エピソード・ゼロ サンクウォルトの杖を巡る戦い
エピソード・ゼロ サンクウォルトの杖を巡る戦いの始まり
かつて大洪水が起きる前のリバインニウムには竜の里というものがあった。竜の里には知恵のあるドラゴンたちがたくさん住んでいて、賑わいがあった。
その中でも際だった力を見せている二匹のドラゴンに注目が集まっていた。
ドラゴンたちは恐れ、戦いていた。
なぜなら、絶大な魔力を秘めているサンクウォルトの杖の所有権を巡り、二匹のドラゴンが対立していたからだ。
一匹は聖竜エリュミナス。もう一匹は邪竜ジャハナッグだった。
二匹は竜神ゼグディオンの前で力や技、知恵を競っていた。が、力や技でも、ジャハナッグはエリュミナスに全く届かなかった。
ゼグディオンの意思を継ぐのはエリュミナスしかいない。周りのドラゴンたちはそう信じて疑わなかった。
だが、ゼグディオンは自分の後継者の証であるサンクウォルトの杖をジャハナッグに与えた。
サンクウォルトの杖はサンクナートが創り出した宝物。であれば、サンクナートによって生み出されたエリュミナスが手に入れるのが相当。
誰もがそう信じて疑わなかった。
だが、ゼグディオンはエリュミナスに心という物が欠けていたのを知悉していた。
故にその驕りを戒めるために、あえてエリュミナスにはサンクウォルトの杖を授けなかった。
「なぜ、セグディオン様はこの私に杖を授けてくださらなかったのでしょうか。誰がどう見てもジャハナッグより、この私の方が優れているというのに」
エリュミナスは深い溜息を吐いた。
「誰だって、そう思っているさ。でも、ジャハナッグには不思議と人を惹き付ける力がある」
エリュミナスの数少ない友人のドラゴン、ルクソールはそう言って笑った。
「人を惹き付ける力?」
エリュミナスは鼻で笑いたくなるような感情を抱いた。
「そうだよ。事実、この竜の里でもジャハナッグは友達が多いだろ。それに引き替え、お前はどうだ?」
「確かに私は好かれていません」
エリュミナスは下を向いた。
「だろ。お前ももうちょっと心を磨く必要があるんじゃないのか。その氷のような冷たい心は溶かした方が良いぞ」
自分の心は冷たいという自覚はエリュミナスにもあった。
「力や技、知恵よりも心の方が大切というわけですか。ゼグディオンも精神論を持ち出すようでは遠くない未来に滅びますね」
エリュミナスは皮肉を口にする。
「だから、そういう言い方が悪いんだよ。とにかく、お前も気晴らしにチェスでもやったらどうだ」
「チェスとは?」
聞いたことがない。
「人間の世界で流行っている遊びだよ。これがまた面白いんだ。いつもは使わない頭の体操にもなるからな」
「頭を使った遊びなら私も負けませんよ」
エリュミナスも対抗意識を燃やす。
「チェスはそんな単純な遊びじゃないぜ。普通の頭の良さとは、違った能力が求められるからな」
「そうですか」
大抵の遊びには興味を示さないエリュミナスだったが、ルクソールの揶揄するような言葉には、心に火が付くのを感じた。
「ジャハナッグの奴はチェスが大の得意なんだよ。だから、チェスであいつを打ち負かしてやれば悔しがらせることもできるぜ」
ルクソールはニヤリと笑った。
「それは面白いですね」
「よし、なら、さっそく俺の家でチェスをやるぞ。ドラゴンがやるチェスだから、駒や盤も大きくて迫力があるんだ」
その後、エリュミナスとルクソールは気が済むまでチェスで遊んだ。知性派で知られるエリュミナスもさすがに初めはルクソールには歯が立たなかった。
だが、一週間もすると、ルクソールとも互角の勝負ができるようになる。
エリュミナスはチェスの面白さに嵌まっていった。
それから一ヶ月後。
エリュミナスは竜の里の広場で、長老のドラゴンの話を聞いていた。退屈ではあるが、真面目なエリュミナスはその話を聞き流したりはしない。
が、しばらくすると、珍しくエリュミナスの隣にジャハナッグが座る。
「よっ、エリュミナス。ルクソールの家でチェスをやってるって聞いたぞ。勝敗の方はどうなんだ?」
ジャハナッグの耳は早かった。
「私の方が勝っていますよ」
自慢ではない。
「そうか。でも、あんまり調子に乗らない方が良いぜ。チェスは人間が作ったゲームにしては奥深い代物だ」
ジャハナッグは口の端を吊り上げる。
「それは分かっています」
エリュミナスもチェスの奥深さは見抜いていた。
「なら、お前が一ヶ月や二ヶ月、練習した程度じゃおいらに勝てないのは分かっているだろ?」
ジャハナッグは挑発する。
「はい。ですが、一年の猶予があればあなたには追いつけると思いますよ。現にチェスを三年もやっていたルクソールには一週間で追いつきましたから」
エリュミナスも負けまいと笑い返した。
「だけどおいらには勝てない」
ジャハナッグの目が炯々と光る。
「では、もし私がチェスでの勝負で勝ったら、ゼグディオン様か授けられたサンクウォルトの杖は渡して貰いますよ」
善神サンクナートの宝物を邪竜になど渡しては置けない。
「別に構わないぜ。あんな杖持っていても何の役にも立たないし。ただ、一度や二度の勝負じゃ杖はくれてやらないからな」
ジャハナッグは威勢の良い声で言った。
「どちらが優れているのか、はっきりさせれば良いと言うことですね」
望むところだとエリュミナスは思った。
「そういうこと。ま、気長にやろうや。俺たちの寿命は永遠だし、楽しみは長く続けた方が良いだろ?」
ジャハナッグがそう言うと、長老のドラゴンは話を終えて、のそのそと広場から去って行った。ジャハナッグも黙り込んだエリュミナスを見ると、おどけたように首を竦めて去って行く。
エリュミナスは冷たい心に炎のような闘志が宿るのを感じながら、ジャハナッグとの勝負をとことん楽しもうと思った。
自分には永遠とも言える時間があるのだから。
〈END〉