ラスト・エピソード 新たな旅立ち
ラスト・エピソード 新たな旅立ち
大珠の瞳を使った霊薬のおかげで、フィーネリア女王の体は三日と経たない内に良くなった。
しかも、その一週間後にはフィーネリア女王は自力で立って歩けるようにまでなったのだ。
その奇跡とでも呼ぶべき回復ぶりに、王宮にいた人間たちもみな驚いた。
そして、フィーネリア女王は更に体調が良くなるとバルコニーから顔を出し、宮殿の外に集まっていた民衆に自分の病気が完全に治ったことをアピールした。
これには王都中の人間が歓喜し、フィーネリア女王を称えた。
それを見た、フィリアやアルベールもようやく重い荷を下ろしたような気持ちになることができた。
ただ、ラウルはリリシャを失ったショックから立ち直ることができず、喜びに満ち溢れた顔などとてもできなかった。
そんな気持ちを余所に、王宮で行われた式典では、ラウルはフィーネリア女王から直々に名誉騎士の称号を授けられた。
その上、一億シュケムという途方もない大金も与えられ、ラウルは一躍、時の人となった。
もうラウルを駆け出しの冒険者という者はいなくなっていた。
ドラゴンを倒し、女王の命を救ったラウルの活躍はこの国で長く語り継がれていくことになるだろう。
「ラウル兄さん、やっぱり旅に出るつもりなの。誰の力を借りても、お母さんは生き返ったりはしないよ」
リーネは旅支度を調えたラウルに切なそうな声を投げかけた。
「かもしれない。でも、ルーシェさんは創造神ゼクスナートなら母さんを生き返らせてくれるかも知れないって言ったからな」
それは微かな希望だと言って良かった。
神々を頼るのはラウルの本意とするところではなかったが、リリシャのためであれば意地を張るようなことは言えない。
「だけど、ラウル兄さんがいなくなったら、私は一人になっちゃうよ。子鹿亭を一人で切り盛りしていく自信は私にはないな」
リーネもリリシャが愛した子鹿亭を畳むつもりはない。そのためにはラウルの力も必要だった。
「だからこそ、渡した一億シュケムはリーネの自由に使って良い。これから旅に出る俺にとっては不用なお金だからな」
一億シュケムあれば子鹿亭を立派な店に改装することもできる。
もちろん、そのお金でリーネが働かずに暮らしても、ラウルも文句を言うつもりはなかった。
「うん」
リーネが消え入りそうな声で返事をすると、二階へと続く階段からルーシェが現れた。
「本当に一人で旅に出るつもりなの、ラウル君」
ルーシェの脇には革表紙の本が抱えられている。
「ええ。この旅に誰かを巻き込むわけにはいきません。もう自分の目の前で大切な誰かが死ぬのは懲り懲りですら」
ラウルはリリシャの死に顔を思い出しながら言った。
「私なら、あなたの旅に付き合ってあげても良いわよ。希望を持たせるようなことを言っちゃったのは私だし」
ルーシェの言葉にラウルも心が傾く。
「気にしないでください。とにかく、俺は一人で旅に出ます。自分の力でどこまでやれるかも試してみたいですから」
リリシャもラウルが自分の死に縛られるような生き方は望んでいないはずだ。
そして、ラウルにも世界に名が轟くような冒険者になりたいという夢がある。冒険者として更に名を馳せるには、誰かの力を宛てにしていては駄目だ。
まずは一人で旅を続けられる強さを身につけなければならない。
「そっか。なら、あまり無粋なことは言えないわね。でも、私の力が必要になったら、いつでも言うのよ。私も力を貸すのを惜しんだりはしないから」
ルーシェもラウルに頼られるのは嫌いではなかった。ルーシェにとってラウルは弟のような存在だったから。
「分かりました」
ラウルは小さく頭を下げた。
「おはよう、ラウル。その格好だと、やっぱり旅に出ちゃうんだ。ラウルがいなくなったらアタシも寂しくなるな」
現れたのはエレナとフィリアだった。
二人が揃って宿を訪れたことはなかったので、ラウルも二人が前よりもずっと仲良くなったことを感じ取っていた。
「そうだな。俺も幼馴染みのエレナの顔が見られなくなるのは寂しいよ」
ラウルにとってエレナは一番の親友だった。そのエレナと別れるのが辛くないと言ったら完全な嘘になる。
「でも、これが今生の別れってわけじゃないんでしょ。なら、またきっとどこかで会えるよね」
エレナも暗い顔を見せなかった。
「ああ」
ラウルは悠揚に頷いた。
「ラウル、あなたにはこの剣を差し上げます。かけられていたエンチャントの魔法は既に解いてありますから」
そう言って、フィリアは腰に下げられていた剣をラウルに渡した。
「サンクカリバーじゃないか。こんな大事な剣を俺にくれるって言うのか。さすがにそれはまずいんじゃ」
サンクカリバーはこの国の国宝なのだ。その価値は計り知れない。
「私にはもう必要のないものです。それに名誉騎士の称号を授けられたラウルが持つのであれば誰も文句は言わないでしょう」
フィリアはラウルなら自分以上にサンクカリバーの力を引き出せると思っていた。
「そうだけど」
ラウルも壊れてしまったミスリルの剣の代わりに安いブロードソードを買おうと思っていた。
なので、サンクカリバーのありがたみも一入だった。
「私もできることならラウルの旅に付き合いたいです。その思いはエレナさんやルーシェさんも同じだと思いますが」
フィリアはまだ自分がラウルにとって、特別な存在になれないことは分かっていた。だが、ラウルとの距離を縮める機会がなくなったわけではない。
そう、生きてさえいれば。
「その気持ちだけ受け取っておくよ。さてと、これ以上、湿っぽくならない内に俺も旅に出るかな」
ラウルは手にしていた革袋を肩に背負った。
「お兄ちゃん、頑張ってね。色々、言っちゃったけど、お母さんが愛したこの子鹿亭は責任を持って私が守っていくから」
リーネももう泣き言は口にせずにラウルの帰る場所である子鹿亭を守ることに決めた。
「ラウル君、必ず生きてこの王都に戻ってくるのよ。私もリリシャさんを生き返らせる方法は模索するから」
人の死を仕方がないものだと割り切る精神は邪神に魂を売り渡してまで不老不死の体を手に入れたルーシェにはない。
「アタシはラウルのためにできることなんてないけど、ラウルの故郷であるこの王都の平和は守って見せるわ」
エレナは腰の剣の柄を叩いた。
「私はお母様と一緒に、この国を盛り立てていきます。この国がいつまでもラウルを温かく迎えられるように」
フィリアはラウルの身の安全を祈りながら言った。
「ありがとう、みんな」
そう言うと、ラウルはもう振り返ることなく一人で子鹿亭を出た。
それから、必ずリリシャを生き返らせて見せると決心して、大きな世界へと足を踏み出したのだった。
〈FIN〉