素晴らしい世界だのう
魔道兵士部隊屯所から歩いて五分ほど、同じサンドヴァル王国軍敷地内に魔術部隊の屯所がある。
やはり石造りの無骨な三階建ての建物で、ほぼ同じような配置になっているようだ。
青空の下、屯所に向かう前に重光はもちろん手洗いを借りた。割と綺麗で上下水道は完備されているようだ。ぶら下がっている桶に付いている栓を捻ると水が出てくる。手を洗いながらどこか懐かしさを感じた。
魔術部隊屯所入り口の兵は、ヨシュア・ピノッティ大佐の顔を見ると右手を握り、胸にその拳を当てて礼をした。
「ご苦労さん、タフィ大佐はいるかい?」
「は、執務室においでです」
「そうかい。ちぃっと邪魔するぜ」
「お待ちください。そちらのご老人は?」
素通りかと思えば、兵士は見張りの役割をきちんと果たしている。ヨシュアは頷くと声を潜めて兵に伝えた。
「ああ、オルドの件だ。こちらのご老体が情報を持ってきたんだ」
「少々お待ち下さい」
そう言うと兵士は肩から紐で掛けている昔のラジオのような物で通信を始めた。通信相手と言葉を交わすと三人に入るように促した。
建物の中へ入ると、やはり別の兵が先導して歩き始めた。
「おい、シゲさん。ワシはそのなんとかいう国のことなど全く知らんぞい」
「任せとけってぇ」
肩を竦めながら階段を上るヨシュアの後をついて行くと、フリオが荷物を持っていない手で重光の腰を支えた。
なんと気遣いの出来る男だろう。しかも、好感の持てる顔立ちをしている青年だ。こんな良い男を裏切る妻がいるだろうか。
「いるんじゃよなぁ……」
重光はため息を吐いてから、不思議そうな顔をするフリオに礼を言った。
執務室が三階だったらどうしようかと思ったが、二階だった。フリオが支えてくれたおかげで膝にも腰にも負担が掛からず上れた重光は、再び礼を言った。
目的の部屋に着くと、ヨシュアはノックをしてから返事を待たずに扉を開けた。
「失礼するぜ、タフィ大佐」
中で書類を見ていた男はそれを気にした様子もなく顔を上げた。眼鏡を掛けた知的な顔立ちの男だが何やら草臥れた顔をしている。
「ああ、ピノッティ大佐。プッチ大尉、と……そちらがオルドの情報を持っている方か?」
「川中島重光と申します。よろしくたのみます」
重光が深々と頭を下げると、コジモは軽く頷いた。
「ああ、カワ、ナカシマシ、ゲミツさん? どこまでがファーストネームなんだ?」
「ああ、シゲさんで良いぜ。シゲさん、こっちはコジモ・タフィ大佐だ。魔術部隊を纏めている」
「それで、どのような情報だ?」
「ああ、それがなぁ……。こちらのシゲさん、どうやら別の世界からやってきたようなんだ」
「ほう、なるほど」
テーブルに組んだ手を載せたコジモはあっさり頷いた。
どうやら、別世界からの人間はそれほど珍しくもないようだ。
「なんだと? 別世界だと?」
いや、珍しいようだ。コジモは少し腰を浮かせ声を上げると重光を探るような眼差しで見た。
「それでなあ、元の世界に帰してやりたいんだけどよぉ。なんとか、ならねぇか?」
「手間をかけさせて申し訳ないのう、小島さんや」
「ちょっと待て、話しが違う。オルドの情報だというから通したんだぞ? そんな与太話に付き合うほど暇ではないのだが」
「まあまあ、そう言わずに。シゲさんの持ち物を見せてやってくれ、フリオ」
指示されたフリオはコジモの執務テーブルに携帯電話と老眼鏡を出した。コジモは諦めたようにため息を吐き、老眼鏡を手にとって観察を始めた。
それを見ていた重光は腕時計を外して、これはどうじゃろう、と言った。
「これは時計か?」
自分の眼鏡を外し、重光の老眼鏡を掛けてみたコジモはその腕時計に大いに興味をそそられたようだ。
もう一度、自分の眼鏡に掛けかえると手にとって観察を始めた。どうやらコジモに老眼鏡はまだ早いようだ。
「見たところ、十二の文字が書かれているようだが……そちらの世界は一日が十二時間、ということなのか?」
「いや、二十四時間じゃ。その一番短い針が二周して一日じゃよ」
「なるほど……時間はこちらと同じか……。それにしても随分と精巧な作りだな」
ふむ、と頷いて次に携帯電話を手に取る。高齢者向けラクチンホンだ。残念ながらスマホは使いこなせず断念した。もっとも、電話と簡単なメールのやりとりが出来れば良いので問題は全くない。
コジモはあぶなげなく二つ折りの携帯を開くと、画面を眺め始めた。
