聞こえないふりのじいちゃん
ひとまず重光の身柄は、魔術部隊で詳しく調べるまでは屯所預かりとあいなった。
重光の人柄が穏やかで悪さをするような人物に見えず、また屯所で監視しておけばおいそれと悪さもできまい、というのは建前で行き先のないであろう重光を慮ったヨシュアの計らいだ。
取調べが済むと、安心したのか重光は腹が空いてきたことに気付いた。
だいぶ時間が経ったように思えたが、昼を少し過ぎたばかりだという。ヨシュアとチュウさんに連れられて重光は屯所の食堂へと連れられてきた。
歩きながら重光はヨシュアから説明を受けた。
六年前、神話に語られる魔獣の顕現がこの大陸のほとんどの国で観測された。
すぐさま、大陸十数カ国による討伐部隊が編成された。ここサンドヴァル王国、隣国のクラーベやオーガスタ連合など、十数カ国の兵力を合わせるとおよそ二万。
それだけの数でも討伐までに五年の歳月を要した。それでも、各国の見立てより三年は早かった。
もちろん予定より早くて文句を言う国などいない。魔獣の顕現とともに魔物の数が増え、どの国も国力の減衰率が大きくなっていたのだから。
それは、サンドヴァル王国の魔道兵士たちの力によるところが大きい。
サンドヴァルの魔道兵士部隊、別名を南国の筋肉部隊という。
有り余る魔力で魔術の才を磨かず、ひたすらに基礎体力、身体能力、筋力を鍛え上げ、肉弾戦を得意とする魔術部隊。
討伐において、戦死者を一人も出さなかった部隊だ。
その部隊を纏め上げているのがヨシ坊ことヨシュア・ピノッティ大佐。
彼はこの任務に当たり違和感を感じていた。筋肉部隊とはいえ、魔道を扱う者の勘かもしれない。
一カ国だけ討伐に参加しなかった国があるのだが、彼はそれに引っかかりを感じた。
彼が引っかかりを感じていた頃、諜報部隊は確かな情報を得ていた。
オルド国というサンドヴァルから南に下り、大河ロムスを渡った先の砂漠の手前にある国が魔獣を顕現させた、という情報だ。
何を考えてオルドがそのような愚行に及んだのかは分からないが、魔獣討伐が終わっても気を抜けないのは確かだった。
オルドが何を企んでいるのか、次に何をするのか。
そこへ、見慣れぬ格好で大陸共通語ではない言葉を喋る重光がやってきた、という訳だ。
ヨシュアが重光に説明した話しは特に機密情報でもなく、各国で周知されている情報だ。
そして、屯所の食堂はなぜかお通夜のごとく静まり返っていた。
兵士は十数人ほどいるのに、皆静かに食事をしている。
行儀が良いというより、ただただ沈鬱な雰囲気が漂っているのだ。
誰か亡くなったのだろうか、と思わせるようなどんよりとした悲壮な空気。
「……若いものばかりなのに随分と覇気がないのう」
ヨシュアに倣ってトレイを持って呟きながら配膳口に並ぶ。
「新人か? 随分老けた新人だな」
食堂の無骨な料理人が重光を眺めながら言った。
「川中島重光だ。よろしく頼むよ……あまり胃にもたれない物が良いのだが」
「訳あってここで少しの間預かることになったんだ、よろしくしてやってくれぃ」
料理人は頷いて、手際よく三人に昼食を配った。
コンソメスープと鳥のソテーとパンを見ながらこれなら食べられそうだな、と思う。
空いている席に三人で座り、どんよりとした食べづらい雰囲気の中もそもそと食事を始める。
「随分、皆静かに食事をしとるのう……?」
「……ああ。まあなぁ……」
重光が何気なく呟くとヨシュアが視線をさ迷わせ、チュウさんはスプーンを置いて鼻を啜り始めた。
先ほどから、いったいなんだというのだろうか。
「どうしたんじゃ、チュウさん。色男台無しじゃろうが」
「う、うう……じいちゃん……」
聞くつもりなどなかったのに、あまりの重たい空気に重光は思わず聞いてしまった。
チュウさんは鼻水を啜りながら語りだした。
五年に及ぶ討伐を無事に終え、こうして帰って来られた。もちろん、死んだ者も重態の者もいるから手放しでは喜べない。
それでも帰って来られた喜びは尽きない。
だが、帰還した彼に悲劇が待ちうけていた。
――俺が帰ってきたら結婚しよう
恋人にそう言って、戦地へ赴いたチュウさんは出迎えてくれた親に顔を見せ、挨拶もそぞろに恋人の下へ急いだ。
途中で花束を買って、愛しい恋人の下へ走った。戦果を上げ、中佐に昇進し誇らしい気持ちでいっぱいだった。
彼女の家に着くと、彼女の両親が迎えてくれた。
彼女はどこにいるんだろう。
