうか。しかし、その奇跡に恵まれた自分ならとも思う。最後まで、自分が大事だと思うことを大事にしたいと思う。

呼吸が落ち着いてきた。もう少し耐えられそうだ。やらなければならないことは沢山ある。

「香川さん・・・?」

隣の部屋から、微かにだが柚木の声がした。そうだ、やらなければならないことも、やれることも沢山あるのだ。達彦は起き上がり、力強い足取りで寝室へと向かった。







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