「これは?」
「雪江さんじゃ、ワシの妻じゃよ」
「……いや、この姿絵の老婦人ではなく、この装置の説明をしてくれないだろうか?」
重光は勘違いに少し照れながら携帯電話の説明をしたが、電波の説明の時点で挫折した。
「そうか、分かった。いや、分からんがこれだけではシゲさんが別世界の人間かどうかの判断はできん。だが、見たことのない技術であることは確かだ」
「そうかい……。俺にはシゲさんが嘘を吐いているとは思えねぇがなぁ」
「まあ、感情的には同意したいところだが」
眉間を拳で揉み解しながらそう言うコジモが、重光のことを信用していないことは分かる。
オルドとやらの者が、人の好い年寄りを装って内部に潜り込んでいる可能性もあるのだ。
「職務上は迂闊に同意できねぇってとこか」
ヨシュアが言うと、コジモは頷いた。
彼は立ち上がると部屋の奥へ行き、戻ってくる頃には平べったい箱を持っていた。テーブルに置かれた箱は体重計を一回り小さくしたような形で、左右に金属の板がはめ込まれその間にガラス板が貼られている。
その金属のところに手を載せるように指示された重光は言うとおりにした。
「ふぅむ……」
なにを調べるのか、見ていると金属の板に挟まれた小さなガラス板に数字のようなものが浮かび上がった。漢字にしてもアラビア数字にしてもローマ数字にしても一は棒が一本、縦か横かの違いだ。だから重光はなんとなく数字だろう、と判断した。
「まあ、そこまでおかしい数値でもないな」
「ほう、そうですか……先日計ったときはいつもより高過ぎると先生に叱られたばかりですがのう……」
「いや、むしろ低めだが。いや……どこで計ったんだ? 計測器はそうそう出回っていないのだが」
語るに落ちたな、とコジモの表情と声が重光を問い詰めるように低く険しい物になった。
だが重光は、それに気まずそうに照れたように返した。
「お世話になってる、鈴木医院ですがのう。計ってくれた看護師さんが新しい美人さんでのう、少しばかり心臓が……雪江さんには言わないでおくれよ」
照れながら頭をかく重光にコジモは険しい表情のまま、ん、と首を傾げた。
「……なんの話だ?」
「血圧の話に決まっとるじゃろう」
コジモは一瞬固まり計測器から顔を上げると、ソファで寛いでいるヨシュアの肩が小さく震え、フリオは肩を竦めているのが見えた。コジモは再びため息を吐いた。
「シゲさん。これは、魔力値の計測器だ」
「おお、そうか。ううむ……血糖値やらコレステロール値は計ってるのじゃが、「まりょく値」とやらはまだ計ったことがないのう。やはり低いにこしたことはないのかい?」
なぜ、魔術部隊でお年寄りの健康管理をしなければならないのか。
ここはそういう部隊ではない、と言うため息交じりの声が聞こえたような気もする。
「どこの国でも十年に一度は専門の機関での計測が義務付けられているのだが、オルドでは違うのか?」
「いや。オルドは分かりませんが日本では生まれて一度も計ったことはないですぞ」
コジモの口調から、完全に被疑者扱いされていることが分かった重光はきっぱりと否定した。
「そもそも、その「まりょく値」とは、なんの数値ですかな?」
「個々の人間が持つ魔力の数値だが」
「魔力? なんですかな、そりゃ?」
「魔力は魔力だ。魔術を使うにあたりどの程度の力で発揮できるかは魔力量によるだろう。国民全員、魔術を使うにあたり把握しておかなければならない数値だ」
「魔術? 手品みたいなもんですかのう? この国では皆、手品を使うのか……楽しそうじゃのう」
重光は摩訶不思議な言葉を聞いて不思議そうな顔をしたが、すぐに頬を緩ませた。
職業柄、新しいものを取り入れることに抵抗はない。スウィートからスウィング、ビバップ、クール、モダンと変遷していくジャズに着いて行くためには必要なことだった。
そのせいか、少しばかり聞きなれない変わったことでも、なるほど、と受け容れてしまうところがある。
「手品ではない。魔術だ」
コジモはそんな重光に苛立ちを抑えながら言うと、笑いを必死に堪えていたヨシュアが言った。
「おう、タフィ。シゲさんに少し見せてやったらぁどうだい?」
なぜ、とかぼやきながらもコジモは掌を上に向けた。