きっと久しぶりだから精一杯おめかしをしているに違いない。
そわそわするチュウさんに彼女の両親は気まずそうに言った。
「え!? 結婚、した……? え? 誰と? 誰が? ソフィと、ジャコモ・サンティが? え、何それ……」
チュウさんは青ざめた顔で勢い良く立ち上がり、挨拶もせずに彼女の家を飛び出た。
向かうはサンティ家。
こじんまりとした一軒家の玄関のドアを開けたソフィは、チュウさんの顔を見るとドアを閉めた。
だが、チュウさんは素早く隙間につま先を突っ込んで阻止した。
作戦変更をしたのか、ソフィはドアを全開にして満面の笑みをチュウさんに向けた。
「お帰りなさい、チェーザレ!」
「ソ、ソフィ、結婚……! 俺、帰ってきたら結婚、言った」
チュウさんは泣きそうになるのを堪えながら、途切れ途切れにかつ早口で言った。
恐ろしい魔獣と対面してもこれほど心臓が激しく鳴る事などあっただろうか。
どれだけ激しく戦ってもこれほど酷く息が切れたことなどあっただろうか。
そんなチュウさんへ向かって、ソフィは満面の笑みのままあっけらかんと言い放った。
「あら、だって。「三年経って帰らなければ俺のことは忘れてくれ」って言ったじゃない」
そんなこと言っただろうか。
――俺が帰ってきたら結婚しよう
――チェーザレ、絶対に帰ってきて
彼女の手を両手で包み込みながらチェーザレが言うと、彼女は気丈にも涙を堪えながら微笑んだ。
――ああ、もちろん帰ってくる。三年だ、三年で終わらせてくる。だから……もし三年経って俺が帰らなければ、俺のことは忘れて幸せになってくれ
言った。
出陣前で気が昂ぶっていたし、そのときはすごく格好良い台詞のような気がしたのだ。所詮は気のせいだったが。
しかも、今思い出すと相当恥ずかしい台詞だ。
だが、あのときはこの台詞が何故か流行っていたのだ。
仲間たちもみんな、格好良い台詞だと思っていたのだ。
チュウさんあえなく敗北。
戦場でも着いたことのない膝を着く。
「でも、無事に帰ってきて良かったわ」
ソフィの気を使ってるような使ってないような、どうでも良さそうな言葉が今の二人の関係を如実に表している。
そもそも、凱旋したときに彼女が出迎えに来てなかった時点で気付くべきだったのかもしれない。
チュウさんは号泣しながら屯所へ走っていった。
そこには同じように撃沈した戦友たちがいた。
家に帰って大きくなった娘に「おじちゃん誰?」、なんて言われたヨシュアなどまだ微笑ましい。
「五年間、一度も家に帰ってないのに……。家に帰ったら、女の子が「パパお帰り」、って……。なんか目の色とか髪の色が、大通りのパン屋の長男に似てるんです……。あれ? でもやっぱり俺の子かな、そうだよな……ははははは」
しっかりしろ大尉、正気に戻るんだ大尉、と涙ながらにその男を揺する戦友たち。
重たすぎる。
もちろん、健気にも恋人が待っていた者もいる。
だが、皆で祝ってやるぜ、が、皆が呪っているぜ、に聞こえて結婚は足踏み状態だ。このままでは振られてしまうかもしれない。と、結局どんよりしているのだ。
「……そうか」
チュウさんが、重光の話の花束を買った件で泣いた訳がなんとなく分かった。そして、情にもろい訳でもないことも分かった。
ついでだがチュウさんではなくチェーさんだ。
「ところでワシは何をやったら良いかいの?」
重光は年寄りの奥義、聞こえなかったふりで話を逸らした。
あまりにも潔い逸らしっぷりに、チェーザレの涙が止まった。家のじいちゃんもこんな感じだったなあ、としみじみこぼすチェーザレ。
「あ? おお、そうだなぁ。とりあえず、魔術部隊の屯所へ行ってみるか? ご老人の帰る手立てを探さにゃならんしなぁ」
ヨシュアも、逸らした話にここぞとばかりに便乗した。
「おう、フリオ!」
「はい、大佐」
大声で名前を呼ばれて立ち上がったのは、いつの間にか娘ができていた大尉だった。重光はフリオからなんとなく目を逸らした。
「魔術部隊の所に行くから、ちぃっとばかり付き合ってくれぃ」
「はい」
「こちらのご老人も同行するからなぁ、荷物持ってやってくれや」
「はい。私はフリオ・プッチ大尉です。宜しくお願いいたします」
「これはご丁寧に。ワシは川中島重光と言います、よろしく頼みます。フリ夫さん」
思ったよりしっかりしている大尉と、ヨシュアの計らいで早く帰れるかもしれないなあ、と重光は呑気に水を飲んだ。