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パブへ行くじいちゃん

 

 重光がリーノ・カッシーニ家に世話になり始めてから既に三日経った。

 翌日、挨拶をしてお暇しようと思ったのだが、リーノに引き留められてずるずるとお世話になってしまっていた。妻のラーラもジーノも好きなだけいてくれ、と言う。


 リーノは帰ってきた翌日と翌々日は両親や親戚のところへ帰ってきた挨拶をしに行っていた。

 ジーノ少年と母親はいつもどおり仕事をしていた。ジーノは小さな食堂の掃除や賄の手伝い、母親のラーラは紡績工場へ。


 重光は一人で知らない人の家にいるのも気がひけたのだが、カッシーニ家の三人は遠慮せずに、と言ってくれたのでお言葉に甘えていた。


 この三日のうちに重光はやはりここは別世界なのか、と思うことがあった。

 やたら体調が良いのだ。

 薬を飲んでいないのに、めまいもしなければどこかが痛むということもない。階段の上り下りも楽にできる。おまけに胃もたれせずに、食事が美味しく食べられるのだ。

 初日には薬を飲んでいないことに不安を感じた、この先のことを憂えていたのだが、その翌日にはなんとかやっていけそうな気持ちになってきた。


 というわけで重光は迷子にならない範囲で冒険という名の散歩を楽していた。その際、重光の着ているものでは少々目立つ、ということでリーノのシャツとズボンと真新しい下着まで用意してくれたのである。

 なんとも親切なこの一家にいつかは報わねば、と思う。


 重光はそうしてありがたく、その服を着て散歩をしながら今後のことを考えていた。

 帰る手立てなど検討も付かない。だからと言って、このままカッシーニ家で世話になるわけにも行くまい。なら、どうやって生活をしていこう。

 働いている老人はいるだろうか、と気をつけて観察をしても店番をしている老人を二人ほど人見ただけだった。


 本日もリーノは朝早く出掛けていったが、ジーノは休みのようだ。

 と、いうのも朝食を終え、父と母を見送るとギターを抱えて重光の前へやってきたのだ。


「じいちゃん、他の曲も教えて」


 厄介になっておきながら言いたくはないし、考えるのも憚られるのだが、少々暇を持て余し気味な重光は快く引き受けた。だが一番の理由は、ジーノが喜ぶことしてやりたかったからだ。


「ジーノ坊や、譜面は読めるかのう?」 


「ふめん? 何それ?」


「うむ、そうか。ならあの曲は聴いて覚えたのじゃな?」


「当たり前だよ」


 紙は普通に市場に出回っているようだから、後でなんとかすれば良いな、と重光は頷いた。


「どれ、じゃあ、音階……ドレミは分かるかい?」


 ジーノは六弦のギター――重光が見慣れた、地球と同じもの――を弾いていたし、奏でていた和音もおかしな感じはしなかったが大事なことを聞いてみた。


「それくらい知ってるよ」


 ジーノがぷう、と頬を膨らませる。今年十歳になったばかりだというジーノの、年相応の表情に重光の頬が緩む。


 そして、別世界と言えど音階は変わらないことに安心した。

 見たところこちらの世界の人間も、重光と同じ人類と同じような姿形をしているためだろう、と思う。もし、指が七本あったり目が三つあったり、脳や感覚が人類と別の発達を遂げていれば、もしかして音階も別物になっていたかもしれない。

 実際、民族により地球でも音階は違っていたりする。 


 それはさておき、重光は覚えやすそうなメロディの曲を頭に思い浮かべた。コード進行はひとまず置いておき、綺麗なメロディが良いか、と考える。


 曲を通して吹くと、ジーノは目を輝かせながら重光を見つめた。


「よし、じゃあ何度か繰り返して吹くから歌いながら覚えると良い。すっかり覚えてから、ギターで弾いてみるんじゃよ」


 ジーノは意気揚々と頷いて、重光の演奏に合わせてメロディーを歌う。

 なかなかに筋の良いジーノは一時間も経たずに覚え、昼前には二曲覚えられた。


「そろそろ父ちゃん帰ってくるから、昼の用意しなくっちゃ」


 重光も手伝おうと立ち上がる。

 ジーノはキッチンへ行くと、ガスコンロのようなものが載っている台の扉を開け、薪をくべて火を点けた。マッチももちろんライターも使っていないので、やはり魔術なのだろうか。