重光がそれを見ていると、何をどうしたもの鳥の形をした火がそこに現れた。猛禽類のような形の鳥は、生きているかのように羽を羽ばたかせコジモの肩にとまった。そうかと思うと、こまたどこから湧いたのか水の塊が、イルカの形になり空中を泳ぎ始める。
これには重光も驚いて文字通り腰を抜かした。
「おおう! 大丈夫かい、シゲさん」
椅子から転げ落ちそうになった重光をヨシュアが素早い動きで支えた。
重光の座っていた場所と、ヨシュアの座っていた場所はかなりの距離があったはずだ。だが、ヨシュアはそこをす、と動いて落ちそうになる重光をいとも簡単に支えた。
「な、なんなんじゃあ、お前さん方は……!」
「ああ……驚かせて、悪かったなぁ」
怯えた顔をする重光に、ひょうひょうとしていたヨシュアの表情が一瞬苦しそうになったのを重光は間近で見た。拒絶されて傷つく人間の表情だ。
「これ、年寄りをあまり驚かせんでくれんかのう。残り少ない寿命が縮んだじゃろうが」
そう言って重光が笑うと、ヨシュアもほっとしたように笑った。
「いや、タフィとの遣り取りで薄々気付いたんだが、シゲさんの世界じゃあ、こういったのはないんだろうなぁ……」
「そうじゃのう……。ワシが見たここがないだけで、どこかにはいたのかもしれんがなぁ」
どこまでが本当か判断はつきかねるが、驚いて腰を抜かしたのは嘘ではないことが分かったのだろう、コジモも決まり悪そうに謝罪をした。
重光も椅子に座りなおし、動悸が治まると再びコジモに頭を下げた。
「とにかくワシは帰りたいだけなのじゃ。面倒をかけてすまないがよろしくたのむ。」
深く深く頭を下げる重光にコジモは苦笑した。
「とりあえず頭を上げてくれるか……シゲさん。あなたはどうやって別世界からやってきたのだ?」
重光はコジモにヨシュアたちにしたのと同じように説明を繰り返した。同じ話を繰り返すのは得意だ。よく孫に、その話何回も聞いたよ、と言われるくらい得意だ。
重光の話が終わると、コジモはきつく目を閉じ何かを堪えるように眉間に拳を当てていた。
何かを堪えふるふると震えるコジモの姿は重光にはよく見えなかった。
「くっ……エレオノーラ」
もちろんコジモの悲壮な呟きも聞こえなかった。
「では、シゲさんは一度死んだということか」
何かから立ち直ったコジモは何事もなかったような顔で尋ねた。
「記憶にないが、死んだ妻に会ったからのう。そうかと思うのじゃがなあ……」
「そうか、来た道を戻れば良いと思ったのだが、無理だな」
もう一度死んで、また雪江に追い出されるのは嫌だなあ、と重光も大いに頷いた。ヨシュアとフリオもどこか安心したような顔で頷いている。
「第一、死んだ後の世界のことなど死んだ人間にしか分からない。おまけに同じことが起こる保障もない」
再び頷く一同。
「シゲさん、はっきり言っておこう。前例のないことだから、帰してやれるかどうか分からない。というか手のつけようがない」
重光は軽く考えていた。コジモに言われるまでは旅行気分で、すぐではなくとも帰れると思っていた。
だが、はっきり言ってくれて良かったと思う。
「まあ、死んで生き返ったと思えばのう……得をしたもんじゃ」
笑うも、その声には力はない。
「シゲさんがオルドの間諜であってくれるほうが余程気分が楽なのだが」
とコジモは呟いて、今度は楽器のケースが目に入った。
「で、これは何が入っているのだ?」
「ああ……楽器じゃ、トランペットじゃよ」
コジモは、ふうん、と途端に興味がなさそうな顔をした。だが、ヨシュアは反対に目を輝かせた。
「おう、そうだ。シゲさん、せっかくだから何か吹いてくれねぇかい?」
その目の輝きに重光は、重たい気分がほんの少しだけ軽くなった。たとえ、重光に気を使って言った言葉だとしても、子供のような目の輝きには敵わない。
どれ、と立ち上がり、ケースを開け少し楽器を拭いてからマウスピースを鳴らして楽器をセットする。
ヨシュアの目はいっそう輝き、コジモは興味なさそうに書類を眺め、フリオは何が始まるのか窺うような表情をしている。
重光は、まるきり小さい子の前で演奏するような気持ちになった。
さて、何を演奏しよう。
そうだ、ぴったりの曲があるじゃあないか。
あのまま死んでいたならこうして再び、トランペットを吹くことなどなかったろう。重光は世界は違えど生還して、再び音楽を奏でることができる。
素晴らしいことではないか、例え世界は違えども、素晴らしいではないか。
こうして迎えてくれた世界は。