生還した男とじいちゃん
毎度お読みいただき、ありがとうございます。
(改)が付いているお話しは、誤字脱字(恥ずかしい……)の訂正が入っているだけです。内容に変更はございませんので。
それでは、引き続きお楽しみください。
心温まる親子の再会を見守っていた重光だが、ふと気付いた。今夜どうしよう、今夜だけではなくこの先どうしよう。
財布には千円札が三枚と、小銭がいくらか。
夕食は食べられても、どこかに泊まれるほどの金額ではない。
どうしたら良いか聞こうにも、聞ける雰囲気ではない。観客の中には、親子の再会に涙ぐんでいる者までいる。
すっかり大きくなっちまって、とか、ちゃんと飯は食ってるのか、とか母さんのことちゃんと見ててくれたんだな、など父親が言っている中その空気を壊すようなことは聞けない。さすがに、聞こえない振りはできない。
「……ありがとう、じいさん」
ジーノ少年を抱きしめていた父親が、徐にに重光へ顔を向けると頭を下げた。
なぜ礼を言われるのか分からず、重光は首を傾げた。
「音楽で魔術を使うなんて聞いたことないが……俺の怪我もすっかり治っちまったよ」
とりあえず、礼をしたいのだがこれで足りるか、と両手にのるくらいの大きさの布袋を重光に渡した。ずしりと手に重みを感じ、重光は中身を覗いてみた。
中には、銅らしき硬貨がぎっしり詰まっている。
「なんじゃい、こりゃあ?」
「討伐の褒賞金だが……足りないか」
硬貨のようだが何のことか分からずに、重光が不思議そうに尋ねると父親は顔を顰めた。
「今はそれしか持ってないんだ」
父親の唸るような声に、ジーノは父親にしがみついて重光を睨んだ。
もしかしなくとも、ここでは日本のお金は使えないのか、と気付いた重光は慌てて手を振る。
「いや、そうではなくてじゃな……ありがたいんじゃが。全部寄越すことはないじゃろうが」
父親は法外な治療費をふっかけられると思ったか、と合点がいった。案の定父親は、驚いたような顔になった。
「いや……ここまで完璧な治療だと、それの倍はするだろう?」
はたして、この袋にはどれだけの額が入っているのだろうか。
「ううむ……つかぬことを聞くが、これでどれだけ生活できるもんなんじゃ?」
「そうだな……家族四人でせいぜい一月ってところか」
「そんなにか!? なら、なおさら受け取れんぞい!」
五年間の討伐遠征の褒賞金にしては安い。
だが、それでも一家の生活費一月分と考えれば、安い金でもないだろう。それを取り上げるなど忍びないではないか。
父親は懐疑の眼差しを向けているが、そもそも重光には怪我を治した覚えはない。貰って良いものではないだろう。
そうして袋を父親に返そうとするが、受け取ろうとしないのでジーノに持たせてやろうとするも、ジーノも袋に目が釘付けになりながらも受け取ろうとしない。
重光はほとほと困り果てた。このままでは埒が明かない、と思ったところで妙案が浮かんだ。
「……そうじゃ、なら一日どこかに泊まれる分の硬貨だけくれないか」
どうじゃ、と言わんばかりに父親と少年を見ると、ますます怪訝な顔をされた。
「なんだ、じいさんは旅の魔術師なのか?」
旅をする格好に見えないが、と付け足しながら重光の服装を吟味している。
迂闊なことは言えないので、言葉を濁しながら日本という国からやってきたと言えば、その場にいた誰もが口を揃えてそんな国は知らないという。
「じゃあ、じいさんは魔物に故郷を追われてここまでやって来たのかい?」
魔物ではなく、亡き妻に追われてやってきたのだ、と言えばまた話がややこしくなりそうだ。そうだ、と言うしかない。
「帰るところがないってことか……」
帰るところがない、というより帰り方が分からない。
「ねえ、父ちゃん、家に来てもらおうよ」
「ああ……そうだな。ぜひ、来てくれ」
なんとも重光の良いように話が進んでいるではないか。金を持たせられるより、招かれるほうが余程ありがたい。重光は渡りに船とばかりに頷いた。
「そりゃあ、助かるよ。ありがたくお邪魔させてもらうよ」
そして、満面の笑みで礼を言いながらジーノの手に硬貨の入った袋を持たせた。見た目より重光が強情なのを見て取ったのか、父親は肩を竦めただけだった。
「よし、それじゃあ、買い物でもして帰るか」
背中にギターを背負った少年を挟み、三人は街の中へ向かった。
重光が来たと思しき道を戻り、商店街の途中で裏通りに入り大きくはないが二階建ての一軒家に案内された。
もはや、一人で屯所には行けないだろう。まあ、もう行くこともないだろうし良いか、と重光は思った。
家に着くとジーノは玄関の扉を開けて駆け込んでいった。
「ただいま、母ちゃん! 父ちゃん帰ってきたよ!」
ジーノが母親の手を引っ張りながら外へ連れてくる。
驚愕、という言葉が相応しい表情でリーノを見つめる女性。そこには喜びはなく、ただ驚きしか浮かんでいない。
「ど、どういうこと……だって、死んだ、て……軍の人が来て……」
「ただいま、ダリア……」
妻の顔がくしゃりと歪み、夫に駆け寄った。それを夫のリーノが抱き止め、お互いに無言で抱きしめあう。
「とりあえず家に入れてくれ。お客人もいるんだ」
「あ、あら。そうね……さ、お客さんもお入りになって」
重光はかなり気まずい気分を味わっていた。
死んだと思っていた夫が生還して、涙ながらに再開を果たした家族の大切な日に邪魔をする見ず知らずの年寄り。なんだか居た堪れない気分だ。