「火ぐらいは誰だって点けられるよ」


 そう言いながら水を張った鍋をコンロの上に置いて、手際良く野菜を切っていく。その間に鍋の湯が沸いたので、そこへ麺を入れて茹でる。


「父ちゃん帰ってきたから、昼も食べられるようになったんだ」


 ジーノは茹で上がった麺と野菜を和えて塩とハーブで味付けをしながら、嬉しそうに笑っている。そして、皿に盛り付けを終えるとちょうど良くリーノが帰ってきた。


「お帰り父ちゃん!」


 駆け寄って飛びつく息子を抱き上げたリーノの顔が、これ以上ないほどに緩む。子供たちが幼い頃に、手を繋いで出掛けた数少ない思い出が浮かぶ。


「昼の用意したから、食べよう!」


 三人で食卓に着き、ジーノが作ったスパゲティのようなものを食べる。

 リーノはどこか上の空というか、浮かない顔をしている。


「旨いのう。ジーノ坊やは料理も上手なんじゃなあ」


 ジーノの手作りの料理を始めて食べた重光は感心しながら言った。リーノも感心したように、誇らしげに胸を張る息子の頭をなでてやる。


 食事が済んで後片付けを買って出た重光がそれを終えると、リーノがちょっと良いかい、と話を持ちかけた。


「実は、頼みたいことがあるんだが……」 


「おお、ワシでできることなら喜んで。ほれ、話してみなさい」


「あんまり、安請け合いされても困るんだが……」


 重光が身を乗り出しながら言うと、リーノは苦笑した。


「今日の夜なんだが、俺と一緒にエールハウスに行ってくれないか?」


「構わないぞい? して、エールハウスとはなんじゃ?」


「なんだ、知らないのか? ええと……なんだ? ああ、アレだ、酒を出す店だ」


「飲み屋さんか。よし、行ってみるか」


 重光は酒は一切飲まないのだが、恩人に頼まれれば否も応もない。二つ返事で引き受けた。

 しかし、飲み屋さんへの誘いなど改まって頼むようなことだろうか。もしや、いかがわしいお店で一人では行き辛いから、などこれぽちも思わない。


「それがな……そこでシゲさんの演奏を聞かせてやってほしいんだ」


「……なんと!」


「もちろん、金は払う!」


 重光が驚いた声を出すと、リーノは焦ったように言った。


「いや、俺の仲間たちにも体が不自由になった奴が大勢居るんだ! そいつらもシゲさんの魔術で、もしかしたら治せるかもしれないんだ……だから頼む」


 拒絶の声だと思ったのだろう、リーノは矢継ぎ早に言って頭を下げた。


「リーノさん、勘違いしないでおくれ。ワシの演奏で良ければいつでもどこでも行くぞ」


 重光が息巻いて言うと、リーノはありがとう、と言って再び頭を下げた。


「だが、治るとは思えんのじゃがのう……」


 そういう話であれば話はまた変わってくる。

 治ると思ったのに治らなかった、ではぬか喜びも甚だしいだろう。


「いや、治らなくても構わないんだ……今日、会ってきたんだがあいつらすっかり塞ぎ込んだり、荒んじまっててよ。あんたの演奏聴けば心がいくらかでも晴れるかと思って」


 重光は迷いながらも頷いた。


「よし、行ってみるかのう」


「ありがとう、シゲさん」


「ええー! 父ちゃん俺も行きたい!」


「ジーノにはまだ早い。十五歳になったら連れて行ってやるからな」


 リーノに窘められると、ジーノは思い切り息を吸い、これ以上ないほどに頬を膨らませた。

 重光が思わず笑うと、リーノも笑ってしまった。

 それから、費用はどれくらい払えば良いのか、という話で揉めた。


「一人、酒代一杯で良いのか? 安すぎないか?」


「十分じゃよ」


 小さな酒場ならばチャージバック、というお客が入ったら一人につきいくらというシステムが良いじゃろうなあ、と思った。

 まだ、ここの金銭感覚が身についていないので、およそ酒代一杯分に設定した。

 これでも、譲歩したつもりだ。

 最初は、そういう人たちが集まるのであれば慰問演奏になるだろうから、お金はいらない、と重光が言ったから、リーノは逆に怒ってしまったのだ。


「じゃあ、一人につき酒代一杯分で」


 リーノは不承不承納得はしていないのだろうが、受け容れた。


 こうして、夕方に妻のラーラが帰ってくるまでジーノは更に一生懸命曲練習に打ち込んだ。

 だが、リーノはまだ早いと言って頑として取り合わなかった。そうすると、今度はラーラの手伝いを始め、そちらから口説き落とそうと頑張り始めたが、リーノ以上に厳しい母親が頷くわけもなかった。


 つつましいが暖かな食事を終えると、重光はリーノに連れられてエールハウスへ向かった。

 本日の営業を終えた商店街の角の二階建ての煉瓦作りの建物の一階、そこへ入っていく。

 中に入ると、ランプの薄明かりの中、数名の客が酒を飲んでいた。

 木製の六人ほど座れそうなテーブルが六つ、奥にはカウンター。そのテーブルの一つに七人ほどの男が着き、無言でビールを飲んでいる。


 カウンターの中にいる店主と思しき女性も、どこか草臥れた顔で客に酒を注いでいる、のかと思いきや注いだ酒を自分で飲んでいる、といった有様で店内はすっかり荒んだ空気で一杯だ。

 客たちは二人を見ると、一瞬顔を上げたが何故かがっかりしたように俯いて、ちびちび酒を飲み始める。


「おお。パブのようなものじゃなあ」


「ふうん、シゲさんの故郷ではそう言うのか? まあ、あの(ひと)が店主のアルテアだ」


 だが、頷いた重光は目を輝かせ店に入ると、カウンターへ向かい店主らしき女性へ挨拶をした。


「こんばんは、お嬢さん。ワシは重光と申します。今日はこちらで演奏致しますので、よろしくお願い致します」


「ふうん、なんでも良いけどね……」


 重光の丁寧な挨拶に一瞬目を瞠った店主だが、すぐにどうでも良さそうに酒の入ったグラスを掴んだ。


 今夜店にやってきたのはリーノと同じ部隊で戦った仲間の数人だけらしい。

 どの表情も、一杯の酒代で怪我が治るわけがない、と語っている。それでもやってきたのは、何かに縋りたい思いがあるからなのだろう。


「どれ、この席をお借りしますよ」


 重光はカウンターの壁際の椅子に座り、リーノは仲間のいるテーブルに座った。


 さっそくトランペットを準備すると、ジーノに教えた曲を吹き始めた。古い外国の映画の主題歌だ。

 笑顔になるように。今日辛くても笑って、明日が輝かしい日になるように、そういう歌詞だった。

 だが、重光はそういう思いを込めて演奏はしない。

 ただ、そういう世界を音で紡ぎだすだけだ。そこにどういう思いを感じるか、どういう感情を抱くかは聴き手に任せる。


 そうして、四曲演奏を終えると店内は相変わらず静まり返っているが、陰鬱な雰囲気はなくなっていた。

 ただ誰もが目を瞑り、しんみりとしている。


 それから、しばらくしてから徐に客の一人が立ち上がり走って出て行ってしまった。


「すまんが、一休みしても良いかの?」


「え? あ、どうぞ」


 同じようにあ然としていた店主のアルテアも我に返り、綺麗なコップに酒を注いで重光に渡した。

 酒は飲めないと断ると、恐縮しながらも急いでコーヒーを淹れてくれた。思いがけず重光の顔が綻ぶ。

 香りといい色といい、コーヒーに間違いない。誰が違うと言ってもコーヒーだ、と頷きながら重光はコーヒーを飲むと、ほろ苦さとフルーティな酸味が口に広がる。


 そうして休憩をしていると、先ほど出て行った客らしき声が扉の外から聞こえる。


「いや、本当なんだって……完全じゃないが、目が見えるようになってきたんだ」


「本当かよ……って普通に歩いたり走ったりしてるから、そうなのか?」


「そうだ。とにかくお前も来いよ」


「でもなあ……そんな凄いな魔術師だったら治療費高いんだろう?」


「だから、酒代一杯分だとよ」


「後でもっとふっかけられるんじゃないのか」


「それでも治るんだったら安いもんだろうが!」


 と言うようなやりとりが筒抜けで、重光にも聞こえてきた。

 そうして、結局客が客を呼びに行き閉店には椅子が全て埋まってしまった。


 最後の演奏が終わるとどの客も立ち上がって拍手をした。それからどこが治ったと言いながら重光に硬貨を渡して握手をして帰って行く。みんな、また来るからと言っている。

 最後の客がいなくなり、重光とリーノとアルテアだけになると、彼女がぽつりぽつりと話し出した。


「家の旦那は討伐遠征で死んだんだ……来てくれる客は、みんな旦那の同僚だった人たちばかりで」


 ありがたいのだが、彼らを見ていると苦しくなってくる、とアルテアは言う。

 体が不自由になっても良いから帰ってきて欲しかった。帰って来れたのに、暗い顔でやってくる彼らを見ていると世の中の理不尽さに腹を立てるべきか、泣くべきかもう分からなくなってきた。

 生きて帰って来られたんだから、笑ってくれりゃあ良いのにね、と。


「そうだったのかい……」


「もう店を畳んで故郷に帰ろうと思ってたんだ」


 でも、と彼女は続ける。


「……治療がどうとか音楽はよく分からないけど、でも、シゲさんの演奏は良いもんだねぇ。だから、もう少し店を続けるから、たまに来て演奏しておくれよ」


 意外なお願いに重光は驚いたような顔をした。


「いや、もちろん演奏料は払うし、その、嫌でなければ」 


「おお、おお、こりゃあ嬉しいのう」 


 こうして重光はここでの初めての仕事を無事に終わらせた。また近いうちに来るから、と約束をして二人はカッシーニ家に帰っていた。





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