「早く、じいちゃんも入ってよ」
ジーノに背中を押されて、重光はキッチンまで連れて行かれた。テーブルには煮込んだ野菜スープとパンが置いてある。あまり余裕のない食生活をしているのが分かる。それでも、食卓には夫であり父親であるリーノが帰ってきた喜びに満ち溢れている。
そして、来る道すがらリーノが買ってきた鶏肉の香草詰めや腸詰肉が載ると、豪華な食卓に早変わりだ。
一家三人に重光を入れて四人が食卓に着くと、食事前の挨拶をして夕食が始まる。
「いやあ、俺ももうダメかと思ったんだ」
リーノが食べながら話を始めた。
サンドヴァルの南を流れる大河ロムスの上流、カフィリ山の麓が魔獣の本拠地になっており、各国の精鋭部隊がそこで討伐の任務に当たっていた。その他、各国に発生した魔物の討伐はその他の連合軍、あるいは貴族の私兵や民兵などで当たっていた。
リーノはカフィリ山で、魔獣の巣から発生する魔物の討伐部隊に所属していた。どれだけ殺しても後から後から湧いて出てくる。大本の魔獣を仕留めない限りは魔物の発生は抑えられないのだろう。
それでも、なんとか本体の目前までやってきた。
それからの記憶が非常に混沌としている。
気付けばリーノはどこかの海辺にいた。
青く透き通る海が真下に、白い海岸線が向こうにはっきりと見える。上を見上げれば雲ひとつない空。
海岸線に近づけば白いのは砂ではなく、鳥の群れだというのが分かった。
ふいに楽しげな曲が聞こえてきた。
海岸線に近付けば近付くほどはっきりと聞こえる。近付いて分かったのだが、楽しい曲調に混ざってリーノを拒否するような音が聞こえてくる。
だめだ、これ以上近付いたら戻れなくなる。
だが、どこへ戻るというのだ。
あすこに行けば、仲間たちが待っている。
お願い戻ってきて。
帰ってきて。
背後から聞こえる、胸に迫るような声にリーノは振り返った。
誰かの顔ががぼんやりとした視界に映る。そして、まだ生きてる、早く助けるぞ、という声がぼんやりと聞こえた。
その声に帰ってきた、と安心して再び目を閉じた。
次にリーノが気が付いたときには、柔らかくはないが清潔なベッドの上だった。
川べりの小さな町の人が見つけて、保護してくれたらしい。
長いことうつらうつらと過ごしていた。そこで療養し、意識がはっきりして歩けるようになるまで五ヶ月を要した。
それでも町の人々はリーノの格好で討伐部隊の兵士だと分かったのだろう、彼のことを手厚く根気よく看病した。
そして、意識がはっきりしてくると小さな医療所の老医師が話してくれた。
お前さんは運が良かった。あと少しで河口に出て、そうなれば海に流されてしまっていただろう、と。
そして、流されていった兵士がたくさんいるのだ、と。
この町の人々や他のロムスの川沿いの人々は、流される兵士を昼となく夜となく救出していた。たとえ物言わぬ屍であっても、国を町を守ってくれた兵達をせめて家族の下へ返してやりたい。
討伐に参加できなかった彼らのできる精一杯のことをやりたい、との思いで。
そうして、生きていたリーノを発見してからは、俄然やる気が出てきたのだろう。救出され、生還できたものが大勢いた。
動けるようになった彼らは馬車を乗り継ぎ、あるいは徒歩でそれぞれの家に帰って行った。
リーノも左足は不自由になってしまったが、命が助かっただけありがたかった。
足を引きずりながらようやく帰ってきた故郷。
街の検問所で、左腕に彫った認証番号を見せると、検問官が機械で番号と名前を確認する。そして、渡される小さな袋。
あまりの軽さに愕然とした。確かに魔物の被害の復興のために予算が必要なのは分かる。
軍に所属したのも自分の意思だ。だが、あんまりだ。
検問官からは、労いの言葉一つなく、さっさと行けといわんばかりに追い払われた。足が不自由になったってなんとかしてやるさ、と思っていた気持ちが途端に萎む。
早く帰りたい。帰って妻と息子の顔を見て眠りたい。
リーノが広場を通りかかると音楽が聞こえてきた。俺がこんなになったのに、何を呑気に音楽など、誰のおかげで呑気にラッパなんか吹けると思ってる、と荒んだ気持ちを抱えながら通るも老人の吹くラッパの音が心に沁みこんで来た。
帰って来られたじゃないか。
あの、明るく暖かくも忌まわしい場所から。
そして、たまに聞こえるギターの音に、老人の隣にいる少年に目が釘付けになった。
ジーノ、と口の中で息子の名前を呟く。
肉付きは悪いがいくらか背が伸びたようだ。大きくなったって一目で分かる。
老人の横で一生懸命ギターを弾いているのはリーノが教えた曲だ。
ああ、イルテリ海岸の白い鳥。
あのとき聞こえたのはこの曲だった。
いつの間にかジーノの手が止まっている。リーノもラッパの音に聞き入る。
曲が終わった。
帰ってきたのだ。
戦地から、イルテリ海岸から。
ジーノも一目でリーノだと分かり、駆け寄ってくる。抱き止めようと力の入らない左足に力を込めると、血が通い力が入るのが分かる。
息子を力いっぱい抱きしめると、帰ってきたのだ、と実感が湧く。
「まあ、とにかく……こうして帰って来れた」
そう言いながら妻と視線を合わせ、テーブルの上でお互いの手を握り締める。
「左足が使えるようになったのも、あんたのおかげかどうかなんて関係ないんだ」
あのロムス河岸の町の人がしてくれたように、何かを誰かに返したくなっただけだ。
そう言って、リーノは話を締め括った。